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【記者ブログ】コメント欄がいっぱいなので、ここでまとめてお返事 福島香織 (4/5ページ)
■で、思うに、日本の新聞は良くも悪くも完全なる商業ジャーナリズムである。社会の公器、といっても、それは読者が新聞にそうあるべきことを求めるからだ。もし読者が新聞に社会の公器たることをもとめなければ、すぐに堕落する。オピニオン・リーダーといっても、読者の価値観と乖離しているオピニオンは絶対出ない。新聞が世論操作をしている、世論をあおっている、という言い方があるが、視聴率を稼ごうと、読者を増やそうと、世論や匿名読者にメディア、新聞が踊らされる部分もある。
■というわけで、新聞を堕落させるも、正道にもどすも、読者次第だ、と言わせてもらう。もし産経読者が産経はへんになった、堕落した、と考えられるなら、そう主張する場が、イザにはある。コメント欄が手狭なら、ご自身でブログを開設されて、そう主張されるのがいい。それで産経が再びよくなることもある。産経新聞は、かなり気にしながら、イザ内の読者の声をチェックしているはずだから。そういう意味で、産経は、あまたある新聞の中ではかなり真面目に、読者の期待に応えようと努力している新聞だと思う。
■そして、読者のみなさんが、これほど主張しても、それでも産経が“正道”にもどりそうになかったとしたら、それは産経の読者層が変わってきている、ということではないだろうか。産経が読者の反応を吸収する場はイザだけではない。販売店の感触とかが結構大きい。その中で、これまでの論調や記事スタイルでは部数が減る、もっとナンパなネタを増やそう、リベラルっぽくなろう、と判断されれば、そうなることもあるだろう。
■とりあえず、もうしばらく静観されてから、産経の方向性を見極めてから、支持するか見捨てるかを判断されてはいかがかと思う。ちなみに、バーのルポは、私もあまりデキは良くないと思いつつ、まあ偉そうに人の原稿にケチをつけることもできる立場ではありませんので。
■新聞社入社がコネばかりだと信じこんでいらっしゃる方へ。
■コネ入社がまったくないとはいえないがコネ入社では有用な人材が集まらないのはどの業界も同じだろう。ちなみは私はコネではない。父はサラリーマン、母は専業主婦。家はずっと読売新聞を購読。もちろん入社面接で、家は読売新聞をとっていますなどと正直にいってはならない。
■新聞記者がブンヤに甘んじていてはいけない、と思われる方へ。
■私が若かったころ、大ベテランの先輩記者に、新聞記者の仕事はゴミみたいなものだ、思え、と教えられた。それについて、記者の仕事に理想をもっていた私は激しく反論した。自分の仕事をゴミだと思ってやってられるか、と。しかし、先輩はいう。「 新聞はたった一日、誰かの、人の心をあっためて、翌日には捨てられる石炭がらのようなものだ、とコラムニストの石井英夫さんは言った。そのとおりで、われわれの仕事は、たった一日、読者が手にとり、翌朝にはゴミでしかないこの新聞を作るために、犬のように忠実に働くのである。でも、私はそういう仕事に懸命であることに美学を感じる」
■今、先輩のことばを思い出すと、なんとなく、彼の言いたかったこともわかり、すなおに自分の仕事はゴミのようなものだ、と思うことができる。時に人も傷つけることがある記者の仕事は必ずしも人に自慢できる仕事ではないし、社会に有用であると信じて発信している情報も1日たてば人が振り返りもしないゴミの山である。権力に近く、あるは第3の権力とよばれるほど影響力があるからこそ、自分たちの仕事は実は大量のゴミを作っているにすぎない、という少々卑屈なまでに謙虚な意識が必要だと思う。
■先輩は、記者が自分がえらい、正しい、りっぱな仕事をしていると、と思ったら終わりである。そう言いたかったのではないか。ペンは剣より強し、新聞が政治をつくる、と教えるベテラン記者もいるなかで、彼の言葉は私にとっては最も重く、いろいろ思い出しては自分を戒めている。ちなみにその先輩が私に言ったもう一つの言葉は、「記者は権力者の近くにいるので、自分を権力者だと錯覚することがあるから気をつけろ」。権力に対等に相対することが出来る権利を有するのと、権力をもつのとは違うのだということは、いつも自分に言い聞かせなくては、と思っている。
■毎日つくる新聞にある無数の記事の中でどれかひとつでも、読者の誰かの心にとまる記事があればいい。ただ、その記事ですら、翌朝になれば役目をおえた石炭がらなのである。私が先輩から教わったの新聞記者の美学とは、華々しく特ダネをとることでも、社会の木鐸たることを誇るでもなく、日々、誰かに読まれて、そして捨てられてゆく運命の新聞を、ときに誰かを傷つけることがあっても、ひょっとしたら別の誰かの役にたっているかもしれない今宵かぎりは、と信じて体を張って作り続ける、ということだった。私がそのような記者である、とは言い難いが、そういう仕事をしてきた先輩を今も一番尊敬している。