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■はるき悦巳の秘密 執筆:伊藤顕
★はじめに
 はるき悦巳なる人物はいったい何者なのでしょう。それはいまだ大きな謎に包まれています。世間と広く関わることの嫌いなこの人物は、めったに公の場に姿を見せることがありません。たまに取材が来ても、その多くは断っているようです。
 そのためにはるき先生がどのような人物であるか知る人は少ないのです。文献などを調べても、取り出すことのできるる情報はほんの少しです。
 そこでここでは「はるき悦巳の秘密」と題して、はるき先生の数少ないコメントなどから、はるき悦巳とはいかなる人物かをひもといていくことにしましょう。

★仕事について
そやから、働くのがニガ手なんですわ
(「じゃりン子チエ」第19部12話より)
「僕はなんやいうたら食えりゃいいんやいうことがある。職種もくそもないやないかいうところがあるんよ。そやから、土方とかいろいろやったけど、そこに何にも求めてなかった。選らんどったら電車のってどこか行ったり、新聞見たりせなあかんわけでしょう」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「家でごろごろしてるのが好きやから。金はなかったいうたら、全然なかったですけどね。別に死ぬわけじゃないでしょ。バイトも食えるぶんしかやらへんからね」(徹子の部屋 81.4.16)

「食える範囲でだけはゴチャゴチャやっとった。嫁はんも勤めとったしね。ほんまにあんまり苦労してないんですよ。自分では、無駄な苦労はしたらあかんと思うところがあるんよね」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「女学生向きの週刊誌から、『あなたの生きがいは?』なんて聞いてきたから困ってね。断ろか思たけど、こういう男もおるんですいうの、わからしといた方がええと思て書いたんですよ。『こたつで、みかんやお菓子食べながらテレビ見てんのが最高にええと思てます』(笑)」(週刊文春 81.4.16)

「一年半ほど、マネキン屋に勤めたのが、最初にして最後のサラリーマン生活ですわ。肌色塗ったマネキンに目えや唇を描きいれる仕事。それも、結婚するのに定職なかったら嫁はんの実家に体裁悪いやろ。それで実績つけたんです」(週刊文春 80.6.12)

(じゃりン子チエがアニメ化されて収入が増えて)「そやけど、俺全然関係ない。別に要りませんともいえへんし。くれるもんはもらうけど(笑)。俺は近所を自転車で走ってレコード買うか本買うか以外は必要ないんよね」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「こんな家庭に生まれる子は、しっかりしていないとどうしようもないやろなあ。」(朝日新聞 85.2.20)


 話を聞く限りでは、単行本「じゃりン子チエ」第1巻の巻末で小池一夫先生が書いているとおり、まさしく「はるき悦巳はなまけものである」という印象を受けます。
「じゃりン子チエ」のテッちゃんのように、仕事が嫌いなのとはちょっと違うようですが、はるき先生は「嫌なことはしない。食えたらどんな仕事でも良い」と言うように、仕事をあくまで生活手段ととらえ、生きがいとはしていない人物のようです。
 戦後のいわゆる団塊の世代、働くことを美徳とした世代に生まれながら、奇特な人物といえるでしょう。
 最後に取り上げたコメントから、「じゃりン子チエ」誕生の糸口が見えてきます。
 そうです。テッちゃんのモデルは、ほかの誰でもない、はるき先生自身なのです。

★漫画家になって
芸術から一番遠い話してるなあ…
(「じゃりン子チエ」第13部2話より)
「漠然と最初からあったんは、漫画が好きというよりも、どんなとこ住んでてもやれる事いうたら、漫画なんていいやん。机一つ、ケント紙だけでええんやから。材料費も安いし(笑)」(ぱふ 80.5)

「絵って場所いるんですよね。かなり大きな絵描いてたから。そやけど何しろ手え動かしておきたいんよね。それで、漫画やと、とにかく画用紙ぐらいの大きさで済むでしょ」(徹子の部屋 81.4.16)

