コラムUNCORK
堀 賢一
テロワールの死(第3回)

 今回は、畑や区画といった最小単位のマイクロ・テロワールについて、葡萄畑を取り巻く自然環境要因のワインに現れる相対的な影響を考えてみたいと思います。

 

マイクロ・テロワール(ミクロ・テロワール)

 マイクロ・テロワールの存在とは、「ある特定の畑から生まれるワインは、収穫年に関わらず、毎年固有の個性をもつ」ことを指します。ワインの味わいに影響を及ぼす三つの自然環境要因「気候」「地勢」「土壌」のうち、ミクロのレベルにおいては、「気候」は毎年大きく変動する変数であるため、マイクロ・テロワールを構成する絶対的な個性にはなりえません。また、畑の傾斜やその方角、標高や地形、湖や川の影響といったパラメーターに代表される「地勢」は、「特異な地形によって、気候要因のインパクトを和らげたり、強めたりする、アンプの役割を演じている」ことを考えれば、絶対的なマイクロ・テロワールの個性とは畢竟、「土壌」に由来することになるのだと思います。現在、テロワールは「気候」「地勢」「土壌」に大別されて研究が進んでいますが、気候や地勢の違いがどのように葡萄やワインに影響するのかについて多くのことが理解されるようになった一方、土壌についてはまだほとんどわかっていません。土壌がワインの個性に与える影響としては、「化学的組成」「物理的組成」「微量元素」「生命相」等に分けて研究が進められています。

 

土壌の化学的組成

 フランス、特にブルゴーニュにおいては古くから、「土壌に含まれるある種の化学成分が、ワインにその畑特有の香味を与える」と考えられていたようで、この典型的な例が、「シャブリに感じられる火打石の香りは、キンメリッジと呼ばれるジュラ紀の石灰岩土壌に由来する」というものです。たしかにシャブリの、特に石灰岩含有量の多いグラン・クリュの畑のワインには燻したような香りが感じられ、川底の小石を口に含んだような、豊かなミネラル分を感じます。

 しかしながら、1967年以降に行われた畑の拡張では、キンメリッジ土壌から外れた粘土質の畑にも「シャブリ」の原産地呼称が許されたのですが、どういう訳か、こうした粘土質の畑から生まれたワインにも、火打石の香りが感じられることがあります。その一方で、地質学上シャブリと全く同じキンメリッジ土壌に覆われているロワール上流域のルイイやカンシー、メヌトー・サロンの畑のワインには、火打石の香りを感じることができません。 オーストラリアのワイン研究家であるジェームズ・ハリディは、「シャブリの特徴である緑がかった色調や火打石のような香り、川底の小石のようなミネラル分を感じさせる味わいは、寒冷な気候やキンメリッジ期の石灰質土壌に由来するとされているが、実はそれよりも、高濃度のSO2に由来している。シャブリでは伝統的に多量のSO2が使用されてきており、これがワインを脱色し、マロラクティック発酵を回避させ、長期熟成可能なワインとしてきた。こうした醸造方法がシャブリの『テロワール』を形成してきたのであり、実際、近年のSO2の使用を抑えて、マロラクティック発酵や樽熟成を行ったワインには伝統的なシャブリの個性がみられない」としています。個人的には、ジェームズ・ハリディのいうことを100%真に受けるつもりはないのですが、テロワールの幻影から醒めるきっかけをもらったような気がします。

 実際、土壌から吸い上げられたミネラルなどの物質が、葡萄やワインの香味にどういった影響を与えるかを解明しようと、さまざまな科学的研究が行われてきましたが、現在のところ、土壌の化学組成とワインの味わいに明確な相関関係は見つかっていません。すなわち、土壌に鉄分が多く含まれているからといって、ワインに鉄の味が現れるわけではなく、石灰岩土壌のワインに石灰岩の味が現れるわけではない、とされています。ボルドーだけをとってみても、表土が深い砂礫質土壌のメドックや、高密度の粘土が表層を形成するポムロールが存在するように、実際、素晴らしいワインはあらゆる種類の土壌から生まれており、必ずある種の化学組成が必要だという根拠は見つかりません。

 

土壌の物理的組成

 土壌に含まれるある種の化学成分が、ワインにその畑特有の香味を与えるという、「マイクロ・テロワール=土壌の化学的組成由来」説に多くの疑問符が投げかけられるなかで、近年多くの研究者に支持されているのが、水はけや保水性を決定する「土壌の物理的組成由来」説です。葡萄樹は根が水浸しの状態になると窒息死してしまう一方、適切な量の水分供給がないと枯れてしまう植物です。ブルゴーニュにおいて土壌が重要視されてきた背景には、その多すぎる降雨量があり、素晴らしいワインは常に、水はけの良い斜面や、粘土質の少ない石灰質土壌から生まれてきました。石灰岩は多孔質で保水性に優れ、2003年のように干ばつが続いた場合は、吸収した水分を葡萄樹の根に供給する役割を果たす一方、水分が飽和すると逆に高い浸透性(水はけ)を発揮し、降雨量が多すぎる時に水分を下層土へ流してくれます。

 同様にして、ボルドー左岸やシャトーヌフ・デュ・パプ、モーゼルの「テロワール」を形成する要因とされてきた表土に多く含まれる岩石や小石は、物理的に畑の水はけを良くし、また、熱を蓄積・放射します。17世紀から18世紀にかけて、シャトー・ラトゥールの当時40ヘクタールほどの畑は19の区画に分けられていましたが、その区画分けの指標のひとつになったのが表土に含まれる石のサイズでした。小さめの石が多く含まれる区画のワインは経験的に質が劣るとされ、当時でもシャトー名を冠するワインには使われていなかったといいます。現在においても、小石混じりの区画は緩やかな斜面の底部にあり、粘土質が多く、水捌けが悪いため、セカンド・ワインにしか使われていません。

 こうした、土壌の物理的組成の重要性が解明されてくると、ニュー・ワールドのテロワールを考える上で気候や地勢ばかりが強調され、土壌が実務的にほとんど考慮されてこなかったことと整合性が取れるように思われます。というのも、新世界の産地の多くは灌漑が必要なほど乾燥した気候であるため、土壌の水捌けはさほど重要ではないからです。また、近年開発が進んでいるニュージーランドの、葡萄樹の生長期に降雨量の多いセントラル・オタゴで、例外的に土壌が重要視されている理由も理解できます。

 こう考えてくると、マイクロ・テロワールとして「この区画は斜面で表土が薄く、水はけが良いために、収穫される葡萄の果粒は小さめで、毎年収量は少ないものの、斜面の下の区画よりも熟れたニュアンスのある、色が濃くて凝縮した味わいの赤ワインが生まれる」とか、「粘土質の平坦な区画なので水はけが悪く、ワインはエレガントなスタイルになるが、湿度の高さからシャルドネの房の一部にボトリティスがつき、ワインに微妙な複雑味を与える」といった、比較の上での相対的なテロワールは説明がつくものの、「ロマネ・コンティにはいつも八角のニュアンスが感じられる」とか、「サン・ジュリアンのワインは田舎くさい土の匂いがする」といった、我々により馴染みのある絶対的な個性というのは説明がつかなくなります。