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2008-09-28 知らない彼女を失った

魅力的な女性が亡くなった。

http://picasaweb.google.com/shnw1973

そのことを今日、起きがけに知った。

わたしとは、縁もゆかりもない女性で、彼女の夫であり撮影者の男性ともまったくの他人だ。

亡くなったのだって1年以上も前のことで、わたしにはその「1年以上も前に亡くなった」ということと、彼女がわたしの好きなタイプの容姿で、わたしの好きな表情をする女性だということ、愛されていたということ、それくらいしか情報がない。


彼女の写真を見たのだって、偶然だ。


毎朝食後に飲んでいるレキソタンを飲む前の、感情の揺れ幅の大きい状態で、パソコンの前に座って、使い始めたばかりの「ピカサ」という写真を保存したり公開したりできるソフトを開き、他の人の写真も見てみようと思った。

わたしも行ったことがある場所、写真を撮ったことがある場所……同じ場所で、他人は何に興味を持ったのか、それがなんとなく知りたくて「井の頭公園」と打ち込み、検索をかけた。

自分が人物写真を載せないせいか、当然風景写真が出てくるものと思っていた。


だけど、出会ったのは彼女の写真だ。

初め、ばらばらな順番で見ていたせいで、彼女の死は、もう何十枚も写真を見てから知った。

それを知ってからは、泣きながら何百枚という写真を見た。


彼女の四十九日法要で、親族は笑う。

自然な光景だ。

わたしも子どもの頃に見たことがある。

あれは葬式の日だったけど、祖母が亡くなったとき、笑顔になれる思い出を語って、場を和ませる人がいた。

大勢集まれば、誰かがその役割を担ってくれる。


自然な光景を、ちゃんと自然なこととして、彼女の旦那さんは写真に収めている。

喪服の人々の後ろ姿を写した写真がよかった。

仏壇の写真が、これでもかという量、載せてあるのは、写しているあいだじゅう、彼女の死を自分の中に刻もうとしているのか。

推測でしかない。


わたしは、彼女の死後の、風景写真には興味が持てなかった。


もともと井の頭公園の風景写真を見ようとしていたというのに、彼女がいない、人々が彼女について語っていない写真は、見ていて辛いだけだ。

そうして、喪失感をも撮影者に近付くかたちで味わった。


写真を全部見終え、レキソタンと、風邪なので葛根湯を飲んだ。

起きがけの、薬の切れた頭で音楽を聴いたり写真を見たりするのはいい。

まともに生活を送るために、レキソタンで体の症状だけでなく感情まで抑えてしまっているわたしには、短くてもこういう時間が必要だと実感した。

2008-09-26 ひっそりピカサ

写真のページは、『アンテナに入れるって手もあるぞ。ん? 入らない』と諦めたのが昨日で、今日見たら入っていた。

なので、プロフィール欄からは削除。


はてな、いろいろと機能が増えて、自分がその半分も理解していないことは知っていたけど、昔からあるアンテナもよくわかっていないなんて!?

2008-09-25 あたふたピカサ

トップページに「リンク」と表示して、写真ばっかりのページと繋げようとしたけど、どうやればいいかわからなくてできなかった。

わからないときは、何でもプロフィール欄に貼ってしまえ!


……ということで、前から貼ってある自作の曲と同じように、プロフィールのところをクリックすると写真が見られます。


写真の説明文は、わたしが日記にコメントをいただいて返信するときみたいに、何か見えない影と戦っている。

取り繕おうとしている。


得意じゃないこと(写真とか他人へのコメントとか)を披露しようとすると、どうしても不自然になってしまう。


だから、とか……疲れるから、とか、得るものないから、とか。

身も蓋もない理由で、とっくに日記はコメント書けない設定にしてしまっている。


写真のページ、ここにも貼っとくhttp://picasaweb.google.com/sunanezumi

2008-09-22 分離

昨日は日本武道館筋肉少女帯ライブを観に行った。


始まる前に「日本武道館すごい! 日本武道館ってこんなにすごかったんだ!! ここで野球もやるの?」などど、「筋少日本武道館に舞い戻ってきた」みたいな感慨よりも、日本武道館というものに感動していた。

