■断食減量道までの経過 以前、2003年読書記録で紹介したことだが、「一日一食断食減量道」という減量法があり(加藤寛一郎氏提唱)、それに共感して、この5月23日から実際にそれをはじめてしまった。もう、後悔してもはじまらないので、しぶしぶつづけている。1日に1食しか食事を摂らないので、最初は正直なところ「栄養不足で死ぬんじゃないかな、病気になるんじゃないかな…」と不安が脳裏をよぎったのも事実。とりあえず、3日間だけとおもい、はじめてみた。初日は、空腹感が午後になって出てきて、胃もシクシクしてつらかった。2日目も同じ。3日目も同じ。それ以降も同じで、胃が落ち着くまでにおよそ3週間かかった。そして、死なかかった!1ヶ月も無事通過して、気がつくともうすぐ2ヶ月になる。毎日、ほぼ決まった時間に体重計に乗り、物理の実験で鍛えた観察眼で冷静にきびしく計測している。そして、それをきちんと記録に取っている。まだ、減量目標値までには到達していないが、かなり近づいてきているので、途中経過の報告ということで、最近のようすをできる限り正確に記しておきたい。 この報告に入る前に、昨年度からの体重の変遷を確認しておきたい。2002年(昨年)8月18日の体重は、80kgちょうどあった。完全に肥満であるが、記録に残っている。この次の日(8/19)から、車通勤を止めて、電車通勤に切り換えた。そして、昼食はおにぎり(小)1個にした。足の衰えの防止と夏山で痛めた足のふともものリハビリもかねて、帰宅時はよほどの風雨でもない限りは、1つ前の駅で降りて、そこから自宅まで40分ほど歩くことにした。この方法で12月下旬には75kgにまで体重は減っていた。がしかし、ここで体重は平衡状態に達したようで、これ以降はほとんど変動のないまま、今年の5月まできてしまった。夏山まであと3ヶ月。何とかあと数kgの減量をしないと…とあれこれ悩んでいたときに、加藤寛一郎『一日一食断食減量道』講談社+α新書を手に取った。これが、今回の減量作戦をはじめるキッカケになった。 まず、体重計について触れておきたい。わたしの家で使っている体重計は、アナログ式のもので、誤差は±0.5kgくらいである。指針はきちんと調整して使っている。計測は、毎日多少の時間差があるが、帰宅して汗をふき取り、着替えをして、パンツ1枚・丸首半袖シャツ1枚で測ることにした。この状態で測るのは、1日1食を摂るのは夕食であり、その前が体重が一番落ちている状態になっており、何も摂っていない状態での体重をはかるには、1日でもっとも適切なときであると判断したためだ。これは、1日に何度も計測してみて試したので、まずまちがいない。また、体重のゆらぎはふつうの人で、1日で±2kgほどあるので、低い値が出たからといって、その数値がそのまま体重とは判断していない。要は、体重が70kgというときには、夕食前の体重が68kgを指していることを意味している。実験してみてわかるが、1日に2kgくらいの体重を減らすのはじつは容易いことなのだ。1日何も食べなければ、それくらいの体重はすぐに減るのである。それと、同じ体重を最低5日ほど維持していないときには、まだゆらぎがあるという風に考え、減量はしていないと考えることにした。よくダイエットTV番組などで、1kgやせたとか2kg減ったとかいうのは、この変動のうちであり、誤差のうちと考えた方が妥当である。体重が減ったと言い切れるのは、最低でも3kgの減量値を示し、それがほぼ1週間ほどつづいているときだけだとおもう。これは、かなり厳しいことではあるが、挑戦するだけの価値あることだともいえる。 ■減量レポート 初日5月23日の夕食前に計測すると、75kgで以前と何も変わっていなかった。この段階で、相当に肥満している人の場合だと、1日でもガクッと体重が落ちることがあるが、わたしの場合、すでにかなりの減量はして長い期間平衡状態にあったため、すぐにどうなるわけではないことは、十分に承知はしていた。この状態はおもった以上につづき、ほとんど体重の減少は現れなかった。ただ、身体的には、あらゆる部位の贅肉が少しずつ取れてきたのは実感していた。これが、実際の体重減となって現れるには、時間がかかるのだろうと、じっと辛抱した。この時期は本当につらかった。体重計の針が狂っているのでは…などと何度もおもい、調べたりしてみたが、何の異常もなかった。そこで、あんまり気にしていても仕方ないので、6月20日に予定されていた人間ドックまで測るのをしばらく止めてみることにした。そして、明日人間ドックに出かけるという前日の6月19日に計測してみると、73.5kgになっていた。ドックの前夜はほとんど食事もできないため、この状態でドックでの計測になるはずである。 翌日の6月20日に、人間ドックに行き、まず体重の計測があった。ここでは、デジタル式での計測である。おもむろに乗ると、計測値は73.5kgであった。自宅のアナログ式で計測したのと誤差はほとんどなかったことになる。ここまでで、減量開始後29日目になるから、約1ヶ月かかってやっと1.5kgの減量しかしていなかった。でも、多少なりとも減っていたのと、身体の脂肪分は相当に取れてきているのは目で見てもわかったし、体脂肪率が24から17に減ったことで計測でも確認できた。それにしても、1ヶ月で1.5kgとは、本で読んだのとは相当にちがう。でも、それまでに減量を全くしていない人なら、3kgくらい減らすことは簡単なので、わたしの場合はこれでも効果があったのだとおもうようにした。 