先読み変換機能に感じる小さな不安
2006年5月19日
携帯電話の文字キーは少ないし、打ちにくい。それを補って快適な日本語入力を実現するため、今では多くの(おそらくほぼすべての)機種で先読み変換機能が用意されている。
もちろん私も、日々この先読み変換機能の恩恵に与っており、この機能のありがたみは良く分かっている。だが、ごくたまにだが、ふと不安になることがある。自分が書こうとする言葉を入力していると、その途中から先読み変換機能が、いち早く候補を並べて来る。そこで、たまたま自分が書こうとしていた言葉と似たような意味の言葉が現れたりすると、そういうものを選んでしまった方が簡単なのだ。おそらく多くの人が、実際にそういう経験を、日常的に繰り返しているのではないか。
私は曲がりなりにも物書きだから、自分の言葉にそれなりのこだわりを持っている。言葉は思考を表すものであり、したがってまた、個性や人柄を表すものでもあると思っている。その私でさえ、携帯電話でメールを打つ時など、自分のもともと使おうとした言い回しや単語よりも、日本語入力プログラムが用意する言葉を使ってしまうことが増えているのを感じる。これは改めて考えてみると、ちょっと怖いことだ。思考や個性を表すはずの言葉の選択を、機械とプログラムが先導するのだ。
そうは言っても最終的に言葉を選ぶ主体性は確保されている、と言うことはできるだろう。また「先読み」自体も、利用者の最近の選択を反映したものが上位に来ることは知っている。だが、初期状態での優先順位には、同じデータが使われているだろう。そして使い始めた後も、少なくとも今のところ、携帯電話機に搭載されている先読み変換機能には、利用者の思考や個性を十分に反映できるほどの記憶容量が与えられていないように感じる。
こういう私の心配について、考え過ぎだ、先端技術を必要以上に恐れる悪癖だと良く言われる。だが、こういった見過ごされがちな些事を言葉にしておくことが私の仕事なのだ。
■著者略歴
小笠原 陽介 (おがさわら ようすけ)
理系のココロを文系のコトバで語るフリーライター兼コラムニスト、時々ジャーナリスト。ITによる人間と社会の変容に問題関心を持ち、独特の視点から発言を続ける。
主な著書:『PC-98パワーアップ道場』1998,ソフトバンク
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