2008-05-31 新曲「インドの犬」
2008-05-29 肉片見て安らぐ、わたしも吹き飛べば肉片
映画館で「ランボー」の新作を観てきた。
(新作といっても、それ以前の作品をわたしは観たことがない。)
天才が観に行くというので、「じゃあ、わたしも行こっかな」という軽い気持ちで。
ところが天才は「大丈夫かなぁ。君、大丈夫かなぁ。言っとくけど気持ち悪いよ。人間が一瞬で肉片になって飛び散るからね」と、途中寄った回転寿司屋でも、バスの中でも、映画館に着いてからもずっと言っていた。
わたし自身も「だめかもしれないなぁ。そういうのほとんど観たことないし……。ダメだったら途中退場するよ。いいよね、ね、わたし逃げてもいいよね」と、天才に確認し、最後まで観られるか観られないか、半信半疑で館内に入った。
冒頭は、現実の迫害、虐殺シーン。
本物の死体。
見られないほどじゃないけど気持ち悪い。
そして物語が始まる。
兵士が地雷を投げた沼地を走らされる人々。
地雷を踏んで、吹き飛ぶ。
地雷を運良く踏まなかっために、撃たれる。
どっちにしても殺される、兵士たちの考えた残酷なゲーム。
そのときわたしは思った。
殺されたい……
頭の中が恐怖一色に染まってわけもわからないその瞬間、肉片となって吹き飛びたい!
今、わたしがいるこの場所、置かれた状況では、ただ電車に飛び込むだけのことひとつに、意志を持って、執着を捨てて……と、いろんな気持ちを持ったり捨てたりしないといけない。
ただただ、わけもわからないうちに吹き飛びたいと思った。
だけど、映画はこれだけでは終わらない。
ここはほんの始まり。
ほんとにパッパ、パッパと吹き飛んでいくんだ、この映画で。人間は。
右に走ったがために足が吹き飛び、左に走ったがために頭が吹き飛び、『あ〜。ここ最近、「わたしの人生はいろいろと選択を間違ってきたなぁ」なんて思ってたけど……』
『ランボー』を観ていたら、人生そんなもんかもなぁ、という気持ちになった。
絶望より希望に近い。
希望ってほど明るい気持ちでもないけど、映画館の暗闇の中で、ふわっと安らいだ。
後半、車に乗った兵士の頭が吹き飛ぶシーンでは、声を出して「ぷはッ!」って笑った。
わたしは12歳くらいから死にたがりで、年に数回は、人知れず高いところに登っては「全然怖くない。死ねる」って確認しないと生きて来られなかった。
「いつでも死ねるから、明日も死にたくなったら明日死のう」って死ぬのを保留にすると、必ず翌日にはちょっとした良いことがあったり、とくに悪いことがなかったりして、なんとなく死なないまま年月が過ぎた。
ところが21歳のとき、同じように高いところに登っても「わたし死ねない……」と思った。
いろんな感情とか、経験とかの積み重ねで、簡単に死ぬことはできなくなっていた。
そのあたりから、わたしのメンヘル人生の始まり。
「人知れず」だったのが「人目も憚らず」、リストカット、自殺未遂。
わたしはよく、「わたしの命は軽いよ。対人恐怖で、明日家に人が来るってだけでオーバードーズしたこともある人間なんだから」とか、自分の命は軽い、軽い、と言ってきた。
だけど、『ランボー』観て、気付いた。
(こっからいきなり、自分語りからまた『ランボー』に戻るよ!)
わたしの命は、わたしにとって重すぎた。
本当は、言葉とは裏腹に、自分の命を重く捉えすぎていた。
死ねなくなった21歳からも、それ以前の、死ねると確認しないと生きられなかった頃も。
重たすぎて持ち切れなかった。
もっと気楽に生きようや〜、わたし。
頭吹っ飛ぶの恐れて、自分で吹っ飛ばすことないじゃん。
明日はまた死のうとしてるかもしれないけど、とりあえず、今まで気付かなかったことに気付けたから『ランボー』は観て良かったと思った。
映画館の椅子を立ち上がったとき、天才が、つまらなかったんじゃないかとか、不快に思ったんじゃないかとか、いろんな感情のこもった目でわたしを見ながら「どうだった?」と訊いた。
「観て良かった。うん。観て良かった」
同じ言葉を繰り返した。
2008-05-24 ガンジス川に、似たところに行った
この動画は、長渕剛の曲そのまんまを使っているせいで、消されちゃう可能性あり。
今がお得!!