連れて行ってくれた人、ありがとう。

おかげで日本武道館が見られたよ。


ライブが始まってしまえば、日本武道館のすごさよりも、筋少のすごさのほうがすごいわけで、でもうまく書けないからあんまり書かない。

「君よ! 俺で変われ」「香菜、頭をよくしてあげよう」「僕の歌を総て君にやる」「僕の宗教へようこそ!」など、いろいろと思い出がよぎる曲が多かった。


「俺の罪」を聴いてるときだけは、気まずかった。


わたしはアリーナ席の最前列の手すりに手を置いて、立って聴いている。

横の席には、わたしを連れてきてくれた夫が、座っている。

曲の歌詞をいろんな方向から捉える夫と違って、わたしは歌われてるそのまんまの状況でしか捉えられない。

恋愛が歌われていれば、創作とか人生に置き換えることもなく、恋愛を思い浮かべる。

それを夫は知っている。


そこで、「俺の罪」だ。

オーケンとの、どっちが歌うかジャンケンに勝った内田さんが歌っているよ。

彼女を捨てた俺の罪

お猿になるから許してちょ

うきー

って。


『なんだかすでに捨てられてると思うんだけど、タダで筋少ライブが見られると聞けば、わたしは付いてきてしまうよ。だって筋少だし。武道館だし。みんな、飛び跳ねてるし。ところでここ、何人入ってるんだ?』

などと、この曲のときだけは、思い出じゃなくてリアルタイム! 今! この状況ーーーーー!!

を冷静に考えさせられた。


立って、少し前に出てるわたしは、座っている夫の表情を振り返って見たい衝動に駆られたけど、怖くて見られなかった。


のりのりだったら怖いよ。

無表情でも怖いよ。


結局一度も振り返らず、一緒に行って隣の席だったけど、それぞれライブを楽しんだ。


終わったあとに、「いいライブだったね」と短い言葉で感想を言い合った。


夕飯を食べるため、途中の駅で降りてサイゼリアに入った。

夫の頼んだイカ墨スパゲッティーを取り分けられたときは、「いらないよ〜。ちょっともらうけど、そんなにはいらないってば。イカ墨、黒いから苦手なんだってば」と言いつつも、ふたりだからいろんな味が楽しめる幸せを味わった。


そして、それぞれ別の家に帰った。


昨夜サイゼリアでワインを飲みすぎたせいで、「肝臓が眠りたいって言ってる〜」と独り言を言って、今日は部屋でごろごろしていた。

2008-09-19 どうせなら「あなたのやさしさ」が怖くなりたい

ここ2週間くらい、たぶんわたしは乳ガンなんだろうなぁ、と思いつつ過ごしていたけど、今日病院に行ったら、違った。


「29歳、(いずれ離婚するかもしれないけどまだ)既婚、でなる初期段階の乳ガンよりも、これからの人生、もっともっと辛いことがあるのさ〜」

と、ひとり、部屋で呟いたり、切らした薬をもらいに行き付けの内科やら眼科やら精神科やらに行ったり、泣いたり寝たりして暮らしていた。


泣くのも寝逃げするのも、乳ガンの可能性を考えてではまったくなく、『どうしてこう、化粧水と乳液とファンデーションが空になる時期が重なるように、薬がなくなる時期も重なるかなぁ。今は夫が生活費をくれるから生きていけるけど、わたしはあんまり長くは生きられんかもしれんなぁ』とか、『祖父はガンだって知った途端に闘病放棄して自殺したらしいけど、人はガンじゃなくても自殺するし……』などなど。


乳ガンが怖いというよりも、乳ガンが怖くない自分が怖かった。


初めての1人暮らしだというのに、引っ越し当初から、2ヶ月半経った今まで、泥棒とかストーカーとか強姦魔とか、防犯上の怖さというのは1度も感じたことがない。

そんな自分の思考と状況が、やっぱり怖い。


ただちょっと、幽霊は怖かった。

幽霊も乳ガンレベルの怖さで、「考えてみると、いま現在見る幽霊よりもさぁ……」となるわけだ。


先々訪れるかもしれない経済苦と、孤独が1番怖い。


35歳、離婚歴だけがあり、友人も恋人もなく、絶縁しているから親はいないも同然、金はなし。

そんなときに痛みだす親知らず、とかのほうがわたしには絶対怖い!