「漫画って、すっきりしてると思うた。見たやつが面白かったら買うてくれるし、おもろなかったら買うてくれへんわけでしょう。絵えなんて批評家がかなりの役割を占めていて、芸術の隠れ蓑かなんか知らんけど、なんか不安な意識で見てる」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「僕は30歳近くになって原稿を持ち込んで歩いたんやけど、出版社の人はいい年をしてと思ったやろな。作品についての評価はどうでも良いから、とにかく金が欲しかった。嫁はんはいるし、金はないし、年を越せんと思たらつらかったですよ。古本を風呂敷きに包んで金にかえてたりしてた。そんな時です。自分の漫画が佳作に入ったという知らせがあったのは。それを聞いたとき、とっさにこれで生き延びられると思いました」(灰谷健次郎対談集 81.12)

「30で漫画でやっとデビューしたとか、ここにいたるまでの屈折いうのは俺自身全然ない。金ほしけりゃ、働けば金になっとったんだしね」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「漫画家は人間関係がないんでええと思ったんですよね。自分で原稿持っていって、それが面白かったら買うてくれて、稿料もらえるわけでしょ。ま、食えりゃええ思てやったことやけど、(今は)食えすぎるみたい(笑)」(週刊文春 81.4.30)

「今の収入が原稿料が月に百万円(編注:このほかに単行本等の印税がある)。昔はこれで一年食えたんやからなあ。原稿は月に百枚くらい。これで限界や。もうめちゃめちゃ忙しい。アシスタント?一人もおりまへん。嫁はんに手伝うてもらうけど、ほんまは全部一人でやりたいんよ」(週刊文春 80.6.12)

「もうかくべきもんがないから漫画はかかないっちゅう感覚は全然ないみたい。俺にとっては、食うための金を儲ける手段やから。売れているうちは、ずっとかくんやないかなあ。やっぱり」(朝日ジャーナル 80.8.8)


 はるき悦巳先生は、多摩美術大学では油絵科に入り、「ベニヤ板3枚分」もあるというような大きな絵を描いていたそうです。しかし、卒業後にはそんな大きな絵を描くわけにもいかず、絵を縮小することばかり考えていたそうです。
 そこで、ただ単純に「絵を描くのがすき」というのと、「食べるため」という二つの条件の上で利害が一致したために漫画家になったそうです。働くために絵を描くのをやめたり、絵を描くためだけに働くのは嫌だったそうです。
 しかし、最後のコメント。これを長い間ずっと盲目的にとらえ、絶対終わらない漫画だと信じていたのですが、「じゃりン子チエ」はついに最終回を迎えてしまいました。「じゃりン子チエ」の最終回は8月2日の朝日新聞夕刊で全国的に大きくとりあげられました。
 これはかつてどんな漫画においてもなかったことではないでしょうか。

★価値観について
男は夢ばっかり見てますからな。…女にくらべたら、男の夢なんてつまみ食いみたいなもんですわ。
(「日の出食堂の青春」第6話より)
「今の苦労が後の自分を大きくするなんていう考え方自体を信用していないのね。せっかくボケっとおりゃあ、もう一つのこと考えられてるのに、全部、余分を切る方向に進むでしょ。生活は圧縮してもいいけど、考え方なんかは縮小する必要はないと思うんやね」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「僕は、もともとある種の訓練でコンプレックスを克服した人間いうのは好きやない。自分を変えたりして、それが大きいなったことみたいな感覚でおる」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「俺は『男のロマン』みたいの好きやないんや。ロマンてなんじゃいう感じがある。女でも、ウーマンリブとかキャリアウーマンいうても、なんのこっちゃ思うんです」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「たとえば女の職業なら、編集関係とかデザイナーとか、ああいう人を自立した女と書いてあるじゃない。俺、ムカッとくるんよね。大根売ってる近所のおばちゃんにはまったく注目せえへんでしょう」(週刊文春 81.4.16)

「職種選べん立場にあったら、手っ取り早い目先のもので金得なければしょうがない。それなのにある種の枠付けみたいなものができて、それで人間切っていくのがものすごく嫌なんですよね」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「俺は、女に関しては、何かがないと生きていけんちゅう男の部分に参加せん方が得やと思うてるところがある。男の人と競りおうて頑張ってもいいし、何してもいいんやけど、女の人はやけに堂々と生きてるみたいなところがある。こっちはそういう感じで生きたいから色々な目におうているのに、何でそういうのを捨てて男の感覚でやっていきたいんかわからへん」(朝日ジャーナル80.8.8)


