2008-06-27 明るみに出ないことの辛さ
このブログはまったく意味がない。
夫の独断で、別居、離婚、とあれよあれよという間に進んでいく。
わたしは気持ちの部分では、夫の決めた方向に付いて行くかたちで、だけど行動としては自ら不動産屋へ行って、部屋を決めてきた。
ついさっき不動産屋から電話があって、わたしのお願いしていた、大家さんとの家賃交渉がうまくいったという。
家賃が1000円安くなった。
礼金が2から1へと少なくしてもらえた。
わたしは今いる3LDKのマンションから、木造アパート1Kへ引っ越し、独りで生きていくことが決まった。
今日は契約時に必要な住民票を取りに役所へ行かないと。
……なんだか機械的に動いている。
止まると日に何度も泣くから動いていないと。
止まると、泣きつく相手の誰もいないわたしは実家に電話して、余計傷付くから動いていないと。
いつも通っている精神科に行っても、初診のときに5分も話を聞いてくれなかった医者に話す気になれない。薬を多めにくれるだけだ。
動いていないと。
動いているわたしを夫は「元気そう」と言う。
意識的に読み手が暗くならないギリギリのラインを目指し、ネタが離婚、そういうブログは少ないと思う。
わたしが読むとしたら、ネタが離婚じゃないにしても、暗くならないギリギリ、白々しくないギリギリ、そういうものが読みたいから、書く。
だけどわたしの日常はギリギリをはるかに超えている。
誰かに話したい。
同情されたい。
夫は実家にも誰にも離婚のことは話していないと言う。
夫にとっては、1人で抱えきれないことじゃない。
むしろ、今までの生活のほうが、抱えきれないほどの責任感や不安を必死で抱えてきたのだろう。
わたしは今、抱えきれない。
「ブログにでも書けば」と夫は言う。
だからこうして書いた。
おもしろくない本音を書いた。
くだらない。
何も満たされない。
匿名だからとかそういう問題ではない。
だってこれじゃ、読むほうも書くほうも、どっちもつまらないじゃないか。
どちらかだけでも幸せになればいいね、そんな思いを秘めて、夫だけの意思である離婚に同意した。
そもそも、結婚したいというのが、わたしだけの意思だった。
一方通行は、片方が2人分苦しむか、どちらも苦しむかしかない。
わたしは今、自分だけの意思で結婚したことへの罰を与えられている。
「だから仕方ない。仕方ない」
気付けばそう呟いて、止まらず動いている。
2008-06-25 生まれてきてすいません
昨日実家に電話したら、「生まれてきてすいません」という気持ちになった。
母は励ましとアドバイスをくれているつもりなのに、わたしはどんどん「だめだ……わたし、お母さんの言うとおり、生きられないのかもしれん」という気になった。
今日、誕生日。
夫と過ごすのはあまりにも辛いから「実家にでも行こうかなぁ」ってふと思った。
でもこれ、自傷行為と同じ原理だ。
自罰傾向が見られます……
わたしに……
見られます……
わかっているけど行ってしまいそう、わかっているけど弱ったときに限って電話して、さらにボロボロになる。
そろそろ学習しよう。
ところで昨日実家に電話したのは、誕生日の近い父に「おめでとう」と言うためだった。
電話を切ったあと気付いたけど、父とは話していない。
母の中では、わたしはうつ病で2年や3年では治らないということになっている。
「だからハンコだけは押しちゃだめ。ハンコだけは。ハンコだけは。ハンコ。町会議員さんも言ってたから」って!
創価学会に入って、母の交友関係が一気に広がっている。
2008-06-21 無菌室にはいられない
もうすぐ父の誕生日です。
姉の誕生日も来ます。
わたしの誕生日もやって来ます。
近いんです。
というか繋がってるんです。
卑猥じゃないんです、計画妊娠じゃないんです……たぶん。
偶然なんです。
姉を無菌室に閉じこめたいなぁ、と時々思います。
姉は7、8年くらい前に結核で半年間入院しました。
その時点で再発……2度目の発病でした。
「1度目は子どもの頃に感染、発病して自然治癒したんですね。ほら、この影がそう」と医者が言うのをポカーンと母と姉で見ていたそうです。
結核は、今では治る病気とされているけど、老人になってから再発する可能性が高く、姉が入院していた半年の間に……
同じ大部屋にいたおばあさんが別の病室に移され、戻ってこない、ということが何度かあったそうです。
さらに、ストレプトマイシンの効かない体質の姉には、3度目、運悪く感染したら、例え年老いてなくても生き残れる可能性は少ないようです。
退院したばかりの頃は、「わたし、死ぬんだぁ……」と泣いていたこともあったけど、今では「レンタルビデオ屋のバイトの中で、1番年上なんだぁ」と嘆きつつも、結核既往者で肺に穴が空いているということで生活保護を受けられるというのに受給せず、バイトに励んでいます。
所属事務所の判断でわたしよりも年下(25歳)な設定で、イベントコンパニオンの仕事もちょこちょこやっているそうです。
前に電話したとき、「ハングリー精神っていうか、ハングリーだよ。でも100円ショップでスパゲッティーの麺とソース買うと1食200円で食べられるんだよ。なんとかやっていけそう」と笑っていました。
姉に幸あれ!