45歳、離婚歴だけがあり、(以下同上)。

そんなときになる……

乳ガン!

やっぱり怖い。

乳ガン怖い。

今は怖くないけど、そのとき怖い。


70歳、離婚歴だけがあり、(以下同上じゃなくて……年をとるとさらにいろんなものを失っているかもしれない)。

そんなときになる……

認知症の初期段階。

恐ろしい。

自分のやっていることが、わかっていたと思ったら、「わからないよ。なんでわたしは急に道端にいるの?」という、脳の感覚……想像だけど。


そんなにあれこれ考えていたものだから、婦人科に行くのが遅れた。


だけど行ってみて、診察室に入って服を着たまま「ここにコロコロしたものが」と胸の脇あたりを示したら、「あぁ、全然違うよ。乳ガンはそんなところにできないから」と言われてみると、思いの他ほっとした。


一応触診をってことで、「下着を取って、バスタオルを首のところで縛ってください」と言われたときには、もう安心しきっていた。

安心しきったせいで、裸になった後で、「あの……バスタオルを縛るって、え〜っと、どうやれば?」と、わざわざわたしに背を向けている男性の医師に訊いた。

そして、「あぁ、こういうことですか?」

と、医師と向かい合いながら、バスタオルを結んでいるときにやっと気付いた。

このバスタオルは、なるべく裸を見せなくていいように、という配慮のもとに存在するのだと。


わたしが理解していないせいで、脱いで見せてからバスタオル、ということになって、バスタオルの存在意義はまったくなかった。


乳ガンではなかったという安堵感と、医師への安心感と羞恥心、そんな細かい感情の分離が頭の中でうまくできなかった。


でもバスタオルをちゃんと結べたあたりから、わたしはもうバスタオルの存在意義を知っていた。

なのに、一応超音波検査も、ということで、結局バスタオルは外された。


ジェルを塗られて、機械を当てられ、「あぁ、脇にあるのはただの脂肪の塊だけど、乳腺炎を発症してますね。ほら、ここに黒く映っているのがしこりです。ほら、ここにも」


『ひとつじゃないのか!? わたしはひとつ、しこりがあって乳ガンだと思って病院に来たのに』と思いつつ、「それは切ったり取ったりするものなんですか」と訊いたら、そうじゃないということだった。

「わたしはどうすればいいんでしょう?」と訊ねたら、「血行が悪いだけだから、血行を良くしてください」と言われた。

どう血行を良くすれば良いのかわからないまま、「血行が悪いと子宮内膜症にもなりやすいから気を付けるように」と忠告され、最後に、「乳ガンじゃないから安心して大丈夫」ともう一度言われた。


わたしは、返事のようなため息のような、「はぁ」という声をもらして診察室を出た。


診察室を出た途端、恐怖が襲ってきた。


『子宮内膜症……子宮内膜症……今じゃなくて独りになったときになる子宮内膜症……』


D

生きてることは ただそれだけで 

悲しいことだと 知りました


怖いから、その足で、いつも通っている鍼灸院に行った。

鍼は血行に良い。


うつ伏せで鍼を打たれながら「ここに来る前に婦人科に行ったんですよ。乳ガンかと思ったら乳腺炎でした」と、いつもそうだけど、独り言みたいにいきなりポツリと呟いた。

鍼灸師は、わたしが仰向けになったとき、婦人科系に効くツボに鍼を刺してくれた。


うつ伏せのときも、仰向けのときも、半袖の手術着みたいな服を着た上から、腰のあたりに1枚バスタオルがかけられる。

うつ伏せのときは手首が下を向く。

「それじゃあ、今度は仰向けになって」とバスタオルを取られ、1度起き上がったときに、手首に貼ってある絆創膏に気付かれたら嫌だな、素早く気付かず、いや、もういっそ、気付いてもいいから素早くバスタオルをかけ、気付かなかったことにして乳腺炎の話だけをしてくれたらいいな、と思った。


