image

「できることは何でも協力する」

星野の挑戦

「たった6連勝でこの騒ぎ」

一時の過熱と知った上で“世のために”

 阪神の常宿、東京・赤坂のホテルのレストランでは今日も新聞、雑誌の番記者たちとの昼食会だ。デーゲームの時は朝食会だし、ナイターの時は正午前後の約1時間、星野が飲み物や食事を出して合同インタビューを行うのは中日時代からの習慣である。その数約20人。出稿量の多い記者たちは随分助かっているだろう。

 このホテルでの昼食会のメニューは決まって、黄色いタマゴの上に赤いトマトケチャップをアミの目状にかけ回したオムライス。星野の少年時代から憧れのごちそうで、このホテルのそれは1600円もするだけあってうまいのだが、昨日も今日もまた明日も、番記者たちも星野に付き合ってオムライス。

 レストランの一角にテーブルをくっつけて20数人の記者たちが一斉にオムライスをぱくついて、笑っておしゃべりしたりしている図は少しおかしくもあるのだが、これも星野流のサービスなのだろう。しかしプロ野球の世界を40年間見てきたが、毎日メシまでふるまって1時間も取材に応じている人間など星野以外にひとりもいない。

 そうでない日もあるが朝から夜まで、グラウンドを離れても星野は30分刻みで人と会い、話をしたり仕事を受けたり、いろいろな取材を受けなければならない。10分だけの約束が30分になっても、それでは…といえないから周囲の人間に「NOといえない男」とまでいわれたりする。

 「もうおれは死にそうだ」というからケータイを取りあげてしまおうとすれば、「いや、これだけは。オンナから電話がきたらどうするんだ」といって手放さない。ケータイだって鳴りづめだ。グラウンドを離れても忙しくて忙しくて仕方がなくなるのは当然だろう。

 39歳で初めて監督になった時、当時はまだ生存されていた明大時代の恩師・島岡吉郎監督に「監督という仕事は勝って華やかな時は人が集まってくるが、そうでない時のことも常に頭に入れておけよ」といわれたのだそうだが、今この時を星野は星野なりにむしろ楽しんでいるのかもしれない。毎日の忙しさは仕事が順調で、自分の立場が明るくて人気も絶好調の証明だ。

 人のいないところでいっている。「おれができることはなんでも引き受けてやる。やってやる、応じてやる、協力してやる、出てやろう。おれは今、人生のそんな時にいるわけだし、オーバーにいえばささいなことでも自分が世のため人のため、喜ばれることをしてると思ったらこんなうれしい、幸せなことはないじゃん」と。  自分ひとりになったホテルの自室でふとつぶやいている。当事者ならではの自問自答だ。「140試合のうち、たった5連勝、6連勝しただけなのにこの騒ぎだもんなあ」。どっちも星野らしい本音だと思って、わたしは黙って聞いていた。(敬称略)

 三浦勝男 1939年(昭14年)、神奈川県生まれ。明大卒。62年、日刊スポーツ新聞社入社。巨人、中日担当、野球部長、編集局長、役員などを経て、現日刊スポーツ新聞社顧問。現在は多方面で執筆活動中。星野監督とは中日入団以来、33年間の交友。



2002年4月6日付紙面掲載 


[星野の挑戦 目次]
阪神 | 野球 | サッカー | スポーツ | 競馬 | 芸能 | 社会 | レジャー
Home