ねこねこブログ

ねこねこと申します。ねこ大好き(*^^*)アニメ、マンガ、ゲーム、本とかも大好きです。楽しいことたくさん書いていきたいと思います。今、うつ病で無職で生活が非常に貧困困窮しておりまして、買い物してくださるととても感謝します。メールについてはこちらをご覧下さい。リンクフリーです。

2008年09月

お金がないことを想いながらトランプ占いをしていました。後天的に社会から脱落すると「忘れられた大人」になるのだなと思いました。

チャンピオン RED (レッド) いちご 2008年 09月号 [雑誌]

先日、うつ病で頭がボーっとしているせいか、病院の診察カードを無くしてしまい、どうしても見つからなくて(どうやら外で落としてしまったようです)、再発行をお願いしたところ再発行料(再発行料は僕が受けている障害者自立支援法外です)が千円は行きませんが結構掛かって、週を過ごすお金が残りほとんどなくなってしまい、財布の中に390円しかなくて、絶望的な気持ちで帰り道を歩いていました。

そうしたら、本屋を通りかかったら、軒先に、とても可愛い絵柄のトランプの付録がついた雑誌(チャンピオンREDいちご9月号付録「せくしぃトランプ」)があって、僕は可愛い小物集めるのが子供の頃から好きで、りぼんとかなかよしとかの付録の可愛い系の小物とか、後はカードキャプターさくらのチェスセットとか(これは凄く気に入っていたけど、うつ病になって、生活費の足しにするため売ってしまいました)、可愛い小物には大人になっても目が無くて、特に僕の好きなトランプ(僕は占いを嗜むので、トランプやタロットが大好きです)だったので、うつ病で気力がないにもかかわらず、この可愛いトランプ欲しいなと思ったんですが、750円の雑誌を買う余裕はとてもなく、とぼとぼその場を去りました。

帰り道、非常にみじめな憂鬱な気持ちで、もはや、金が無くなったら死しかなく、自分の楽しみのために払うお金が全くない状態を思い、酷く辛かったです。皆様のご善意で頂いたギフト券を食費にさせて頂いております。またアフィリエイトは、通信費・電気代にさせて頂いております。ありがとうございます。ただ、それでもお金(生活費)が足りず、貯金をすり減らしている毎日で(病院への往復交通費や精神科のお薬、特に抗うつ剤は値が高く、1割負担でも一月薬代だけで二千円掛かります)、病院の先生にもお金が無いことを相談しているんですが、「それは社会福祉の問題で、精神科医にはどうしようもありません」ということで、これはまさにその通りで、絶望的な気持ちです。皆様のご善意によって、なんとか命ながらえている状態で、本当にありがとうございます。

山本おさむさんが、障害を持つ子供達を描いた漫画「どんぐりの家」の2巻(お金がないので、漫画等も全て図書館で借りています)で、障害を持っていて、しかもちゃんとしたケア(社会福祉)を受けられない子供達を「忘れられた子供」と呼んでいますが、まさしく、自分や、自分と同じような環境(精神疾患や他の障害、怪我等で仕事を失い、お金が無く、社会保障費抑制のため生活保護をはねられ、精神疾患等の障害等級が認められても、国民年金三分の二未納のため、障害者年金を受けることのできない、職無き収入無き無年金障害者)にいる人々は、国家の社会福祉制度から見捨てられた人々、「忘れられた大人」なのだなと、ひたすらに闇に閉ざされた絶望の中で、社会から排除され、生命を抹消されゆく自分や同じ境遇の人々の運命を思っていました。

忘れられた子供…いや…私達が忘れ、拒否し続けてきたきた子供。(中略)
否定され、蔑まれ、絶望のまなざしを向けられていたものを代表して、
織江ちゃんは私達に信号を送ったのだ。
よだれを拭いてくれる、
そっと抱き上げてくれる、
やさしいその手が好きだ。
空気を震わせる、澄んだ鈴の音が好きだ。
そして……
風に舞うたんぽぽが好きだと……
(山本おさむ「どんぐりの家ワイド版 第2巻」)