婦人科でのバスタオルより、鍼灸院での服の上からのバスタオルのほうが、わたしにとって重要だ。

爬虫類の話をしてもリストカッター。

乳ガンの話をしてもリストカッター。

そんなふうに、わたしへの鍼灸師からの見かたが変われば、長く通っていたのに途端に行き辛くなる。

だから次に鍼灸院に行くのは傷が治ってからにしようと思っていたけど、「子宮内膜症」が怖くて行ってしまった。


絆創膏については何も聞かれなかった。


ところで、鍼灸師(40代半ば、男性。妻子がいる。妻子は昼休み前にときどきバターロール5個入りの袋を差し入れに持ってくる。それとは別に仕出し屋からお弁当が届く)と、受け付けの女性(20歳前後。福祉関係の専門学校生。夕方と土曜日にいる。明るい!)が、徐々に徐々に距離を詰めていくのを、わたしは女性がバイトに入った頃から何ヶ月も観察してきた。

正確には、聞いてきた。

鍼を打ったあとに先生が患者に決まって言う「それでは、しばらくこのまま置いておきますね」の、「しばらく」のあいだに、カーテンに囲まれたベッドの上でいつも聞き耳を立てていた。


男女だから気になるというよりも、人間同士って、こうして徐々に距離を縮めていくものなのかと、人との距離をうまく掴めないわたしは、笑いが増え、敬語の減っていくふたりの会話を興味深く盗み聞きしてきた。


鍼灸院に行く楽しみのひとつになっていたのだけど、今日、困ったことに気付いた。

あのふたりは、もう距離の詰めようがないのだ。


「パパ、もう帰ってくる?」

「まだ帰らないよ。昼だから」

という、鍼灸師と息子さんの会話も、聞くたびほのぼのできて嬉しいわたし個人としては、そこを無理に詰められては困る、という勝手な思いもある。


人との自然な距離の縮め方は、盗み聞きによって、だいたいどういうものか知ることができたけど、わたしにはまだ実践できていない。


突然「乳ガンかと思ったら」と、話し始めてしまう。

2008-09-17 殺伐ほのぼの

最近、ほのぼのしたことを書きたいなぁ、とよく思います。

天才にも「ほのぼのしたことを書くといいよ」と今日、電話で言われました。


最近のほのぼの……


1階は大家さんの自宅、2階はわたしの部屋と隣の部屋、というアパートに住んでいます。

不動産屋の話では、「2階の隣の部屋は大家さんが倉庫として使っているだけだから、実質ワンフロアー独占!」ということでした。

ところが大家さんちの奥さんが、昼間の2時間くらい、頻繁に階段を上ってきて、隣の部屋に出たり入ったりします。

入って数分経ったと思ったら出てきて、また数分後に階段を上ってきて、そういったことを繰り返します。

「終わったかな」と思うと2,30分後にそれがまた始まります。

何をやっているんだか、まったくもってわかりません。

確かめるのも怖いです。


最近、わたしはその時間帯になると眠くて仕方なくなり、昼寝をして起きたら夕方です。


なんで眠くなるのかわかりました。

大家さんちの奥さんの、その神経症的行動を、見ない聞かない、防御反応なのだと思います。


おかげで、1階の、大家さんの自宅玄関横に置くことになっているわたしの洗濯機は、いつも夕方回ることになります。

夕方まで外に出ないことが多いので、前日に食材を買い忘れた日は、その時間まで飲まず食わずです。


……ほのぼのしません。


最近のほのぼのパート2


アパートに隣接した高級新築住宅から、朝8時くらいに必ず「ママ、うんち出たー」という幼子の声が聞こえます。


わたしは、最初の頃は間に合っていた朝8時のゴミ出しに、最近間に合いません。

ゴミがたまります。


「うんち出たー」を聞かず、大家さんの神経症的行動を見ず、大家さんとコミュニケーションをはからずに迎えた夕方は、気分が良いです。


今日も1日がほぼ終わった、という絶望感と同量の、気分の良さを味わえます。


……ほのぼのしたことがいっさいない!


