テレしばい

これは面白い⇒テレしばい - KONAMI

紙芝居をディスプレイを使ってやる、というものですね。

場面によってアニメーションしたりBGMが流れたり、ボイスチェンジャーで声色を変えたり、といった事が出来るようです。声が変えられる、というのはなかなかいいかも。

コンテンツがネットでダウンロード出来る、というのも、今の時代ならではだなあ。

昔ながらの読み聞かせと、電子メディアならではの特性とを組み合わせた、とても興味深い商品と言えるのではないですかね。KONAMI、やるね。

トイザらス辺りで扱っているみたいですね。小さいお子さんがいらっしゃる家庭にお一ついかがですか。

 Accessories/テレしばい Accessories/テレしばい
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全体・総体・システム

水伝の一部を見て擁護したりする人は、「システム」として捉える事が出来ていないんでしょうね。

水伝は、江本氏の思想をコアにして、実験という模様のついた科学の衣(贋物の)を纏わせた主張ですよね。そしてそれは、他の論者の主張や波動論とも絡み合って、複雑なシステムをなしている。総体としてそういう風になっている。

でもその実態は、あちらこちらにほつれや破れがあって、しかも、ブランドを示す模様も紛い物。

模様をクローズアップしてみれば綺麗に見えるのかも知れないけれども、もっと引いて、全体を見てみようよ、という感じですよね。

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肘と手首と認知

剣の切り下ろしの話。

動画巡りをしていると、「上腕を振り下ろす」→「肘を伸ばす」→「手首を返す」という順序で運動しようとしていて、身体の使い方がバラバラになっているのを時折見かけます。

また、ブログなんかを読んでいて、その「順序」を意識して振ろうと心掛けているような記述も見ます。

ちょっと考えてみましょう。

切り下ろしは、ゆっくりめでも、1秒と掛からない動作ですよね。

で、その間に、上腕の振り下ろし・肘の伸展・手首の尺屈、という運動を連続させて行おうと認知しながら振る訳です。

ごく短い時間ですね。その間に、「認知(”こうしよう”と意識する)」→「運動」→「フィードバック(運動出来たか確認)」→「次の運動の認知」、というサイクルを繰り返すのですから、まあ、「間に合わない」。ぎこちなくなるんですよね。極端になると、振り終わってから剣を前に突き出してしまうような動きになる。

初心の内には、そういう認識で稽古するのは避けた方が良いかも知れませんね。そのようにする際には、ごくごくゆっくり行う、とかね。

そういう所を戒めるためなのか、新陰流の教えで、肘と手首の運動を制限させるようなものがありますよね(手許に資料無いので、ソースは示せませんが)。黒田鉄山氏の剣の教えもそれに近いのだと思います(具体的な操法自体が違うので、単純に似ているとする事は出来ないけれども)。

まずは、上腕~手首を一体の物体のようにして振るのが良いかも。もちろん、力を入れないのは前提。そうすると、腕を余計に使わない武術の身体操作がやりやすいし、手首を先に返すのも防げる。動作の認知としては、腕を一体にして振り下ろす、という単純なものなので、打ち込みの要領が掴みやすい。腕の代わりに、根本である肩や腰に意識を向ける事も出来る。剣を振るというと、どうしても腕そのものを意識してしまいがちだから。

それで、それがある程度出来るようになってから、腕の関節を滑らかに使った剣の振りを練習すると、良いでしょう。そうすると、実は、多段ロケットみたいな動きじゃ無くて、並行して関節を運動させているのだ、というのも掴みやすいんじゃないかな。

身体運動というのは同時並行的な運動で、シーケンシャルなものでは無いんですよね。動きを分解して、それを体現しようと強く意識してしまうと、短時間にシーケンスを詰め込もうとして、結局バラバラになる、というね。本当は、言語的に把握するのがそもそも難しい現象な訳です、身体運動はね。

また読解が難しい文を書いてしまったぜ…。

簡単に言うと、運動を実現させるための時間制限に認知がおいつかず、更に、本来同時並行的な関節運動をシーケンシャルな構造として認識するからバラバラな動きになる、って事です。本当は、同時並行的運動は、身体意識的な、非言語的なものとして認知(知覚でもいいか)される必要がある訳で。たとえば、視覚的な情報によって動作が実現出来ているか確認してフィードバックするのとでは、全く速さが違う。