その後、疲れ果てて寝る前に、なんとか気力を振り絞り、古いトランプで「ソロモンの指輪」の占いをしていました。タロットで本格的に占いをやるのは精神力(特に洞察力)を凄く使うので、今の僕の気力・精神力では不可能に近く、簡単にできるトランプ占いを行ったのですが、運命のカードがハートのクイーンで、吉兆の兆しありと出たので、どうか、少しでも、占いの結果が未来に反映されることを、祈りました…。

参考作品(amazon)
チャンピオン RED (レッド) いちご 2008年 09月号 [雑誌]
どんぐりの家 (1) (小学館文庫)
どんぐりの家 (2) (小学館文庫)
どんぐりの家 (3) (小学館文庫)
どんぐりの家 4 (小学館文庫)
どんぐりの家 5完 (小学館文庫)
どんぐりの家~それから~ (ビッグコミックススペシャル)

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ドキュメンタリー映画「ベルリン・フィルと第三帝国 ドイツ帝国オーケストラ」を観ました。ショックでした。

追記:この文章を書いたあと、加野瀬未友さん、FTTHさん、有村悠さんという三人から物凄い悪意ある嫌がらせにさらされています。僕が以前(うつ病になる以前)麻生議員に好感を持っていることを書いた文章があるということでずっと攻撃されています。そのときは軽く漫画好きということで好感持った文章書いちゃったんです。謝ります。僕が完全に間違っていました。このことで9/16からずっと継続的に嫌がらせされてます。もう生きているのが限界です。この三人が僕を虐め殺そうとしています。下記に書きました。もう限界です。

救患で病院に入りました。加野瀬未友さん、FTTHさん、そして何よりも有村悠さん、
お願いだから嫌がらせをやめて下さい。
あなた達の嫌がらせが続いたら本当に死んでしまいます。もう限界です。


先日から急に嫌がらせが始って凄く苦しいです。お腹に針が刺さったような
状態で痛くて辛くてどうしたらいいか分からず辛くて辛くて頭が割れそうです。


ベルリン・フィルと第三帝国 ドイツ帝国オーケストラ

先日、衛星第二で放映されていたドキュメンタリー映画「帝国のオーケストラ」(ベルリン・フィルと第三帝国 ドイツ帝国オーケストラ)をビデオに録画しておいて、昨日みたんですが、非常にショックを受けました…。

僕は、オーケストラの中ではウィーン・フィルに並んでベルリン・フィルが好きで、特に60・70年代のカラヤン全盛期のベルリン・フィル好きで、フルトヴェングラーも好きです。モーツァルト演奏の天才、ワルターがナチス・ドイツに弾圧されていたことは知っていましたが、ベルリン・フィルがこんなにナチスと密接的・直接的な関係にあったとは全然知らなくて、凄いショックを受けました。

財政的に破綻寸前だったベルリン・フィルをナチスが国営化することで救い、宣伝相ゲッベルスの直下で、ナチスのプロパガンダ機関としてベルリン・フィルを位置づけ、ナチス化していく様を当時の人の証言や当時の映像で丹念に描いているドキュメンタリーで、ひどく生なましくて、ショックなドキュメンタリーでした。ベルリン・フィルからユダヤ人が追放されるとき、誰一人、異議を挟まなかったとか、ベルリン・フィル自身がドイツの血統を汚すことのないオーケストラであるとの声明を出したり、「フルトヴェングラーは指揮者としては一流でしたが、他はダメでした(ナチスと協力した)」ということをベルリン・フィルの高齢の団員が証言したり、ベルリン・フィル団員のナチ党員は少なくとも16人で、ゲッベルスの直下、戦時中はナチスから圧倒的に優遇され、団員は兵役免除他の特権を持っていて、その代わり、徹底的にナチスのプロパガンダに協力したことを赤裸々に調べていて、胸が痛くなりました。

ラジオから流れるベルリン・フィルの美しい音楽というのは、人々にとって、憩いと喜びのひと時であり、それをゲッベルスが利用したんですね。ベルリン・フィルの演奏が始る前にゲッベルスが「ユダヤ人がいなくともドイツ人だけで世界最高の演奏ができる」とか演説をして、その後、ベルリン・フィルが演奏するわけです。また、ベルリン・フィルは収容所のユダヤ人から取り上げた高級な楽器(名器)をフィルのものとしてその当時、使用していたそうです。

