◎日銀利下げ 円高修正、市場心理も好転
日銀は政策委員会・金融政策決定会合で、政策金利を引き下げた。利下げの観測が流れ
た時点で、過度な円高にブレーキがかかり、市場心理を大きく好転させた力は無視できない。日米欧を軸に各国の政策協調が進んだことを世界の市場に印象づける象徴的な意味もある。
私たちは東証株価の異常な値動きを見て、日銀に利下げに踏み切るよう求めてきた。米
連邦準備制度理事会(FRB)は先月末、政策金利を0・5%引き下げた。欧州中央銀行(ECB)は今月六日に利下げに踏み切る見通しである。日銀の利下げはまさに絶好のタイミングだったのではないか。
0・5%から0・3%への利下げは実体経済にそれほど影響を及ぼさないとの見方もあ
る。だが、日米欧の協調利下げが確実視されるようになった結果、一時は一ドル=九〇円台にまで急騰した円高が円安に戻り、為替市場の乱高下が止まった。これは「強い円」を背景に、日銀の存在感がかつてないほど重くなっている証左であり、利下げのアナウンス効果は絶大だった。今回、もし日銀が利下げを見送っていたら、世界の市場は大混乱に陥っていたに違いない。
日銀は先月八日の米欧同時利下げには同調しなかった。金融危機は日本にまで及んでい
ないという判断だったのだろう。その後、あれよあれよという間にユーロやポンドなどの主要通貨が弱含み、行き場を失った資金が円に殺到した。急激な円高と不安心理の増幅によって株価が暴落した結果、健全といわれた日本の金融機関の含み益まで吹き飛んでしまった。これほど劇的な変化は日銀にも予想外だったはずである。
日銀は今回の利下げにより、数少ない手持ちのカードを減らした。利下げ幅が市場予想
の0・25%に達しなかった理由について、白川方明総裁は、「引き下げ幅を大きくすると、市場機能に悪影響が出る」と説明したが、0・2%の下げにとどめることで、0・15%の利下げをあと二回行う余地を残したとも考えられる。円高基調はおそらくこれからも続く。少ないカードをタイミングよく、大胆に使う勇気を求めたい。
◎「南町」復活 無形の財産も面的広がり
一日に旧町名が復活した「南町(みなみちょう)」に呼応するように、隣接する「上堤
町(かみつつみちょう)」の復活を目指すことが地元町会で決議された。一つの町名がよみがえり、その熱意がさらに隣接地域へと伝わるのは旧町名復活の理想的な展開といえる。しかも、金沢中心部のビジネス街、国道157号の都心軸という象徴的な場所で運動がつながったことは、単に数が増えたこと以上の意味がある。
全国初となった一九九九年の「主計(かずえ)町(まち)」を皮切りに始まった金沢の
旧町名復活は「南町」で九例目となる。来年秋ごろには「上堤町」、泉鏡花ゆかりの「下新町(しもしんちょう)」が予定され、順調にいけば十年で十例を超えることになる。
全国に先例はなく、土地柄も住民構成も異なる一つ一つの地域で試行錯誤を続け、合意
形成のノウハウを見いだし、実績を重ねることが復活運動の力になってきた。
困難を乗り越えた時ほど新たなエネルギーが蓄えられるとすれば、二百を超える企業や
テナントなどが集積し、復活への理解や賛同を得るにも手間がかかる「南町」で培ったノウハウは運動を前進させるための強い動力となる。「上堤町」復活決議が地元町会の準備委発足からわずか四カ月で実現したのもその表れだろう。歴史的な町並み整備と同様、無形の歴史財産もこのような好循環を持続させ、面的な広がりを持たせたい。
金沢にとって旧町名復活は、歴史を大事にする都市づくりの象徴的な運動と言ってよい
だろう。地域の個性を磨き、魅力を高めることに大いに役立っている。ビジネス街を「働く場所」「利益追求の場」と割り切るなら、町名変更に伴う経済的負担も重荷と感じるかもしれない。だが、旧町名に住所表示以上の価値を見いだせば考え方もおのずと変わってくるだろう。
「南町」では数少ない地元住民の熱意が企業やテナントを動かす原動力となったが、ま
ちづくりを通して地域貢献するという「企業市民」の理念が広がったことも見逃せない。ビジネス街での旧町名復活の盛り上がりが「企業市民」を考えるきっかけとなり、その意識が浸透することを望みたい。