ほんの片すみに

安らぎを求めて

詩つながり(^^♪)

  • にんじんの詩
    何事にも前向きで、しっかり自分を見つめている方です。見習わなくちゃ・・・と思うこともしばしばあります(^^;)。気持ちのいい方なので、遊びに行ってみてくださいね(^▽^)。
  • Reset
    ★文才があって、この方の書く文章には、素晴らしい「想い・強さ・優しさ」が込められています。そして、私の『安らげる心地いい場所』でもあるんです。
  • もも*幸せの扉
    【いろんな事に挑戦するナースです。】                   ★自分の仕事に誇りを持ち、患者の目線で感じてくれる心優しい方です。ももさんのような方が、「私の担当看護師さんだったらいいのになあ~」なんて思っています(^^)。※更新が途絶えております※
  • かずりんの一生
    ★優しく心温まる言葉がいっぱい(^^♪)。 ホッと安らぐ空間ですよ~♪ HPもあります。小説も書いていて、楽しみ満載!!
  • 人魚の涙
    ★感性豊かな、心優しい人です。 素敵な音楽のような、心に響く詩を書いています。 他に小説などもあり、多彩な楽しみを提供してくださってます。 癒されますよ(^^♪)。

優しい人たち・・・★ 

  • ねじっこのしっぽ

    心優しく、誰に対しても親切な方です。 知的で物事を的確に捉えておられます。 訪ねて行ってみてくださいね♪
  • ヒソヒソばなし

    ★とってもお話が面白いんです(^▽^♪)。記事のUPが、いつも楽しみなんですよ~。
  • え (絵)??ブログ

    ★可愛らしく温かな絵を描いています(^^♪)。心がホッとくつろげる優しい時間が、ここにはゆっくりと流れているんですよ~(^^)。観に行ってみてね~★
  • 猫閑

    ★とても知的で、大の猫好きな優しい方です。 私はこの方の文章を読み、自分を見つめ直すことができました。猫ちゃんたちの写真も可愛いですよ♪
  • アラスカ猫蔵日記

    ★素敵な詩を書き、いい曲を作っています。他にも多彩な楽しみが沢山あります。一度のぞきに行って見て下さいね。
  • ジジのツレヅレ

    【ねこ好き・子供好き・かわいいもの好きのギタリスト、28才】 ★優しい方です。そして楽しい方です。私はこの方にも、本当に心を慰められています。

病気と向き合いながら・・・

  • BlueMoonな独り言
    ★優しく・明るく・親切な方です(^^♪)。私のホッと楽に呼吸の出来る、居心地のいい場所なんですよ♪
  • 愛する人に出逢うまで...
    ★『ずっと・・・愛してる・・・』 心優しく楽しい、大好きなエムさんへ・・・。私はいつもここで、慰めと安らぎを頂いていました。 幸せをありがとう・・・・・・。 頑張ったけれど・・・病魔に勝てなかった彼女です。私は彼女の生き様を垣間見ました。いつまでもずっと・・・忘れない・・・ ブログは閉じてしまったけれど、このまま遺しておきます。
  • Poison for the Flower
    【謎の受付嬢です】 ★ミステリアス☆なのにとっても身近な存在に感じる、不思議な魅力満載の素敵な方なんですよ♪ この方の心に触れると私は元気になれるんです。
  • い・け・や・ま の 鬱・現(うつ・うつつ)
    ★自分の心を真っ直ぐに見つめています。 人生について自分の生き方を、葛藤しながらも 深く真面目に考える素直で正直な方です。※交通事故で急逝されました※
  • キルター歴18年、ウツ病歴6年
    ★自分を真っ直ぐ素直に見つめ、『生とは何か』を真剣に的確に捉えているように感じています。辛いことにも負けず、正直で、強くて優しい心の豊かな方です! 悲しいお知らせです。Pinky姉さんは6月11日に自殺をして、お亡くなりになりました。ブログは妹さんが消したのだそうです。でも私はPinky姉さんが生きていたという証にこのリストは残しておきます。

人生の大先輩!

