2005-12-31 お帰りなさいご主人様
今日は大晦日です。
大晦日には、「どうぶつの森」をやらないことが目標です。
テレビがあるのに紅白を見ないことのほうが、はるかに簡単な気がします。
でも、「どうぶつの森」の中でカウントダウンに参加したら、わたしはいつまで経っても、人の顔色ばかり伺う、卑屈な人間のままです。
好んでカウントダウンに参加するのならいいんです。
本当はどうぶつたちとカウントダウンするより、近所の神社に行くほうが楽しそうだな、と思っているにもかかわらず、翌日、どうぶつたちが「昨日は楽しかったね」とか話してたらどうしよう……
疎外感に耐えられない……
そんな気持ちから、仕方なくどうぶつたちと一緒にカウントダウンするのは、自分のためにもよくないし、やっぱりどうぶつたちにも失礼だし、悪いし、嫌われるし……
きっとすでにどうぶつ全員から嫌われてるし……
あぁ!!
やっぱり他人に失礼とか、悪いとか、人の顔色ばかり伺ってしまいます。
こんなだから、近所の小学生とかにも、まともに挨拶ができないんです。
小学生相手に、どもったらどうしようとか、そんなことばかり考えてしまうからいけないんです。
来年の目標は、「どうぶつたちに嫌われてもいい」という、強い精神力も持つことです。
その前に、一緒に暮らす天才に、「わたしはちょっと、わたしの世界に帰ってくるから」と言って「どうぶつの森」をやり始めるのは、やめたいです。
2005-12-29 えんぴつけずり
スナネズミが、帯を巻くようになった。
シュルシュルと帯をほどけば、やっぱり、「あ〜れ〜」と言うのだろうか。
メスだから、きっと言うのだと思う。
あるいは、帯に見えるけれど、帯ではなく、鞍なのかもしれない。
「そんなもの背負っていては重かろう」と、鞍を取ってやるのもいい。
でも、鞍と定義すると、「シュルシュル」ができなくなってしまう。
せっかくだから、「シュルシュル」したい。
彼女の腰に巻かれているのは、帯だと思う。
確実に、帯である。
帯と断定したところで、シュルシュルほどいてみることにした。
わたしが帯に手をかけると、彼女は哀しい目をして言った。
「帯だけでなく……、着物も着てみたかった」
本当に、本当に切ない声だった。
わたしは、彼女の帯をほどくのをやめた。
しばらくすれば、彼女の毛色は、いま帯に見えている部分と同じくらい濃い茶色に変わるだろう。
すっぽりと着物に包まれた体は、帯だけ巻かれているよりも、エロティックだ。
……、と書きつつ、「それは当たり前だろう」と思った。
「全裸に帯」の女は、「全裸に腹巻き」のおじさんと同じくらい情けない。
2005-12-27 愛はバスの外にある
わたしはバスに乗っていた。
信号待ちでバスが止まったとき、同じく信号待ちで停車している乗用車の運転手が、思いっきり鼻をほじっているのが見えた。
その男性は、これでもかというくらい、小指を鼻の穴に突っ込んでいた。
どう見ても鼻をほじっているのだけど、実際問題、他人が何を考え、なんの目的で行動しているのかなんてわからない。
わからないのなら、できるだけ、他人のことを良いほうに想像したい。
小指で思いっきり鼻をほじっている男性……、彼は実は鼻をほじっているのではない。
ただ、鼻毛を指で鼻の奥に追いやっているだけなのだ。
なぜそんなにも鼻毛を気にするのか。
それは……
彼がこれから、最愛の女性に会いに行くからだ。
彼女は、記憶喪失で不治の病で、それから電車の中で酔っぱらいにからまれたり、エルメスのティーカップをくれたりもする。
そんなキュートな女性とのデートを控えた彼が、車の中で鼻毛を鼻の奥に追いやるのを、誰が止められようか。
世界は愛に満ちている。
愛に満ちているはずなのに、バスを降りようとしたら、バスの運転手の陰謀で、ドアに挟まれそうになった。
愛には障害が必要だ。
やはり、世界は愛に満ちている。
2005-12-24 名前書き取り
数日前に結婚し、名字が変わりました。
新しい名前は、山田にえです。
……、ウソです。
画家のピエール・モリニエから頂戴した(パクった)ハンドルネームなので……
「森」を「山田」とか、「田中」に変えてしまうと、もう、なんのことやらさっぱり……、になってしまいます。
で、森にえとは別にある、本名のほうが変わったわけなんですが、まだ、新しい名字をまともに名乗ったことがありません。
一昨日、クリスマスケーキの予約をするとき、新しい名字を口にしたら、店員さんに、何度も何度も聞き返されました。
やっと聞き取ってもらえたと思ったら、「◯◯さんですね」と確認された名前が、全然違う名前でした。
昨日はクリスマスプレゼントを買いに行き、ラッピングを頼むときに、名前を名乗る機会がありました。
