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2008-09-22
■「いつもの識者」を入れ替えよう
まずは以下の記事を読んでいただきたい。
性的欲求? 自分の存在誇示? 児童狙う事件に識者は‥‥
女児が裸で倒れていた千葉県東金市の資材置き場付近を捜索する捜査員ら。女児は死亡が確認された=21日、午後、千葉県東金市(小野淳一撮影)
幼い児童や園児が狙われる凶悪事件が後を絶たない。千葉県東金市で21日、市内の保育園、成田幸満ちゃんが全裸で倒れ、死亡しているのが見つかった。3日前には福岡市で小1男児が殺害される事件が起こったばかり。なぜ子供が狙われるのか。識者に聞いた。
元警視庁捜査1課長の田宮栄一氏(75)は「子供を狙った犯罪は、まず幼児性愛者による可能性がある」と指摘。そのうえで「大人とうまく付きあうことができない若者が、自分の欲望を満たそうと子供に向かうのではないか」と話す。
さらに「複雑な社会にうまく適応できない若者が不満を抱え、自分より弱い者に刃を向けるケースも考えられる」とも述べた。
また、福島章・上智大名誉教授(犯罪心理学)は「最近は、社会から疎外された気持ちを強めた若者が自分の存在を誇示する手段として、遊び感覚で、手っ取り早く自分よりも弱い子供を狙う犯罪が多い」と分析。「マスコミで事件が取り上げられることで、自分が有名になり、何か達成感を得たような気持ちになっているのではないか。こうした傾向は30代までの世代に強い」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080921-00000931-san-soci
9月21日20時52分配信 産経新聞
いつもの識者は、何の根拠もなしに、犯人を若者と決めつけている。
マス・メディアは、なぜ、こういう質の低い識者を使うのか?
質の高い専門家なら、十分なデータがない場合は、「わからない」としか答えないだろう。
「わからない」としか答えない識者は、マス・メディアにとっては使いにくい。
大衆が聞きたいことを的確に虚言する識者が、いつものコメントの人になる。
こういうわけで、マス・メディアでコメントする識者に関していえば、悪貨が良貨を駆逐するような「市場メカニズム」がはたらく。
それにしても、犯罪心理学の研究者であるはずの福島章が、「最近は、…多い」といっている発言には、驚いた。
以下のグラフの「幼女強姦被害者数」をご覧いただきたい。
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-youjyoRape.htm
まるで、外科医が盲腸の位置の左右をまちがえるようなスキャンダル。
犯罪学の専門家として売っている人物が、犯罪学のイロハについて、無知蒙昧なのだ。
マス/メディア各社は、これからも福島章を「いつもの識者」として使い続けるのか。
メディア各社は、「いつもの識者」に福島章を使うのをやめて、管賀江留郎を新規採用したらどうだろうか。
彼なら、正しいことを面白く語ってくれるだろう。
(内藤朝雄)
2008-08-12
■北京オリンピックとチベット
チベットの問題を忘れてはいけない。「北京オリンピック」は、チベットにかぎらず、中国でのひどい人権侵害を思い出すキーにしよう。「北京オリンピック」の話題になったら、チベットのことを話そう。
それから、視聴率をはかる機器を設置しているモニターの方々で、中国の人権侵害に胸を痛めているあなたにお願いがあります。北京オリンピックの映像が映ったら、テレビのチャンネルを変えてください。あなたのチャンネル操作が、メディア企業が番組をスポンサーに売る価格を決めます。あなたが北京オリンピックを見れば見るほど、人権を無視するテレビ番組にお金が入ってきます。
また、模倣犯を生み出して、人殺しの片棒を担ぐ、通り魔事件の「こころの闇」を娯楽のネタにする番組も、チャネルを変えてください。秋葉原の報道が、あんなふうではなかったら、八王子で殺された斉木愛さんは、今、生きているはずです。視聴率が悪ければ、メディアは報道しません。