本当は、森にえオリジナル(新)曲「インドの犬」を歌ったり音を入れたりして、画像と合わせたかったのだけど、歌詞に「暑さに負けて死にたい」とか出てくるものだから……
昨日夫に離婚届をつきつけられて「死にたい」とか「殺して」とかリアルに言っていたわたしとしては、今日「インドの犬」をパソコンの前で歌うのは辛い。
曲調が明るい、というか、おバカなのでよりいっそう辛い。
辛いときには自作の歌を歌っちゃうわたしが、歌えないくらい辛い。
……
いやぁ、紙というのは重たいですね。
思っていたより、パソコンとかより重たいですよ。
数カ月前に、「頑張るぞ!」って10冊いっき買いして、何も書けてないノート型原稿用紙とか、掃除機よりも重たいし。
「インドの犬」
作詞:森にえ
作曲準備中
インドの犬になりたいなぁ
暑さに負けて死にたいなぁ
インドの花売りになりたいなぁ
一生 花売って暮らしたい
2008-05-22 カモだけ
今日は、ほんとにカモの写真を載せるだけ。
後日、この写真とか他の写真を使って、ガンジス川のことを歌った動画を作る予定。
餌で釣ってもないのに30センチの距離にカモがいるのは不思議な光景だった。
このカモの他に、「巨大カモ」もふつうにわたしの傍を歩いてった。
この表紙の、にこ神さんみたいな人も6人いて、ベンチで将棋差してた。
自転車が6台あったから、たぶん家のある人たち。
2008-05-21 コーラ噴いてた
昨夜夫に、「メントスとコーラを一緒に口に含むと盛大に噴くんだよ。……君、知らないの?」と言われ、「知らなかったよ。怖いね。メントス怖いね」とわたしは答えた。
「メントスじゃなくコーラが恐ろしいんだ。コーラは飲み始めると毎日飲んじゃうから恐ろしい飲み物だ」
コーラ中毒の夫はそう言い残し、どこかに出掛けていった。
洗面所で歯を磨いていたら、夫がコンビニの袋をぶらさげ、満面の笑みを浮かべながら洗面所に入ってきた。
コンビニの白いビニール袋越しでも、中身がコーラのペットボトルだということがわかった。
「それ、コーラだよね?」
「うん」
「その袋の中、絶対にメントス入ってるよね?」
「うん」
夫は嬉しそうだった。
わたしは「ちょっと待って」と言って、急いで歯を磨き終え、手のひらを洗面台に向けた。
「どうぞ。……あ! ちょっと待った!! どうせ噴くんだからトイレでよくない? それとも風呂場にしてもらおうかな。え〜っと。どうしよ?」
夫は「大丈夫、大丈夫。見てろよ」と言いつつ、洗面所でメントスをひとつ口に含み、コーラも口に含み、そのまま飲み込まず、両方を口に含んだ状態で5秒から10秒後。
コーラ噴いた!
洗面台に噴いたー!!