ベルリン・フィルの音楽が好きな僕にとっては、非常に辛い番組でした。ゲッベルスを初めとしてナチスの高官達の前で、ナチスを称えて、タクトを振ってベートーヴェンを指揮するフルトヴェングラーの映像とか、ショッキング過ぎました。

「音楽家(ベルリン・フィルの団員達)は政治については子供のようなもので、ナチスに利用されているとか分からなかった、ただ音楽を演奏することに一生懸命だった。恥ずべき歴史です」といったことを、当時在籍していたフィルの高齢団員が述べていましたが、人々の愛するもの(音楽)も、メディアを利用することで、強力なプロパガンダの手段に変わってしまうということが、恐ろしかったです。

僕はロマン・ロランの「ベートーヴェンの生涯」(伝記・資料集)とか、手塚治虫先生の「ルードウィヒ・B」(創作も入った伝記、未完)とか読んでいて、ベートーヴェンの曲が、ナチスの為に使われるなんて、ベートーヴェンが最も望まない、最悪の出来事じゃないかと、胸が痛くなりました。

人々が愛するもの、美しいもの(この場合は音楽)は、メディア(音楽を流すラジオ放送)と政治が結びつくと容易くプロパガンダとして機能するということに警鐘を鳴らしているドキュメンタリー映画で、恐ろしいし、ショックな映画でしたが、それでも、観る価値のある映画だったと思います。特に、クラシック好き、僕みたいなベルリン・フィル好きは、一度は観ておくべき映画だと思いました。

今度、自民党の総裁選がありますが、少なくとも、「漫画好きだから漫画好きの政治家を支持する」といったような政治家支持の仕方は、「ベルリン・フィルの美しい音楽が好きだからベルリン・フィルが支持するナチスを支持する」と考えたナチス政権下の音楽好きドイツ国民と同じような支持のやり方な訳で、そういった考え方で、政治(政治家)を支持したりするようなのは、非常に危険であると警鐘を鳴らしている映画でした。今の、日本の人々の大勢にも、ぜひ見て欲しい、優れたドキュメンタリー映画です。

参考作品(amazon)
ベルリン・フィルと第三帝国 ドイツ帝国オーケストラ
ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)
ルードウィヒ・B (1) (手塚治虫漫画全集 (337))
ルードウィヒ・B (2) (手塚治虫漫画全集 (338))

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最近、どうしても暗い文章しか書けなくてごめんなさい。笑って楽しめるオーケストラ曲についてご紹介致します。チャイコフスキー「序曲1812年」

チャイコフスキー:1812年

最近、どうしても暗い文章しか書けずごめんなさい。うつ病と生活苦と腹痛で、どうしても悲観的な方向にしか思考が行かなくて。皆さんに楽しんでいただける文章を書くように努力しようと思っていたのに、なかなか上手く行かず、申し訳ないです。

今回は、クラシックの中でも最高にアバンギャルドで笑える明るく楽しい曲をご紹介致します。チャイコフスキーの「序曲1812年」です。これはもうクラシックの中では最大級にはっちゃけまくった迷曲にして名曲であり、本国ロシアやそのほかフランスと仲の悪い国(ドイツとか)では大人気の曲ですが、フランスでは…あまり人気が無い模様です。そういうこと(背景)は知らなくても楽しめるとっても面白い曲です。曲の背景もご紹介致します。背景を知っていると更に笑えます。

祝典序曲「1812年」作品49
ナポレオンは60万の大軍を持ってモスクワに攻め入ったが、ロシア側の焦土作戦によって、食料不足となり、追い討ちのように冬将軍に襲われた。そこへボロボロ状態のナポレオン軍にロシア軍が攻め込み、ナポレオンの軍は撤退する。その時には軍の数は3万になっていたという。