  • gardening
    いろんなことに詳しい、とっても優しく知的なお方です。 お花が大好きで、写真はとても美しいです。 皆さん、見に行ってみてくださいね~♪
  • 健康一直線
    【心身の健康について書き溜めています。】                ★とってもためになるお話満載! 解りやすく親切丁寧にいろんな病気のことなどが書かれています。健康を求めている方、必見!!
  • michiko world
    【2人の孫がいるプータローばぁちゃんです。】               ★いつも私を温かく見守ってくださっている優しい方です。 この方のブログは写真も美しく、とっても私は心を和ませていただいています。
  • 週刊ニャンパル
    ★趣味が豊かでいつも驚かされています!  この方の写真は本当に綺麗で、その風景などからは優しさと癒される気持ちが伝わってきます。
  • まだ74歳じゃん日記
    【Uターン・74歳・山村ひとり暮らし】                  ★74歳とは思えないほど、行動や考え方がとってもお若いんです!! のぞきに行ってみる価値有り!です♪ 楽しい気分になれますよ~♪♪ 

2008年10月25日 (土)

入院。

暫くの間、今日から入院することになりました。なのでブログはお休み致します。

2008年10月24日 (金)

決断。

病院へは毎日注射をしに通っていたが、今日は2週間に一度の診察日。まあ、でも、毎日診察していたようなものだけれどね(苦笑)。今日は主に、薬の内容変更について話し合った。まず、血圧が安定したので、血圧を上げる薬は止めた。それから泥棒騒ぎのショックが大きかったので、精神安定剤を増やした。夜に何度も目が覚めるので、寝入り初めだけに効く眠剤を頓服で出してもらった。それから頭痛薬に、頓服の水薬。後はそんなに変わらず。まあこれでまた2週間様子を見ましょうということになった。

今回はあまりにもショックなことが大きすぎたので、注射は避けられなかったし、もう一つ、重大な事件ーーつまり、自殺未遂があった訳だけど、そのことも含めてこれからの2週間は重大な意味を持ってくる。私自身が何処まで我慢できるか・・・。
まるで何かの賭けをしているかのようだ。
一瞬、間違った判断をしたなら・・・死。成功すれば生。まさに生死をかけた2週間なんだ。私にとって・・・。

2週間後の今日、私はどんな決断を下しているのだろう。

休んでしまった。

ブログを一日も欠かさず書く、というのが私の目標だったのに、昨日は何も書かずに一日を終えてしまった。それというのも、あまりにショッキングな事件があったからで、ブログどころではない状態になってしまっていたからだった。

実は、実家に泥棒が入った。これが初めてではない。もう3回目にもなるのだ。それに加えて、2度目も3度目も、私の不注意から起きた出来事だったのだ・・・。

2度目の時、私は母に頼まれた鍵を閉めるということを忘れてしまったいた。そこで泥棒が入った。3度目の今日は・・・。

最初に父が透析に行くために、母と一緒に車で出かけた。次に兄貴が用事で車で出かけた。最後に私がタバコを買いにいこうと車で出かけたのだったが、私は鍵を閉めたつもりで、実はちゃんと閉めていなかったのだ。その鍵はきちんとかけたつもりでも、実はかかっていないということが多く、きちんとドアを引っ張って確かめなくてはならなかったそうだ。私はそれを知らなかった。なので、鍵を回しただけで、閉まったものだと思って出かけたのだった。

そして・・・泥棒が入り、現金15万円が盗まれた。

私は警察の人からも何度も「本当に鍵をかけましたか?」と聞かれ、『かけなかったのかも・・・』という気持ちになってきた。兄貴からも「ちゃんと、ドアの取っ手をつかんでガチャガチャと引っ張って確かめなきゃならなかったんだ」と言われ、私は自分が鍵をかけ忘れたんだという気持ちになっていった。実際、進入経路は玄関のドアからしか考えられず、ナイフやピッキングで破れるドアではないのだという。だから必然的に私が鍵をかけ忘れたことになる。