昨日、パン屋でパンを食べながら、泣きました。

そのことも今日、電話で天才に伝えたら、「食べるか泣くか、どちらかにしたほうがいいよ」というありがたいアドバイスを、爆笑しながら頂きました。


ちなみに、わたしは電車の中で泣いている女の人をときどき見かけるのだけど(主にメールを打ちながらの人)、天才は見たことがないと前に言っていました。


パン屋で泣いていたのも、女性には見えて男性には見えていない、もしくはわたしみたいに挙動不審でいつも周りをきょろきょろ見ている人間にしか見えていないと思うので大丈夫。


何が大丈夫なのかよくわからないけど、何かがきっと大丈夫、です。


写真はマーラ。

アパートの中でマーラを飼っている夢を見る修業をしてみようかと思っています。

そうしたら夕方までの、強制的昼寝の時間が有意義なものに思えるかもしれません。

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2008-09-11 マイメロは赤いほうがいい

この動画、たびたび貼っていきます。

忘れた頃にやってきます。

「もう見たよ」という方々のこともおかまいなしに、飛び出します。

D

今回はなんで貼ったかといいますと、わたしは生まれて初めて他人から「天才」と言われました。

「天才」とコメントが付いています。

サブアカウントじゃありません。

この日記にたびたび登場する「天才」とも関係ありません。

こんなもので、人生初「天才」と言われるなんて!?

もっとこう、初めてって、大切だと思うんですよ。


あと、別の方から「みんなピンク」も歌うようにとリクエストもされているのですが、わたしは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいません。


「みんなピンク」ってなんですか?

歌詞だけでもわかれば、てきとうに歌っちゃいますよ!?


というわけで、いろいろな単語を打ち込んで検索をかけてみたわけですが、わかったことは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にはピンクの服を着た太った女の子が出てくるらしい、と、それだけでした。


