悪徳慶応義塾大学を告発する
算数ができない大学教授
       
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このレポートでは慶応義塾というところが、教育の場でも、研究の場でもないということを福沢先生以来の実証精神にしたがって、実証しています。
慶応義塾で起こった不祥事の主役、辻村江太郎教授(当時)、及びこの不祥事をもみ消した慶応義塾側の一人、石川忠雄塾長(当時)の双方が今までに、揃って文化功労者に選ばれていることから、政府のやることに呆れ返っていたのですが、このレポートをアップロードしようとした今日になって(2000年10月24日)、石川氏に
今年度の文化勲章が贈られることに決定したというニュースが跳び込んで来ました。
政府が日本文化に多大な貢献をしたと特に表彰する人物がどんな連中なのか、ゆっくりお読み下さい。

なお政府は、こんな大学に毎年100億円ほどの巨額の血税を国庫助成金として投入しているのです。皆で反対しましょう。お金を必要とするところは他にいくらでもあるのです。


まえがき

大学生の学力低下が最近よく話題になります。
大学の中には補習コースを設けて、中学や高校のおさらいをしているところもあるということです。けれども、少子化に加えて大学進学率も増加しているということですから、これは当然と言えば当然のことでしょう。それでとうとう「分数ができない大学生」というような本まで出版されているようです。
話題の「分数ができない大学生」

またこれとは別に、医学部に合格したのに高校時代に生物を全く履修していないなどという学生のいることも報道されていますから、学力低下は入試制度のありようも関係しているのでしょう。

しかしいづれにせよ大学生に勉強しようという意欲がある限り、学力低下などということは、それほどたいした問題ではないでしょう。

前掲の本では目次から判断する限り、数学ができない学生には論理的思考は無理だと嘆いていらっしやるようです。


確かに数学教育は重要でしょうし、現在の制度に不備があるのなら改善していくことも大事でしょう。
しかしそれよりももっと重要なことは、向学心にあふれる学生の意欲を削ぐことなく、その才能を出来るだけ引き出して伸ばしてやることでしょう。そうした教育の出来る大学教師こそ望まれているわけです。

残念ながら私は大学時代にそのような教師に出会うことは出来ませんでした。それだけに今の若い大学生には充実した大学生活を送ってほしいと強く希望するものですが、現在の大学も昔と変わらないのではないかと危惧しています。

そのわけはといいますと私の指導教授であった辻村江太郎という慶応義塾大学教授(当時)は、専攻が計量経済学というのに、序数と基数の区別もつかないとんでもない人でしたが、自分の学説、「消費習慣形成仮説」が初歩的な間違いを持ち、最初から仮説たりえない、つまり0点であるということを私に指摘されると、正当な理由もないのに私を大学院から追い出そうとし、挙げ句の果てには助手を使って、京都にいる私の母をホテルに呼び出し、当時の研究科委員長の名前をかたってまでして、退学届を出させようとしたほどのワルでしたが、いまだに慶応義塾の名誉教授におさまっています。
共犯の黒田昌裕助手(当時)も同様に現在も商学部教授です。

こんな人たちにまともな教育など出来るわけはないでしょう。
事実驚いたことに、こんな欠陥学説が今だに慶応義塾の多くの後輩学者によって受け継がれ、使用されています。とんでもないことです。

またこうしたスキャンダルを知った塾長以下慶応義塾当局は,先ずこの教授を処罰すべきなのに、揉み消しをはかるだけであったのです。一人や二人のあほな教授だけの問題ではないのです。塾長以下慶応義塾当局が平気でこんなことをしたのです。謝罪も反省も全く無いのです。それどころか授業料を払わないという名目で私を除籍してしまったのです。その後、再三の申し立てにも一切応じようとしません。

大学のトップ自らが悪行、悪事に手を染めた破廉恥で、悪質なケースです。

最高責任者である塾長自らがスキャンダルを隠すのですから、このような大学が経営する慶応病院など何をされるかわかったものではありません。考えただけでも恐ろしいことです。

事実この不祥事の数年後には、慶応病院において、入院患者に対して行われた胸腺摘出手術が本当に必要なものだったのだろうか、治療とは無縁の、興味半分の人体実験ではなかったのだろうか、とマスコミが騒いだこともありました。しかし結局うやむやに終わることになります。この種の問題を追求するのは本当に難しいことなのです。
医者には裁量権なるものが存在し、これが問題を難しくするのです。しかもカルテなどはすべて病院側にあるわけです。

最近各地で医療過誤の事件が多発しておりますが、慶応病院ではまず表沙汰になることはないでしょう。塾長以下全員が一丸となって、もみ消してしまうからです。カルテの改ざんなど多分朝飯前のことなのでしょう。本当に恐ろしく、こわいことです。
それどころか、治療目的で入院したのに、本人の知らない間に臓器を摘出されてしまったなどというケースも珍しいことではないのかもしれません。
また最近滋賀医大であったように、女性患者の恥ずかしい部分を無断で写真にとって、一冊の本にまとめ販売するというようなことも、慶応では普通のことなのかもしれません。