死ぬな!
わたしも生き残るから。
わたしは井島ちづるさんのように、家族と絶縁して、AVに出て(その前にわたしはシリコン入れて)、書きかけの小説を残して風呂場で死んでいくのかなぁ、と数週間前から漠然と思っていたけど、『才能の欠片のようなものを潰されたくない。潰したくない。死にたくない』
今日そう思った。
井島さんの才能についてはわたしにわかるようなことじゃないけど、わたしの場合、自分でコントロールしない限り消えていくような微かにポッと灯るほどの才能しかないと自覚しているから、意識的に守って行かねばと思った。
2008-06-17 もう守らなくていいんだよ、ヤモリ
ドライアイ治療のため、おととい「ドライアイ外来」のある眼科で「涙点」に涙点プラグを入れてもらった。
プラスチック。
涙の通り道である涙点をプラスチックで埋めることによって、涙は排泄されず目に留まる、そんな治療法。
コンタクトレンズと違って、自分で入れたり外したりはできない。
プラスチックが埋め込まれたまんま。
ちょっとサイボーグっぽい。
サイボーグっぽくて怖いから、重度のドライアイだというのに、この治療法があるということは知っても知らないふりをしてきた。
目薬を大量に処方してくれるだけの、別の眼科に通い続けてきた。
家に帰ってきて。
わたしの感想。
「黒目って、触ると痛いっていうかなんていうか、『あッ……』って黒目が嫌がるんだね」
長年その感覚を忘れていた。
黒目も白目もいつも乾いているから……乾いていると……白目だけじゃなく黒目も指で触れちゃう。
睫毛が入っててても痛くない。
鏡を見たら睫毛が片目に2本入ってた、なんてこともあった。
乾いてる鬱陶しさのほうが強くて、そのへん、感覚が鈍くなっていた。
夫の感想。
「くっきり二重だ! 整形した?」
……してない。
わたしはもともと二重です。
と思ったけど、ドライアイになってからの4、5年というのは、夫と過ごした時間とほぼ重なっている。
ドライアイがひどいと、目だけじゃなく瞼の内側の粘膜も充血し、瞼が腫れる。
そのせいで、かすかに奥二重っぽくなっていたのが、元に戻った。
ところでさっき、iPodで「赤ちょうちん」を聴きながら自転車で家に帰ってきたら、玄関ポーチの壁にヤモリが張り付いていた。
ドアを挟んで、ポーチの右側が夫の自転車を止める場所、左側がわたしの場所、と定位置は決まっている。
一昨日、ドライアイ外来から帰ってきたときも、わたしが自転車を停める側にヤモリはいた。
今日もわたしの側にヤモリがいる。
ヤモリを見上げながら自転車を止めようとしたら、低い位置にスススッと降りてきた。
自転車のタイヤを当ててしまったら大変、と、スタンドで固定するのも忘れ、右に左にハンドルを動かしていたら、自転車ごとポーチの中でコケた。
わたしは自転車の下敷きになった。
ヤモリはいなくなっていた。
一昨日も、いなくなったと思ったのに、今日また戻ってきた。
わたしが不動産屋で物件を探していた昨日は、ヤモリは夫が自転車を止めている側に張り付いていたのかもしれない、と思った。
『でも、もう守らなくてもいいんだよ、ヤモリ』
自転車の下敷きになりながら、泣いた。
涙点プラグとは関係なしに、目が潤う日が多い。
生きてることは ただそれだけで
悲しいことだと 知りました
(「赤ちょうちん」より)
2008-06-11 中間地点
わたしの住んでいる街は観光地でも繁華街でもない。
駅前でさえなく住宅街だから、家から一歩出れば、ベビーカーを引いた人や、小さな子の手を引く人たちとたくさんすれ違う。
離婚が決まってから、彼女たちを見ると、ちょっと悲しくなる。
わたしはもうすぐ29歳になる。
完全に失われたわけではないかもしれないけど、保留になってしまった未来のわたしの姿を見ているようだ。
すぐに新しい恋をして、再婚して、子どもを産んで、という慌ただしい気持ちの切り替えはわたしにはできそうにない。
小さなヘルメットを被せた子どもを自転車の前と後ろに乗せ、スーパーマーケットから家へと帰っていく、わたしより少し年上の女性を見かけると『とりあえず、産めたとしても1人かなぁ』などと思う。
悲しいのは嫌だ。
悲しい現実はあまり見たくない。
だから今日は、巣鴨に行くことにした。
