各地には、それぞれ郷土色豊かな自慢の料理や名産品があります。佃煮もその一つです。今日の佃煮は日本全国いたるところで、伝統的な日本特有な食べ物として親しまれています。
佃煮は江戸時代、佃島にちなんで生まれた東京の地場名産品で、東京が佃煮の故郷なのです。そのルーツを辿り、佃煮にまつわるいろいろなことを知る事も食生活をひときわ豊かにし、業界職場で働く人達にとっても楽しいものになることでしょう。
佃煮は決して派手な食べ物ではありませんが、長い歴史を通して、いつも大事な役割を果たしてきました。業界分けの全国グループでは煮豆や惣菜などの仲間とともに調理食品という大きな看板のなかに入り、すっかり生活にとけこんでいます。
昭和末期頃の佃島
|
最近の佃島
|
江戸前のイメージは鮮度のよさ
故きを温めて、新しきを知る。現代風に言うならさしずめリニューアル。新しい時代の新しい食生活を工夫するために、食の原点を見つめてみるのもよい方法です。そこには心ときめく数々の発見もあることでしょう。
威勢のよさや新鮮さを感じさせる「江戸前」という言葉は、「江戸の前の海」を指しています。そこでとれた魚をすばやく活きの良いうちに食べることのできた江戸の人達は、新しくて、新鮮なことを「江戸前よ」と自慢したものです。江戸前というと、関東の人達は寿司を思い浮かべます。この江戸前寿司が流行り出したのは文化文政(1804〜29)の江戸町人文化が開化した頃からです。それまでは江戸の寿司も上方流の押し寿司でした。この頃は江戸湾の魚の種類も豊富で、コハダやアナゴ、アジ、シバエビなんでも手っ取り早く握って出したのが、気短な江戸っ子の口に合ったのでしょう。
今の東京湾は世界各地からいろいろな物資を運んでくる船で混雑する通路で、日本の海の玄関口となっています。湾岸も都市化が進んで、ここでの漁業は極めて少なくなっていますが、それでも江戸前の魚はかなり生息していますので、専業の漁師さんがとる新鮮なアナゴや貝類を賞味することができます。
江戸時代の佃島は、江戸前の海で漁業をするのに大変に便利なところでした。この島の漁民が江戸前の小魚を煮て、佃煮とする話しは天正18年(1590年)徳川家康公が江戸へ移り住むようになった頃からといいますから、400年以上もの歴史があるのです。
佃漁民ゆかりの地 | 佃島の漁師さんの故郷は関西の佃村、現在の大阪府西淀川区佃です。ではなぜそこの漁師さん達が、江戸に移り住み、特別の漁業権を持つようになったかと申しますと、江戸幕府の祖・徳川家康公が生涯忘れることのできない苦難に遭遇した時、佃の漁民がこぞって家康公を助けてきたからなのです。家康公と佃村の人達の物語は逸話として伝えられています。次の佃煮歴史物語は、武田が物語として発表したものです。 |
本能寺の変が生んだ佃煮物語
佃煮を一番最初に食べた歴史上の人物
話は天正10年・1582年6月4日に遡ります。明智光秀の謀反によって織田信長が本能寺で倒れたのが、その2日前6月2日の早朝。その時、家康の一行はわずかな手勢とともに堺の地いました。見つかれば、信長の盟友である家康が無事なわけがありません。家康は岡崎城へもどることができるか狼狽しました。その時、いち早く堺の商人・茶屋四郎次郎からの知らせで、直接の退路が阻まれていることを知らされた一行は、異変を知らぬふりをして住吉神社参拝というふれこみで、逆の方向へ迂回しての脱出奇策をとりました。
一行が、今の大阪市住吉区の神崎川にさしかかった時、渡る舟がなかったので焦りました。その時、近くの佃村の庄屋・森孫右衛門は、手持ちの漁船と不漁の時にとかねてより備蓄していた大事な小魚煮を道中食・兵糧として用意しました。気候の悪い時期に人里離れた海路や山道を通って必死に脱出しなければならない一行にとって、佃煮の始まりともいえる佃村の人達から受けた小魚煮は、日持ちも良く、体力維持にも素晴らしい効果を発揮しました。服部半蔵を頭とする伊賀の忍者部隊に助けられながら山越えし、やっとのことで岡崎城ヘたどりついたのです。佃煮の祖形ともいえる貝や小魚を塩ゆでし干物にした忍者食も伊賀衆と一緒に食べた家康は、佃煮のありがたさを身にしみて感じたようです。その後、伊賀の地侍は江戸に召し抱えられ江戸城の警護役をつとめます。半蔵門の名もそのよすがをのこしています。
以来、家康の佃村の人達への信任は、特別強いものになったのです。その後大阪の陣に備えて、佃村の漁民に大名屋敷の台所へ出入りのできる特権を与え、大阪方の動向を探る隠密の役割をつとめたという伝えもあります。
「本能寺の変から佃煮物語は始る」・・・・
この物語は1986年1月30日に筆者武田が日本食品新聞に発表したのが始まりで、1994年にも伝統食品研究会の機関紙にも発表しました。 以後佃煮、煮豆の食文化に関心が高まり、日本の味として一層食生活の人気ものになっています。
(著作/日本食品新聞社・武田平八郎)
|