 この章では、「じゃりン子チエ」に限らず、はるき先生の作品に一貫として流れる、女性についての価値観をうかがい知ることができます。
「じゃりン子チエ」のある話の題名にある、「夢見がちな男たち(第8部10話)」であることは損であるとし、より現実的な女性の生き方を理想としているようです。
 しかし、そういうはるき先生自身、「夢見がちな男」の一人であり、またそれゆえにことさら強調し、作品の中にもその考えが自然ににじみ出ているのでしょう。
「じゃりン子チエ」でテッちゃんがよく、「根性」という言葉を連発するのも、テッちゃんが「根性」を持った生き方をしているからでなく、ヨシ江さん達女性が持つような「根性」にあこがれる思いが、テッちゃんに「根性」という言葉を連発させているのでしょう。

★西萩について
この辺はあかんなあ。変なオッさんとかオバはんが来てすぐ打ちたがるから。
(「じゃりン子チエ」第15部3話より)
「僕は中学一年のときまで、西成区の萩之茶屋あたりに住んでいたんですが、子どもにとってあんないい町はなかったですね。新世界やジャンジャン町で、朝から晩まで映画を見たり、走り回ったりと、大人たちの中で結構遊んでました」(演劇「じゃりン子チエ」(駒来慎脚本)パンフレットより)

「近くに、チエの公園のモデルみたいになってる茶臼山というところがあって、そこと天王寺の美術館に木があったくらいで。それ以外は木なんてあれへん。そこに中学一年までおったんやけど、やたら人間も多て面白いことばかりやった」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「僕はあそこ一向に悪いと思てないけど、釜ヶ崎いうたら、あるイメージあるでしょ。それで、(自分の出身を)ただ、新世界の近所やいうてるんです。みんな『怖い、怖い、あんなとこ絶対歩くもんやない。』とかいうねんな」(週刊文春 80.6.12)

「僕とこの辺は、実際に何しておるのやいうのがよくおったんですよ。時代的なこともあったのかわからんけど」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「昼間からゴロゴロ、大人がようけおるんですよ。働いてる人少なかったんよね。ガキの野球に大人が混じったりしとったからね」(週刊文春 80.6.12)

「作品の舞台を、そこと特定しているつもりはないんですが、どうしてもあの町のイメージが出てくるのはそういった僕の子どものころの面白かった体験からでしょう」(演劇「じゃりン子チエ」(駒来慎脚本)パンフレットより)


 はるき先生は中学一年のときまで西萩にすんでいたそうです。その後住吉大社で有名な住吉に引っ越し、大学進学の際に上京するわけですが、西萩にいた頃が最も楽しかったんだということを、これらのコメントからうかがい知ることができます。
 そのせいでしょうか、はるき先生の作品のほとんどが、当時の釜ヶ崎一帯を舞台とし、その主人公達は、はるき先生が西萩で過ごした頃の年齢となっています。
「じゃりン子チエ」に出てくる「ひょうたん池」のモデルは、天王寺公園内にある河底池だということを明言していますが、実際の河底池には、「じゃりン子チエ」の映画にも描かれているように赤い橋が架かっています。それに河底池には貸しボートはありません。
 しかし、はるき先生が少年時代をすごした頃、先生は1947年生まれですから、1955年前後の河底池には橋について調べてないのでわかりませんが、少なくとも貸しボートは存在したようです。

★趣味について
今度の事で分ったんやけど、人間はシュミを持たんといかんなあ。
(「じゃりン子チエ」第18部9話より)
「旅行なんか大嫌いだし…別にやることはないですね。朝起きて、自転車のって、本屋行って、レコード屋行って、ぶらぶらして、帰って漫画描いとんのやないかな」(ぱふ 80.5)

「僕なんか、家におって、レコードを聴くか、本を読むか、あとはテレビを見ているだけ。でも、テレビいうのはよう出来てますね。一日中見ても、テレビって最後まで面白いでしょ。深夜になって、どのチャンネルまわしても、シャーという音しかでんゆうのは寂しいもんです(笑)」(灰谷健次郎対談集 81.12)

「古本屋で本買うて、それで大分楽しめるし、読めば読む程楽しいんよね。それも、およそ現実とかけ離れてて、そやけども人間の一番根えみたいなものを書く作家は好きですね」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「高校の頃からずっとジャズが好きで。ジャズいうても最近の聞かへんけどね。(19)50年から60年くらいのばっかりで。偏ってるのね。好きなあたりをこだわって聴いてるみたいな感じやね」(ぱふ 80.5)