巣鴨には1度も行ったことがないけれど、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれているからには、おばあさんばかりがいるのだろう。
おばあさんの中にさりげなく紛れていたい気分だった。
ところが、駅に着いた途端、ホームには女子高生が大量にいて、女子高生と、その他20代30代40代、いろんな年代の人たちが、わたしが乗ってきて降りた電車に乗り込んだ。
エスカレーター横の壁には、これでもかというほど、痴漢をやめようという張り紙がしてあった。
「必ず誰か見ている」らしい。
駅から出てしまえば、わたしの想像通りの巣鴨……おばあさんばかりがゆったりと歩いている小さな商店街があるのだろうと思って出てみた。
出たらすぐ、大通りだった。
車がびゅんびゅん通っている。
高いビルがある。
あたりを見回せば、マックに富士そば、ほのぼのレイク。
「おばあちゃんの原宿」とはとても思えない都会ぶりだった。
大通りに面した商店街を歩いていると、やっぱり、コージーコーナーやサンマルクカフェ、100円ショップシルクなど、見知ったチェーン店のお店ばかりが並んでいた。
わたしの知っているチェーン店のお店は全部ここに揃っているんじゃないかと思った。
もっと歩いて行くと、ピンサロ(優良店・3000円らしい)があった。
「回転シマス」と書いてあったから、『回転するのか』と思いつつ通り過ぎ、裏側からピンサロの入ったビルを見上げると、「腰痛救急院」という大きな看板が見えた。
『おじいちゃん……?』
住宅街にいることに一時的に疲れているとはいえ、繁華街はもともと苦手だ。
巣鴨に絶望しかけた頃、やっと『地蔵通り商店街』と書かれたアーケードを見つけた。
日が暮れてきたせいか、おばあさんは思ったより少なくて、駅のホームと同じようにいろんな年代の人がちらほら歩いていた。
それでも地蔵通り商店街は、そこそこ、わたしを受け入れてくれた。
「アイスキャンディー」の垂れ幕を見て、『そこは「アイスキャンデー」と書くべきだよ』とがっかりした数軒先の店には、しっかり「アイスキャンデー」と書かれていた。
テレビで見たとおり、赤い下着を売る店が何軒もあった。
ワコールの赤いブラが980円だった。
無メーカーの赤地に黒レースのブラも売っていたけど、とうていおばあさんが買うとは思えなかった。
眞性寺というお寺では巨大な地蔵と、地面にしゃがみ、2kgくらいの味噌のみが入ったビニール袋に口を付け、味噌を食べる老人を見た。
髪と髭が伸びきっていた。
地蔵通り商店街をさんざん歩き回って疲れたあと、休む場所を探していたら「亜沙美亭」という喫茶店を見つけた。
その喫茶店の前で、5分くらい躊躇した。
随分前に「あさみ」という名前の女性に「一生呪い続けます」と書かれた。
どんな漢字を書くのか、名字はなんなのか、本名なのかさえ知らなかったけど、彼女にとってわたしは「友だち」だったらしい。
1度会っただけなのに、いつのまにかそういうことになっていた。
そして「友だちに裏切られた」彼女は傷付いたようだ。
わたしはただ、彼女の「あさみ」という名前を記号として恐れた。
いまだに同じ名前を見るたび、全然別の人だとわかっていても動悸がする。
わたしにとって、街も同じだ。
ずっとずっと前に働いていた職場のある街、知らないおじさんに罵倒された街、好きな人が風俗へ行った街、それから、わたしの知らない女性と会った街。
いつの間にか、どんどん怖いものが増えていった。
勇気を出して、「亜沙美亭」に入った。
「これは嫌いだから」「この場所は怖いから」と、完全に避けてしまうのは止めたいと思った。
「亜沙美亭」の、亜沙美さんなのか、そうじゃないのかわからない女性店員さんは優しかった。
会計をするとき「4の付く日には、出店も出てもっと賑わうんですよ」と教えてくれた。
店内には客がわたししかいなくて、帰るとき、彼女はドアまで開けてくれた。
「また来ます」とわたしは言った。
特に用がない限り、もう巣鴨には行かないと思う。
だけどそれは、わたしが巣鴨を嫌いになったからじゃない。
帰り道、眞性寺ではまだ、おじいさんが味噌を食べていた。
2008-06-08 東京都と向き合う
自己啓発本の課題、1週間読書(およびネット内の文章など活字全般)禁止6日目。
あと1日だ!
