2008-05-29 肉片見て安らぐ、わたしも吹き飛べば肉片
映画館で「ランボー」の新作を観てきた。
(新作といっても、それ以前の作品をわたしは観たことがない。)
天才が観に行くというので、「じゃあ、わたしも行こっかな」という軽い気持ちで。
ところが天才は「大丈夫かなぁ。君、大丈夫かなぁ。言っとくけど気持ち悪いよ。人間が一瞬で肉片になって飛び散るからね」と、途中寄った回転寿司屋でも、バスの中でも、映画館に着いてからもずっと言っていた。
わたし自身も「だめかもしれないなぁ。そういうのほとんど観たことないし……。ダメだったら途中退場するよ。いいよね、ね、わたし逃げてもいいよね」と、天才に確認し、最後まで観られるか観られないか、半信半疑で館内に入った。
冒頭は、現実の迫害、虐殺シーン。
本物の死体。
見られないほどじゃないけど気持ち悪い。
そして物語が始まる。
兵士が地雷を投げた沼地を走らされる人々。
地雷を踏んで、吹き飛ぶ。
地雷を運良く踏まなかっために、撃たれる。
どっちにしても殺される、兵士たちの考えた残酷なゲーム。
そのときわたしは思った。
殺されたい……
頭の中が恐怖一色に染まってわけもわからないその瞬間、肉片となって吹き飛びたい!
今、わたしがいるこの場所、置かれた状況では、ただ電車に飛び込むだけのことひとつに、意志を持って、執着を捨てて……と、いろんな気持ちを持ったり捨てたりしないといけない。
ただただ、わけもわからないうちに吹き飛びたいと思った。
だけど、映画はこれだけでは終わらない。
ここはほんの始まり。
ほんとにパッパ、パッパと吹き飛んでいくんだ、この映画で。人間は。
右に走ったがために足が吹き飛び、左に走ったがために頭が吹き飛び、『あ〜。ここ最近、「わたしの人生はいろいろと選択を間違ってきたなぁ」なんて思ってたけど……』
『ランボー』を観ていたら、人生そんなもんかもなぁ、という気持ちになった。
絶望より希望に近い。
希望ってほど明るい気持ちでもないけど、映画館の暗闇の中で、ふわっと安らいだ。
後半、車に乗った兵士の頭が吹き飛ぶシーンでは、声を出して「ぷはッ!」って笑った。
わたしは12歳くらいから死にたがりで、年に数回は、人知れず高いところに登っては「全然怖くない。死ねる」って確認しないと生きて来られなかった。
「いつでも死ねるから、明日も死にたくなったら明日死のう」って死ぬのを保留にすると、必ず翌日にはちょっとした良いことがあったり、とくに悪いことがなかったりして、なんとなく死なないまま年月が過ぎた。
ところが21歳のとき、同じように高いところに登っても「わたし死ねない……」と思った。
いろんな感情とか、経験とかの積み重ねで、簡単に死ぬことはできなくなっていた。
そのあたりから、わたしのメンヘル人生の始まり。
「人知れず」だったのが「人目も憚らず」、リストカット、自殺未遂。
わたしはよく、「わたしの命は軽いよ。対人恐怖で、明日家に人が来るってだけでオーバードーズしたこともある人間なんだから」とか、自分の命は軽い、軽い、と言ってきた。
だけど、『ランボー』観て、気付いた。
(こっからいきなり、自分語りからまた『ランボー』に戻るよ!)
わたしの命は、わたしにとって重すぎた。
本当は、言葉とは裏腹に、自分の命を重く捉えすぎていた。
死ねなくなった21歳からも、それ以前の、死ねると確認しないと生きられなかった頃も。
重たすぎて持ち切れなかった。
もっと気楽に生きようや〜、わたし。
頭吹っ飛ぶの恐れて、自分で吹っ飛ばすことないじゃん。
明日はまた死のうとしてるかもしれないけど、とりあえず、今まで気付かなかったことに気付けたから『ランボー』は観て良かったと思った。
映画館の椅子を立ち上がったとき、天才が、つまらなかったんじゃないかとか、不快に思ったんじゃないかとか、いろんな感情のこもった目でわたしを見ながら「どうだった?」と訊いた。
「観て良かった。うん。観て良かった」
同じ言葉を繰り返した。
2008-05-24 ガンジス川に、似たところに行った
この動画は、長渕剛の曲そのまんまを使っているせいで、消されちゃう可能性あり。
今がお得!!