「ラッピングが終わりましたら、お呼びしますので、お名前頂戴してよろしいですか」
という具合に、訊ねられました。
『はいはい。ぜひ、頂戴してください。わたしは新しい名字を名乗ってみたくてしょうがないんです』と内心思いながら、名乗ろうとした、そのときでした。
38.7度の熱を出してからまだ日が浅いので、体調が万全ではありませんでした。
ちょうど、名前を口にしようとした瞬間に、立ちくらみがして、倒れそうになりました。
倒れそうになりながらも、名前を名乗り、ラッピングをしてもらいました。
その前後の記憶が曖昧です。
今日、天才に宅配便が届き、伝票にサインをしました。
新しい名字を書きました。
でも、それはすでに100回くらいやっていることなので、何の感動もありませんでした。
今までずっと、天才宛に来た宅配便の伝票に、天才の名字でサインしてきたからです。
天才の名字を伝票に書いて渡すたび、「わたしって何ものなんだろう」と、思っていました。
今日も、伝票にサインしながら、「わたしって何ものなんだろう」と思いました。
今までと違って、ウソの名字を書いたわけでもないのに。
新しい名字に慣れるため、漢字書き取りみたく、ノートにびっしり名字を書いてみようかと思ったけれど、天才に見られたら怖がられそうなので、やめました。
2005-12-19 『どうぶつの森』きちがい
たぬきから、家を買った。
正確に言うと、強制的に買わされた。
さらに、家のローン返済のため、たぬきの経営する店で、バイトさせられた。
バイトはつまらなくて、こんな生活いやだなぁ、と思った。
たぬきにおつかいを頼まれるたび、寄り道をして、道ばたに生えてる木を蹴った。
木を蹴ると、リンゴが落ちてきた。
それを鞄にいっぱい詰めた。
一生、リンゴを拾って生きていくのもいいな、と思った。
それを売って生活すれば、わたしの職業は「リンゴ売り」。
なんて文学的な仕事なんだ。
たぬきの店でのバイトをやっと終えた。
バイト代は、ローン返済に充てた。
面倒な労働のあと、手ぶらで帰るというのも虚しいので、バイト時間中に寄り道して拾ったリンゴを、たぬきに買い取ってもらった。
少しお金になった。
「はぁ、くたびれた」
家に帰ってドアを開けると、そこには、ロウソクとラジカセしかない、わたしの部屋があった。
多額のローンが残る……、ボロ屋。
ベッドに横になっても、なかなか寝付けなかった。
耳鳴りがする。
寒気もする。
体温計で熱を計ってみた。
38.7℃あった。
こりゃいけない、と思って、おでこに冷えピタを貼った。
さらに、太ももとか首すじ、腋の下など、動脈のありそうなところに、ペタペタと冷えピタを貼った。
そして目を閉じた。
この何もない、誰もいない部屋で、明日、何を食べて生きようか……、不安になった。
『そうだ!わたしにはリンゴがあった!!』
リンゴはどこかと、鞄の中をごそごそ探した。
でも、わたしの鞄の中には、リンゴはひとつも入っていなかった。
『おかしいなぁ。たぬきに8個売って、2個はとっておいたはずなのに』
もう一度探してみたけど、やっぱり鞄の中にりんごはなかった。
熱が出たときこそ、リンゴが必要なのに……。
おろし金で擦って、擦ってるうちに茶色く変色したりんごを、まずいまずいと食べる……
熱が出たからには、それをなんとしてもやりたい。
明日また、リンゴを拾いに行こう。
それか、コンビニに買いに行こう。
そのためには、一晩で、外出できるまでに回復しなければならない。
でも、もしかしたら、明日になれば、リンゴが鞄の中に戻っているかもしれない。
目が覚めたら、熱を計るより何より、鞄の中を見てみようと思った。
そう思いながら、眠った。
2005-12-10 ドラえもんにはできるかな?
わたしと天才が同棲を始めてから、1年が経った。
そろそろ良い頃合いではないかと、どちらからともなく言い出した。
いや、むしろ遅すぎたのかもしれない。
もっと早く行動を起こしていても良かった。
今となってはそう思う。
わたしたちの起こすべき行動……
それは、デパートに行って、てきとうなカーテンを買ってくることだ。
わたしたちは、1年間、カーテンのない部屋で生活していた。
服を着替えるとき、洋室とリビングの間にある戸を閉め、リビングで着替えをした。
ベランダの工事があったときにも、業者の人と窓越しに目が合うのが嫌で、同じようにしてリビングで過ごした。
あぁ、やはりわたしたちは行動を起こすのが遅すぎた。
もっと早くにカーテンを買っていれば、こんな不便な生活をせずに済んだのだ。
しかし、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。
今を生きよう!
