テロワールの死(中編)
今回は、「テロワール」を「葡萄畑を取り巻く気候や地勢、土壌といった自然環境要因が、ワインの風味に与える影響」と定義し、その規模によって、ボルドーやカリフォルニアといった大規模なテロワール(マクロ・テロワール)と、シャブリやバローロといった原産地呼称上の村程度の規模のテロワール(メソ・テロワール)に場合分けして、葡萄畑を取り巻く自然環境要因の、ワインに現れる相対的な影響を考えてみたいと思います。
マクロ・テロワール
ボルドーやカリフォルニアをひと括りにし、一般論として語ることにやや不安を覚えるのですが、誤解を恐れずにいえば、私自身が現在、有意差をもってブラインド・テイスティングで「テロワール」を知覚できる限界は、このマクロ・テロワールのレベルでしかありません。すなわち、ボルドーとカリフォルニアのカベルネ・ソーヴィニョンが主体となった赤ワインが目隠しの状態で供出され、「ボルドーか、カリフォルニアか、答えよ」といわれた場合、常に5割以上の確率で正解を答えられるのは、おそらくここまでです。
このブラインド・テイスティングで用いる推定の根拠には、「葡萄畑を取り巻く気候や地勢、土壌といった自然環境要因が、ワインの風味に与える影響」だけでなく、産地による葡萄栽培や醸造技術の違いとか、産地固有のクローンの影響も、意識的であれ、無意識的であれ、考慮していると思います。例えば、カリフォルニアとブルゴーニュのシャルドネのブラインド・テイスティングを同様にして行った場合、色調の濃いもの、オークやマロラクティック発酵のニュアンスの強いものをカリフォルニアと答える傾向にあると思います。しかしながら、現在のボルドーとカリフォルニアのカベルネ・ソーヴィニョンに関していえば、醸造技術に大きな違いはみられなくなっており、顕著な違いがあるとすれば、それは収穫のタイミングでしかありません。収穫時の糖度や酸度、生理的成熟の度合いの違いから、「ボルドーのカベルネ・ソーヴィニョンは渋みが強く、果実味がひかえめである一方、カリフォルニアのカベルネは渋みがおだやかで、果実味に富む」といった個性の相違が生まれていると考えられるのですが、これは自然環境要因の中の「気候」に由来すると考えることができます。
すなわち、秋に雨が降ることが多いボルドーでは、果実の理想的な完熟を待たずに収穫を行わなければならないことがあり、そのため、伝統的に果実味のひかえめなワインが生み出されてきた一方、カリフォルニアの強い日差しの下で糖分の蓄積が加速されたカベルネ・ソーヴィニョンは、潜在アルコール度数が12.5%程度の段階ではフレヴァーの成熟が追いついておらず、この時点で収穫してしまうと、味わいの薄いワインにしかなりません。フレヴァーの成熟を待ってから収穫するようになった近年では、アルコール度数が14.5%に達することも珍しくありません。
また、「アメリカ人は果実味に寄ったスタイルのワインを好むのに対し、フランス人は飲み飽きしない、控えめな味わいを求めるため、それぞれの国のワインには明瞭な個性の違いが生まれる」という、主要な消費者の嗜好がワインの味わいに影響する、という意見もありますが、それは低価格帯のブランド・ワインでは正しいものの、1本1万円を超えるような高級ワインでは、この限りでないと思います。実際、アメリカ人はボルドーのトップ・シャトーの最大の顧客でもあります。
近年、オーストラリアやニュージーランドでも高品質のリースリングがつくられるようになってきましたが、最良のモーゼルのように、低いアルコール度数でありながら、熟れた果実味をたたえるデリケートなワインはいまだに生まれていません。モーゼルのリースリングはおそらく、気候がマクロ・テロワールの個性に強い影響を与える要因であることの証左であり、オーストラリアやニュージーランドでモーゼルのスタイルのワインが造られていないことが、人間がマクロ・テロワールに逆らって複製を作ることができない証明となっています。
メソ・テロワール(サイト・テロワール)
マクロ・テロワールを考える上での重要な要素が「気候」であるとすれば、気候区分上は大きな違いのみられないマルゴーやリストラックといった、メソ・テロワール間の個性を際立たせるのに大きな役割を担っているのは、畑の傾斜やその方角、標高や地形、湖や川の影響といったパラメーターに代表される「地勢(地形)」だと思います。南イタリアのファレルヌムやモーゼルのマキシミン・グリュンハウス、ブルゴーニュのクロ・ド・ヴージョにみられるように、古くから人々は斜面の位置によってワインの味わいが異なることを知っていましたし、葡萄栽培の北限にあたる北緯50度のシュロス・ヨハニスベルクの畑では、南向きの急斜面であることに、南側を流れるラインの川面からの照り返しが加わって、レモンすら結実しています。カリフォルニアのナパ・ヴァレーで、朝日を浴びる西側斜面のマウント・ヴィーダーのカベルネ・ソーヴィニョンが複雑味のあるスタイルになるのに対し、夕日を浴びる東側斜面のスタッグス・リープ・ディストリクトのものは、タンニンのよく重合した、男性的なワインとなります。
メソ・テロワールを考える上で話を複雑にしているのは、カリフォルニアのAVAに代表される新世界での原産地呼称の線引きが気候や地勢、土壌といった科学的なパラメーターに準拠しているのに対し、フランスのAOCに代表されるヨーロッパでの区分の多くが、因習的に行政上の境界を踏襲してしまっていることです。例えば、メドックでは古くから、畑からジロンド河までの距離がワインの質に大きな影響を与えることが知られていましたが、実際の原産地呼称の線引きはジロンド河に並行してではなく、ジロンド河に直角になされています。メソ・テロワールの線引きがジロンド河に直角ではなく、並行して引かれるべきなのは、多くのヴィンテージで証明されており、例えば1964年には、収穫期後半の長雨でカベルネ・ソーヴィニョンが壊滅的な被害を受けたのですが、ジロンド河に面したシャトー・ラトゥールやシャトー・モンローズの畑では、夜間の河水の放射熱によって葡萄果の成熟が早く進んだため、雨が降り出す前に収穫がほとんど終了し、例外的に素晴らしいワインを生み出しました。また、2003年のメドックは、夏の異常な熱波によって果実がレーズン化してしまったり、根の浅い葡萄樹が枯死してしまうという被害に見舞われたのですが、ジロンド河沿いの畑は河水の冷却作用によって日中の最高気温が抑えられ、果実の被害は軽微でした。
このように、ジロンド河からの距離によって「テロワール」がワインに刻印されているにも関わらず、メドックにおける原産地呼称上の線引きは因習的に行政上の境界を踏襲し、ジロンド河に対して直角になされています。同様にして、標高が100m上がるごとに気温が0.6度下がることを考えれば、250〜550mの海抜高度に広がるキアンティ・クラシコのさまざまな畑を同列に考えることはできません。
次回は、畑や区画といった最小単位のマイクロ・テロワールについて、葡萄畑を取り巻く自然環境要因の、ワインに現れる相対的または絶対的な影響を考えてみたいと思います。