私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
涙が頬を伝わり落ちた。その後、号泣しながら家族に謝った。みんな許してはくれたが、兄貴は悔やんでいて、私にちょっときつい言い方をした。それも当然だろう。私が全て悪いのだから。

私は一人になると自殺を図ってしまいそうになるので、病院で注射をした後は実家に行っていた。だからその時も一人取り残されたのが怖くて、車で出かけたのだ。でも、実家をいつまでも留守にすることには抵抗があったので(泥棒が2回も入ったので)、すぐに帰って来たのだった・・・けれど。時はすでに遅かった。悔しいことに泥棒はたった20分足らずで物色し終えて去ってしまっていた。
でも、私が実家に戻った時、玄関にナイフが落ちていて、鍵もかかっていなかったので「変だな」と思いながらも(車も2台ともなかったし)、声をかけながら中に入った。「ばあちゃん、帰ってんのー? 兄ちゃーん?」そう言いながらリビングに入り、ハッと目に飛び込んだのは、父のレターケースの棚が崩れ落ちていることだった。私は驚いて、近くによって見ると、ダイニングの部屋が酷く荒らされていた。「泥棒だ!」と思った私は普段から兄貴が言っていた「二階の隠し場所」(前回泥棒が入ったときに財布を二階の自分の部屋に隠した)へ行ってみた。でも私は隠し場所は知らなかったから、探しようはなかったけれど、犯人は兄貴の部屋をかなり荒らしていった様子だった。その時、階下でへんな物音がした。ガタンといったような音だった。それで私は急に怖くなり、一気に冷や汗が出てきて倒れそうになった。けれど、踏ん張って下へ降りようとした時、玄関のしまる音を聞いたような気がした。カチャッというような、普段聞きなれた音だった。私は急いでPHSから警察へと電話をかけた。そして警察の人から「まだそこに犯人が隠れているかもしれないので、電話は切らずにそのまま外へ出てください」と指示された。私はもうその頃にはすっかり震え、汗がびっしょり出てきた。

それから警察が来て、前回、前々回同様、3時間ほど時間をかけて調べて帰って行った。

私は家族にどんな顔をしたらいい?

どんな顔も出来やしない。私が悪いのだから、私のせいで泥棒に入られたのだから。兄貴の怒りも相当なものだったと思うが、「気に病むな」と優しく言ってくれた。返ってそれが悲しい。どうしようもない悲しみを胸に私は自宅へ帰ろうとしたが、車の中でも涙は止まらず、いつも行く喫茶店に立ち寄ってから帰ることにした。そこで、いつもの優しいママさんの顔を見て、いつもの席に座り、いつものオレンジジュースを頼んだ。一口飲んで、少し気持ちがほぐれた。そこへ父ちゃんから電話が入り、「まっすぐ家へ帰れ」と言われたので、残りのジュースを一気に飲み干し、私は自宅へ帰った。

子供たちに泥棒のことを話しながら、私は泣き出してしまった。もうそれ以上は何も出来なかった。私はただ横になって、ゆっちぇがしてくれるマッサージを受け、そのまま眠りそうになった。と、間もなく父ちゃんが帰ってきて、やっと我が家は平常な状態に戻った。

だけど私の心は悲しみのまま。
申し訳ないという気持ちでいっぱいだ。
どうやって詫びたらいいのだろう。
もう実家へは行かないほうがいいのだろうか。
何もかも私のせいでおかしくなる。
私がこの世に存在しているから良くないのか。
何故、こんな被害に遭わなくちゃいけないのだろう。

ブログを一日休んだだけでは気持ちが静まらない。

P.S 抜糸は上手くいきました。全く痛くなかったです。

2008年10月22日 (水)