すいません。


わたしは熱心な村上春樹ファンじゃないんです。

もしそうだったら、「何もない」も恐れ多くて歌ってません。


だけど、歌えと言われれば歌いたくなる人間です。

読みますよ、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』。


そして、いつか読み終わります。

さらにいつか、歌います。


ピンクの服は、一昨日マルイワンの入ってるビルのショーウィンドウの前を通りかかったら見かけました。

ピンクのロリータ服が、3着飾ってありました。

2008-09-07 わたしは歩く

わたしが幼稚園に入園する前から、入園してしばらくするまで、約1年のあいだ母はうつ病だった。

1番ひどい時期は、家から一歩も外に出られなかった。

回復してきた頃には、薬の副作用で(当時処方されていた薬なので今病院で処方される薬はもっと副作用も軽減されていると思うけど)、元よりひと回りくらい太っていた。


まだ、近所付き合いが当たり前の時代で、私道を囲むようにコの字型に8軒ほど建っていた、わが家を含む一軒家は、どこの家も当たり前のように夫がいて、子どもがいた。

年の近い子どもたちは一緒に遊び、専業主婦たちは私道で井戸端会議をしていた。


母のうつ病時代、近所の人たちは、まだ小さいわたしや、母をいろいろと助けてくれた。


わたしを幼稚園に送り迎えするのを順番でしてくれた。


ひとりでは出かけるのが困難な母を病院に連れて行ってくれる人や、パチンコに連れて行ってくれる人、新興宗教団体の本拠地に連れて行ってくれる人がいた。


いろいろと世話を焼いてくれて、母の前ではいつも笑顔だった近所の主婦たちだけど、母を含まない井戸端会議の最中にわたしが横を通りかかるとぴたりと話をやめた。


「ずいぶん太った」

という言葉が聞こえたときには、やっぱり母の話をしていたんだなぁ、と思った。


そう言っていた大人の前で、後日わたしは「うちのお母さん、デブだから」とおどけたように言ってみせた。

「そんなこと言うもんじゃないよ。病気なんだから」と、たしなめられた。


宗教団体の本拠地は、家から遠かった。

ずいぶん田舎にあった。

初めの頃は、向かいに住んでいた熱心な信者の人と一緒に行ったけれど、そのうち、日曜に母と姉とわたしの3人だけで行くようになった。

姉は、建物の外にずらりと並ぶ出店でべっこ飴を買ってもらえるのが楽しみで、「今回もべっこ飴買ってくれる?」と行く前に母に確認していた。

わたしは、電車にいつも酔っていた。

べっこ飴は、甘すぎるから嫌いで、いらないと言った。


べっこ飴を売る店よりも、飴細工職人が鶴などを作る店のほうが見てて楽しかった。

高いから、1度も買ってくれなかった。

1度母に断られてからは、「買って」と言わなくなった。

見るのも、「帰りにゆっくり見なさい」と言われたからそれに従った。


宗教団体の本拠地と言っても、中は公園のようだった。

べっこ飴を買ってもらわなかったわたしは、長い車中に食べるようにと、出かける前に買ってもらった綿ガムや、母が鞄の中に入れて持ってきた鈴カステラやカリントウを東屋で食べた。


わたしたちの周りを、白い服を着た人たちがほうきを持って行き来していた。


その人たちの口にする「こんにちは」の数も、掃除をする人数も、『そんなには必要ないだろ』と心の中で思った。


羽織袴を着て、球体の上に立つ教祖(生き神様・わたしが行っていた当時に生きていたかどうか、時期的に微妙でよくわからない)の銅像がある部屋があった。

その日は、生きてたら生き神様の話……すでに生きてなかったら違う人からの話をその神殿のようなところで聞く日だった。

時間ぎりぎりに行ったので、びっしりと、人々が絨毯の上に正座していた。

真ん中の、赤い絨毯だけが空いていた。

絨毯の先に、玉に乗る生き神様の銅像があった。

5歳か6歳のわたしは、その赤い絨毯を歩いて、座れる場所はないかと探そうとした。

そうしたら、正座していた人たちが、子どものわたしに対し、すごい剣幕で怒りだした。

恐ろしかった。

井戸端会議をしている近所の人の横をわたしが通ったときに、急に雰囲気が変わる、それと似た種類の怖さで、それと同時に、わたしの中に激しい怒りのような感情が湧いた。

だけど、小さくて、言葉にできなかった。

言われたとおり、座っていい絨毯と、つま先が触れてもいけない赤絨毯の横にかろうじてある、幅7センチくらいの大理石の部分をつま先立ちで歩いて、座れる場所を探した。

母はわたしに何も言わなかった。


母がその宗教を信じているのか信じていないのかは、よくわからなかった。

母は、白い服は着なかった。

リビングに置いてある本棚の引き出しの中には、お城の写真がジャケットのカセットテープと、小冊子のようなものが仕舞われていた。

そのカセットテープは、ビニールの封が開けられていないままだった。


父は1度も参拝には行かなかったけど、母がそこに行くようになってすぐ、小冊子を隅々まで見ている姿を見た。

生き神様の銅像の写真を見て、彼を「玉乗りおじさん」と呼んだ。

日曜日に、「今日もお前たちは玉乗りおじさんのところに行くのか」と冷やかされた。

母はおもしろそうに笑って、わたしも笑って、姉も笑って、わたしたちは何度もそこへ通った。


母のうつ病が治ると、しだいにそこへは行かなくなった。

とはいえ、住んでいる家は同じだ。

向かいに熱心な信者が住んでいることに変わりはない。

行かないけれど、母はその後10年以上、お札を買い替える時期になると必ずその人にお金を預けて買ってきてもらっていた。


家計が苦しくなったのと、お互いの家が引っ越しをして数年経ったのを機に、母はお札を買うのを辞めた。

わたしは高校生になっていた。


母はその、元近所の人と喫茶店で会って来た直後に、わたしに言った。

「もうお札は買わないと言ったら、『あら〜。何か嫌なことが起きなければいいけどね』だって。そんな人だとは思わなかった」


そこの信者全体がどうあれ、その人はもともと「そんな人」だったじゃないか、とわたしは思った。


その宗教団体の本拠地に行くと毎回電車に酔うし、大人に不当に罵倒されたこともあったけど、飴細工職人が見られるし、酒飲みの父とふたりで留守番をするのは嫌だから付いて行っていた頃から、約25年が経った。


数年前から、大人のわたしの目で、確かめたいと思うことがあった。


わたしが電車に酔っていたのは精神的な理由からではないか?

あそこにいる大人たちを、大人になったわたしは、否定できるのか?

憎めるのか?