それから、メディア各社へ提案。人民解放軍系の企業の利権について、テレビで報道してほしい。アメリカの軍産複合体については、よく問題になっていますが、中国の軍産複合体は、すさまじい力をもっているのかもしれません。
命がけの仕事になるとは思いますが、いい仕事をしたい人にとっては、ジャーナリスト人生で最高の仕事になると思います。
産経新聞HP
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080812/chn0808120906003-n2.htm
より
【ワールドウォッチング】チベット問題の深層 軍系企業が離さぬ”宝石箱” (2/2ページ)
2008.8.12 08:56
トンドュプ氏は意外な事実を明らかにした。
「トウ小平氏は私に『チベットは宝石箱だ』と語ったことがあります。チベットは豊富な地下資源のほか、森林や動物など豊富な自然資源の宝庫ですが、その経済利権を握っているのが中国人民解放軍系の企業。このため、胡主席でさえもチベット問題の解決は難しいのです」
新華社電によると、同自治区の地下資源の価値は1250億ドル(約13兆5000億円)にも達する。さらに、核兵器開発の軍事施設も多数、同自治区内にあるという。
しかし、トンドュプ氏は「胡主席とダライ・ラマ法王との直接対話で道は開けると思う。中国側は早く対話に応じるべきだ」と強調する。なかなか難しいとは思うが、できるだけ早く対話が実現するのを祈るばかりだ。(相馬勝)
2008-07-25
■八王子の通り魔事件について
八王子で模倣犯と思われる通り魔が人を殺した。2008年6月9日のメッセージ(http://d.hatena.ne.jp/izime/20080609)で予言した通りの事態が進行している。このままでは、あと数人は殺されてしまう。
朝日新聞2008年7月24日より、菅野昭一容疑者(33)の発言「大きな事件でも起こせば自分の名前がマスコミに出るだろうと思ってやった」
菅野容疑者が、秋葉原の事件報道に、どのように自分を重ねたてファンタジーにふけったかの供述が出次第、殺された女性の遺族は、メディア各社を訴えて当然だと思う。また、メディア批判がわき起こるだろう。
歪んだ人間が犯人に自分の「こころ」を重ねてファンタジーをふくらませやすいタイプの報道を避けるための、メディア業界のルールをつくるべきだ。自殺の連鎖を起こさないための自殺報道のルールのように、考え抜かれた犯罪報道のルールをつくる必要がある。
秋葉原の報道が、あんなふうではなかったら、被害者斉木愛さんは、今、生きているはずである。
もう一度くりかえす。酒鬼薔薇の後の、佐賀バスジャックのような模倣犯のパタンが続いた場合、マス・メディアは、人殺しの片棒をかついでいる、と非難されてもしかたがない。
●●
他者の像と自己の像が重なった「想像界」だけで生きていたら、妬みと殺意で収集がつかなくなる。そこに、「こころ」と「こころ」を重ねる世界とは別次元の、ルールの世界が、他の動物に比べて「自己」が寸断されやすい人間の、救いとして現れる。このルールの世界が、「こころ」過剰なマス・メディアの報道で、破壊されようとしている。「こころ」の論点で、犯罪者の物語をばらまいてはいけない。
ルールの世界としては、極刑としての、絶対に刑務所から出ることができない終身刑が必要だ。人を一人殺せば、死ぬまで刑務所にいる。
原理的には死刑に処すべきだが、技術論的に、みなし死刑としての終身刑が必要だ。今の無期懲役では、バランスを欠いている。
「こころの闇」の理解ではなく、正当なルールで処理されることで、社会のリアリティが治まることが、何よりも大切だ。
さしあたって、マス・メディアは、「心の闇」ではなく、正当なルールとしての終身刑に焦点を移すべきだ。また、自殺報道のルールと同様の配慮で、犯罪報道のルールをつくる必要性を、報道すべきだ。メディア各社には、報道についてのメタ報道も、ビジネスとして成り立つ、と言っておこう。