頑なな心。

今日はハードスケジュール。
朝早く、父ちゃんを車で新幹線の駅まで送ったのが、7時半くらい。その後ゆづにゃを幼稚園に送ったのが7時50分くらい。病院へ付いたのは8時くらいだったかな。それから診察時間まで30分から40分ほど待って、会計が終わったのが9時過ぎ。すぐさまガストへ向かう。午前中の病院で注射の後、友人H代に会う予定だったのだ。彼女とガストで食事をした後、ガストの店の前の国道沿いの向かい側にある新しく出来た薬屋さん・・・イヤ、何でも屋さん?にお買い物をしに行く。やっぱり主婦同士、買うものといったら洗剤だとか子供のおやつだとか・・・。
その後彼女と別れて、いったん家に帰り、ちゃーぼうと戯れた後、私は一人で、明日、腕の抜糸に行く病院の場所を確かめに車を走らせた(いつも連れて行ってもらうばかりで正確な位置を知らなかった^^;)。それから今度はアルテに行って、お買い物。その後の午後は別の友人A美に会う。ビクトリーで4時頃まで話をしてきた。

ヤー・・・ハードな一日を過ごしたような気がする。
いつもは実家か家でのんびりしているものね。でもたまに、こうして出歩くのも悪くはないけれど。

ただ今日は、この二人の友だちに会ったのには訳がある。それは・・・自殺を考えているからで、死ぬ前に彼女たちに会っておきたいと思ったからだった。だから会話はあまり弾まなかった。何しろ私が暗い雰囲気でいたから・・・。でもどうしても私の気持ちを話すとなると、暗くなってしまうのだ。いつものように明るく大笑いをしながら話をする「私」は何処を探しても見つからなかった。彼女たちは口々に言う。
「死なないで」
「そんなこと言わないで」
「約束して」
・・・だめ。出来ない。今回は本気だから。

この前の日曜日にあった友だちにも同じようなことを言われたけれど、返す返事はみんな同じ。私には約束することが出来なかった。

一瞬の光。

私の心に届いた一瞬の・・・小さな光。この光が消えないうちに気持ちがたて直ればいいのだけれど・・・。消えてしまえば死・・・あるのみ。

私はどうしてこうも頑なな心を持ってしまったのだろうか。

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2008年10月21日 (火)

生きています。

大丈夫です。生きています。でもそれは「自殺への執着心」が解けた訳ではありません。くそ意地からどうにか生きているだけです。私の意地が何処まで持つのかは解かりません。それでも負けてなるものかという気持ちで今を過ごしているのです。ただそれだけのことなんです。

人って弱いから、誰かにすがりたくなる。それが甘えだと言うなら言わせておけばいい。私は甘えでも何でもいいから、人の優しさが欲しいのだから。

うつって酷い病気だね。

人の神経をめちゃくちゃにするんだもの。好きなものが嫌いになってしまったり、日常生活がコントロールできなくなったり、自殺願望が強くなったり・・・本当に死んでしまったりする。

脳のセロトニン不足が原因ならば、それが解かっているならば、何か対処法は薬以外にないのだろうか。薬で治すということは解かっている。だから毎日決められた時間にきちんと飲んでいる。忘れずにちゃんと真面目に飲んでいる。日常生活もどうにか普通になるまで回復してきたというのに・・・どうして? どうしていきなり病状が悪化するの?

きっかけがない訳ではない。
父ちゃんとの「ウツ争い」に始まって、職探しの辛さ。加えて泥棒騒ぎだ。こんだけ続けば状態も悪化するのは当たり前だとでも言うのか。
世の中には私なんかよりもよっぽど苦労して、ウツと闘っている人だって沢山いるんだ。だから私は挫けちゃいけない。他のうつを患っている人たちと一緒にうつを克服していかなくちゃならないんだよ。このところ調子が非常に悪い。けれど、昨日、深夜まではこんなふうには考えることが出来なかった。

何が私を変えたのか?