ものすごく嬉しそうに、笑いながらコーラを噴く人をわたしは初めて見た。
そもそもコーラを噴く人を見たのは初めてだ。
コーラまみれの洗面台を水で洗い流す夫の横で、わたしは言った。
「怖いね。やっぱりメントス怖いよ。注意書きに『コーラ噴きます』って書くべきだよ」
爆笑しながらだったから、途切れ途切れにそう言った。
そんな29歳と28歳。
遠くない将来、離婚する。
2008-05-19 わたしは違う宇宙の夫を連れてきてしまった
わたしは不幸だと思う。
夫が1冊の自己啓発本に出会ったことにより、2年半の結婚生活が終わろうとしている。
その本に書かれてあるとおりの課題を行った結果、(毎朝ノートに3ページ、寝起きのはっきりしない頭で思いついたことをつらつら書く。その他いろんな課題がある)
わたしのことを「もともと好きじゃなかった」ということに気付いたらしい。
「他に好きな人が出来た」でも、「冷めた」でもなく、もともと「なかった」……
これは辛い。
わたしはこれから一生、誰に好きだと言われようと「この人は自分自身の感情を勘違いしているだけ」と思うだろう。
「愛されてる気がしない」……
わたしはたびたび夫にそう言ってきた。
だけど夫は否定した。
「君が自分自身を愛せないからその気持ちを俺に投影しているだけ」とか、なんか難しくてもっともらしいことを言い続けてきた。
でもやっぱり愛されてなかった。
「ほら、わたしのほうが正しかったじゃないか」と、子どもみたいな口調で言ってやりたいけど、それはやっぱり虚しい。
「そうだね。愛してなかったよ」
なんて、そう何度も「愛してなかった」なんて言われたくはない。
さて。
これからどうするかだ。
女ひとり。
住むところも職もない。
体力もない。
そのわりに、病名からいって生活保護も期待できない。
死ぬか、風俗で働くか、今のところわたしにはこのふたつしか選択肢がないように思われる。
もう何年も前のことを思い出す。
大勢で待ち合わせをしたとき、知人の女の子が来なかった。
彼女は当時19歳だったか。
連絡を受けた人から、「緊急入院。いま点滴を受けてる」とだけ伝えられた。
『あぁ。オーバードーズか……』と思った。
彼女がよくオーバードーズをしているのは知っていた。
それにリストカットも。
わたしも当時毎日のようにリストカットをしていた。
高いところにもよく登った。
みんな、どうせ似たりよったりだと思ってた。
だから、ひとりひとりの理由なんて興味なかった。
それから数年経って、彼女とごく親しい人に会ったとき、あの日、彼女が待ち合わせに来なかった理由をふいに聞かされた。
彼女は待ち合わせの前日から風俗で働き始めた。
そしてその日のうちに自殺未遂、そういう経緯だったらしい。
聞いた直後の感想は、「美少女なのに! もったいない」
その話をしてくれた人は言っていた。
「『病気だから』って言ってた。他の仕事は体力的に無理だからって」
風俗で働くことを選んで、結局死ぬことも選んで、でもいま彼女は生きている……
らしい。
とりあえず、数カ月前に知人から聞いた限りでは。
聞く限り、あまり幸せではなさそうな、当時と似たような生き方をしているみたいだ。
メンヘルは、ずっとメンヘルのまんま……わたしはそう思っている。
その人が生まれながらにだったり、思春期のときに背負った不幸は、ずっと背負っていくしかないと。
そのうち、楽観的な人からは悲観的な人の存在が見えなくなって、悲観的な人からは楽観的な人の存在が見えなくなっちゃうんだって。
宇宙人のバシャール(中の人はダリル・アンカ)が、そう言っているらしい。
自己啓発本とはまた違う本の話を、夫がわたしに語ってくれただけで、自分で読んだわけじゃないからニュアンスが全然違ってるかもしれない。
だけど、近いうちにわたしと夫は違う宇宙へ行って、お互いが見えなくなる。
これは確実なんだと思う。
2月22日追記:ダリル・アンカは「中の人」ではなく「外の人」だった……と、思う。
でも、中とか外とか言ったら着ぐるみみたいで、世界のどこかにいる誰かの、夢を壊すかもしれないから。
あんまり人前で言わないようにしよう。
2008-05-15 ハギオ……
2008-05-12 父の「生きるから」宣言
実家の父と母は借金が返せなくなって、生活保護を受けることが決まった。
数日前、父から電話があった。
まずは「調子はどうだ?」と訊かれ、実家にいた頃から不定愁訴やなんやかやで、いつだって「元気」という言葉の似合わなかったわたしが「元気」と答えても嘘くさいし、「元気なら顔を出さないか」と言われるのも嫌だし……
それに親に心配をかけたくないなんていう感情もない。
だからといって、悩み事を相談するような信頼関係があるわけでもないし、父の質問に「うん……まぁ、まぁ、だね。いつもどおりだよ」と、家族以外の人と話すときよりも、はるかに低くて抑揚のない声で答えた。
なるべく感情が動かないように、傷付けられないようにと思うと、自然とそんな話し方になる。
母が相手の場合は、それでも感情を揺さぶられ、えぐられるけど、父なら大丈夫。
なぜかというと、父はいま、鬱病だから。
包丁も振り回さないし、大きな声も出さないし、家から出られないし、アル中だったのに酒さえ飲めなくなったらしい。
病気のせいで穏やかになった父と話した。
「そんなに調子はよくないにしても、お前はいつも、いい声をしているな。ゆったりとしていて聞き取りやすい」
父は言った。
『それは感情を殺しているからだよ』
頭の中で思ったけど、口には出さない。
伝える必要がない。
そして、話すことがそれ以上なかった。
しばらく間が空いたあと、父が言った。
「生きるから」
まさかの「生きる」宣言!