「つげ義春がめっちゃ好きやね。今はそう読めなくなったけど、もう、漫画描くのいやになるくらい好きやからね」(ぱふ 80.5)

「同じ雑誌に載るというだけで、何もつげ義春と机を並べて仕事する訳でもないのだが、「あのつげ義春と共演できる!!」と思うとボーっとなって自分を見失ってしまうのだ」(双葉社刊単行本「日の出食堂の青春」あとがき)

「なんか、かくのがすき。何かを描きたい。ただ、それをやるために何もしないでいいゆうほど家はよくないから、ほとんどバイトやってた」(朝日ジャーナル 80.8.8)

(それが今は)「原稿渡した後、ゆっくり寝るのだけが楽しみ」(朝日新聞 81.3.2)


 たばこは一日80本、起きている間はたばこを離さないというヘビースモーカーのはるき先生ですが、お酒はからっきしだめで、「酒飲んだ状態いうのはようわからんのです」といいます。もしかしたらテッちゃんがお酒を飲めないのもこのあたりからきているのかもしれません。
 レコードにしても、本にしても、何回もこだわって聴いたり読んだり出来るものが好きだそうで、「じゃりン子チエ」自身が、読めば読むほど面白い漫画だというのも、はるき先生の好みからきているのかもしれません。
 はるき先生が、「やっぱり、ああいうの描きたい」というつげ義春氏の漫画。言葉どおりはるき先生の作風に投影されています。デビュー作「政・トラぶっとん音頭」ではとくに背景に影響が見られますし、「じゃりン子チエ」でも夢のシーンなどにその影響の強さをかいま見ることが出来ます。

★猫について
ええなあ、猫は…毎日遊びまわって、おなかすいた時だけ帰ってきたらええんやから。
(「じゃりン子チエ」第26部7話より)
「生まれた時から、ずーっと俺の家自体が猫飼うておったんです。東京へ出てきて、結婚して猫が入ってきたのを飼うたりして。猫がほしい、誰かくれへんかな、というほどじゃない。全部、ただ入ってくる野良猫」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「だいたい、ペットみたいなうっとおしいのん好きやない。猫は俺にいっこも気を使わんかわりに、俺も気い使いとうないほうなんですよ」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「野良猫が入ってきて子供産みよったんよね。ものすご難産でね。医者呼んでね。こたえたよ、金ない時に(笑)。全部死産でね、一匹だけ助かって、今おんのがその猫やね。たくましいんやな、よう生き残った。出てくる時に引っ張ったからな、いやに胴長の猫でね。かわいらしいんよ」(ぱふ 80.5)

「猫なんて、人間のためには何もならんくせに、気分のいい時は愛敬ふりまいたり。気に入らんと、一切やらんでしょう。そんでうまいこと人間に可愛がられる。鳥でもしゃべってみたり頑張ってるのに(笑)。そやからいつも思う。こういう具合に生きられへんやろか」(朝日ジャーナル 80.8.8)


 はるき先生の漫画を語る上で、忘れられない要素が、「猫」でしょう。
 デビュー作「政・トラぶっとん音頭」の「トラ」、「ドンチャンえれじい」の「お父はん」、そして「じゃりン子チエ」の「小鉄」と「ジュニア」。みんな人間以上に豊かな個性を持ったキャラクターとして描かれています。
 個々の猫達についての話は、後段の「登場人物について」でふれることにして、はるき先生は、猫を”自由気まま”の象徴のようなまなざしで見つめているようです。
「じゃりン子チエ」でも、日本中を旅するのは主人公のチエちゃんではなく、猫達なのです。
 コメントで「一匹だけ助かっ」たといっていた猫、「チビ」という黒猫だそうですが、西宮に引っ越してしばらくして死んでしまったそうです。「チビが死んだのがこたえていて、もう猫は飼うまいと思っています。」と当時コメントしていましたが、
 猫好きのはるき先生のことですから、今もきっとどこからか迷い込んできた猫を飼っているのでしょう。