……


大人のわたしが赤い絨毯を踏んだら、やっぱり怒号が飛ぶのか?


で、先日行ってみた。

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とりあえずインパクトがあるからまずこの写真を載せたけど、次から順々に。

ちなみに、参拝自由でスーッと入っていけるけど、門の中に入ったら写真撮影禁止。

噴水の中を球形のものがぐるぐる回るオブジェを撮ろうとしていたら、白い服を着た80歳くらいのおじいさんに、「まだ撮ってないよね? ね?」と念を押され、「門の外からなら撮ってもいいから」と言われた。なので、これも門の外から。


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日曜なのに電車は空いている。

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宗教くらいしか目立ったものはない街だから。

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パン屋があった。

やたらおいしかった。

電車の中で吐くのを想定してエチケット袋を持っていくかどうか迷ったくらいだったけど、疲れただけで酔わなかった。

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宗教くらいしかない街なんて失礼だ。

大学もあった。

だけど、この表示、大学側としてはどう思っているのか、どうなっているのか。

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着いた!

交通整理だ。

横断歩道も信号もあるけど、わたしが数時間、門の中にいて、出てきても、やっぱり同じ人が交通整理をしていた。

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焼きそば屋しかなかった。

焼きそばを1パック買いながら、「他のお店は、みんな辞めちゃったんですか?」と訊いてみたら、「暑いから今、みんな来ないだけ」と言っていた。

ついでに、「ここでお店をやられて何年ですか」とも訊いてみたら、「30年」て!!

「わたし、25年ぶりに来たんです」と話した。


外から撮った写真はこのへんにして、わたしが中で何をしてきたかというと、確かめたいと思っていたことは、とりあえず全部確かめられた。


電車は、電車の中で確かめた。

酔わなかった。

いまだに精神的な理由とか、首の凝りとかで、電車に酔いやすいわたしが、長旅なのに酔わなかった。

やっぱり、子どもの頃、わたしは『行くのが嫌だったんだなぁ。飴細工職人見たさは、その嫌さにまさってはいなかった!』という結論に達した。


敷地内は、車いす率が、街なかや娯楽施設、ふつうの公園に比べてはるかに高い。

平均年齢も高い。

小さな子どもを連れた夫婦も何組か見かけて、どの家族も絵に描いたような幸せな家族に見えた。

子どもはもう高校生くらいとか、大学生くらい、という家族もいた。やっぱり楽しげに見えるのだ……。

門の外で、お宮参りなのか、着物を着せた赤ちゃんを抱く中年女性(お宮参りだとしたら赤ちゃんの祖母)を囲む三世代の家族がいた。


そうしていろんな人を見ていると、否定できないし、否定する権利もないし、憎めないけど、気持ちが悪いと思った。


25年前と変わらずあちこちで飛び交う「こんにちは」の挨拶。

わたしにも向けられたけど、すべて無視した。


たとえば強制されたなら、わたしはその場に立って、もともと小さな声をありったけ張り上げて「皆さーん! こんにちは!!」と、たった1回だけ叫びたいと思った。

人が多すぎるから、同じ人に何度も挨拶されて、こちらもそれに答えるなんてたいへんじゃないか。


最終目的。

最大目的。

赤絨毯!!

神殿(たぶん違う固有の呼び名がある)の前で、白い服の人から、再利用するシステムのグレーのビニール袋を受け取って、靴をその中に入れた。


25年ぶりに見た!!

赤絨毯と、その先にある、父が玉乗りおじさんと呼んでいた生き神様(だからもう死んでいる。かつて生き神様だった人)の銅像。

今は「二代様」が教祖らしいけど、そこにあるのは子どもの頃見たのと同じ、初代教祖の銅像だった。


意外に人が少ない。

わざわざ赤絨毯を避けたり踏んだりしなくても、足を1歩踏み出すだけで、信者が座る用の藤色の絨毯の上を歩ける。

見ていると、正座した人々は、銅像に向かって2度手を叩いたあと、絨毯に頭を付けて、顔を上げると銅像をじっと眺めたり、そこにしばらく座っていたりする。

最後は立ち上がって、その場を後にする。


どうやら、今日はこの場で話を聞けたりはしないらしいとわかったので、藤色の絨毯の上で手を叩くでも頭を下げるでもなく座っていたわたしは、立ち上がって入り口に引き返した。