え、全然解らない? 何気に、結構深い事書いてるんですけどね(笑)

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情報の与え方

ゲーム脳でしょうか? - Yahoo!知恵袋

質問者は中学生。母親にゲーム脳と言われ、ゲームを禁止されたという事例です。

質問文を読む限りでは、母親がゲーム脳という言葉の用いられ方を知っていたかは判りません。よく解らないがゲーム禁止の方便として用いたのか、それとも、森氏の主張を知っていて鵜呑みにしたか。

さて、質問者が中学生という事で、「どういう風に情報を与えるか」というのが重要な点であろうと思います。知恵袋に投稿するくらいだから(騙っている系の可能性は除外)、それなりのリテラシーを持っていて、WEBを通して相談する、という志向になった。

情報としては、ゲーム脳批判の基本的な所を踏まえて書かれたものが多く、有用な回答がいくつかありますが、ベストアンサーに選ばれたのは、

あなたが勉強のするゲームソフトを母親に提案する事がいかがですか。

これ。この回答は、簡潔過ぎるので、単純に「ゲームで勉強する」のを薦めているのか、他の含意(相手が中学生だから、回答は簡潔にしつつも、親のゲーム忌避を回避するように誘導した、とか。深読みし過ぎだけど)があるのかは判然としませんけれども、それをベストに選んだというのは、象徴的な事なのかも、と感じました。

table_tennis_311さんの回答なんかは、なるだけフレンドリーに接しながらもWikipediaのリンクを貼って、情報を得る方向へも誘導する、という気配りが見られます。

akio_no_no_kyofuさん(解りやすいIDだ…)の回答は、ちょっと複雑で、情報が多い気もします。平均的な中学生には、あの回答は読めないかも知れないな、と。大人が読んでもすぐさま理解するのは難しいかも。もちろん、周りがフォローするのを期待する、というのもあるかもですが。内容としては、とてもよく調べていて丁寧に書かれているので、優れたものと思います。いや、と言うか、あそこまできちんと書ける人はそうはいない。『脳内汚染』の根拠の論文への言及だし。他のゲーム悪影響論系の回答を見てみたけど、かなり調べていて非常に的確な回答をつけておられます。ここも読んでいる方かも知れない。いや、思い切り心当たりが……あんまり書かない方がいいかな。

まあ、私が思うのは、他の回答者も言っているように、ゲームをやる事より、他の事が疎かになる所を考えた方が良いのだろうなあ、と。これは率直な意見ですが、「勉強をゲーム感覚でやってみたら?」と思いますね。勉強もゲームだよ。←本気ですよ

このページを見て、どういう情報を欲しているか、どんな情報をどのように与えるべきか、というのを考えながら接するのがやはり重要なのだろうな、と。どの包丁を用いるのが適切か、という文脈ですね。

余談。回答の一つを見て思った事。

ゲームをやってるのを見てかわいそうだと感じるって、すごく余計なお世話。

そういう人には、この文章を捧げましょう

実際、私がゲーム周辺から得た人的および知的財産は膨大で、コンピューターの知識はもちろんのこと、クリエイティビティやマネージメント、デザインと社会との関わり、社会奉仕とは何かなど、全てゲーム周辺から得たものです。そういうものを否定するような説を、無視することはあっても、肯定するわけがないです。

むしろ子供たちのためには、ゲームはなくなってはいけないものだと思います。私は、中学生ぐらいになったら、学校の授業の一環として、ビデオゲームの歴史や、その背景にあるクリエイター達の苦悩、社会、経済との関わりなどを教えるような授業があっても、良いのではないかとさえ思っています。

そんな覚めた目ではゲームを楽しめなくなるのではないかと言う意見もあるかもしれませんが、そんなことはありません。事実私はゲームを楽しんでますし、ほとんどのコアゲーマーは、同じセンスを持っています。むしろ上のようなセンスを持つことで、「つまらないという楽しさ」を発見したりします。(A-WING::Frog is not Blog::なぜゲーム脳を批判するのか

余談2。ゲーム脳Q&Aを参考資料として紹介して下さる方もいて(他の質問でも見かけた)、ありがたい事です。

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