★チエについて
ふう…うちは日本一不幸な少女や。
あれっ…こおゆうのも久しぶりやな。
ウチもだんだんペース取り戻して来たんかな。
(「じゃりン子チエ」第31部8話より)
「子どもいうのは、ある程度考えてしゃべるわけじゃないけど、いっぱしのこというて当たることあるでしょう。チエは『おバアはんがいうとった』いう表現を使うはずだけど、その一言一言がおジイはんにとってはこたえる。チエはごく軽い気持ちでいうとるのかも知れんけど。」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「対外的にはチエいうのもテツの存在が気になってるいう子やからね。そういうところをすっとばしている子いうのはおらへんと思う。マサルにも悪口いわれて、常にひっかかってるし。」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「ただ、チエはそういう状況にあってもコンプレックスを持たずに、克服するような強さは持っていますね。コンプレックス持たないというより知らんのかな。」(灰谷健次郎対談集 81.12)

「ああいう状況に置かれた子どもの世界を描いて、しかも日本一不幸という言葉を使ったりしてるけど、結局、自分の置かれている状況が不幸だということも知らん子どもたちだと思います。」(灰谷健次郎対談集 81.12)

「これからこの子とこの父親はどういうふうに成長していくのかと、よう聞かれるけど、僕は絶対成長せえへんと思ってます。テツも絶対に変わらへん。チエは対等に大人と接触していくと思う。僕はそういうのが好きなんです。だから、子どもだからこの程度というお子様ランチ的な発想は嫌なんです。」(灰谷健次郎対談集 81.12)

「自分でも、チエにまだどんな部分があるかいうの、興味あるわけです。それをコツコツ描いていきたい。」(週刊文春 81.4.30)


 「描きやすいんはヒラメちゃんとかマサルとか。チエが描くのに難しいといえば一番難しいですね。」というはるき先生ですが、ここでいう「描く」とはもちろん描画のことではなく心理描写のことをさしているのでしょう。
 大人顔負けのバイタリティーあふれるチエちゃんですが、その裏に子どもらしい一面ものぞかせます。意外にはにかみ屋であり、またテッちゃんのつかう下品なことばに赤面したりします。チエちゃんはやっぱり子どもであって、決して大人の世界を理解しているわけではないのですから。

★ほかの登場人物について
名脇役、小鉄とジュニア。世間でじゃりン子チエのかくし味と言われている(誰がゆうてるねん)。
(「じゃりン子チエ」第26部7話より)
「俺なんか、マサルみたいなとこ多かったんやないのかな。悪かったからなあ(笑)。」(週刊文春 81.4.30)

「マサルいうやつは、チエに悪いことばっかりいうけど、俺はあの子も好きなんですよね。あいつはただの勉強家やない。あいつの勉強してるいうのは、全部チエにつながってることに僕は興味がある。ただ勉強して、ほかの人間には無関心なやつより、勉強して学んだことすら、チエとか、周りのやつに振り向けているような意識が好きや。」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「勉強が大事やいうて、ほかのものを捨てる発想がわからへん。マサルはチエの悪口いうたり、チエの反応が一番興味あるわけでしょう。あいつは常にそういう対人間いうところで生きとるから、テストの点だけ気にしてるわけやない。」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「『ヨシ江はん、よう我慢してる、できた奥さんや』とか、そういう投書がようけ編集部にくるらしいんですけどね、僕はたいして我慢してる思てないんです。テツみたいな旦那にまともに言い返しとったら話にならへんだけで。そやから、自分を抑える努力をしてああなったんと違うて、もともと基礎体力あるいうか、タフな人やと思うんです。」(週刊文春 81.4.30)

「僕は猫にしゃべらせる部分が自分としては一番楽なところがあるんですよ。猫やから何いうてもキザじゃないやろし。」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「僕は人間が真面目なこというのはものすご恥ずかしいんですね。こちらが落ちこんだりするときもあるでしょ、そんなとき、登場人物がそういう状態にあるのはものすごう嫌やからね。猫ならノイローゼになっても別にええわけでしょう(笑)。」(週刊文春 81.4.30)


意外と、マサルについてのコメントが多いのに驚きます。テッちゃんとともに、はるき先生が、自分に似ているところがあるというキャラクターだからでしょうか。
キザな、真面目なセリフを一手に引き受けてしまっている猫達。ノイローゼになるのも無理ないかもしれません。かといって、はるき先生が猫に対して冷たいわけではありません。油断すると猫達が主役をはってしまうほど、はるき先生は猫達に十分な愛情を注ぎ、また注目しているのです。