電話を受けた数日前に、わたしはひさびさに線路に飛び込もうとして「やっぱり無理だ。飛び降りにしよ。……どこから飛び降りようか」
と考えていたところだった。
電話で話した日も、その考えは変わらずあった。
父の言葉を聞いて「わたしと父は同じ頃、死を考えていたのか……。そして父は生きることを選んだのか……」と思った。
……
だからといって、「父が頑張って生きようとしているからわたしも生きよう」なんて感情は、いっさい湧いてこない。
「生きるから」と言われ、「うん……そうか……わかった」としか答えられなかった。
続けて「調子のいいときに顔を出しなさい」と言われ、曖昧に「あぁ。まぁ。いつか」などと答えて電話を切った。
トイレに行きたいと思っていたところにちょうど電話がかかってきたものだから、電話を切ったあと、トイレに入った。
便座に座って、小さな空間に独りになった瞬間、涙が流れてきた。
嗚咽した。
「独りなんだ」と思った。
わたしの感情は、いつのまにか無理に殺さなくても、家族の貧困どころか生死に対しても動かなくなっていた。
家族の死を悲しめる人が世の中にいるのだと思うと羨ましくて泣き続けた。
- 出版社/メーカー: アルバトロス
- 発売日: 2006/09/02
- メディア: DVD
このドキュメンタリー映画、主人公の影にはいつも亡き父親の姿がある。
2008-05-10 メール「風邪に負けました」
ひさしぶりに会う友人たちと一緒らしいから邪魔しちゃいけないと思いつつ、天才にさっき(午後2時に)メールした。
「風邪に負けました。ところで換気扇を止めるボタンはどこですか?」
換気扇の音が気になって眠りたいけど眠れないのだ。
うちはテラスハウスで、1軒屋みたいな縦長の作りだ。
地下から2階までの全部屋、トイレ、洗面所などすべてに付いている換気扇をいっきに回すボタンが、ブレーカーの近くにあるらしい、ということは知っていた。
雨の日や、お風呂に入ったあとなどに、家の中が湿気ってしまわないように、天才がまめに回しているなぁ、というのも見ていた。
だけど、わたしは触ったことがなかった。
住み始めて2年になるけど、なかった。
この家は、ちょっと作りが変なのだ。
2メートルくらい身長がないと届かないところにブレーカーやら換気扇のボタンやらの収まった箱みたいなのが付いている。
まずその箱の蓋を開けようと試みた。
玄関のすぐそば。
足下は階段。
収納庫の扉を開けて、好きな高さに簡単に取り付けられる…ということは不安定…なベニヤ板の下から2段目によじ登り、それでも届かないから、やっぱり下りた。
クイックルワイパーの本体を持ってきて、柄の部分を使って1番目立つ「ちょっと怪しいな。ブレーカーっぽいな」と思うものを下に下げてみた。
ブレーカーだった。
電気が消えた。
クイックルワイパーでもう一度押し上げてみた。
ファックス電話が、なんかしゃべった。
……と、頑張ったけどだめだったから、天才にメールした。
しばらく待ったけど返信が来ないから電話した。
風邪じゃない日でも、換気扇の大きな音をわたしが苦手なのを知っている天才は、止めて出掛けなかったことをしきりに謝っていた。
そして場所を教えてくれた。
「でもこの小さいボタンをクイックルワイパーで押したら壊すよ」と言ったら、「ハンガーで押すといいよ。そっちのほうが細いから」と、丁寧に道具まで教えてくれた。
天才だって身長は2メートルもないから、ハンガーを使って換気扇を回したり止めたり、そうしてカビが生えたり匂いがこもらないよう、定期的にやってくれていたのだろう。
『また換気扇回してるなぁ。うるさいけどちょっとの我慢……』
と、ブレーカーや換気扇のボタンの収まった箱のあたりにいる天才をよく見ることもなく、なんとなく見てきた。
