揺れる都の西北
昭和55年、早稲田大学は不正入試で揺れた。2/24の商学部の試験で社会科の問題が配られた30分後、数人の学生が「事情は知らなかったが、十数日前にこの問題の模範解答を書いた。問題が同じなので事前に入試問題が漏れたとしか考えられない」と早稲田大に証言したのである。すぐに問題のコピーと社会科試験の問題を照合、すべてが一致したために早稲田大では入試問題が漏洩したものと判断、さらに申し出た学生らを詳しく調べたところ、都内の塾でコピーの問題の模範解答を解き、謝礼を数十万円受け取っていた事も明らかになった。この学生には他大生もおり、英語、国語、社会の5科目の模範解答を作っていた事も判明、早稲田大開学以来の不祥事と関係者は色めきたった。塾では顔見知りの会社員から2/12、「模範解答を作ってくれ」と頼まれて作成したとし、60万円で依頼を引き受け、それを30万円で学生に下請けさせ、うち学生が受け取ったうち10万円は塾に返還されていた。塾では「問題の速報解答と思った」とまだ実施前の早稲田大の入試問題とは全く知らなかったという。
3/6、商学部合格者発表、この日の毎日新聞朝刊では1面トップで漏洩の事実を報じ、早稲田大でも入試問題漏洩を公表した。大隈講堂の向かい側にあった早稲田大学印刷所で入試問題を刷る際に何者かによって盗まれた可能性が高いとされ、印刷所の管理のずさんさも問題となった。キャンパスでは合格の華やぎもなく、一様に合格者も非合格者も戸惑ったような表情だった。大学入試漏洩は昭和43年の早稲田大、昭和52年の慶応大などでも起きている。入試問題漏洩には塾に模範解答を依頼した会社員が黒幕ではなく、この会社員も元中学教師の渡辺(64)から頼まれてした事と判明、さらに元中学教師が模範解答を入手したのは、早稲田大職員主事補の岸田(54)、主事補の岡(47)、早稲田大学印刷所係長の梅田(42)である事もわかった。3人は3/8に早稲田大に出頭、午前9時20分に元中学教師の渡辺ともども逮捕された。
岸田主事補は「俺は勝負する」などと言って昨11月に入試問題漏洩を計画、金儲けが目的であった。大学職員が盗んだ問題用紙を岸田主事補はかねてから頼まれていた元中学教師に渡し、元中学教師は100万円で知人の会社員に模範解答作成を依頼していた。元中学教師は問題入手の見返りとして2000万円を岸田主事補に渡し、岸田主事補は岡主事補、梅田係長に数百万円ずつを渡していた。警察の調べで入手した入試問題を渡辺は受験生の父母に1人1000万円ほどで売りつけ、既に8000万円を稼いでいた事が明らかになった。そのうち3000万円は渡辺から岸田主事補に渡されていた。この件には岡主事補と梅田係長も関わっていた。
またこれとは別に教育学部の市原教授(66)が岡主事補に1400万円を渡し、受験生の父母2組から依頼されていた入試問題を入手していた事も明らかになった。市原教授は体育の専門で、ボクシング部部長でもあった。市原教授はすぐさま解任され、疑惑の受験生1人は入学辞退、もう1人は入学手続きがまだだったため、早稲田大では入学手続きをしないように処置をした。3/15には不正入試に関わった受験生5人の合格が取り消しとなっている。これはアルバイトの学生が作成した模範解答と一致または酷似した答案を書いた合格者リストと、逮捕された4人などの証言を早稲田大が照合して特定したものである。
この不正入試では自殺者が出ている。3/21午後11時34分、千葉県船橋市市場3−4−5の総武線上り線路で千葉発御茶ノ水行き電車に早稲田大総長室調査役主事(55)が飛び込み自殺、この主事は今回の事件には関与していなかったが、過去の不正入試に関わっていたと職員の間で噂され、早稲田大から2度、聴取を受けていた。清水総長は「彼の潔白を信じる」と語った記者会見で慟哭、「大学とはお互いの信頼の中に成り立っています。その中で**(主事)君は社会の人の疑惑と大学への不信を晴らすためにはこれしかないと考えたのだと思います」と“商学部の主”と呼ばれていた主事の自殺を悼んだ。主事の遺書には「疑惑の目で見られるのは、もう私には耐えられません」と書かれていた。さらに3/15には商学部教授(50)も自殺していたが、こちらは病苦のためではないかと推察されている。
3/29までに判明した不正入試は市原教授を通じて岡主事補に依頼した2組のほかには元中学教師の渡辺のルートで3組、洋服店主を通じて岡主事補に依頼した2組、岸田主事補のルート1組の8組だった。いずれも入学取り消しの処置がとられたが、これ以外にも灰色入学として早稲田大のリストに挙がっていた10人が入学辞退、1人が入学取り消しとなっている。
昭和56年3/30、今度は成績原簿改竄の疑いで岸田書記(33)が警察に出頭、岸田書記は逮捕当時は違ったが長く商学部職員をしていて、入試問題漏洩で逮捕された岸田主事補の娘婿でもあった。既に成績原簿改竄については新聞報道で騒がれており、岸田書記の逮捕は時間の問題とされていた。この事件に絡んで商学部5年の学生(24)が卒業式を前に単位取り消しとなり、卒業不可となった。これは入試問題漏洩事件より早稲田大で徹底的に成績原簿の調査などを行っていたところ発覚したものだった。教授の提出した採点表と成績原簿が違っていたのである。4/4には早稲田大総長室調査役(57)が大学本部から飛び降り自殺、4/20に死去、この調査役に関しては一連の疑惑への関与はないとされていた。5/6、早大では商学部で不正に関わった卒業生42人、在校生13人の入学取消、学籍抹消処分を行った。この年、5/8には早稲田大では新設キャンパスを当初、有力視された幕張ではなく、所沢とする事を決めている。幕張では「都の東南」だが、所沢なら「都の西北そのまた西北」となるなどともされた。
参考
毎日新聞東京版各記事など 1980〜1981
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