#本人依頼により、一部削除しました。
2008-06-09
■スピード社の水着報道について
『朝日新聞』2008年6月7日の11面のベタ記事を紹介しよう。
鳥インフルエンザに関する記事である。なぜこれがベタ記事なのだ。
記事は下記の通り。
「鳥インフル死者即時公表やめる インドネシア保健省
【ジャカルタ=矢野英基】
トリインフルエンザウィルス感染による死者数が世界で最も多いインドネシアの保健省は6日までに、感染死亡例が出てもすぐには公表しない方針を決めた。AP通信が伝えた。感染死公表は新型インフルエンザ発生の兆候をつかむため重要とされ、今回の措置は国際社会で物議を醸しそうだ。
これまで同省は感染死が確認されるとすぐに氏名のイニシャルや性別、年齢、経緯などを発表してきた。今後は一定の間隔を置いてまとめて発表するという。先月、地元の一部報道機関が独自に感染死の疑いがあるケースが発生したと報道。同省は確認せず、スパリ保健省が「感染死を即座に公表するのが我々の助けになるのか。国の評判を落とすだけだ」などと語った。インドネシア政府は、感染死者数ばかりに関心が向くことに神経をとがらせている模様だ。」
『朝日新聞』2008年6月7日11面
これは一面トップ記事のはずだ。
これ以上の重要記事がどこにあるのか。アメリカと中国とロシアが核戦争でもはじめたのか?
第一面の記事は、いかに?
朝日新聞は第一面トップで、上記鳥インフルエンザに関する、人類の運命にかかわるような重要情報の10倍近くのスペースを割いて、「スピード社」というイギリスの会社の水着についてでかでかと載せている。その他、やはり10倍近くのスペースをつかって、朝日新聞社とテレビ朝日の提携強化の記事を載せている(要するに身内の話である)。どれも内容は、一部スポーツファンや関係者以外にとっては、どうでもいいことだ。
朝日新聞の重要性の評価能力は、狂っている。『朝日スポーツ新聞』とでも、名称変更したらどうだろう。
(内藤朝雄)
■秋葉原通り魔事件の祝祭的報道について
マス・メディアは、模倣犯が起きないように配慮して報道するべきだ。
一部のみじめな者たちが、殺人を実存的な美学としてイメージし、語り合う、流行のきっかけにならないようにしなければならない。
犯人を、ただの犯罪者以上でも以下でもなく、報道すること。
マレーシアとインドネシアで、アモックという「人生一発逆転気分の殺しまくり」が流行して、どうしようもなかったことがある。
そのとき、政府が淡々と犯人を死刑にし、ドブネズミの死骸のように、即物的に扱ったことによって、流行が収まったという。
犯人を、ひとかけらも、承認してはならない。
祝祭的なムードを一切かもしだすことなく、害獣の処理をするような、淡々とした態度が、政府や報道には必要だ。
しかし、マス・メディアは、祝祭的なムードで刺激を売って視聴率をあげ、紙を売る。
このさもしい商売が、模倣犯による被害者を生む。
大手メディア各社は、模倣犯を生むような報道をしないよう、取り決めをすべきだ。
※補論
マレー人のアモック(amok)も中世スカンジナビアのベルセルク(berserk)も、突然、周囲の人間を殺しまくる現象である。
これらは、共感や承認の空気があいまいにただよう間は蔓延した。アモックやベルセルクに走る者が、モデリングの機能を果たし、絶望したときの人生の芝居の仕方(だだのこねかた)としてムード的に許容されることによって、蔓延する。
ベルセルクは、11世紀に、教会が許さないと「がん!」とした姿勢で宣言した直後に消滅した。英領マレーシアでは総督府がアモックに走る者を死刑に処するという法令を発し、まず一人をおもむろに絞首刑にしたら、衰退した。しかし、あいまいに承認されたインドネシアでは、だらだらと続いた。
モデリングをさせない
社会が承認しない
気持ちのぶつけあいやこころの重ね合いではなく、正義のルールによるおもむろな処置(それで、おしまい)
この三つが重要なポイントになることを、アモックとベルセルクは教えてくれる。
犯人は、あっさりと極刑に処して、それでおしまい。