……でも、どうも気になる。


赤絨毯と、玉に乗ったあの人が。


わたしは、来る前に電車の中で思い返していた。

自分の人生を。

初対面の人に自分を伝えようと「わたし宗教団体を開いて教祖になりたいんですよ」と本音を言っては不思議ちゃんだと思われた十代。

「わたし天皇になりたいんですよ」と言っては「世襲制ですから」の一言で会話を打ち切られてきた成人後から今まで。


『これらみんな、ここから始まってないか!?』

赤絨毯と玉乗りおじさんから!!


1度返したグレーのビニール袋をもう一度受け取った。

靴を入れた。

遠くにある、もう生きてないけど、かつて「生き神様」と呼ばれた人の銅像を見据えた。

1歩1歩、赤い絨毯の上をゆっくりと歩く。

藤色の絨毯に座る人の数は10人足らず。

誰もこちらなど見ていない。

こちら向きで、銅像の左右にひとりずつ立っている白い服の人たちにだけは、わたしが見えているはずだ。

だけど、止めに来る素振りはない。


生き神様に視線を戻した。

近付いていく。

わたしはあなたと同じ人間だ。

台座とか玉とかのせいで、目線の高さが違って、仕方なくわたしはあなたを見上げているけど、でもわたしはあなたと同じ人間だ。

気持ち的に、同じ目線でいるんだぞ。


……やっぱりちょっと、白い服のふたりが気になる。


取り押さえられたら、暴れてみようか。

「服を掴んだだけで、暴行罪なんだよ! このやろう!!」とドラマの受け売りだけど叫んでみようか。


そんな想像をしたけど、実際の、白い服の人たちは動かない。

意外に寛大だ。

見られてる気がしてたけど、立ち仕事に疲れて、ぼーっとして見てないのか?


銅像を囲う柵の、目の前までは行けなかった。


何やっているんだろう?

わたしは、他人の家に来て、勝手に振る舞っているだけではないか?


それに、生き神様、ライトアップされてて、ちょっと神々しく見えなくもないし……


いや、ここで負けてはいけない。


信者たちが、病気とか経済苦とか、いろいろと個人的な悩みや、何かしらの目的があって来ているのなら、わたしだってここで個人的な目的を果たしてもいいじゃないか。


生き神様を睨み付けた。


わたしはあなたに頭を下げない。

物心付いてない子どもや、物心付いたばかりの子どもに、信者たちの行動によって、結果的に「人間は平等じゃない」と教えてきたあなたから、やっと今日、解放される。


振り返り、銅像を背に、わたしはまた、赤絨毯の上をゆっくり踏みしめるように歩いた。

呼吸が速い。

自分が少し、震えているように感じた。

やり遂げたという気がした。


横を通るわたしを奇異の目で見る信者が数人いた。


音のない神殿を出ると、やはりそこは「こんにちは」の嵐だ。

車いすが目に入る。

楽しげな家族がいる。


わたしのやったことは、個人的なことで、みな、個人的な理由を抱えているのだ。

ただ、わたしがここに馴染まないだけなのだと思った。


早く去ろうと思ったけど、その前に夫にメールした。

「今、霊波之光にいるんだけど、お土産いる?」


「おもしろいからいる」という返信が来た。


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買って帰り、別居中の夫にあげた。

昨日部屋に遊びに行ったら洗面所に置いてあって、歯ブラシが1本と、カミソリが入れてあった。


「なんだかこうして見ると、このグラス、ヤクザっぽいね」とわたしはそれを見て笑った。


追記:姉についさっき、「先日、久々に行ってきました」とメールを送ったら、「赤絨毯なんてよく覚えてるね……言われてみて思い出したかも☆私が覚えてるのは、信者のおばぁちゃんか、おじいちゃんの銀歯が金歯になった!? という写真が、お祈りの場所? に貼ってあったことくらいだよ。あの写真のおばぁちゃん、もう別世界の人になってるだろうね……(顔文字)」というメールが返ってきた。

姉のメールはいつもおもしろい。