2008-02-28 バスが在りますよ
夫のぶんの確定申告書作成がやっと終わった。
早くからちびちびやっていて、トータルで7時間くらいかかった。
時給800円として、5600円。
これを「確定申告書作成控除」という名で「扶養控除」とかと同列の扱いで収入から引かせてもらいたいなぁ、と思った。
本当は時給850円が妥当だと思うんだけど、ここで850円と書いたとする。
そしたら、850×7を計算して……
うわーーーーー!
いやだ!!
計算もういやだ。
電卓はじくの、もう当分いい。
来年までいい。
来年この時期が来たらまた「わたしの存在意義がここにある〜♪ こ〜こ〜だけに〜〜〜」って、やり初めだけちょっと嬉しくなったりするんだけど。
今回は、ラストスパートってところで「ごめん。確定申告書作成という大仕事がわたしの脳を圧迫している。このままだと……」
と言って、いったん全部引き受けたはずのこの仕事を、夫に手伝ってもらった。
「このままだと……」の続きは口に出さなかったけど、「確定申告作成を苦に」自殺しかねなかったからだ。
わたしの命はとっても軽い。
というわけで、最後の2時間半はふたりでこたつに入ってやった。
「頭がおかしくなるー」
「どんどん意味がわからなくなっていくよ」
「そもそもこの説明書書いた役所のやつ、頭おかしいだろ」
という呟きも、ひとりで心の中で呟くよりは、ふたりで声に出して呟いていると、明るく楽しく、頭がおかしくなれた。
夫は、事務所兼自宅の住所を書き、「賃貸物件」と書き、その下に説明書どおり「建物」と書いたとき、1番やるせなさを感じたようだった。
「これ、おかしいだろ。『建物』って!?」
言われてみればおかしい。
建物以外の事務所を想像してみた。
パソコンからふと目をそらし、見上げれば青い空。
電線。
カラス。
またパソコンに視線を戻すと、足にふわふわしたものが触れる。
いつの間にやら馴染みの野良猫が……
って!? 「建物」じゃなく「土地」のみの青空事務所が存在するっていうのか、役所の方よ。
とはいえ、わたしは昔もっと理不尽な事務仕事を3ヶ月だけやっていて、なんかいろいろ嫌になって、「公務員いやー」ってなって辞めたことがあるから「建物」くらいじゃ驚かない。
学校事務をやっていたときに聞いた、1番意味のわからない言語。
それは「在バス承認」。
職員が「バスで通勤します」とか、「出張でバスを使いました」とか言ってくるとする。
そしたら事務職員であるわたしはバス会社に電話し、本当にそこにバスが通っているという確認を取らなくちゃならない。
なんか書類をもらうんだったか?
そして確認が取れたら書類を作成し(バス会社からもらった書類を添付し?)、市内の学校事務職員たちの作成した書類を取りまとめてる機関(この人たちも公務員)に提出。
幸いわたしは、「あぁ、その区間なら前に在バス承認取ってあるはずだからやらなくて平気だよ」と「在バス承認」という言葉を先輩職員から聞いただけで、実際作成せずに済んだ。
ひとつの学校につき1回「在バス承認」を申請すると、他の職員が同じ区間のバスを使っても、申請しなくていいらしい。
2000年。
もうネットもあった時代。
「在バス承認」もなにも、バスが在るものは在るんだ。
「建物」があることや「バス」があること、住所も電話番号も記載された領収書を添付しているにも関わらず、通った病院や薬局がたしかにそこにあることを証明するために、1軒1軒住所と電話番号を書かないといけないこと。
役所に提出する書類を作成してて頭がぐらぐらしてくるのは、当たり前のように在るものを「在るよ。在るんだよ」と主張しなけらばならない苦痛が1番大きいように感じた。
ところでわたしは誰ですか?
働いてなくて、夫の、妻であることを主張するために、ぺらっぺらな紙1枚、名前と住所くらいしか書くことのない自分の確定申告書はこれから作成する。
2008-02-25 ちぐはぐ
2008-02-22 早起きイカロス
2008-02-17 わたしのかわいいコックさん
食後のリビングで、こたつを挟んで向き合っていた天才が、突然「えかきうたをやろう」と言い出した。
「そうか、やろうじゃないか」と、やることにした。
まずはオーソドックスに、「かわいいコックさん」。
ただし、ふたりとも歌も絵も覚えていない。
わたしが歌詞を思い出しつつ歌って、天才が絵を描くということで、メモ帳を出してきて、始めた。
「雨がざあざあ降ってきて」
「いきなり雨か!?」
天才がコックさんの帽子にあたりそうな部分に、縦線を1本描いた。
もっとあった気がする。
「雨が さらに降ってきて
コッペパンふたつ
……いや、みっつ?
