http://blogs.yahoo.co.jp/higasitoyokazu/45050495.h..
http://jp.youtube.com/watch?v=eH0AW9IEl3s
週刊朝日 2008年9月12日号
追求スクープ
新銀行東京
内部データー入手
<600件を超える「口利き」のなんと3件に1件は公明党関係者からだった。
太田代表やあの元都議の名も。
公明都議に献金した企業主、融資直後の破産企業続出……
経営難に苦しむ新銀行東京に、都民の厳しい目が向けられている。本誌が内部データをもとに、石原慎太郎・東京都知事(75)のファミリー≠スちの名が挙がったロ利き@Z資を追及した特集(7月18日号)は、銀行内外に大きな反響を呼んだ。しかしさらなるデータ収集を積み重ね、再度調べていくと、その紹介案件の多くに、『生活に直結」とスローガンを掲げるあの政党≠フ姿が見えてきた。
東京都民の深いため息が聞こえてきそうだ。
新銀行東京は8月29日、今年6月末までの四半期決算を発表した。37億円の赤字で、2009年3月期では126億円の赤字の見通しだという。本来の業務による儲けを示す「業務粗利益」は、前年同期比74%減のたった4億円弱。一方の営業費用は20億円以上かかっており、前年同期と比べて約6億円しか減っていない。これまで1400億円もの血税をつぎ込んできたのに、いまだに毎日、赤字を垂れ流している始末だ。 新銀行がここまで窮地に追い込まれた背景には、開業以来続けられてきた、ずさんな融資の実態がある。本誌7月18日号では、独自に入手した銀行の内部データをもとに、新銀行ではびこる′利き@Z資の実態と石原都知事周辺との関係を詳報した。05年4月の開業から行われていた′利き∴ト件の詳細が浮かび上がったわけだが、今回入手したデータもあわせて精査していくと、その案件の多くが、新たに、ある共通項でくくられていることがわかった。
その共通項こそが「公明党」なのである。
新銀行の関係者は言う。「現世利益重視、といいますか、庶民に対する直接の利益を重視している公明党だけに、さすがというのか、口利き件数も多かった。公明党は都議だけでなく、政調会といった事務局までが紹介をしていたのです」
内部データによれば、600件超ある′利き∴ト件のうち、公明党関係者による件数は200件を超えている。実に3件に1件の割合なのだ。
それを一覧にしたのが152nの表だが、特に現在22人いる公明党都議に至っては、1人を除く全員が♂c業≠オていたことになっている。そのほか、党代表である太田昭宏衆院議員や区議の名前まで登場している。
都議会公明党といえば、経営難の新銀行を清算する方向で都と話し合いを進めてきたにもかかわらず、最終的に都が400億円を追加出資することを与党として議会で了承したという経緯がある。いわば、新銀行を延命≠ウせた張本人が、そもそも新銀行の融資に深く関与していたことになるのだ。
ではいったい、公明党関係者たちはどのような融資先を新銀行東京に紹介したのか。 本誌ではまず、実際に融資が実行された記録のある企業を中心に行方を追ってみた=155n表。すると驚くべきことに、60以上ある、その対象企業のうち、すでに廃業、破産、休業、もしくは、登記上は存在するが企業そのものも経営者も行方のわからないケースが約15件、実に「25%」にも迫ることがわかった。
もしや新銀行は融資を踏み倒されたのでは――そんな疑念もよぎる。破綻した企業の経営者らはほとんど行方がわからず、連絡が取れない。ゆえに、借金を返したのかどうか確かめることさえできないありさまだ。 こうした企業への融資額は1千万円から2千万円のケースが多い。ちなみに07年末に新銀行が公表した融資企業のデフォルト(債務不履行)率は「4・6%」。それと比較しても異常な割合なのだ。
具体例を示そう。
まずは、会社があったのかどうかすら疑わしいケースである。
登記はあるのに消えた融資先
江東区選出の木内良明都議、あるいはその関係者が口利き≠したとされる文京区内のA社は商業登記上、ソフトウエア開発が主な業務となっている。新銀行に登録がある電話番号は「現在使われておりません」と不通状態。登記にある所在地のビルにも会社はない。ビルの大家に尋ねた。「ああ、その会社なら昔、部屋を貸していましたよ」