私の場合もそうでしたが、慶応義塾のやる「もみ消し」や「開き直り」はとてもエゲツナク、常軌を逸しています。
慶応義塾はひた隠し。新潮、文春例えば一人の法学部助教授が自分の指導する複数の女子学生を自宅に招き、入浴させて、裸体を盗み撮りをするために、浴室の壁の中にビデオカメラを仕込んでおいたが、女子学生に見つかり、騒がれたという事件が週刊誌に報告されています(週刊新潮・92年4月30日号)。

この時慶応義塾がした弁解というのは、この助教授は女性の裸体には全く興味がなく、自身がナルシストのため、自分の裸体を撮影するために風呂場にビデオカメラを設置しておいたのだというのです。
もしそうなら自分の裸体を撮影するために壁に穴をあける必要は無いでしょうし、おまけにこの穴は隣の寝室ともつながっていたそうですから、真実は明らかです。隣室から覗き見をしたり、カメラの操作をしたりするための穴であるに間違いないのです。
大学当局が平気で嘘をつき、こんな開き直りをするのです。

また90年3月18日、慶応の三田キャンパスで一人の女子大学院生が七階の研究室から「転落」しました。すぐに地元の芝消防署三田出張所の救急車と警察庁三田署のパトカーが駆けつけました。救急車は彼女を収容すると、すぐに大学を出ました。
ところが最も近いのは東京都立三田病院だったのですが、同乗した慶応関係者の指示で、わざわざ新宿区信濃町にある慶応義塾大学付属病院に運ばれました。何を企んだのでしょうか。
しかし女子大学院生は助からず、死亡しました。

この女子大学院生は転落時、その足首と膝のあたりは紐で縛られていたそうです。しかもこの時、この研究室には数年にわたって彼女との恋愛関係を取り沙汰され、ただならぬ関係にあった、これまた法学部助教授がいたというのです。この助教授は彼女から、やはりこの時この研究室にいた別の女子大学院生に興味は移っており、二人の間は冷めかけていたということです(週刊文春・多分90年4月および6月の二回にわたって)。
慶応の内外での噂はもっぱら、この助教授が、邪魔になった女子学生を七階から突き落としたのだろうというものでした。

東京地検特捜部もこれには重大な関心を示したようですが、自殺ということにされてしまったようです。
ところが腑に落ちないのは、この研究室が実質七畳ということです。
ここには、飛び降りた本人以外に、助教授、二人の女子大学院生、と計四人がいたというのです。
飛び降りた時に裾が乱れないようにと、足を二個所も縛って、窓際のヒーターの上によじ登っているのですから、気がつかないはずはありません。それにしても、そんな格好でヒーターの上に登れるのでしょうか、不思議です。

三田署の事情聴取に対し、同室していた三人は「ドスンという音がするまで勉強に夢中で、全く気づかなかった」と供述しているそうです。
私は今まで、このような現場に居合わせたことがないので、何とも言えませんが、地面の上でのドスンという音が七階まで聞こえるものなのでしょうか。
しかも死亡したこの女子大学院生の母親が、娘の死亡した時の状況を知りたくて、同室者に確認すると、証言はクルクル変わるということです。
また大学関係者の間には、三人の供述とは全く違う証言もあり、狭い「密室」内で何があったか、様々な噂が飛び交っている、と週刊文春は書いています。

それはともかく、この時の慶応義塾側の、この女子大学院生に対する態度の冷たいことは日本中の反感をかいました。この週刊誌の見出しも「大学当局はひた隠し」というものでした。
とにかく隠せ、隠せということで、隠せないことは,ごまかし、もみ消しです。
万事この調子なのです。

さて辻村教授や黒田助手に始まる、一連のスキャンダルにかかわった慶応義塾の元塾長が大学審議会の会長をしているのです。日本の大学に明るい未来はありません。この石川忠雄という人は教育などには何の興味も無いのです。
興味があるのは自分と自分の大学の、名誉とお金だけで、事実こんなイカサマ大学が毎年日本でも一、ニ位という巨額の私学助成金を文部省から受けているのです。ちなみに98年度は約92億円で二位、97年度は約98億円で一位ということです。学生一人当たりの助成金は常にダントツです。他にも大学は沢山あるのにどういうことなのでしょうか。文部省との癒着が見て取れます。

私学助成は、石原慎太郎東京都知事が99年9月、全国都道府県知事会議で発言したように、もともと憲法違反なのです。しかし公教育の相当部分を引き受けている面もあるとして、私学が学校教育法、教育基本法、私立学校法などの法的規制を受けている、つまり「公の支配」を受けている事業であるという建て前で、行われるものなのです。
ところが慶応義塾というところは教育も法律もくそ食らえというところです。このような無法集団に貴重な国税を注ぎ込むのはまさしく憲法違反としか言いようがありません。
序数の和や差は無意味であるという「定義」も通用しない大学など不要なのです。
同時に間違いがわかった後も、授業料をとって、この欠陥学説を講義し、また欠陥書物を売りまくるのですから、まさしく詐欺なのです。