あ! 違うよきっと。
そのへんにもコッペパン描いてよ。
そしたら手足になるから。
そうそう。
そうこうするうち夜になり
三日月が
でーてーきーました」
「なんだよ!? 三日月って」
「あ、半月か。半月描いて。そしたらポケットになるよね」
そうして天才が描いた(若干わたしが誘導して描かせた)「かわいいコックさん」が下の絵。
へのへのもへじは、天才がただ余白に落書きしたもの。
「この『へのへのもへじ』、野良仕事とかまじめにやりそうだよね」と言って話題を広げようとしたけど、軽く聞き流された。
今度は、天才がノートパソコンを広げ、「かわいいコックさん」で検索をかけ、わたしには完成形の「かわいいコックさん」を見せないようにして、正しい歌詞を歌い出した。
「カエルかな」
と歌うものだから、素早く、かつ、カエルらしいカエルを描くために頑張った。
手足のあるカエルを描こうとした。
それなのに……
「カエルじゃないよ」
と、さっきまでの努力を否定された。
その後、「アヒルだよ」と言われ、苦し紛れに前を向いているカエルの横顔にくちばしを生えさせた。
雨は降った。
三角定規にヒビも入れた。
これ以上、わたしにどうしろと言うのだ!?
これが100パーセントの力を出しきって描いた、わたしの「かわいいコックさん」。
あと、同じ方法で、天才が歌を歌ってわたしが描いた「ひまわり」。
まるばつゲームをやる相手がいなくて、ひとりで丸ばっか描いちゃった、みたいな悲しさがある。
それでいて、ダイナミック。
友だちいない子(わたし)のストレス発散みたいだ。
歌を学んだのは、下のサイト。
2008-02-14 それぞれの呼称
最近寝つけない日が多いから、夫に『メラトニンしゅっしゅ』を注文してもらった。
『メラトニンしゅっしゅ』はもちろん商品名じゃない。
正式名称は、ふつうに『メラトニンスプレー』。
けっこう前にも使ってたことがあって、夜になって使おうと思っても見当たらないと「わたしの『メラトニンしゅっしゅ』どこ〜?」と半狂乱になっていた。
前に精神科に行ったとき、「わたしの『ひつじっこ』どこやったの? ひつじっこ〜」って、会計を済ませている旦那さんにすがりつく、70歳くらいのおばあさんがいた。
『ひつじっこ』は旦那さんのジャンパーのポケットの中にいた。
直径15センチくらいのぬいぐるみだった。
その『ひつじっこ』の巨大版……というかドーナツクッションはうちにもある。
でもわたしは『ひつじっこ』と呼んでいない。
それにしても、輸入代行ってすごい!
抗がん剤まで買えるなんて!!
2008-02-13 今日はバレンタインデー
今日はバレンタインデーなので、チョコレートを作りました。
今日はバレンタインデーなので……
今日はバレ……
今日はまだ13日です。
単に、嘘をついてみたいお年ごろなのです。
前から材料は用意していたけど、パウダーシュガー……日本人的には「粉砂糖」……を買い忘れたので、何軒もお店をまわったけど、どこにも売っていませんでした。
その代わり、「抹茶パウダー」はいろんなところで売れ残っていました。
そういえば、前にも同じことがあったような。
なんだかんだで毎年チョコレートを作っています。
来年は道端で粉砂糖を量り売りしているかもしれません。
木のテーブルの上には天秤。
2月13日と14日限定。
100グラム500円。
仕入れ先は、もちろん12日までのスーパーマーケット。
2008-02-09 みたいなの
ファミレスからの自転車での帰り道。
ヒョウみたいなものが顔にバチバチ当たって来て「痛い痛い痛い……」って呟いてたら、マンションの前を通り過ぎるときに小さい男の子の声が聞こえた。
「お母さーん。雨みたいなのがちょっと降ってるよ」
……
『違うよ! 雨みたいなのじゃなくヒョウみたいなの!! 痛いんだよ。しかも、ちょっとじゃないんだよ。けっこう降ってんだよ』と訂正したかった。
痛いし、知らない子だから、黙って急いで自転車を漕いで帰ってきた。
