1977
4月2日 東大・消火器爆弾事件
午後2時10分頃、東京大学法文一号館3階の踊り場で、時限装置付きの消火器爆弾が爆発、爆風により教室のドアが吹き飛び、窓ガラス422枚が割れ、講義を受けていた学生ら3人が軽傷を負った。この消火器爆弾は、塩素酸塩系の薬品を使った強力な爆弾で、東アジア反日武装戦線の「腹腹時計」を手本に作られた可能性が高いと見られた。
事件後、「世界革命戦線・大地の豚」と名乗るグループが三新聞社に犯行声明文を送る。
5月24日 慶大商学部入試問題漏洩事件
77年度の慶応大学商学部入試において、10数人の受験生の答案が世界史と数学だけ突出した得点を示し、また回答が似ていることが判明。
同学部調査委員会は、世界史と数学の出題責任者だった両教授を灰色とし、5月24日の学部緊急会議で懲戒免職を決議した。こうした不正受験者のなかに、右翼・実業家・政治関係者の子弟が含まれていたこともわかり、慶大・日吉キャンパスでは学生の抗議活動が行われた。
愛知医大裏口入学事件
77年度の愛知医科大学の合格者のなかに、教授会が目安にした合格ライン(500点満点中200点を合格、150点以上を補欠とする)を大きく下回っていた受験生が多数含まれていたことが発覚。30名(うち付属高27名)が、2000〜5000万円で追加合格としていた。これは当時学長を兼務していた理事長の判断であった。
この高額寄付金問題では、「変な眼で見られ残念」と正規に入学した学生が自殺するということもあった。
6月27日 中野区・小学校児童転落事故
午後1時25分頃、東京・中野区の区立中野昭和小学校で、新校舎3階の視聴覚室西側窓の手すりに座っていた6年生のI君(当時12歳)が、7m下の鉄製の非常階段に落ち、頭の骨を折って病院に運ばれたが意識不明の重体。
当時清掃時間中で、I君は掃除を終えて友達のいる視聴覚室に遊びに来て、手すりの上に座って外に足を出し、足をブラブラさせていた。近くにいた児童数人が「危ないよ」と注意し、全員が教室を出た瞬間、「さらば」というI君の声が聞こえ、みんなが振り向いた時にはI君の姿は見えなくなっていた。I君はひょうきんな性格で、約1m下のヒサシの上に飛び降りるつもりが、あやまって転落したものらしい。
7月5日 大阪・女性教諭の窃盗事件
大阪府豊中市立庄内小学校の女性教諭(当時23歳)が、盗犯常習者の男(当時39歳)と組んで、空き巣や見張り役をして逮捕される。大阪、兵庫で約100件の犯行をかさねていた。
8月21日 静岡・野球部ノック死事件
静岡県立島田商高グラウンドで、野球部1年のI君(16歳)がエラーをして監督から特訓中、ライナーを上腹部に受け死亡。
▽78年8月、県が1000万円の見舞金で和解。
9月13日 愛知医大3億円強奪事件
不正入試問題でゆれる愛知医科大学において、トンネル入学工作していた昭英高校の理事と法人本部長が電話で名古屋市内のホテルに呼び出されて監禁され、本部長が白昼犯人に連れられて東海銀行滝子支店、住友銀行名古屋支店から昭英振興会の預かり金の一部2億8100万円をおろし、強奪された。
昭英振興会では、事件直前に約3億円の使途不明金を出していたことがわかり、「犯人内部説」がとられたが、捜査は難航した。
79年3月13日、近藤忠雄(当時57歳)が赤坂のホテルで逮捕された。近藤は借金返済、愛人、ギャンブルなどに奪った金を使い果たしていた。
ちなみに近藤忠雄は、94年の住友銀行名古屋支店長射殺事件で関与が疑われた人物である。
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