ところで今回このページを作成するにあたって、タイトルを「算数ができない大学教授」にでもしようかということになり、よく似たタイトルの前掲書をマクラとして使用しようということで、普段あまり触らないパソコンでこの本の正確なタイトルを調べようとしたのですが、便利ですねえ、目次まで見ることが出来たのです。すると共著者の中の一人は私が今まさに書こうとしている名誉教授の弟子で、牧厚志という教授です。この人はこの名誉教授の間違った学説をほとんどそのまま引き継ぎ、博士号までとっているのです。
こんな人が今の大学生は数学ができない、とか独創力が無いとか言ってるのですから滑稽です。
「算数ができない大学教授」が「分数ができない大学生」を笑っているのです。

いかに初歩的なことであっても、人間のやることですから間違うのは仕様が無いことです。
しかし間違いを改めようとしないとか、それどころか間違いに気づいた者を追放するなどという者は学者とは言えません。学者でいる資格など無いのです。
困ったことに、これに注意し、これを糺す人間も機関も残念なことに存在しません。これではまわりは初歩的な間違いにも気づかないボンクラか、気づいても何も言わない、自分の立身のみしか考えない、ゴマスリ追随者ばかりということになります。
今回このレポートをお読みいただくと、若い学生には、数学よりも「人の道」を教えることのほうが、ずっと大事なことであるということがお分かりになると思います。信じられないほど悪辣で、醜悪な大学教授が多いのです。
若い人にはこのような大学教授にはなってもらいたくありません。皆迷惑するのです。

さいわいにこの「分数ができない大学生」という本には多くの優れた学者が関係しておられるようです。(主著者として岡部恒治埼玉大教授西村和雄京都大教授戸瀬信之慶応大教授のお名前が表紙に書かれています)
この方たちが、もともとこの本をお書きになったのは、科学の正しい普及や科学の進歩、発展をご希望なさってのことと思います。
それゆえ直接関係の無いことであっても、明確に間違っている科学上の議論があれば、それを指摘なさるのに何のためらいも無いものと思われます。ましてや共著者の一人がこういうザマでは何か一言あってもおかしくは無いでしょう。

ところで経済学を学ぶ大学生が数学を学ぶ意欲を持たないのは、経済現象を説明、分析するのに数学があまり役に立っているようには思えないという社会通念に根差すようにも思われます。もしそうなら現在の大学入試制度の欠陥を言い立てられることより、科学とは無縁のお粗末な、間違った学説、書物などを排除なさることのほうが先決のように思われます。
このレポートでは、読者の皆様には,慶応義塾大学というところがあまりにも酷い、醜い、腐った大学であるということを説明させていただき、そしてこのような大学に公的資金を投入するなど、とんでもないことだということを訴えたいと思います。

そして同時に、「分数ができない大学生」の著者の先生がたには、共著者の一人、牧 厚志氏の学説は辻村教授の学説と同じものであり、無意味であるということをご説明させていただき、先生方のご見解を、あえて公開の場でお尋ねさせていただきます。共著者ならお互いの業績ぐらいはご存知とは思うのですが、どうなのでしょう。

ここまでお読みになった方は、これを書いている人間のほうがおかしいのではないか、単なる誹謗中傷ではないのかとお思いかもしれません。それゆえ二種類の資料を添付することにします。
一つは辻村教授の「習慣形成仮説」が、論理的整合性を欠き、それゆえ最初から仮説たりえない、つまり0点であるということを論証した私の小文「消費選好場と相対性」です。これは前掲の共著者の先生がたに対するお尋ねの為にも勿論必要です。

そしてもう一つは当時のやり取りを録音したものの一部である音声資料です。これによって経済学のことなど一切わからないという方でも慶応義塾が大ウソをついているのがはっきりわかるはずです。
つまり石器や遺跡のことなど良く分からない、勿論放射性炭素年代測定法などというものなどチンプンカンという方でも、(この測定法も石器そのものには役立たないようですが)、今回の毎日新聞のスクープ撮影で、上高森遺跡での石器ねつ造事件は明確にご理解なさったことと思います。
私がこのレポートで使用しようとしているのも、この手法なのです。後ろ暗いことの無い人は絶対に上司の名前をかたったりしないものです。

その前に悪徳慶応義塾で実際に行われた不祥事の「あらすじ」を説明させていただきます。発端は非常に昔のことですが、その後も何人もの悪党が登場し、悪事を続けます。問題は今も続いています。
音声資料を充分ご理解いただくためにも、本件のあらすじを知っていていただかなくてはならないと思います。
勿論小文のほうに直接すすんでいただいても結構です。

本件のあらすじ

「消費選好場と相対性」

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