この祝典序曲は、ロシアに攻め入ったナポレオンの軍が敗走するまでの様子を描いた作品で、記念すべき1812年を祝うために作曲された。ナポレオン侵攻前の民衆の苦悩を描くロシア正教の賛美歌に始って、ナポレオン侵攻の場面では、フランス国歌が、両国の戦闘場面では、ロシアの国歌が分け入って来る。そしてナポレオン敗走の場面ではフランス国歌が徐々に変調を来たし、最後は勝利の鐘が鳴り響き、祝砲がドカン、ドカン打ちっ放される(演奏でも実際に軍に協力してもらって祝砲を使う)、よく聴けば実に笑えるのが大序曲1812年と呼ばれることもあるこの曲である。
(シモノフ指揮盤「序曲1812年」ライナーノーツより)

この曲はまさに「百見は一聴に如かず」という感じで、聴けばとにかく笑えます。クラシックはお堅いものという既成イメージを取っ払ってくれるチャイコフスキーの傑作コメディクラシックです。最初は暗いのですが(フランスが攻めてきて、ロシア国民が暗くなっています)だんだんロシアがフランスに勝ってゆくたびに曲がどんどん明るくなって(ロシア国民が明るくなって)、フランスを思い切りコケにしている(フランス国歌が変調してくるところとか実に笑えます)上に、最後の盛り上がり(戦勝記念で大祝祭)が良い意味でもうハチャメチャ過ぎてやり過ぎまくりで笑えます。うつ病になる前はこれ聴いてよく笑ってました。お勧めの面白いクラシックです。

この曲はロシアで大人気というだけでなく、フランスの侵攻(ナポレオンの侵攻)を受けた各国でも大人気で何バージョンも演奏されており(フランスでは全然演奏されないようですが…)、カラヤン指揮やシモノフ指揮の演奏も良いのですが、僕のお勧めはストコフスキー指揮盤です。最初聴いたとき笑い転げました。元々の作曲が非常に「ハチャメチャでやり過ぎ」なのを、ストコフスキーが更に「ハチャメチャでやり過ぎ」にした、この曲の決定盤だと僕は思います。お勧めです。

少し明るい文章が書けたのは、先日、お金に困っていてあまり食べれなかったとき、ギフト券で支援して頂き、食生活が助けられて、この文章を書くことができました。ありがとうございます。心から感謝致します。無職で収入のない僕が生き延びていられるのは、皆様方のギフト券やアフィリエイトのご善意でどうにか日々生き延びられていて、命を助けて頂き、心から本当に深く深く感謝致します。

参考作品(amazon)
チャイコフスキー:1812年(ストコフスキー盤)
チャイコフスキー:1812年(カラヤン盤)

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お腹が空くと白っぽい雪のようなものが目の前にチラチラする幻覚症状がでて、僕の中に白い雪が降っているようです。

お腹が空いて苦しくて眠れなくて、最近、栄養失調なのか、お腹が空くと白っぽい雪のようなものが目の前にチラチラする幻覚症状が現れます。決して積もらない雪が見るもの全てに降っているような感じです。

もうすぐ診察日なので、それまで頑張って、なんとか食べて、診察に行くことが救いです。お腹が空いてても余り食べられないので。

数ヶ月頑張って生き延びれば、精神障害者保健福祉手帳が発行されるので、そうしたら、生活保護とかも受けられるかも知れない(ダメかもしれないです)ので、なんとか節約して頑張って生き延びたいです。

僕の中でだけ降っている白い雪を見ながら、パウル・ツェランの詩を思い出していました。白い雪から白亜紀を連想し、白亜紀というところで、まさに白亜紀だなと…。

パウル・ツェラン
「暗闇に包みこまれて」

暗闇に包みこまれて
鍵の権能が。
牙が統治する、
白亜紀の跡から、
世界の‐
秒に逆らって

ツェランの詩の中では非常に明晰で分かりやすい詩です。「暗闇に閉ざす鍵の権能」、つまり、人々を閉じ込める(脱出不可能にする)権力システム、「牙が統治する、白亜紀の跡から、」最も強く獰猛な肉食恐竜が頂点に立ち弱い生き物を食って支配する、弱肉強食の白亜紀と現代が重なります。現代のシステムに閉じ込められた人々(弱い人々)は強い人々に食われる(文字通り命を奪われる)ということです。世界の‐秒に逆らって、つまり、滅んだはずの弱肉強食の恐竜の世界が軍事統治により復活しているということです。当然、ナチスドイツの支配を指しているんですが、僕には、現代日本の支配のように感じます。お腹が空いても、何も助けのない、貧困層は、ただ、閉ざされた外から不可視の檻に入れられる。企業収益の役に立たない存在(労働力にならない存在)は死ねとしか考えていない経済権力だけの、日本のシステム、軍隊が企業に変わっただけで、辛いです…。