★登場人物について
ただ、登場人物には、世話になったなあとゆう、なにか負に近い思いがあります。なんなんでしょう。
(「じゃりン子チエ」あとがきより)
「描いてる俺が、『あいつ、どうしてるんやろ』という感覚なんですよ。1、2回出てけえへんかったら、おかしいなあ、近所歩いてるはずなのに。そんなら、帰り道でばったり会わしたり。」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「それで、この週には出て来えへんかっても、カルメラは今ごろどっかの縁日でカルメラ焼いてるやろとか、お好み焼き屋のおっちゃんは、ジュニアがノイローゼ気味やから、毎日心配してお好み焼き作っとるやろかとか、いつも頭の中にあるわけです。」(週刊文春 81.4.30)

「そやから、連中が勝手に動いて、僕のいうこと全然聞いてくれへんことがあるわけです(笑)。いうても、もうあかんのよね(笑)。」(週刊文春 81.4.30)

「ある1つの目標とかいうもんがあって、それに向かってみんなが頑張ったり、失敗したりして、そこにどんどん近づいてくいうのが嫌いなんです。それぞれ狙てるところは微妙に違うとって、たまたまある部分だけ結びついてみんなが動いている、いうのが好きなんですよ。」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「それぞれが、それぞれの思惑でしゃべってると思うんですよ。何かについてしゃべりあってるんじゃなしに、そいつの今置かれている状況が頭にあって。」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「だから、自分の中では、ヨシ江はんはこういう人いうイメージがあるんやけど、『はい、次はヨシ江はんの巻』とか、そういう描き方は嫌いなんですよね。まわりもみんな動きながら、その人の部分がちょっとずつ見えてくるような描き方したいんです。」(週刊文春 81.4.30)

「僕は、その人間にとって、どこが大事かをいつも気にしているわけですよ。テツにとって花井センセが賞をとるいうことはどういうことなのか。まったく関係ないわけでしょう。そんなことでつきおうてるわけじゃなくて、好きな部分でつきおうてるわけやからね。その好きな部分は変わらへん部分でしょう。そやから、なんかのことで、尊敬もせえへんし、見下しもせえへんいう線が一番好きなんです。」(朝日ジャーナル 80.8.8)

「テツがしゃべったり、花井センセがしゃべったり、そういうことばいうのは、大切にしておきたいところがある。あそこに出てくることばは、ガラ悪いけど、品とかいう意味では決して悪いことないと思うとるから。」(朝日ジャーナル 80.8.8)


 この章以降は、はるき先生の、作品や登場人物に対する思い、こだわりのようなものについてせまっていきたいとおもいます。
 はるき先生は、「大阪弁やと、セリフがなんぼでも出る」「やりとりを描いているうちにストーリイが出来上がっていく」といいます。まるで登場人物たちが、自らの意志で動き、考え、しゃっべっているかのように。はるき先生はそれを漫画という媒体を通して見分録として記している、といった感じなのでしょうか。
 主人公の目を通した世界ではなく、物語はあくまで叙事的に進んでいきます。そのように、登場人物ひとりひとりに同じようにスポットライトが当てられているぶん、余計に登場人物たちみんなの生活の息づかいがリアルに感じられるのでしょう。

★作品について
…誠実なマンガやなあ。
(「じゃりン子チエ」第7部1話より)
「俺、『日常』しか描いてないやろ。大げさなドラマって嫌いやからね。生きるか死ぬかなんて一生に何度もないもんな。主人公が欠点を克服して『成長』したり『正しい生き方』を見つけたり…そういうパターンは絶対嫌やねん。」(週刊文春 80.6.12)

「自分としてはドラマ性うんぬんということは関係ないんです。人間があんまり成長していく姿って好きじゃないんですね。」(灰谷健次郎対談集 81.12)

「テツがことばを投げかけると、チエがそれに応えるでしょ?そういうふうに2人のやりとりを描いているうちにストーリイが出来上がっていくんです。」(灰谷健次郎対談集 81.12)

「いちおう作品を描くときは、どうしようかな、といろんなパターンを考えるけど、その状況の中で自分だったらどうするかなというふうに考えてみます。」(灰谷健次郎対談集 81.12)