2008-02-06 どん底・靴底
思春期の頃、「自分のことを自分でかわいいと思ってる私」を演じることを覚えました。
化粧をするとか流行の髪形にするとかではなく、「かわいい私」としてただ振る舞うだけです。
簡単です。
だけど、どうしようもなく性格が悪いため、一部の男子には影で「ブス」と罵られ、嫌われていることを知っていました。
わたしは好きな人を好きだと誰の前でも言うので、隣のクラスの男子を好きだという話を誰かにしたら、本人がわたしのクラスまで見に来ました。
「かわいいじゃん」という彼に対して、同じクラスの男子は「げー! ブスじゃん」と一言吐き捨てるように言いました。
それでもわたしは、教室の床の上を上履きでくるくる回って、制服のスカートを傘みたいにして遊びたいくらい嬉しかったのです。
というか、その前に、そういう遊びを唯一の友達、ヒロコちゃんとしているところを目撃され、「かわいいじゃん」と言われたのでした。
またあるときは、わたしとヒロコちゃんが「今日は七夕だから校庭で笹取ってから帰るね」(もちろん私の提案。ヒロコちゃんは本当は社交能力も常識もあるふつうの子。付き合わせてごめん、今さらだけど)と先に帰ったのをいいことに、部活の女子たちが、わたしの悪口大会を始めました。
「笹、けっこう取れたから、もうそろそろいいんじゃない」とヒロコちゃん。
「いやいや、まだ足りないよ」とわたし。
みんなが話しているテニスコート近くの、ふだん荷物置き場として使っている場所のすぐ近くで、ヒロコちゃんとわたしは、これでもかというほど笹を取りました。
笹の背丈はけっこう高かったし、わたしたちがそんなに近くで笹を取っているとは、誰も気付かなかったようです。
いよいよ悪口大会が白熱してくると、ヒロコちゃんは「帰ろうよ」とはっきり言いました。
彼女は、わたしが傷つかないよう配慮してくれる、とても優しい子でした。
それでもわたしは「聞きたいよ〜」と、まだ笹を取りながら立ち聞きをしました。
ヒロコちゃんも、気まずそうに、そしてもう笹はいらないのか、棒立ちのまま立ち聞きに付き合ってくれました。
話の主題はどうも、「わたしの好きな男子がころころ変わる」というものでした。
「今度は小松くんだって聞いたよ。たいしてかわいくないのに、よく人前で言えるよね」
それを聞いて、わたしは「帰ろう」とヒロコちゃんに言いました。
ものすっごい笑顔で言いました。
『たいしてかわいくないのに……
たいしてかわいくないのに……
ってことは、少々かわいいってことじゃん!
やった!!
女子にも認められたよ。
わたしの、かわいく見られよう作戦成功してるよ』
昔も今も、鏡を見れば、自分の顔が10人並のふつうの顔だということがわかります。
だけど、『ふつうだと思うのに、なんで「ブス」とか言われちゃうのかなぁ』って悩んだり、姉が顔も性格もよくて小学生の頃からずっとモテモテだったり……
これは、拒食症とか過食症、はたまた登校拒否にならないために、わたしなりに編み出した防御法だったのです。
それがいまでも自然に身に付いていて、この方法は一見、精神を保つのにいい方法に見えるけど、他人から絶えず「かわいいよ」と言われ続けてないと、簡単に精神が崩壊する、もろい方法なのでそろそろやめなくてはなりません。
そうじゃないと、朝から巨大ビーズクッションを蹴りながら号泣することになります。
さっき号泣しました。
「かわいいよ」に限らず、「好きだよ」「愛してるよ」と他人から言われ続けてないと精神が保てない、自分ではかわいいとも人に好かれてしかるべき人間とも、ましてや愛されるとも思っていない、これが問題なのだと思います。
精神科医の岩月先生、なんとかしてください。
先生の著書、どれを読んでも、父親が悪いとか、母親の呪いだみたいなことしか書いてなくて、解決法が見つからないのは、わたしの読解力が足りないせいですか。
そもそもテーマの違う本をわたしは選んで読んでるのですか?