スターリン批判の詩を書いて収容所に投獄され殺害されたソ連の詩人オシップ・マンデリシュタムはこのように書いています。「ツェラーン 人と思想」より。

人は誰にも友人がいる。何故詩人は自分がとにかく一番親しい人間である友人を相手として書いてはならないのか。(なぜ詩は私信ではなく、未来の不特定多数に開かれているのか)。

――船員は(船が遭難・沈没してゆく)生きるか死ぬかの時に、自分の名と自分の運命を書いたものを壜に入れて封印し、海中に投げ込む。長い年月がたった後に砂丘を歩いているとき、私はそれを砂の中に見つける。私は手紙を読み、今になって行方不明者の遺志と事件の日時を知る。私にはそうする権利(壜の中の手紙を読む権利)があったのだ。私は他人宛の手紙(私信)は開封したことがない。壜の中にあった手紙はその発見者宛だったのである。私は壜を発見した、ということは私は謎の隠れた受取人という訳である。

僕がここに貧困の生活の記録を残しているのも、壜を未来へ送っているわけで、僕がいなくなった後も、文章は残る、そしてそれを読んで、この弱肉強食の世界について、考え、一人でも、それを改めるために行動する人が出てきてくれたら、嬉しいです。

最後に、バラチンスキーの詩を「ツェラーン 人と思想」よりから紹介します。未来に宛てて書かれた詩です。トラークルの詩「グローデッグ」もまた、未来に宛てて書かれていますが、こちらは図書館に返してしまって、手元にないので引用できませんが、ご興味があったら、こちらも読んでみてほしいです。

バラチンスキー
「僕の才能など取るに足りない、それに僕は有名でもない、
でも僕は生きている――
僕の存在を貴重に思ってくれる
誰かがこの世にいてくれるから。
僕よりはるか未来の人が僕の詩のなかにそれを
再び見つけ出す、すると僕の魂は――
誰がそれを知りえよう――その人の魂と結ばれる。
僕は友人を僕の世代に見つけたが、
読者は未来に見出すだろう。」

今、まだなんとか無職で収入の無い貧困の中で生き延びられていられるのは、ギフト券を贈ってくださる方々、アフィリエイトで買ってくださる方々が、いらっしゃるおかげで、「でも僕は生きている――僕の存在を貴重に思ってくれる誰かがこの世にいてくれるから。」そのものです。本当にありがとうございます。

参考図書(amazon)
暗闇に包みこまれて

ツェラーン (Century Books―人と思想)

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昨日、抗うつ剤を飲み忘れてしまって、抑うつ症状がひどいです。ずっと寝込んでいたので、福田首相退陣とか今初めて知りました。

うつ病に掛かってから、頭がぼやけていて、ついに昨日薬(抗うつ剤)飲み忘れて、抑うつ症状がひどいです。昨日は一日中寝込んでいたので、本日、福田首相が辞めたことを今初めてTVで知りました。

次の首相が誰になろうが、自民党政権が続く限り、僕みたいな貧困層(病気で職が無く、一日一日死に近づいている層)が生き延びるすべはありません。減税も、公共事業による景気浮揚策も、僕みたいな収入のない貧困層の人間には、全く意味のないもので、これ(減税や景気浮揚策)で社会福祉費がまた削減されて色々厳しくなる(障害者自立支援法や障害者に対するケア等が更に縮小されたりなどする)のかなと思うと、辛いです。

僕みたいな無年金障害者(病気や障害で働けない人への年金は、年金三分の二未納だと受けられないので、僕は障害等級が認められても障害年金が出ません。現在、無年金障害者は十二万人以上、潜在的な無年金障害者になるかも知れない人(生活苦で年金が納められない人)は、若年層を含めると莫大な人数がいると云われています)を救う法案(障害者には一律に障害年金を払う法案)を以前、民主党が出していたので(自民党に阻まれました)、どうか、野党に勝ってほしいです。このままでは、凄く生活が苦しくて、もう、どうやって日々を生き抜くかに必死です。