天才との通話を終えたあと、ハンガー片手にもう一度挑戦した。
よじ登りながらハンガーで、換気扇を止めるための小さなボタンを押すという器用なことはわたしにはできなかった。
だから、ハンガーは床に置いて、手でボタンが押せる高さのベニヤ板までよじ登った。
下は階段だし、落ちたときのために予め眼鏡は外しておいた。
ベニヤ板はグラグラしたけど、外れることも割れることもなく、わたしは換気扇を止められた。
「これで眠れる」と思ったけど、寝てしまうのはもったいない。
最近のわたしは毎日やりたいことがある。
それは狗飼恭子さんの小説を読むこと。
なんでいままで狗飼さんの小説を読まなかったんだろうと思うと同時に、たくさん出ている狗飼さんの小説をまだまだ読めると思うと嬉しい。
もう連続で3冊読んだ。
こうして同じ作家の小説を連続で読むのは久々だ。
10代の頃は、同じ作家の本、連続10冊とかそういう読み方ばかりしていた。
だけど最近は、むかしほど本を読まなくなったのと、好きな作家が自分と同じ年とか年下とか、デビューして間もないとか、そういうことが多くて「あぁ……わたしはこの作家さんがデビューした頃、すでにこの世にいたのになんでいままで読んでこなかったんだろう」と切実に思うことがなくなっていた。
出ているぶん全部読みたいと思うことはあっても、数冊で読み終わってしまう。
……
と、これを書いてる途中で天才がカコナールの入ったビニール袋を持って帰ってきた。
「換気扇、自分で止められたよ。こうやって」と、再現して見せようとしたら途中で制止され、「それ、平行宇宙では君、死んでるよ。俺が帰ってきたときには、すでに死んで階段に転がってたり、半身不随になってたり、目がつぶれたりしてるね」と言われた。
わたしは「眼鏡外しといたから大丈夫」と答えた。
「そういう怪我するのを想定した行動は」とか、なんか言っていた。
下に、いま現在読み終えている狗飼恭子さんの小説を貼っておく。
恋人が自分以外の誰かのものになるのがとても嫌なので、死んでくれたらいい、と思ったことが、ある。
わたしを好きでたまらないうちに死んでしまえ。
自分で言うのもなんだけれど、あたしは、普通の女の子の三百倍くらい、意地悪だと思う。
でも神様。
だからなんだっていうの?
「ミリ」が好き。
女性作家よりも男性作家の小説を読んできた。
とくに、女性作家の描く恋愛小説は、本屋に行って手に取って数行読んでは「だめだ。無理だ……」と棚に戻してばかりでほとんど読んだことがなかった。
同性なぶん、自分と感覚が違うのとか、意地悪さ加減が違うのとかが、読んでて気になる。
狗飼さんの小説の中にはわたしがいるみたいで、読んでて気持ちいい。
*いま、困っていること
この文章、風邪で頭が朦朧としてて、書いたそばから、何書いてるかスカスカ忘れてっていること。
狗飼さんの小説ばかり読んでいて、頭に浮かぶことが、全部、狗飼さんの文体で浮かんで来るということ。
だからといって、ずっと好きだった曲をカラオケで初めて歌おうとして「あれれ? 頭では正確に流れるのに歌えない……」というように、真似して狗飼さんの文体で文章が書けるわけでもなく、かといってまったく影響されてないわけでもない、ちぐはぐな状態なこと。
2008-05-08 みんな見たいだろうから
今日、サンシャインで「びっくりサイズの生きもの展」を見てきた。
オオサンショウウオを見るためだけに行ってきた。
オオサンショウウオの水槽の前に40分間くらいいて、写真を撮ったり、腕を伸ばして自分とのツーショット写真も撮ったり、10分に1回くらい頷くように首を動かすところを見たり。
そうして長いこと、その場にいて気付いたこと……
サンシャイン「びっくりサイズの生き物展」に来てた人は語彙が少なかった!!