それはLunaさんのおかげなのだ。彼女が私を真剣に考え励ましてくれて、私の心に光が差した。

ただ・・・その光はとても弱く、脆いものなのだ。まだ自分から、『もう自殺は考えない』とまでは言い切れないところが悲しい・・・。とても悲しい・・・。

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明けても暮れても。

私は母親失格なのかな。
子供たちのことを最優先で考えなければならないのに、自分のことばかり気にしている。ウツ発作が出ないときは比較的楽に子供たちとも接しられるんだけれど、うつ波やウツ発作がやってくると、急にそれが難しくなる。

こんな時間に目が覚めて、またブログにすがっても、PCのふたを閉じてしまえば、そこにはまた現実が待っている。そうしてその現実は私をとても苦しめる。仮想世界に行きたい。現実から逃避したい。何処にでもいいから逃げて消え去りたい。そんな気持ちがどっと押し寄せてくる。その時私はどう対処すればいいというのだろう。
これまでにも、ありとあらゆる方法で、うつ波とウツ発作に立ち向かってきた。でも・・・そろそろもう本当に限界なんだよ・・・

うつはどうしてこんなに私を苦しめているんだろう。私はそんなに何か悪いことでもしたのだろうか。これは神様の罰なのだろうか。じゃあ私はどんな罪を犯したというの。

今日はもう・・・ダメかもしれない。

今日・・・あした・・・もし無事だったらちゃんと記事UPします・・・

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2008年10月20日 (月)

ウツ発作。

今日、兄貴に言われた。
『ブログに「ウツウツ」とした気分を書くな』って。それが原因で今の状態が悪くなっているって言われたんだ。でも本当にそうなのかな? 私はここで気持ちを発散すれば、少し楽になっているんだよ。気持ちのはけ口がなくなったら私はどうすればいいの? そこまで考えての言葉なのかな。

昔、お義母さんにも同じようなことを言われたことがある。
『記録に残しておくのは良くない。後でそれを見て、また怒ったり悲しんだりするだろうから』と。それは一理あるけれど、でも私はその意見には反対だ。記録しておくからこそ昔の自分のことも良く解かるし、振り返って反省することも出来ると思うから。

私、間違っているのかな・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今日。ちゃーぼうとケンカしちゃった。ほとんど怒鳴り合いだったけれど。私は感情的になってしまっていて、暴走してしまい、挙句には小テーブルをちゃーぼうに投げつけようとまでした。ゆっちぇが必死になって止めてくれたけれど、本当にゆっちぇがいなかったら私は虐待母になっていたに違いない。ケンカの発端は些細なこと。ちゃーぼうは今日、学校を休み、整形外科に行った。膝が痛いと言っていたので診てもらったのだ。そうしたら膝が炎症を起こしているとの事。湿布を貼って様子を見ることに。
学校を休んだちゃーぼうのところへ、同じ団地の斜め下の階のAちゃんが何か届け物をしに来てくれた。でも、ちゃーぼうは「パジャマ姿だから恥ずかしくて出て行きたくない」と言って、出ようとしなかった。そこで私は「具合悪くしてとか、怪我をしているんだからそのままでいいの!」とちょっと大きな声を出して言った。そうしたらちゃーぼうが「何で怒鳴るの?!」と怒って言い返してきた。・・・そこで、私に『ウツ発作』のスイッチが入ってしまった。

もうその後は思い出したくないほどの言い争い。ちゃーぼうの友だちが玄関先で聞いていることも忘れ、怒鳴りまくった。それでも私の気持ちは止まらない。ゆっちぇが割って入ってくれた。そして私の心が少しずつ静まっていった・・・。すぐに薬を(こういう時のための水薬)飲んだ。心がやっと静まった。