以前、水木しげるさんが貧しい頃、腐りかけの特売の安いバナナ買って、それで飢えをしのぐのが唯一の贅沢だったとTVで仰っておられましたが、食生活はそんな感じで(特売品でバナナとか買って食べてます)、苦しくて、コンビニとかで、賞味期限切れの食べ物とか廃棄する前に、賞味期限切れでいいから捨てないでどうか、僕みたいな収入がなくて生活苦の貧困層の人に分けて欲しいです。貯金が生活すると減ってゆくので、一日一日、死に向かって進んでいるのが、とても苦しいです。

結局のところ、自民党の政策は、働けなくなったら、生活保護は審査を厳しくして、親族が全員完全に無財産になるまで受けさせない(それでもダメとかあるみたいです)、働けない人はホームレスになるか、餓死するか、自死するかぐらいしか選択がない、とてつもなく貧困層や病者、障害者(無年金障害者)に対して厳しいもので、これでは、本当に貧しい貧困層は生きることができません。保険制度がガタガタになり、非正規雇用者には社会保障が無いも同然(厚生年金に入れず、国民年金払う余裕が無い)なので、働けない人々(金銭だけが唯一の価値判断基準である企業にとってみれば価値無き無駄な生命とみなされてしまう僕のような人々)を社会から排除・抹殺して、路上生活や死に追い込む、財界のシステムと現政治は一体化しているので、これを、なんとか、少しでも、生命を救う方向に、転換して欲しいです…。

このままでは、財界の価値基準が日本の価値基準になって、「働く人間・収入のある人間は企業に収益をもたらす良い人間、働けない人間、病気などで社会福祉に頼る人間は企業の収益を税金という形で減らす悪い人間」みたいな価値に日本中が塗り替えられます。既に、働けないこと(失業者)とか、無年金障害者とか、全部「自己責任」にされていて、凄く苦痛です。今日本は景気が悪化しスタグフレーションが続いているので、このままでは、中・高齢者層の貧困層だけでなく、僕みたいな若年層の貧困層もばたばた死んだりホームレスになってゆくと思います。

図書館で借りた本から、少し引用します。もう、僕にとっては、ここで書かれるそういう時代になっております。僕みたいな若年貧困層は、僕だけじゃなく、もう命の限界に近づいている人々が多いと思います。

ヨーロッパと反比例するように、1990年代以降、日本のホームレスの数は増え続けてきた。厚生労働省の調査によると、公式的なホームレスの数は2003年の調査で2万5296人とされている。本書にも書かれていることだが、調査方法の限界を考えれば、実際の数はもっと多いはずだ。平均年齢は55・9歳で、男性が95%を占める。「中高年単身男性」が日本のホームレスの特徴だとされる。

ヨーロッパではホームレスが減ったと書いたが、なくなったわけではない。(中略)先日訪れたパリのテレビでは、食料を求めて街を歩く若者たちのドキュメンタリーを放映していた。彼らは普通のアパートに住む一見普通の若者たちだが、日々の糧のほとんどを、スーパーや住宅地のごみ箱から漁ってきた賞味期限切れの食料でまかなっていた。(中略)

ごみ箱を漁る若者たちとホームレスとの差は紙一重なのかもしれない。そしてそれは、現代の日本に目を移して考えて見れば、フリーランスで生計を立てている自分にだってあてはまるだろう。私にはまだ、賃金契約しているアパートや書くという仕事があって、両親も生きているが、いつ自分が病気になったり事故に遭ったりして生計が立たなくなるか知れたものではない。

それはリストラが頭によぎるサラリーマンや、低賃金のアルバイトで生活をしているフリーターにしても同じことだ。そして実際、日本には漫画喫茶のような場所で寝泊りしている若者たちが数多くいる。働くことができず、実家にひきこもっている若者たちも多い。日本ではまだ、若者のホームレスの割合は少ないという。しかし、何かちょっとした悪い出来事が重なれば、彼らや自分の次の寝床は、公園のテントや段ボールハウスかもしれない。この本を翻訳しながら、そう考えてみずにはいられなかった。ホームレスが時代を写す鏡ならば、「中高年単身男性」などと言っていられない時代が来るかもしれないのだ。
(アレクサンダー・マスターズ「崩壊ホームレス ある崖っぷちの人生」訳者後書きより)