「キモッ!」
「でかッ!」
「この岩みたいなやつがオオサンショウウオか」
ほぼ確実にこの3つのどれかしか口にしなかった。
3人くらい「かわいい〜」と言いつつ数秒で通り過ぎて行った人はいったい、なんなんだ?
相手がかわいすぎて、自分には吊り合わないからと早々に身を引いたのか?
わたしは身を引かないぞ。
身の程知らずと言われようともオオサンショウウオから身を引かないぞ。
わたしと同じくらいオオサンショウウオが好きな人がいるかもしれないからと、人が通るたび横に寄りつつも遠くへは行かず、ずっとわたしの頭の中にあった言葉……
『かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい。かわいい……』
それ以外の言葉はなにひとつ思い浮かばなかった。
2008-05-06 もう綱に登り直す必要がない
サーカスが来ると
二人ドキドキして
「まだぼくは君を」なんて
「きっとうまくいくわ」なんて
綱渡りみたいに
今日はゴールデンウィーク最終日。
晴れ。
一昨日は天才とふたりで新宿御苑に行ったけれど、今日はどこへも行かなかった。
晴れていたけど行かなかった。
「どこかへ行こう」と誘われたけど行かなかった。
天才は下の本に書いてあることに習い、モーニングページという起きたばかりの朦朧とした頭で、毎朝30分思いついたことを書き続けることにより、わたしのことを「好きじゃなかった」「いてもいいけどいなくてもいい」「今までわたしを撮った数千枚の写真にも思い入れはない」という自分の本心に気付いたと言った。
それはいっときの気分ではなく、本当の「本心」らしい。
創作意欲が高まるだけの本かと思ったら、人の人生まで変えてしまうなんて恐ろしい。
「ジュリアさんなんて!!」と泣いてみたけどどうしようもない。
ノートを見返せばいつでも自分の本心を思い出せる天才と違って、モーニングページをやっていないわたしにできることと言えば、ゴールデンウィークにふたりで「としまえん」あたりに行って、「きっとうまくいくわ」なんて勘違いしないことくらいだ。
今からでも間に合う大人のための才能開花術 (ヴィレッジブックス)
- 作者: ジュリアキャメロン, Julia Cameron, 鈴木彩織
- 出版社/メーカー: ソニーマガジンズ
- 発売日: 2005/07
- メディア: 文庫
2008-05-01 空の巣症候群
今日すること
……ない。
したいこと
……ない。
仕事ができなくて家にばかりいた夫が、仕事場を借りて巣立って行った。
一緒にいたからといって、夫は寝てるしわたしは寝てるしで、寝てる人間がひとり減っただけだ。
午前11時半頃、ピンポンって玄関のチャイムが鳴ったからパジャマにジャケットを羽織って出た。
エホバの人だった。
わたしの好きなマンガ『NHKにようこそ!』をそのまま実写化したような人だった。
といっても、岬ちゃんじゃなく岬ちゃんのお母さんにそっくりなのだ。
化粧をきちんとしてツーピースを着て、顔と体がちょっと横に大きめで、日傘を差していた。
ふたり組で来るって本当らしい。
もうひとり、後ろに立っているのは申し訳なさ気な「教頭先生」といった雰囲気の男性だった。
「お休みのところすいません」
岬ちゃんのお母さんが言った。
「昨日、ご主人に聖書をお渡ししたのですが」
『あぁ。あれか……」
と思った。
昨日、お昼近くまで寝ているわたしの枕元に夫がスッと置いた聖書だ。
「起こしてもいいけど、聖書で起こさないでよ」と怒った。
「ごめん。俺もエホバからもらった聖書で君を起こしたのは悪いと思っている」
『しかもエホバか!?』
昨日聖書を渡したというエホバの人に、パジャマにジャケットを羽織っただけで、顔さえ洗ってないというのに「すいません。今から出かけるところなんで」と言ってドアを閉めた。
また寝よう。
楽しげで、天気のいいゴールデンウィークが過ぎ去るのを寝て待とう。
ついでに夫が仕事場から帰ってくるのも寝て待とう。