「イエスが言つた、『私の口から飲む者は私のやうになるであらう。そして、私もまたその者になるであらう。そして、隠されてゐたものがその者に現はれるであらう』」(トマスによる福音書 語録108)
此のウェブサイトでは、正字正かなの正当性を主張して行く為の自論と資料とを提供致します。正字は、所謂康煕字典体の事を言ひ、正仮名遣、略して正かなは、歴史的仮名遣や字音仮名遣の事を云ひます。此処では、「常用漢字」や「当用漢字」や「人名用漢字」や法務省制定の「漢字の表」等の漢字制限を否定し、又、「現代仮名使い」や「現代かなづかい」等の表音を目指しつつ中途半端になつてしまつた表記方法を否定します。併し乍ら、閲覧者個人が「常用漢字」や「現代仮名使い」を用ゐる分には私は否定致しません。此のウェブサイトを読んでみて、御自身がお使ひの表記に疑問を持つて頂けると有難く思ふ次第です。又、せめて個人的な文章ででも正かな表記を実践する事などありましたら、ウェブマスタとしてこんな仕合せな事は御座いません。詞の玉垣の概要を作つておきましたので、其れも御参照頂ければ幸甚です。
「平成疑問かなづかひ」の高崎さんからお呼びがあつたやうですので、少々記録しておきます。先づ、件のウェブページの名称からして、白石氏の著作に対しての感想が主な目的のページになるのだらうと思はれます。私も白石氏に対する批判めいた内容をサイトに書き記してはゐますが、其の手のページから呼出されるやうな事は無いと思つてをりました。で、「反論をどうか宜しく
」との事なんですが…
字音仮名遣については私なんかより見識が深い高崎さんに反論はありません。「「この惡魔の規範(112〓)」と思ふ著者は、きっと字音に興味がないのであらう。
」と、然う云ふ考へ方もあらうかとは思ひますが、どちらかと言ふと、「ほーら現代仮名遣はこんなに便利で簡単なんだ、だから煩雑この上ない字音仮名遣は止めて正解だッたのさw」と云ふ見方をしてゐるんだと理解してゐます。筆者が字音仮名遣と「現代仮名遣」とでどちらに興味を強く示してゐるかと言へば、間違ひなく「現代仮名遣」のはうでせう。
あと、「一言で表現すると「中世の感覺」である
」の意味が解りません。「中世の感覺」とは具体的にどのやうなものなのか、対立する感覚とは一体どのやうなものなのか、「中世の感覺」とは悪い概念なのか好ましい概念なのか。と言ふか、高崎さんのお持ちの感覚が把握できてゐません。
で、高崎さんは「字音仮名遣にもつと注意を払ふべきだ」と云ふ御意見をお持ちなのは、以前から存じてをります。私は「漢字仮名交じり文で書く場合、漢字で書かれる部分よりも、かなで書かれる部分のはうが仮名遣として重要になります」と書きました。物事に優先順位を附ける場合を考へれば、此のやうな書き方になるでせう。字音仮名遣も当然大切なものです。併し乍、漢字仮名交じり文の表記を使用してゐる現代では、表記として現はれる助詞や助動詞や用言の活用語尾の仮名遣は不断から目に触れる訣ですから優先度が高くなるのは当然でせう。あと、煩雑な部分は概して体言や用言の語幹の仮名遣に多く見られます。さう云ふのを纏めてボンと出されると何も知らない人から見れば「なんだ、こんな面倒臭ぇ物はいらねぇ」となつて逆効果です。納得し易い部分から徐々に拡げて行くのが賢い遣り方なんではないかと思ふんです。まあこんな感じで意見として出しておきます。
先日十四日、国語学者の大野晋さんが逝去されたとの報せがありました。謹んで御冥福をお祈り申し上げます。
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