もう、僕にとってそういう時代は来ていて、お金がなくて一番苦しいのは、食べ物が買えない(節約しているから生存ぎりぎりに減らしてしか買えない)ことで、それでいて、スーパーとかコンビニでは賞味期限切れの食べ物を捨てちゃう訳で矛盾を感じます。賞味期限切れの食べ物食べてお腹壊しても、餓死よりはマシなのに。例えば、貧困者救済特別措置法みたいの作って、僕みたいな収入のない人間、または低収入者などの貧困層には、特別に賞味期限切れで以前なら捨てていた食べ物を処理する許可を与える(賞味期限切れの食べ物をスーパーやコンビニなどから公的に貰える)証書を発行するとかすれば、餓死する人は減ると思います。お金がないと、食べ物が買えない、そうなると、運良く生活保護を受けられれば別ですが、そうでない場合(社会福祉費削減で生活保護が跳ねられた場合)、空腹の中で衰弱していって、死ぬのですから、さっき書いたような賞味期限切れでこれまで捨てていた食べ物を貰える特別措置があれば、どれだけ助かるか、本当に、お腹すきながら思います。

日本は、欧州に比べて国家の社会福祉制度が脆弱(というより新規機能していない)で、キリスト教圏に多い貧困者への慈善団体もない(あるのかも知れませんが、よくわかりません)、ので、これから、僕みたいなロスト・ジェネレーション(非正規雇用世代)の若年層の餓死や自殺が、どんどん増えてゆくと思います。

どうか、早く、解散総選挙をやって、貧困層を死に追いやっていくこの日本のシステムを少しでも変えることのできる政党が議席を伸ばしてくれることを心から願います。お金がなくて、生活苦が毎日本当に辛くて苦しいです。助けて欲しいです。

参考作品(amazon)
崩壊ホームレス―ある崖っぷちの人生

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皆様方のおかげでなんとか八月を乗り切ることができました。本当にありがとうございます。皆様方に伝えたいことを書きます。

今年の八月は、うつ病で無職で、抑うつ症状がひどく、心身症状(腹痛)も強くでている上に、冷房器具が扇風機しかなく、絶望感の中で焼き尽くされるが如く世界を感じていて、もう僕は「全てが終わりだ」というように、感じていた八月だったのですが、そんなとき、皆様方からの、とても助けられる善意のお気持ちを頂き、心身ともにとても助けられました。ギフト券を贈って下さった方々、アフィリエイトで買ってくださった方々、ご支援くださった方々のおかげでなんとか八月を乗り切ることができました。本当にありがとうございます。心底から、言葉にはできない感謝の想いです。本当にありがとうございます。

生活は困窮しており、どこまで貯金が持つか、それまでに働けるようになるか分かりませんが、一生懸命、出来うる限り、努力して、こちらの更新も一生懸命出来うる限り、努力したいと思います。どうかよろしくお願いします。

先日はなんとか、詩集ぐらいは読めたので、僕が昔から大好きなトラークルの詩集を読んでいて、「霊歌」にとても心打たれました。引用してご紹介致します。「トラークル詩集(双書・20世紀の詩人)」より。

トラークル
「霊歌」

様々なしるしを、珍しい刺繍模様を
そよいでいる花壇が描く。
神の青い息吹きが
庭の広間に吹き込んでくる、
晴れやかに中へと。
野生のぶどうのなかに一本の十字架は立つ。

村では 大勢の喜ぶ声が聞こえ、
庭師が塀際で草を刈る、
静かにオルガンは流れて、
響きと金色の光を混ぜる、
響きと光を。
愛がパンとぶどう酒を祝福する。

少女たちが入ってくる
そして雄鶏が 最後に高らかに鳴く。
錆びた格子がそっと開く
すると薔薇の花輪と輪舞に包まれ、
薔薇の輪舞に包まれて
マリアが白くやさしく憩う。