その「あっさり」さが、きわめて重要なのだ。
マス・メディアの不適切な報道によって、どれほどの歪んだひとたちが、自分のこころを犯人のこころに重ねるイメージの弄びをすることになるだろうか。その者たちの数が多ければ多いほど、確率的に、実行する者たちの数も増える。
酒鬼薔薇の後の、佐賀バスジャックのような模倣犯のパタンが続いた場合、マス・メディアは、人殺しの片棒をかついでいる、と非難されてもしかたがない。
犯人が「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」という自己顕示を行っているのであれば、ワイドショーは絶対に、犯人の夢をかなえてあげてはいけない。放送業界は、ワイドショーに事件をとりあげることを中止させるべきである。
もしワイドショーが事件を取り上げた場合、責任者の放送業界での社会的生命を奪うぐらいの処分が必要である。
(内藤朝雄)
2008-03-21
■チベットに関する内藤朝雄さんのメッセージ
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中国政府がチベットを侵略し、長年にわたって組織的な虐待と殺害を繰り返してきたことに強く抗議します。これは日本政府が満州で行ったこととまったく同じ行為です。人間の尊厳を守りたいと願う人々は、このような中国政府の国威発揚イベントとしてのオリンピックに協力すべきではありません。
まず、オリンピックに協力しないよう、企業に働きかけましょう。
オリンピックに協力する企業のリストをつくりましょう。そのリストを参考に、ひとりひとりが買う買わないを決めることができます。
チベットについての報道が少なく、オリンピックを宣伝するような報道が多いメディアについて、その取り上げ方についての記録をつくって公開しましょう。また、もし中国と政界財界のコネクションがマスメディアのチベット報道を抑制するルートがあるとすれば、それを厳しく告発する必要があります。
また、政治化やマスメディアの芸人たちは、中国オリンピックにすりよると、人間の尊厳を大切にするひとびとの支持を失う、というチェックシステムをつくる必要があります。もちろん、チベットで残虐なことをするぐらいどうということはなくて、それよりも、力強く国威発揚をしている中国は、かつての力強い大日本帝国のようですばらしいではないか、と思う人々は、オリンピックをもりあげる勢力を支持するでしょう。それは民意による選択です。ただ、きちんと民意による選択ができる条件を整備する必要があります。その条件整備は、緊急にしなければならないことです。
わたしは『いじめと現代社会』(双風舎)で、右と左が源氏と平家のように縄張りをひき、各トピックについて批判したりしなかったり、擁護したりしなかったりする「論点抱き合わせセット」を厳しく批判しました。もう、そういう縄張りのなかで集団思考する(われわれ考える)をやめて、ひとりひとりの良心と理念にしたがってものを考えよう、と訴えました。今回の中国のチベットでの残虐行為については、もう右と左をやめて、ひたすら「人間の尊厳を踏みにじるのをゆるさない」という地点から、政治は動き、メディアは発信すべきです。
「論点抱き合わせセット」について詳しくは、上記拙著を御参照ください。
参照:論点抱き合わせセットの図
(内藤朝雄)
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参考リンク
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080319_release.html
2008-02-20
■お知らせ
山形新聞に『〈いじめ学〉の時代』の書評が掲載されましたので、ご紹介します。
『山形新聞』2008年2月10日(日曜日)書評欄
「闘うための理論と希望学ぶ」
〈評〉滝口克典・若者の居場所NPO「ぷらっとほーむ」共同代表