「(食べ物屋がよく出てくるのは)お好み焼き屋は、子どもの頃よく行っとったから。カルメラは近所でやってる人がいて、それふくらまさせてもらったことあるし。ただちに商売やってるとこが(近所に)多かったしね。」(ぱふ 80.5)

「(絵柄があまり)変わっとらんみたいやね。うもならんのかな(笑)。はじめっからこんな絵描いとったから。アシスタント経験もないし。たまたま賞もろて、すぐ仕事がきて、またすぐ『チエ』が始まったでしょ。そやから、みんなどんな絵描いてんのかなあとか見る暇もなかったし。」(ぱふ 80.5)


 その多くが大阪下町を舞台にくりひろげられるはるき先生の作品。そのことについては「西萩について」の章で詳しく述べてありますので、あらためてここではふれませんが、物語自体もはるき先生の周囲の「日常」をもとにしたものが大部分を占めるようです。
 それは、大阪下町を舞台とした作品ほど顕著に現れています。逆に言うと「どらン猫小鉄」、「オッペラ甚太」など、大阪下町を舞台としていない作品ほど、非「日常」的な、創作の部分が多いということになります。
 なお「じゃりン子チエ」を含めた各作品に対する、はるき先生のコメントは「はるき悦巳作品全データ」をご覧ください。

★おわりに
 いかがでしたでしょうか、はるき悦巳なる人物の片鱗が少しでもうかがえたかと思います。しかし、ここで取り上げたコメントはあくまではるき先生の一面であり、また、コメントした時期も「じゃりン子チエ」ブームの頃のものばかりなので、それ以降のことはあまりわかりません。
 はるき先生は非常に照れ屋なところがあり、あまり表に出たがらないのもその辺に理由があるようなので、このように「はるき悦巳の秘密」などということをやるのは本人にとってはなはだ困るというところかもしれません。
 できるだけはるき先生の言わんとするところをくみ取るよう努力したつもりではありますが、なにぶん未熟者ですので、不行き届きなどあるかもしれません。
 「やはり自分はアホやから、ほめられるとうれしいし、友達に『おまえの作品のこと、こんなふうに書いておったで』といわれると、なんで自分のところに送ってくれんのかなあと腹が立つわけ。」(灰谷健次郎対談集より)などといわれたら、ただただ平謝りするしかないわけです。
なお、各コメントの漢字の振り方や句読点の位置等は、文章のバランスをとるために、原典と異なるところがあります。ご了承ください。

 さいごに、あくまでここでは、はるき先生の考え方などから、作品を読む1つの方向性を示したに過ぎません。けっして、作者がこういうのだからそう、ということはありません。読む人、読む時々などによって作品の受け捉え方が違ってよいのです。
 そこにくりかえし読むことの楽しさがあるのですから。
はるき先生も次のようなコメントを残しています。おそらくそのようなつもりで言ったのではないと思いますが、まるで私たちへのエールのように。

「すでに出来上がっている『じゃりン子チエ』は、人がどんなふうに解釈しても、まったく構わない」(「思想の科学」85年9月号「じゃりン子チエ」の猫/左方郁子)、と。


はるき悦巳プロフィール
 漫画家。1947年5月28日大阪市生まれ。男性。本名は「はずかしい」ので非公開とのこと。
 高校卒業まで大阪で育ち、大学進学とともに上京。その後、1983年に「じゃりン子チエ」ブームにおける周囲の喧騒に嫌気をさし関西に舞い戻り、兵庫県西宮へ移り住む。
 家族は大学で知り合った妻と、「じゃりン子チエ」ブームの真っ最中、1980年6月25日に生まれた長男がいる。
 1978年「政・トラぶっとん音頭」で漫画家デビュー。
 代表作はいうまでもなく「じゃりン子チエ」。1978年9月28日に「週刊漫画アクション」誌上で、単発の読み切りとして出発、その後好評につき何回か単発で登場した後、翌54年3月より正式に週刊連載開始、大ブームとなる。以降、足かけ19年間、1997年8月5日まで連載された。これは週刊連載としては2番目に長い連載期間である。
・1977年暮れ「政・トラぶっとん音頭」第1回平凡パンチ劇画賞佳作
・1981年3月「じゃりン子チエ」第26回小学館漫画賞成人コミック部門入選

資料「はるき悦巳作品・全データ」

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