一旦、減量が確認されると、じつはそのあとはどんどん減量が進むようだ。それから8日後の6月28日には72kgまで体重が落ちてきた。この頃になると身体がかなり軽くなった感じがするのと、空腹時の胃の痛みもほぼなくなってきていた。ただ、家族の話では、口臭か体臭がするみたいだということで、これは身体の至るところについた贅肉が絶えず燃焼しているためではないかと考えた。自分ではっきりと自覚できるようになったのは、夕刻の帰宅時に歩いていると、身体が本当にじわじわと燃焼しているのを感じるようになったことだ。何せ、前日の夕食から何も食べていないのだから胃の中は空。歩くのに使うエネルギーは身体に蓄えられた分を使うしかないわけだ。身体は日増しにスリムになり、ズボンもベルトをきつくしないとすぐにずり落ちてしまうような按配になってしまった。それから5日後の7月3日には、とうとう70.3kgにまで落ちた。そして、翌日の7月4日にはついに70.0kgにまで下がっていた。じつに48日かかって5kgの減量をしたことになる。ただし、この状態が1週間はつづかなければ信用できないから、それから毎日計測したが、70.0±0.5kgの状態で、推移していた。7月10日にはそのままの70.0kgであった。この日以降は、学期末の飲み会が増えてきて、この数値の周囲を上ったり下りたりしていた。ただし±2kgの幅には納まっていたので、いわゆる体重の日内変動の幅だと判断した。この間も一日一食は継続しており、夕方からの飲み会などでも多少は理性が働いていたらしい。 ■夏山への体調整えへ 昨年の夏山で足の故障をおこし、みんなに多大の迷惑をかけてしまったので、今年の夏山までは山路さんの提言に従って、最低でも8kgの減量を心がけてきたが、ようやくそれを実現して、現在は70kgをキープしている(10kg減量)。これ以下になることもあるが、無理に減量しないようにしている。というのも、山に登れば、数kgの減量などすぐにできてしまうし、山での体力をつけておく時期になっているため、空腹を感じれば軽く食べるようにしている。身体は非常に軽く感じるようになっているのと、思考がとてもクリアになってきているのは感じる。それと、加藤氏が書いていた「意欲がわく」というのは、実際にその通りである。あとは、山で肉離れなどをおこさないように、筋力トレーニングをすこしずつしている。 山を無事下山できれば、またしても激しい反省会が待っているのだが、それで減量分がふいにならないように気をつけたい。夏山が終われば、また減量道の方は再開して、最終的に65kgで安定するようにもっていきたいとおもっている。その体重で、身体についた贅肉はほとんどそぎ落とされているはずだからだ。そのときからが、今度はそれをキープする長い生活があるわけで、むしろそのときの方がつらいかもしれない。でも、すぐに太ってしまうという体質を生まれ持ってしまった自分としては、このように自分の意志で、体重をコントロールできるようになることは大切なことかなと今にしておもう。 家族たちは、まさかここまでスリムになるとはおもっていなかったらしく「もう、無理はしないほうがいいんじゃないの。何となくお父さんらしくないよ。」などと勝手なことを言い出している。まん丸のときは、「少しダイエットした方がいいんじゃないの?」とか、言っていたものなのに。家族にしてこれである。人の意見のいいかげんさはこんなものである。自分で決めて、自分でこれでやってみるんだ、と実行してきたことなので、目標に達するまではやめるつもりはない。もちろん、これで病気になったり、死んでしまっても、それはそれでわたしの自業自得である。家族には迷惑をかけるかもしれないが、これもまたわたしの寿命だとおもう。家族には、わたしの亡き後は、自分たちでしっかり生きていくように言ってある。 歳をとると、体力の衰えと判断力の低下で、過酷な条件のある山では事故がおきやすい。ここ10年ほどで山には若者が消えて、中高年(とくに女性)が増えているのを実感する。おそらく、子育ての手が離れたのを機に山登りに目覚めた女性が大半だろうとおもうが、若い頃からの経験がないためか、無謀な行動もときどき目にする。これは、女性だけに限らず、男性にも多い。きちんと山登りの基礎から教えてくれる人が不足しているのと、山岳会やサークルみたいなのがあってもあまり入りたがらないという風潮があるからであろう。山は、天気のいいときは「自然がすてき!」などと能天気なことを言って登れるが、一旦荒れ出したら自然本来の牙をむき出してくる。わたしは今もって山は怖いので、できるだけ早く登って、登り切ったら速やかに下山することを念頭において行動している。山の研究や岩石・岩などの調査に出かける目的ならば、それなりの心構えをして登るからそれほど心配はないが、ふつうの山登りでは、素早い行動は鉄則である。山は荒れているのがふつうで、たまに見せるおだやかな表情は、本当にまれなのである。ガイドブックなどに載せられている写真などを信じてはいけないとおもう。荒天時にいかに行動するかをいつも念頭におくことと、それに対処するための体力・気力を常日頃から心がけておくことが、山登りにはとくに大切だと考えている。山は本当に甘くない。この夏の山も天気次第でどうなるかは予断を許さない。無理はするつもりはまったくないが、できる限りのアタックは試みるつもりでいる。上に述べた「減量」は、そのささやかな準備の一つにすぎない。 2003/07/27(日) 07:50 |