ちゃーぼうの気持ちは痛いほど解かっているけれど、思春期の子供がパジャマ姿で人前に出るだなんて出来ないことくらい・・・解かっていたのだけれど・・・。どうしても私はそれが許せなかった。
何故許せなかったかというと、それは幼い頃に私が風邪で学校を休んだ時、友だちが学校のお知らせを持ってきたことがあった。その時、私はやっぱりパジャマのままでそこへ出て行くのが嫌だったのだ。だから私は友だちを待たせたまま、着替えをして出て行った。
その次の日、熱も下がった私は学校へ行ったのだけれど、みんなの様子がおかしい。仲の良い子が心配そうに私にささやいた。『ねぇ、昨日服着たまま玄関に出てきたんでしょ? みんなそれで、「まめめちゃんが仮病で休んだ」って言ってるんだよ・・・。』私はショックでみんなに説明したけど、仲の良い子以外は誰も信じてくれず、私はそれから3週間くらい、みんなから無視され続けた。そのことを思い出して、咄嗟に私はちゃーぼうにそう言ったのだ。でもそれが解かってもらえず、いい争いになってしまったのだった。・・・反省しなくちゃ。

私の時の友だちはあまりいい子たちじゃなかった。でもちゃーぼうの友だちはいい子たちである。その違いを忘れて慌てて大きな声を出して、ちゃーぼうを驚かせてしまった。悪いのは私。ちゃーぼうは何も悪くない。

ウツ発作が起きると本当に自分では手がつけられない・・・。どうしたらいいんだろう。私にいつも誰かが側についている訳にもいかないし・・・。まるで暴走列車のようだ。これは私自身の問題だから、自分で解決しなくちゃいけない。・・・つらいな。今日もツライ一日だった。

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2008年10月19日 (日)

カサブタ。

例えばの話だけれど、ちょっとした怪我をして、そこに傷が出来るとするじゃない? そうすると何日かして、その部分がカサブタになるの。

私はかゆみを我慢できない体質で、すぐにカサブタを作ってしまうの。そうすると今度はそのカサブタを剥がしたくなるんだ。今、カサブタを取ったら血が出ちゃうっていうことも解かりきっているのに。何度も何度もカサブタを取って剥がしているうちに、傷口はどんどん開いていくんだよね。最初はほんのちょっとの小さな傷口だったのに・・・。

私の心が今、ちょうどそういう状態なの。

心のカサブタが大きくなってきているの。何度も何度も引っかいて剥がして取ってしまったから。初めはほんのちょっとのリストカットの気持ちでいたのに、それはエスカレートしていくの。そのうちやってはいけない自殺という行為にまで発展していくの。自分じゃどうすることも出来ないほど、その場所がかゆくて痛くて悲しくて苦しくて・・・カサブタを剥がし続けてる・・・。

いたいよ・・・心のカサブタ。

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心は雨。

昨夜も目が覚めて、夜中にウツウツとしていた。朝方になって、父ちゃんが起きて、私の様子を見て、「カラオケにでも行こう」と誘ってくれた。二人でカラオケに行くのは久しぶりだった。いつも子供たちとばかり行っていた。だから凄く嬉しかった。

カラオケはとても楽しかった。でも、それでも眠れない。今日は友だちとお昼に会う約束をしていた。だから少しでも眠っておかなければ・・・と思うのだが、全然眠れなくて。結局、寝不足のまま会いに行ってきた。

彼女は私の高校時代の友だちで、当時はとても仲が良かった子だ。凄くかわいい子で、当時はアイドルみたいな感じで、男の子に良くモテていた。彼女と一緒に歩いていると、よくナンパをされたものだった。私一人や、他の女子と歩いていても声などかけらなかったのに(^^;)。

久しぶりに会えて凄く嬉しかった。彼女は私のことを凄く心配してくれて、「私の望みは、まめめが自分の身体を傷つけないこと。生きていって欲しいってことだけだよ。」と言ってくれた。他には何も望まないと・・・。嬉しい言葉だった。本当に彼女は私のことを心配してくれている。それが良く解かったから、私は本当に感動した。心にも響いてきた。

