看護師の職場改善を要求−村上裁判
「日勤が忙しくて、帰ったのは午後10時前。寝る時間がほとんどなく、そのまま深夜勤に突入。始まったときからふらふら」、「深夜明けの後にも仕事があり、ほとんど寝ていない。すっごい、疲れたようー」…。国立循環器病センター(大阪府吹田市)に勤めていた看護師村上優子さんが2001年2月13日、くも膜下出血で倒れ、翌3月10日、同センターで息を引き取った。25歳。看護師になって、まだ4年目だった。同センターの労働条件は過酷だったが、看護職に誇りを持ち、疲労を極めながらも懸命に頑張る様子がメールに残されていた。「二度と娘のような悲劇を繰り返さないで」と、看護師の職場環境改善を求め、父雅行さんと母加代子さんらが闘ってきた訴訟に、あす10月30日、司法の判断が示される。(山田利和・尾崎文壽)
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「看護職員確保法」の早期改正を 村上さんは、1997年4月から同センターで勤務。重症患者が多い脳神経外科病棟を担当していた。しかし、厳しい労働条件から、同センターでは当時、看護師の平均在職年数がわずか2.9年に過ぎなかった。このため、3、4年目になると「中堅」に位置づけられ、村上さんは2000年から、新人の教育係を兼務していたほか、看護研究などで休日を含めて日常的に時間外労働を強いられていた。
村上さんは、「日勤」(午前8時半−午後5時)、「準夜」(午後4時半−午前1時)、「深夜」(午前零時半−同9時)などのシフト勤務をこなしていたが、業務開始前の“準備”や「定時」を超えた後の残業(時間外労働)が絶えなかった。中には、午後5時までの日勤の後、4時間の残業があり、帰宅が午後10時になり、そのまま午前零時半から始まる深夜勤に入る時もあった。一日の勤務を終えたにもかかわらず、5時間前後で次の勤務に入ることが多く、体力が回復しない状態で働くことが長く続いた。
そして01年2月13日。この日は午前11時から午後7時半までの「遅出勤務」だったが、帰宅は午後9時45分ごろになった。友人に「とりあえず帰ってきた。眠すぎる!」とのメールを送った。それから約1時間半後、「頭痛が治まらない。救急車を呼んだ方がいいかな」と友人に電話し、同センターに搬送される途中に意識がなくなった。一度も意識を取り戻すことなく、3月10日に亡くなった。
両親は02年7月31日、使用者である国の「安全配慮義務違反」を理由に損害賠償請求を求める民事訴訟を大阪地裁に起こした。過労死をめぐる訴訟で、使用者としての国に賠償を求めるのは初めての事例だった。民事訴訟では、大阪地裁が04年10月25日、「公務と発症の因果関係はない」と認定。両親が控訴したが、大阪高裁が07年2月28日、控訴を棄却した。最高裁も同年10月23日、「上告不受理」と決定し、「国の使用者責任はない」ことが確定している。
一方、公務災害の認定を求めた行政訴訟では、大阪地裁が今年1月16日、「日勤の終了から次の勤務(深夜勤)までの間隔が5時間程度しかなかった日が月平均で5回はあった」などとして、勤務実態から過重な労働による公務災害と判断し、国家公務員災害補償法に基づく遺族補償の支払いを命じた。国が控訴した大阪高裁の判決が10月30日に下される。
大阪地裁は、村上さんの時間外労働を月50時間超と算定。「過労死(公務災害)」の認定基準の月80時間を下回るが、十分な休養を取れない短い間隔での仕事を余儀なくされていたことなど、労働の量的過重性と質的過重性の総合的評価を求める認定基準にも即した判決を下した。控訴審では「日勤から深夜勤などの勤務間隔が平均で5時間程度しかなく、心身への負荷が大きかった。くも膜下出血を発症するだけの質的な過重性が認められる」と、原告側が主張。国側は、「過労死認定基準を超えていない。決められたスケジュールで働いており、変則勤務による質的な負荷はない」などと反論した。
裁判の争点となっている看護労働の変則勤務の過重性などについては、大阪医療労働組合連合会(大阪医労連)や全日本国立医療労働組合(全医労)などでつくる「看護師村上優子さんの過労死認定裁判を支援する会」(会長=脇田進・龍谷大教授)が、全国の国立病院の看護師の声を集めた「過労死する前にナースを救って欲しいと思います」と題した冊子を作成している。看護師の労働実態を示す資料として、裁判所に提出している。
冊子には、村上さんと同じ循環器病センターに勤務していた元同僚も声を寄せており、「日勤の場合は2、3時間の仮眠で深夜に入ったり、深夜の場合は帰りが昼過ぎになったりするなど、業務や残業時間が多すぎた」、「同センターは最先端の病院で、看護の内容が他の病院よりも濃く、睡眠時間が本当に少ない。夕食を食べられず、ずっと続けて勤務したことは数知れない。起きても眠く、仕事でミスをしないよう神経をぴりぴりとさせていないといけなかった。また、休日も看護研究などがあり、気が安らぐ日がなかった」などの厳しい実態を挙げている。
更新:2008/10/29 14:02 キャリアブレイン
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