先生ご自身のおすすめはどれですか。
届かない声を発している場合ではありません。
書いた時期が前後しますが、金曜日にわたしが書いた話は否定してませんよ。
明るく振る舞えば、人から明るい人として接してもらえる、いいことです。
「明るい人として接してもらえなければわたしには価値がない」……その考えに行きつくと、ビーズクッションを蹴るようになるのですね。
(ものすごく架空の)みなさん。
名前を付けてかわいがっているビーズクッションを蹴ったりしないよう、がんばりましょう。
2008-02-05 時間が経っちゃった
金曜日に、原宿の喫茶店で起きた知らない人との不可解な交流。
『わたしの持ち歩いてるこの手帳ちっちゃ! ふだんメモするにはいいけど長い文章書くときはぺらぺらのA4用紙が1番いい』とか思いながら、その人のすぐ横で、この「楽しい日記」に載せるエッセイを書いてた。
『家帰ったら、パソコンに打ち込もう。打ち込む過程でそこそこ読みやすくなったり、おもしろくなるだろうな』とわくわくしながら。
時が経った。
土・日・月・火って経った。
そしたらもう、打ち込む過程というのは、わたしにとってタイピングの仕事(どんな仕事だかわかんないけど)みたいな、たんたんとしたものでしかなくなった。
つまらない。
だけど起きた出来事は、わたしにとってはおもしろかったんだ。
迷ったけど、パソコンで清書して今日中にその文章を載せる。
あたかも数時間前に起きた出来事のように。
「わたしはおもしろくてまだ興奮してるんだよ」というにせものの気持ちとともに。
金曜日のところに載せるから、日付は前後します!
2008-02-01 深いところで通じ合いすぎでわからない
昨日までのわたしは飲食店で店員を呼べなかった。
ファミレスのテーブルにある、押せば店員さんが来てくれるすてきなボタン、あれが命綱だった。
セルフサービスの喫茶店では商品名以外は一語たりとも口にしなかった。
だけど今日のわたしは違う。
眼科の受付で「ありがとうございました」と言い、処方せん薬局で「お世話様です」と言い、セルフサービスの喫茶店でも、にこやかに「アイスソイラテお願いします」と言った。
「アイスソイ……」と語尾が消えてなくなっていき、
「は?」
という答えが返ってくることもない。
「アイスソイラテお願いします」
「かしこまりました」
なんともまぁ、円滑なコミュニケーション!
天才に朗読してもらった自己啓発本によると、他人に見られたい自分として振る舞っていると、本当に他人からそういう人間として見られるらしい。
ということは、知らない人とのコミュニケーションが大の苦手のわたしでも、『全然へいきよ。ふふふん』と振る舞っていれば、他人からは、なんなくコミュニケーションできる人と見られるわけだ。
なんと都合のよい…
なんと簡単なことなんだ。
セルフサービスのカウンターでアイスソイラテを受け取り、トレイに乗せたそれを持ちながら二階へ昇った。
タバコは吸わないんだけど、喫煙席しか空いてなかったからそこに座った。
ソファーに腰掛け、向かいの椅子にジャンパーをかけたと同時にその椅子を引いた。
『あんまり椅子が飛び出してても、通るひとに邪魔になるしね』って思いながら。
その直後、隣の席の男性に声をかけられた。
「すみません」
いつもなら、無言でそーっと見るところだけど、病院と薬局とアイスソイラテで自信の付いたわたしは、満面の笑みで右隣の男性を見、「はい!」とにこやかに返事をした。
40代前半くらいのその男性も、なぜか満面の笑みだった。
そして満面の笑み同士、1秒のずれもなく同時に頷き合った。
わたし自身にも、そこで頷いた理由がわからない。
ただ、なにかを共有したのだと思う。
それはなにか?
男性から目をそらし、かばんから手帳をとり出しペンを走らせた。
「知らない人だー
わたしが椅子をひいた
それに対して謝った?
謝罪の『すみません』?
なんで
意味がわからん〜
「すいません」40才
頷く わたしも頷く
誰だ? なんだ?」
そうこうしてる間に、隣からタバコの煙がこちらに流れてきた。
隣の男性は携帯電話でも話しだした。
どっちかひとつなら、あのときわたしにも気付かないうちに「すいません、タバコ吸いますよ」「いいですよ」というコミュニケーション、あるいは「ケータイで話しますよ」「いいですよ」というコミュニケーションが成立したのだと理解できる。
でも、両方一緒だよ!!
「ますますわからないよ わからないよーーーーー!!
だけどわたしたちの心は一瞬、たしかに深く通い合った
わかったところで原宿の喫茶店で隣合わせただけの一回り年上の男性と友達になることもない」
メモ帳に書き続けた。
「わたしのコミュニケーションスキル向上における、次の課題
知らない人と笑顔で見つめ合い、頷き合うということが、今後またあった場合
『わたしたちのこの頷き合いは、何をわかりあっての頷き合いなんでしょう』と訊いてみる」
ひとりでメモを書き続けるのはそこでやめた。
隣の男性は、次から次へといろんな相手に電話をかけていた。
寂しいのかもしれない。