どんどん自分ルールが足されていく。
『自分の書いた文章を読み返すのはありにしよう。自分の書いた文章を「読む」のは、「書く」に近いよね。「書く」と言っても過言じゃないよね』
と、このブログを日に何度も読み返しているのは初日からだけど、今日新たに足された自分ルールは……
地図帳は見てもいい。
表紙に「東京都」と書いてある地図帳を、さっき、まじまじと眺めた。
『あ〜。都内にはこんなにも公園があるんだ。こんなにも公園が作られてるってことは、それ以外の場所に自然がほとんどないってことだね。自然破壊とか難しい問題について、わたしももっと考えないとね』
情報を遮断して自分と向き合うはずが、東京都と向き合ってしまった。
読書ではなく、東京都に逃避していた。
2008-06-07 読書禁止5日目
読書禁止週間なのに、ブックカフェにいた。
気になる本が置いてあったけど、グッと堪えて開かずに、タイトルをメモしてきた。
数日後にAmazonで注文しよう。
今日はもう1軒喫茶店に行った。
「エビピラフ」を注文したら、店員さんが厨房に向かって「エビです」と言っていた。
出てきたのはもちろん、伊勢海老まるごと、なんかではなくエビピラフだった。
メニューに「エビグラタン」もあったけど、そっちを注文したら、店員さんはなんて言ったのだろうと気になって仕方なかった。
海老具(エビグ)
海老蔵(エビグラ)
海老胆(エビタン)
絵瓶(エビン)
隣のテーブルに座った40代女性ふたり組のうち1人が、「このまま生きてても仕方ないって時々思うのよね」と、笑い交じりに言っていた。
なんでも、完全治癒することのない、薬で症状を抑えるだけの病気が発覚したらしい。
「1回病院行くだけで1万よ」と、やっぱり笑いながら言っていた。
彼女の食事が運ばれてくる前に店を出てしまったけど、彼女の頼んだものがエビグラタンで、店員さんの略し方は「エビタン」だったらいいなぁ、と思った。
そして彼女は自嘲気味な笑みじゃなく、「ぶはッ」って一瞬本気で笑うのだ。
「今、エビタンって言ったよね。擬人化してるね」などと言って。
そうすれば、笑い交じりに話すことで、話すほうも聞くほうも、愚痴を愚痴じゃないとする2人の空気は壊れる。
たった一瞬。
エビタン……その一瞬をもたらせてあげて。
2008-06-06 生きるのに最低限
読書禁止4日目。
読むことも書くこともせずに、眠る。眠る。
昼間も眠る。
夕方行った鍼灸院でも熟睡。
「鍼を取りますね」
「はがッ!!……熟睡してました」
「だと思いました」
熟睡していたことがバレていた。
前々から、胃腸虚弱と低体重について相談していたので、「どうですか? 体重は」とも訊かれた。
「増えません……。低ーいところで落ち着いてます」と答えたあと、「どんどん減っていくわけでもないので、重大な病気ではないのだろうと、楽観的に考えるようにしています」と付け加えた。
「スポーツクラブには行ってるんでしょ?」と、ふいに訊かれ「ふがッ!!」
嫌なことを思い出させられたせいで、また変な声を挙げた。
わたしは手術服みたいな専用の服を着て、仰向けに寝ながら奇声を発しすぎだ。
「スポーツクラブに所属してること自体……忘れてました」
「……」