ということで、デパートに行き、カーテンを買ってきた。
わたしたちは2人で、カーテンの付いた部屋を見ては、微笑み合った。
やっと、1人前の人間になれた気がした。
でも、このとき、カーテンの本当のすごさに、わたしたちは気付いていなかった。
翌朝、メールチェックのために洋室のパソコンに向かっていた天才が、突然立ち上がって、興奮した声で言った。
「カーテンすげぇ!カーテンすげぇよ!!光、遮ってるよ」
それまで、昼間にパソコンに向かうときは、眩しくてモニターが見辛くても、それはやむを得ないことだと思っていたらしい。
そんな一部始終を、先日美容院に行った際、雑談のひとつとして、美容師の女性に話した。
すると、彼女が訊ねた。
「他にも、足りない物とかないんですか?」
「え〜っと……、タンス。タンスがないですね」
服は押し入れの中に直接、たたんで置いている。
だから、押し入れのふすまは、タンスで言えば引き出しのようなものである。
そう考えると、うちの押し入れは、タンスと何ら変わらない。
もはや、うちにはタンスがあると言っても過言ではないのではないか……
でも、実際、「タンスがない」と口にして以来、あるべきタンスがないことが、気になって仕方ない。
ここ数日、通販雑誌を開いては、タンスのページばかり見つめている。
しかし、タンスを買うにあたって、ひとつ問題がある。
長年使ったタンスを捨てるのは、けっこう勇気がいることだ。
寂しさがともなったりもする。
それと同じように、1年間タンス代わりに使っていた押し入れをお払い箱にするのは気が引ける。
「さぁ、押し入れさん。今まであなたには、タンスとしてよく働いてもらったけど、今日からあなたはタンスではありません。あなたには押し入れとしての無限の可能性が広がっています。さぁ、どうぞご勝手に」
そんな薄情なことは言えない。
情に流され、タンスを買えない日々がこれから何年か続きそうだ。
2005-12-08 脳がパーのまま日記再開
自転車で西友に向かう途中、井戸公園の前を通りかかった。
その名の通り、井戸のある公園である。
12歳くらいの少年少女たちが井戸を囲み、水遊びをしていた。
彼らは、ジャンパーとかコートを着たまま、豪快に水をかけ合っていた。
わたしは、それを見て、美しいと思った。
彼らの勇気に、感動した。
といっても、真冬に水を浴びる勇気について言っているわけではない。
彼らの勇気……
すなわち、役所に電話をかけ、「すいません、井戸の水が出ないんですけど……。なんとかなりません?」と役人に訴える勇気のことだ。
実際、彼らの水遊びが、そういった手順を踏んだ末のものかどうかはわからない。
ただ、井戸の水が出ないのを知りつつ役所に電話しなかった大人が存在することだけは確かだ。
それは誰か?
わたしだ。
それに、一緒に暮らしている天才だ。
わたしと天才は、よく井戸の水で遊んだ。
豪快に水をかけ合ったりはしなかったけど、代わりばんこにポンプを押しては、水を出して遊んだ。
「すげぇ、井戸だ」
「ほんとだ井戸だ」
「ちゃんと水が出るぞ」
「わーい、水が出るー。井戸から水が出るー」
と、井戸から水を出すという、ごくごくシンプルな遊びを楽しんだ。
ところが、数カ月前から、その井戸から、水が出なくなった。
ポンプを押しても、水が汲み上がる感触は得られなくなった。
水が出なくなってからも、わたしたちは井戸公園によく行った。
「おっかしいな、やっぱり出ねぇ」
「きっと枯れちゃったんだよ」
「いや、枯れてはないと思うんだけど」
「じゃあ、壊れたのかな」
「きっと壊れたんだよ。役所に電話して、修理してもらおうかな」
「なんて言うの?」
「『井戸の水出ねぇ。修理しろ』」
「言える?」
「俺は言えない。お前言える?」
「わたしも言えない」
そうして、わたしたちは、井戸に対して全く無力だった。
そんな駄目な大人をよそに、少年少女たちは、再び水の出る井戸を、自らの手で勝ち取ったのだ。
あぁ、なんて素晴らしいんだ。
西友で買い物をした帰り道、再び井戸公園の前を通りかかると、そこにはもう、少年少女たちの姿はなかった。
井戸の横に、彼らが水遊びに使っていたバケツがひとつ、転がっているだけだった。
井戸に関して何もできなかったぶん、バケツに関して、大人としての振る舞いを見せようと思った。
大人としての振る舞い……
西友で雑巾とかハタキとか、掃除用具を買ったばかりなので、ここはひとつ、バケツを家に持ち帰り、窓拭きをして、大人としての面子を保つことにしよう。
いや、しかし、井戸の水が出るようになったことを天才に知らせ、2人でそのバケツを使って水遊びをするというのもいいな、と思い直した。
わたしは勇気がない上に、優柔不断……
その前に、バケツをパクることばかり考えている。
大人失格だ。
(画像は、全く関係のない井戸公園です。似ている井戸なので、「こんな感じの井戸です」ってことで、載せてみました)