古い帳簿をひもときながら、大家はこう続けた。「03年の1月から入居していましたね。でも、その年の9月から家賃が滞って、その年の12月には退去しました」
03年の12月といえば、新銀行は準備室すらできていない時期だ。新銀行には05年夏に融資があったと記録されているが、どういうことなのか。しかも商業登記にある経営者の近畿地方の自宅は、97年の時点で競売にかけられていた。
次は、東京都町田市内にあるシステム設計のB社。八王子選出の東村邦浩都議と町田市選出だった谷口卓三元都議、あるいはその周辺の紹介で融資を受けたとされる。代表者住所と法人所在地は同じだが……。
静かな住宅街の一角にあるその住所を訪ねてみると、表札は白く貼りかえられたひとけ様子で、人気もない。近所の住人は、「半年前に引っ越しましたよ。今は誰も住んでない」 と言う。B社の名前についても聞いてみたが、「いいえ、そんなの見たことありませんよ。普通に個人の名前だけです」
そこで念のため、登記上、B社が以前あった住所を訪ねてみると、その大通りに。面したシャッターは閉まっていて、ポストは錆びていた。隣人は言う。「ああ、そこは、何十年も前から聖教新聞の販売店でしたよ。ここ数年は、閉じてるみたいだけど」
言うまでもないが、聖教新聞は公明党の支持母体である創価学会の機関紙だ。だが結局このB社も、その後の足取りはっかめず、融資を返済したのかどうかはわからずじまいだった。
福生市のC社は、食品の生産販売業を営んでいるはずだが、住所を訪ねてみると、代表者名と違う個人の住宅があった。その家の住人に聞いてみた。「2年ほど前に年配の男性が訪ねてきてね、そのC社に電気製品を売ったらしいんだけど、その代金がもらえなくて困ってるって言ってましたよ。でも私たち、ここにもう10年近く住んでますから」 念のため、隣の家にも聞いてみると、「1年くらい前だったかしら、何の用かわからないけど、赤い車に乗った女性がC社を探してるって来ましたよ」 C社の代表者住所は新宿区内にあったが、そこは零細企業があまた入居する雑居ビルで、代表者の住居は見つからなかった。
繰り返しておくが、A社、B社、C社のいずれも、現時点で法務局に提出している登記の上では、取材で訪問した場所に存在することになっている。新銀行の記録に間違いがなければ、新銀行東京はこうした幽霊会社≠ノ融資をしていたことになる。
以上のようなケースに比べると、ごく短期間だけでも実際に存在した融資先は、まだマシなほうだ。
千代田区の食品開発会社D社は中野区選出の故・橋本辰二郎元都議の紹介で、新銀行から融資を受けたというデータが残っている。だが所在地とされる住所にD社はなく、代わりによく似た名前のコンサルタント会社があった。関連会社かと思い話を聞くと、これまた奇怪な事情があった。「2年半ほど前でしょうか。知人の紹介でD社の社長が事務所の一部を貸してほしいと言うので、貸してあげました。でも家賃がもったいなかったのか、1、2カ月で『自宅でやります』と言って引き揚げたんです。D社は、珍しい海外の塩や水を輸入する会社だったのですが、新しく海外で炭を作って輸入する事業を始めるというので協力した。聞く限り、そのプロジェクトは失敗したようです。新銀行からも確かに融資を受けてたようで、1年くらい前に支店の人が来ましたよ。実はうちも500万円の資金協力をしたけど返してもらってない。新銀行も返してもらってないでしょうね」 D社の代表者の自宅を訪ねると、夫人とおぼしき女性が中から出てきた。D社について聞くと、「ああ、それは今、休業中です。主人は別のところに働きに行っていて、毎日夜遅くまで帰ってきません」と言う。借金だけは返すべく、苦労して働いているのだろうか……。
中には、時にはあったり、時にはなかったりする.摩詞不思議≠ネ会社もある。
中央区内のコンサルタント会社E社は、前出の木内良明都議の紹介があったとされている。だが、電話番号は使われておらず、入居しているはずのビルの郵便受けにもE社の名前はない。だが、ビルの関係者によれば、「関係会社数社とひとつの部屋に同居しているはずだ」という。
ならば、その関係会社にE社の消息を聞こうとしたが、不在。数日後に再訪すると、ドアにかかっていたはずのその会社の看板がない。そこで隣人に聞くと、「ああ、そこの看板はマグネットみたいな板でくっついてるだけだから、出てたり、出てなかったりするんですよ」……。世の中いろいろである。