「あのー。わたし、体重が増えないわけがちょっとわかったんですよ」
話題を変えてみた。
「気付いたら、あんまり食べてないんですよ」
「あー。それは、体が生きるのに最低限の栄養しか必要としてないってことですよ。そろそろまた、スポーツクラブで体を動かすといいですよ」
先生のさらりと言った言葉……『生きるのに最低限の栄養しか必要としてない』
これは名言だと思う。
わたしは生きるのに最低限の栄養と、最低限の娯楽だけを必要として生きてきた。
これはたぶん、他人と比較しても、ほんとに最低限だと思う。
少しの水と土さえあれば平気、みたいな、サボテンみたいな人間だ。
わたしが生きるのに最低限とみなす、愛情だけが求めすぎなのかもしれない。
友だちは、気付いたらいつもいない。
最低限は必要としたほうがいいと思う。
2008-06-04 Campus緑の表紙の原稿用紙
読書禁止2日目。
今日、原稿用紙に文字を書きました。
「現実」を書きました。
夫と離婚しなければいけないこと。
1年前にソーシャルネットワーキングサービスによって再会し、短い期間を経てまた他人に戻った、初恋の相手がバカだったこと……
中学時代見つめていることしかできなかった初恋の相手が、話してみたらバカ……
初恋の相手がバカ……
笑えると思っていたことが、実はとても悲しいことだと気付きました。
原稿用紙に文字を書きながら、わたしの逃避場所はいつだって読書ではなく、書くことだったのだと思い出しました。
それを思い出した場所がチェーン店の喫茶店シャノアールで、思い出した瞬間、うわーッっと泣けてきました。
ひととおり泣いた後、レジで会計を済ませ、店を出ました。
店を出たらまた涙が出てきて、号泣しながら自転車を全力で走らせました。
人も疎らな夜の街を、家まで全力疾走する必要は、まったくありません。
ただ、そんな気分だったのです。
家に帰って、20歳前後に書いた文章を読み返しました。
その頃使っていたのも、今日ひさびさに使ったのと同じ、Campusの、緑の表紙の原稿用紙です。
5回書き直して、結局出だし5枚しか書けなかった、コビトとコビトが文通で知り合って、動物園で楽しそうにしている親子を大量虐殺する物語が発掘されました。
なぜか主人公である女の子のほうは、初め自分がコビトだということを相手に隠しています。
「わたしは小柄だけど、コビトというわけではありません」
と手紙に書いています。
相手は初めから明かしているのに。
ちょっとずるいですね。
現実に実家にいて、父親が死ねばいいのに死ねばいいのに、と切実に願っていた頃書いた、これまた小説とはいえない文章は、父親が自殺し、主人公である娘が後追い自殺をし、その主人公はネットで宗教を開いていたから、信者たちがバッタバッタと後を追って死んでいく……そんな話でした。
わたしはファンタジー小説の中で冒険もしなかったし、SF小説を読んで未来に思いを馳せたりもしませんでした。
容姿に対するコンプレックスをコビトという形で書いたり、殺したいけど殺せない父親を紙の上で殺したり、そんなふうにして願望充足と、現実逃避をしてきました。
今日わたしの流した涙は、原点に戻り、書くことで現実から逃げようと思った、すがすがしい涙です。
明日も逃げよう!!