でも。

それでも気持ちは直らない。
よく言うじゃないか、「死にたい。死にたい。」と口にする人ほど本気で死にはしないって。だから私も死なないで済むんじゃないだろうか。きっと死なない・・・。ほんとにそうだといいけれど。

自殺は罪だ。
私は自殺を認めない。それは自分自身を殺すことになるからだ。どんな人間でも人を殺してはいけない。ましてや自分のことを殺すなど許されるべきことではないはず。

私はずーっとそう考えてきた。だから自殺など二度とするものかと考えてもいたのだ。なのに、今はどうだ。死ぬことばかり考えているじゃないか。私はこんなに矛盾した人間だったというのか。自分の気持ちがさっぱりわからない。心の叫びが行動となって表面化することに怯えている。死にたくない。でも・・・死にたい。生きていくのがツライ。優しい父ちゃんや子供たち、沢山の友人に囲まれて私は幸せ者だというのに・・・どうしてこうも不幸を感じるのだろう。何が私を悩ませているんだろう。どうしていつも悲しい気持ちになってしまうんだろう。

生きようとする意志と、死のうとする意志が闘っている。いつもそうだ。毎日この相反する気持ちたちは闘い続けているのだ。・・・・・・・・・・・・・・今日の天気は晴天。秋晴れ。

でも・・・・・・・・・・・・心は雨。

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死にたい病。

どうして半端な時間に目が覚めるのだろう。こんなふうに(2時間ごととか)目が覚めるのなら、いっそずーっと目が覚めないでいて欲しい。それはつまり『死ぬ』っていうことだけれど。何でもいい、熟睡したい。そう例えそのまま目が覚めなくなったとしても。

そのくらい夜は眠れていない。昼寝もあまりしていないのに、何故眠れないんだろう。こんな時間に起きていると不安になる。横になって目を閉じていると、考えないようにしているのに、いつの間にか自殺の方法ばかり考えている自分を見出してしまう。なさけない・・・。

死の気持ちに取り付かれてからどのくらい経つのだろう。私は幼い頃から死にたかった。幼稚園の頃は縄跳びで首をつる真似事をして、園長先生から厳しく注意されたことを覚えている。小学校の頃は「毒草」というものがあると知り、そこいらじゅうの草を引きちぎって食べていた。学校にあった『魔の十三段』と呼ばれた階段からわざと転がり落ちたりしていた。無傷だったけれど。小学校のすぐ側に崖があって(大したことのない崖なのだけれど)、幼い私にはそれが凄く高いように見えて、その崖から飛び降りた。尾てい骨を打ち、腕に傷を作り、顔は泥だらけになったが生きていた。中学に入り、一年の頃は屋上から飛び降りようと試みたが、いつでも部活やら何やらをしている生徒がいて、チャンスを逃した。二年生になっていじめに遭い。学校にも行かなくなった私は毎日死ぬことばかりを考えて一日を過ごしていた。いじめの相手に思い知らせてやる方法をずいぶんと考えていた。でも結局死ねなかった。
高校に入った頃は毎日が楽しくて、誰からも嫌われていなかったし、むしろ好かれていたと思う。人生の中で一番楽しい時代だったような気がする。青春を謳歌していた。それでもふと気がつくと、死にたいな・・・と思っている自分を見出していた。何故。こんなに死にたいのだろう。高校時代にはよくそのことを考え込んでいた。大人になってからも「死にたい気持ち」にずっと取り付かれ、チャンスがあったら死んでやろうと思っていた。

何かするとすぐに「死にたい」と心の声が私に呼びかける。その都度、『死にたくない』と応える私のもう一つの心。この心は事故死した彼氏と付き合っていた頃に急に芽生えてきた感情だった。『彼のために生きていたい』そう願っていたにもかかわらず、「しにたい」とつぶやく私の心は常に何処かにいたようだった。

生きていたいのかも知れない、本当は。

でも生きることに対して恐怖感を覚えてしまった。

私は・・・どうすることも出来ない。

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