融資を受けたとされる企業の中には、廃業前のドサクサのタイミングを見計らって、新銀行から借金したと思われる会社も複数あった。要は、「借り逃げ」とでもいうのだろうか。その一つが、公明党政調会が紹介したとされる葛飾区の運送会社F社だ。
電話は何度かけても出ない。所在地に行くと、築数十年とみられる古いガレージのような建物に、ところどころ剥がれたペンキでF社の名前が書かれていた。建物には公明党の野上純子都議のポスターが3枚貼ってあった。
外階段の上に事務所らしき一室を見つけたが、入り口の扉は開けっ放しで、01年ごろのカレンダーや書類がそのまま放置されていた。まるで突然、人がいなくなって、そのまま数年たってしまった様子である。
1階は住居のようで、声をかけてみると、中から高齢の男性がランニングとステテコ姿で出てきた。「こちらはF社ですか?」 と記者が尋ねると、「ああ、そりゃ、もう10年以上前に代替わりしていて、ワシにはわからん。息子に代わったから。息子ももう何年かな、だいぶ前から仕事はやめてますよ。ここには帰ってきません」 と男性は答えた。
企業代表者宅に不可解な抵当権
しかし、だ。F社の代表である男性の息子の住所は、この建物である9不動産登記を見ると、この建物は今年3月、金融機関から債権を引き受けたとみられる東京信用保証協会に差し押さえられ、裁判所から競売開始の決定を受けていた。
一方、F社の商業登記からは、新銀行からの融資を受ける1年近く前の06年5月に代表以外の役員が全員退任し、07年12月から破産手続きが開始されていることがわかった。
さらに、この建物には不可解な抵当権が付いていた。新銀行から融資が実行されたはずの07年4月から約3カ月後、同じ葛飾区内の別の男性が、個人で1千万円の根抵当権仮登記を設定しているのだ。登記をそのまま読めば、男性はF社の社長に1千万円を貸したことになる。
どういうことなのか。企業経営に詳しい弁護士に、この状況を聞いてみた。「要するに、会社が危なくなったので06年5月に役員が全員逃げて、その後、代表者も破産することで他の借金の保証から免れたということでしょう。中小零細の場合は、必ず経営者の個人保証を取りますから。個人が妙な抵当権をやたらと付けるのは、一昔前の金融屋の典型的な競売妨害の手口で、処分するときに少しでもカネを取るためです。それにしても、こんなにベタベタに抵当権が付いた資産しか持っていない経営者に、どうやって新銀行は融資の稟議を通したのか不思議です」
なるほど、他にもF社のように、破産寸前に個人が妙な抵当権を仮登記しているケースが、確かに複数あった。
もっとも、経営者の個人保証という観点から言えば、もともと保証能力があったか疑わしい融資先も多くある。たとえば、冒頭に紹介したA社は、代表者の自宅は相当以前に競売にかけられていた。
杉並区のG社も、05年11月に新銀行東京から融資を受けたはずだが、それから1年足らずの06年10月に破産手続きを開始している。登記上、会社が所在するはずの建物のポストには、ビニールがグルグルと巻きつけられて破れていた。
近所の人は、「もう10年はこんな感じで、誰もいませんよ」
別の場所にある代表者住所の近所の人はこう言う。「ちょうど1年ほど前に、家族5人で引っ越したようです。家で仕事もしてたみたいですけどね。どうやら創価学会の幹部だったらしくて、引っ越す2、3日前から老若男女、いろんな人がたくさん挨拶に来ていました。毎晩、ウォンウォン拝んでる声が聞こえてたカら、学会の信者だな、とは思っていたんですけどね」
こうしたF社、G社について、先の弁護士は、「破産手続きを開始するまでに準備期間が数カ月はかかるはずだから、すでに破産が見えたころに借りた、ということも考えられる」
と指摘する。
取材した中には、紹介者とされる議員に政治献金をしていた企業もあった。