新庄・明倫中学「マット死」事件から一五年がたった。とはいえ、昨今の「いじめ」をめぐる事件報道を見るに、人々のいじめ観やいじめ対策のありかたにはほとんど変化がない。相も変わらず「生徒個人の心の歪み」へと問題を矮小(わいしょう)化し、お説教でお茶を濁し続けている。かくして悲劇は続いていく。
私たちはいまだ何も学んでいない。その凄惨(せいさん)さや残酷さゆえに直視しがたい「いじめ」というものを、しかし、社会学者である著者は直視し続けた。見えてきたのは、いじめが生成・繁茂しやすいような特定の集団や秩序のありかたが存在する、という事実だ。
それは何か。著者曰(いわ)く、自分とみんな(全体)の関係では、自分の自由より全体の価値を例外なく優先させよ、全体への奉仕や全体の利益を何より大事にせよ、それができないやつに生きる資格はない(=いじめられて当然)、といった秩序感覚であり、これを全体主義と呼ぶ。
全体主義というと「国家全体主義」を想起しがちだが、会社や町内会、宗教団体などの中間集団も全体主義の担い手になりうる。こうした「中間集団全体主義」のモードが推奨される社会空間の典型例が学校だ。学級の地獄を生き抜くには、いじめへの加担こそが合理的であり割に合う。学級は人々を獣に変えるのである。
ではどうするか。著者の対案は明晰(めいせき)で明快だ。第一に、全体主義を強いる閉鎖空間がいじめの苗床なのだから、学級制を廃止する。これで「シカト」などコミュニケーション操作系のいじめは不可能となる。第二に、暴力に対しては警察や弁護士を介入させる。これで暴力系のいじめは困難となる。
こうした「いじめの社会理論」は、「マット死」事件後の現地調査で着想されたとのこと。著者はそこに「中間集団全体主義」のモードを生きる人びとの群れを見た。その意味で本書は、山形に生きる私たち全てにとって他人事ではない。だがまずは、群れの中で今にも窒息しそうな「あなた」に届いてほしいと思う。闘うための理論と希望を、本書は与えてくれるだろう。
2008-01-25
■赤塚行雄編『青少年非行・犯罪史資料』日本図書センター
赤塚行雄編『青少年非行・犯罪史資料』のパンフレットに掲載された、内藤朝雄さんの推薦文です。
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青少年問題について論じるうえでの必須資料
「近年、青少年が未曾有の危機に陥っている。彼らは道徳を失い、社会との絆が薄れ、根腐れしてしまった。」
こんなデマを飛ばし、若者に対する不安と憎悪を扇動して、さまざまな善意の、あるいは、善意をよそおった勢力が、よからぬことをしようとする。教育やサポートと称して、普段なら許されないような蛮行が、青少年に対してなされようとする。危機に陥っているのは、青少年がおかしくなったと騒ぎ立てる、おかしくなった政治家や評論家や精神科医や教育学者たちの方である。
殺人や強姦の警察統計を見れば、それが高度経済成長とともに激減し、そのまま現在に至っていることがわかる。しかし、青少年が狂ったという信念に取り憑かれた識者たちは、若者はかつて「貧しさゆえの」単純で直截な犯罪を犯していたが、豊かな現代社会では人間の自然からかけ離れた、「歪んだ」犯罪を犯すようになったのだと主張する。
ここで、若者の非行と犯罪に関する膨大な新聞記事を収集し、編年体で構成した本書をつきつけると、憎悪と不安の扇動者たちは、もう口をつぐむしかない。本書には、貧乏な時代の若者たちによる「豊かな社会に特徴的な」(と識者たちが騙るところの)非行や犯罪が、これでもか、これでもか、と出てくる。「近ごろの若者」と銘打って大々的に報道されているタイプの犯罪や非行は、昔からいくらでもあったのだ。
青少年問題についてこれから何か論じようという者は、まずこの本に衝撃を受けなければならない。発言するのは、それからだ。
本書が、図書館などで多くの人の目に触れることを願う。
2008-01-23
■学校という有害な閉鎖空間がもたらす、奴隷的境遇
『学校マネジメント 2008年1月号』に掲載された内藤朝雄さんの文章です。「学校」という空間の特殊性と、経済活動の機能について論じています。