あそこの古い石像のそば 乞食が
祈りつつ息絶えて見え
牧人が柔和に丘を下りてくる
そして天使が森で歌って
近くの社で
子供たちを眠りに誘う。

僕は、最近、暮らせなくなったら、いかにして死ぬかというようなことばかり考えているので、この詩は深く印象に残りました。果たして僕は、何を祈りつつ息絶えるのか、それをずっと考えていました…。

死が間近に迫っているのを感じると、宗教というのは、もし心から信ずることができれば、死に対する安らぎであったんだな、そして僕にはそれがないということを感じます。それは、非常に辛い認識です…。

僕は、科学的に生命活動が停止した後、その生命活動の自己を認識する認識(自意識)は、生命活動停止とともに存在から無へ帰すと考えておりまして、物質的には完全に唯物論者なのですね…。中島らもさんが、宗教的なものを真に信じられる人は躁うつ病(うつが躁に反転する)になりやすく、逆に信じられない人はうつ病になりやすいというようなことを「心が雨漏りする日には」で書かれていられましたが(今手元に本がなくうろ覚えの記憶で申し訳ないです)、僕は後者みたいで、どうしても、強い抑うつ状態が消えず、頭に残り続ける状態です。命の炎が静かに衰えてゆくような絶望に支配されている気持ちが、毎日ずっと続きます。

けれど、そんな中にも救いはあって、それは、皆様方からの優しい善意、そして僕が美しいと感じるものはあって、息絶えるときはそういったものに祈りを捧げてゆきたいです。僕は、美しいものが好きで、美を愛しているので(それだけは、うつ病になっても変わりません)、美しいもの、音楽や、そして何より生命、特に女性的な生命の優しさの美が僕はとても好きです。僕はそういったものに祈りを捧げます。

そして、僕を支援してくださった善意の皆様方のおかげで、生活と、なによりも心がどれだけ助けられたか、そんな皆様が、これからも世界で、幸せに暮らしてゆけていらっしゃるように、心から祈ります。

うつ病はどんどん行動する気力を奪っていくので、貯金が全部なくなって食べれなくなったら、最後にできることは、にゃんこを世話してくれる方に譲って、後は、ただ想うことだけで動けなくなって、生命が消尽していって終わるか、その前になんとか気力を振り絞って、失踪日記の吾妻ひでお先生のように、誰もいない山奥まで行って、なるべく迷惑かけないように息絶えるよう努力するか、どちらかかなと思っています。そのとき、いつか、僕の存在が消えるときも、最後まで、ご支援して、助けてくださった皆様方への感謝の祈りを胸の中に抱いてゆけたらいいなと心から想っています。

今、バッハの音楽(今はイマージュ クラシークのバッハ「G線上のアリア」が流れています)を聴きながら、この文章を書いているので、少し感傷的になっているところはあるかもしれませんが、それでも上記、書いたことに嘘偽りはありません。うつ病で本当に死に掛かっていた僕をご支援して頂き、助けていただいた、善意ある皆様方の幸せを胸に願って、ゆけたらいいなと誠心誠意想っております。

最後に、もう一つ僕の好きなトラークルの詩を紹介致します。「秋の魂」という詩です。

トラークル
「秋の魂」

狩猟者の叫びと血の咆哮、
十字架と 褐色の丘のうしろで
池の鏡がゆっくり盲いる、
大鷹が固く澄んだ叫びをあげる。

刈り畑と小道の上には
黒い沈黙がはや不安げだ、
枝々の間には清らかな空、
ただ小川だけが静かにひっそり流れている。

間もなく魚と獣が離れ去ってゆく。
青い魂、暗い逍遥が
私たちを間もなく、愛するものら、他の者らからへだてた。
夕べが意味とすがたを変える。

正しい生のパンとぶどう酒、
神よ あなたの柔らかな手の中に
人間は 暗い終わりと、
すべての罪そして赤い痛みを載せるのです。

僕が消えても、僕にとって世界が消えるだけで、当然ながら皆様方の世界は続いていく。その世界に、幸せ多きことを、願い祈っております。

参考作品(amazon)
トラークル詩集 (双書・20世紀の詩人 13)

トラークル全集

心が雨漏りする日には (青春文庫)
イマージュ クラシーク~バッハ

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