新宿区のH社の代表者は、05年6月に練馬区の石川芳昭都議に10万円を献金している。そして銀行のデータによれば、そのーヵ月後の7月、石川都議からの紹介があったとの記録がある。この献金が何らかの見返り目的だったと考えられなくもないが、H社の所在地も代表者の住所も、約2年前から別人が住んでいて、まったく連絡がつかなかった。 本誌は、これまで述べたような具体的な事例を挙げつつ、OBも含めた各議員や政調会の′利き≠フ事実について都議会公明党に質間したところ、中嶋義雄幹事長名で回答があった。「どのような問題であれ、住民や事業者の方々から相談を受けた場合、誠実に対お金を守る生活防衛術9鳥目発売!定価58。円(税込)応ずることは議員として当然のことであります。融資の相談についても同様であり、その場合、都産業労働局金融監理室を紹介し、相談に当たってもらうことになります。その上で融資の申し込みをされた場合、融い資の可否の判断は当然のことながら、金融機関の審査によるものであります」
融資を希望する際は公明党に相談すれば、「誠実」に対応してもらえることだけは確からしい。だが、融資の実行については新銀行に下駄をあずけた格好だ。
太田代表案件@Z資断られ失踪
事実、相手が大幹部だろうが断っていることを示す記録もあった。
内部データでは、太田昭宏代表が紹介したとされる北区の福祉関係企業は、新銀行から融資を断られた、とある。この企業は1年ほど前の夜、トラックで荷を運び出し、*體ヲげ〃をしたと近所の住民が証言するが、太田事務所は、「新銀行東京に、太田事務所では紹介しておりません」 と回答している。「新銀行は、審査の厳しさを外部に誇示するために、わざとこうしたデータをデッチ上げたのかもしれません」(新銀行関係者)
いったい新銀行は何を考えているのだろうか。「当行においては、どこからのご紹介でありましても、通常のお申し込みと同様の手続きを経て、厳正な審査を実施しております。融資実行に際しては、必ず対象企業への訪問を実施しております。また、ご紹介いただきました融資の審査結果について、お客様の同意なしに外部にお伝えすることはございません」(総合企画部企画チーム)
対象企業を訪問しているというが、新銀行の開業より1年半も前にいなくなった企業もある。こうしたケースについては、「個別の融資案件に関する事項については、お答えできません」(同)
の一点張り。新銀行東京の渉外体制のデタラメぶりに対する不評は、借り手の企業からも聞こえてくる。公明党関係者の紹介融資先の中にも、まともに審査を受けて、融資を受け、まともに返済している企業も当然ながら数多くある。
千代田区のI社は、「公明党のドン」と呼ばれた元公明党最高顧問の藤井富雄元都議の紹介で融資を受けたとのデー汐があるが、社長が首をかしげながら丁寧に説明してくれた。「40年近く役所の仕事もしてるわけですから、政治家の先生の後援会活動はずっとしていますよ。藤井先生の後援活動も、もう30年以上続けています。新銀行からの融資の件も先生にお話ししたことはあると思いますが、融資を無理やり頼んだわけではありません。それどころか、1度目の融資で、たまたま剰余金ができたときに繰り上げ返済したんですが、新銀行から逆に相当な難色を示されましてね。苦労して交渉してやっと返させてもらった。それがよっぽど新銀行の気に障ったのか、その後、新たに融資をお願いしたら断られました。そうしたときに、先生に相談はしましたが、その後、どうしてくれたのかは知りません。新銀行の開業時は、先生たちもいろいろと尽力されたようですけど、いま新銀行の話をすると、頭が痛い、っていう顔をしてますよね」
貸さない銀行に存在の意味なし
また、新宿区のJ社は、やはり藤井元都議の紹介案件と記録されているが、これも実際は異なっているという。経理担当者が言う。「藤井先生とは、先代の社長の自宅が近所だったんで、ずっとお付き合いしています。でも融資は、先生に紹介してもらったわけじゃない。開業直後に大手町の本店に行って、普通に融資の申請をしました。『3日で審査』を売りにしていながら、結局ーカ月近くかかった。こんなことなら、もともと取引のある銀行のほうが早かった」
担当者の新銀行への不満は尽きない。「われわれ中小企業にとって、きっちり返済して信用を得た金融機関がいくつあるかというのは、非常に重要な問題。命綱とも言えるものです。だから、新銀行とも、何かあったときのために開拓するつもりで取引を始めたのに、今ではもう貸さないんでしょ。まったく意味がなかったよね」
新銀行東京は、中小企業のために設立されたはずだ。しかしいまや、その中小企業の信頼も失いつつある。それでもしぶとく巨額の営業費用に都民の税金を垂れ流している。さっさと世の中から退場することこそが、都民のためになるのではないか。
本誌取材班