2008-06-03 いま、看板がおもしろい
昨日の日記に書きました。
わたしは活字を読んではいけませんって、書きました。
書きましたとさ。
めでたしめでたし。
今日、いつもの精神科に行くため、雨の中傘を差して道を歩いていたら、傘が左右に揺れている。
気付いたら揺れてて、「揺れてるんじゃなく、わたしが揺らしてるんだ」と気付いたのは、さらにその後。
電柱、シャッター、民家……
右にも左にも、看板やら張り紙やらに文字が書いてある。
『あぁ。文字だ! 文字だ文字だ!! うはははは。楽しいよ、楽しいよ。文字のある世界は楽しいよー。「猫に餌をあげないでください」「阿波踊り、踊り手募集」「なんたら歯科、この先10メートル」』
左右に見える文字、全部を読みながら歩いた。
読書家でも活字中毒でもなかったというのに、禁止されると読みたくなるものなんだと気付いた。
『1週間も耐えられそうにない……。余計脳が変になる。それより離婚が……』
精神科の待合室で、いろいろな思いが頭をめぐったけど、診察室での会話はいつもと同じ。
「どうですか」
「変わりありません」
「変わりありません」と言うと、基本的に2週間分しか出してもらえない薬を「ある程度長く通っていて、病状が安定している」ということで、4週間分出してもらえる。
通う頻度が高くなると、そのぶん精神が消耗するから、今日も「変わりありません」という魔法の言葉を唱えて病院を後にした。
帰りも、看板や張り紙をしげしげと見つめながら歩いた。
結婚相談所の張り紙が目に入った。
まだ、離婚もしていない。
ホルガで撮った貧乏草。
※活字禁止なのに、活字を打ち込んでいる。
自分の書いた文字なら、たぶん良し。
たぶん良いから、自分のブログばっかり眺めている。
自己愛。
2008-06-02 わたしは読んだらいけない
今からでも間に合う大人のための才能開花術 (ヴィレッジブックス)
- 作者: ジュリアキャメロン, Julia Cameron, 鈴木彩織
- 出版社/メーカー: ソニーマガジンズ
- 発売日: 2005/07
- メディア: 文庫
夫がこの本を読んだことによって、わたしと夫は離婚することが決まった。
この本は絶版らしくて、下の、内容はほぼ一緒の短縮版なら本屋で買えるらしい。
- 作者: ジュリアキャメロン, Julia Cameron, 菅靖彦
- 出版社/メーカー: サンマーク出版
- 発売日: 2001/04
- メディア: 単行本
わたしはいま「でもなぁ。なんだかなぁ。誰を恨めばいいのかな。何を後悔したらいいのかな。とりあえず、明日のことさえ考えたくないなぁ。できれば誰かとお酒を飲んで笑っていたいなぁ」と思って、日々暮らしている。
世の中では、女は女を恨むらしい。
たぶんそれは、浮気に限ったことなんだろうけど、この本の著者は女性だから「いっちょ、恨んでみるか」と思ったけど、うまく恨めない。
恨めないどころか、わたしも夫に薦められるまま、この本に書かれた課題をコツコツとこなしている。
もう4週目だ。
毎朝ノートに3ページ、思いついたことを書くのプラス、週ごとにいくつかの課題をこなす。
今週の課題のひとつに「1週間、本を読んではいけない」と書いてあった。
文脈からいって、ネットで他人の文章を読むこともだめだ。
1週間に1冊も本を読まないこともあるし、ネットで読むのはおもに自分がここに書いた文章を読み直して誤字脱字のチェックをするのと、それから3,4人の尊敬する人たちの文章を読む。
それだけ。
この課題、いけるような気がする。
……と、思っていたちょうどここ数日、いつもは1ヶ月に数回しかホームページを更新しない早川義夫さんが立て続けに更新している。
「アンテナ」の一番上に早川義夫さんのサイトが表示されると、何かの間違いじゃないかと毎回思う。
見に行ってみるとやっぱり間違いじゃなくて、嬉しい。
わたしは早川義夫さんのこのエッセイが好き。
http://www15.ocn.ne.jp/~h440/essay01.html
早川義夫さんは、歌も好きだけど、文章も好き。
それにしても、わたしは何をやっているんだろう。
「こんなものやるものか!!」とジュリアさんの本をビリビリに破いてゴミ箱に捨てればいいものを。
毎朝ノートを書いて、課題をこなして。
それから、これは課題じゃないけど、今まで失敗を恐れて手を出せなかった凝った料理を作ったりして、1日を過ごしている。
アパート探しはしていない。
アパート探しとか部屋の片づけとかをすると不安発作が起きるからというのは言い訳で、なにか勝手にいい方向に流れないかなぁ、とまだ期待している。
夫はわたしがなるべく元気になってから旅立つのを望んでいるらしい。
「娘を大学に送り出す、お父さんみたいな気分だよ」と笑う。
わたしもやり直せないことはわかっている。
わたしの、「やり残したことをやっているだけ」という気持ちは、本気なのか、やり直せるんじゃないかという期待がこもりすぎているのか、自分でもわからない。
今日はビーフシチューを作る。
難しくはないけど、お店で食べたほうが安上がりだしおいしいから、と思って1度も作らなかったビーフシチュー。
※上に紹介した本は、わたしは個人的に既婚者には薦めません!!
自分自身の本心も、相手の本心も、見ないうちにあッという間に40年50年なんて経ってしまうよ。
見えなければ、それが本心だよ。
一緒にいたい人といられる幸せ、それが可能な人には、そうして幸せでいてほしい。
皮肉でもなんでもなく。