これですべてが終わった。久間三千年死刑囚(70)の刑が執行された。最高裁が上告を棄却した2006年9月、私は「久間被告が口をつぐんだまま死刑となれば、明らかにされるべきいくつもの真相が、永遠に封印されてしまう」と書いた。その真相が、ついに封印されてしまった。
この事件は犯行場所も殺害状況も動機も、正確には何も真相が分かっていない。久間死刑囚は逮捕された1994年9月から最後の日まで、一貫して無実を主張した。
「冤罪(えんざい)」の訴えを無視するつもりはない。だが、司法が下した判断に従い久間死刑囚が真犯人という前提に立てば、死に際し、自らの胸に閉じ込めた真相とともにこの世を去る、その胸中はいかなるものだったのか。
事件にかかわった複数の捜査関係者は「彼は家族を守るために否認を貫いた」と言う。犯行を認めれば自分の家族が崩壊する、冤罪のまま死ねば救われる‐と。
もしそれが真実なら、久間死刑囚の心境をどう理解すればいいのか。久間死刑囚が奪った女児2人の命と家族の苦しみの重さと、必死で守り通した自らの家族への思いを。
久間死刑囚には、語らなければならないことがたくさんあった。語らずに、この世を去った。もう少し時がたてば、あるいはその日が来たかもしれないという思いもぬぐえない。判決確定からわずか2年での執行には疑問が残る。
発生から事件を追い続けた。いくつもの「なぜ」を残し、16年8カ月後の3人目の死をもって幕を閉じた。心は、晴れない。 (宮崎昌治)
=2008/10/29付 西日本新聞朝刊=