本当は、森にえオリジナル(新)曲「インドの犬」を歌ったり音を入れたりして、画像と合わせたかったのだけど、歌詞に「暑さに負けて死にたい」とか出てくるものだから……
昨日夫に離婚届をつきつけられて「死にたい」とか「殺して」とかリアルに言っていたわたしとしては、今日「インドの犬」をパソコンの前で歌うのは辛い。
曲調が明るい、というか、おバカなのでよりいっそう辛い。
辛いときには自作の歌を歌っちゃうわたしが、歌えないくらい辛い。
……
いやぁ、紙というのは重たいですね。
思っていたより、パソコンとかより重たいですよ。
数カ月前に、「頑張るぞ!」って10冊いっき買いして、何も書けてないノート型原稿用紙とか、掃除機よりも重たいし。
「インドの犬」
作詞:森にえ
作曲準備中
インドの犬になりたいなぁ
暑さに負けて死にたいなぁ
インドの花売りになりたいなぁ
一生 花売って暮らしたい
2008-05-22 カモだけ
今日は、ほんとにカモの写真を載せるだけ。
後日、この写真とか他の写真を使って、ガンジス川のことを歌った動画を作る予定。
餌で釣ってもないのに30センチの距離にカモがいるのは不思議な光景だった。
このカモの他に、「巨大カモ」もふつうにわたしの傍を歩いてった。
この表紙の、にこ神さんみたいな人も6人いて、ベンチで将棋差してた。
自転車が6台あったから、たぶん家のある人たち。
2008-05-21 コーラ噴いてた
昨夜夫に、「メントスとコーラを一緒に口に含むと盛大に噴くんだよ。……君、知らないの?」と言われ、「知らなかったよ。怖いね。メントス怖いね」とわたしは答えた。
「メントスじゃなくコーラが恐ろしいんだ。コーラは飲み始めると毎日飲んじゃうから恐ろしい飲み物だ」
コーラ中毒の夫はそう言い残し、どこかに出掛けていった。
洗面所で歯を磨いていたら、夫がコンビニの袋をぶらさげ、満面の笑みを浮かべながら洗面所に入ってきた。
コンビニの白いビニール袋越しでも、中身がコーラのペットボトルだということがわかった。
「それ、コーラだよね?」
「うん」
「その袋の中、絶対にメントス入ってるよね?」
「うん」
夫は嬉しそうだった。
わたしは「ちょっと待って」と言って、急いで歯を磨き終え、手のひらを洗面台に向けた。
「どうぞ。……あ! ちょっと待った!! どうせ噴くんだからトイレでよくない? それとも風呂場にしてもらおうかな。え〜っと。どうしよ?」
夫は「大丈夫、大丈夫。見てろよ」と言いつつ、洗面所でメントスをひとつ口に含み、コーラも口に含み、そのまま飲み込まず、両方を口に含んだ状態で5秒から10秒後。
コーラ噴いた!
洗面台に噴いたー!!
ものすごく嬉しそうに、笑いながらコーラを噴く人をわたしは初めて見た。
そもそもコーラを噴く人を見たのは初めてだ。
コーラまみれの洗面台を水で洗い流す夫の横で、わたしは言った。
「怖いね。やっぱりメントス怖いよ。注意書きに『コーラ噴きます』って書くべきだよ」
爆笑しながらだったから、途切れ途切れにそう言った。
そんな29歳と28歳。
遠くない将来、離婚する。
2008-05-19 わたしは違う宇宙の夫を連れてきてしまった
わたしは不幸だと思う。
夫が1冊の自己啓発本に出会ったことにより、2年半の結婚生活が終わろうとしている。
その本に書かれてあるとおりの課題を行った結果、(毎朝ノートに3ページ、寝起きのはっきりしない頭で思いついたことをつらつら書く。その他いろんな課題がある)
わたしのことを「もともと好きじゃなかった」ということに気付いたらしい。
「他に好きな人が出来た」でも、「冷めた」でもなく、もともと「なかった」……
これは辛い。
わたしはこれから一生、誰に好きだと言われようと「この人は自分自身の感情を勘違いしているだけ」と思うだろう。
「愛されてる気がしない」……
わたしはたびたび夫にそう言ってきた。
だけど夫は否定した。
「君が自分自身を愛せないからその気持ちを俺に投影しているだけ」とか、なんか難しくてもっともらしいことを言い続けてきた。
でもやっぱり愛されてなかった。
「ほら、わたしのほうが正しかったじゃないか」と、子どもみたいな口調で言ってやりたいけど、それはやっぱり虚しい。
「そうだね。愛してなかったよ」
なんて、そう何度も「愛してなかった」なんて言われたくはない。
さて。
これからどうするかだ。
女ひとり。
住むところも職もない。
体力もない。
そのわりに、病名からいって生活保護も期待できない。
死ぬか、風俗で働くか、今のところわたしにはこのふたつしか選択肢がないように思われる。
もう何年も前のことを思い出す。
大勢で待ち合わせをしたとき、知人の女の子が来なかった。
彼女は当時19歳だったか。
連絡を受けた人から、「緊急入院。いま点滴を受けてる」とだけ伝えられた。
『あぁ。オーバードーズか……』と思った。
彼女がよくオーバードーズをしているのは知っていた。
それにリストカットも。
わたしも当時毎日のようにリストカットをしていた。
高いところにもよく登った。
みんな、どうせ似たりよったりだと思ってた。
だから、ひとりひとりの理由なんて興味なかった。
それから数年経って、彼女とごく親しい人に会ったとき、あの日、彼女が待ち合わせに来なかった理由をふいに聞かされた。
彼女は待ち合わせの前日から風俗で働き始めた。
そしてその日のうちに自殺未遂、そういう経緯だったらしい。
聞いた直後の感想は、「美少女なのに! もったいない」
その話をしてくれた人は言っていた。
「『病気だから』って言ってた。他の仕事は体力的に無理だからって」
風俗で働くことを選んで、結局死ぬことも選んで、でもいま彼女は生きている……
らしい。
とりあえず、数カ月前に知人から聞いた限りでは。
聞く限り、あまり幸せではなさそうな、当時と似たような生き方をしているみたいだ。
メンヘルは、ずっとメンヘルのまんま……わたしはそう思っている。
その人が生まれながらにだったり、思春期のときに背負った不幸は、ずっと背負っていくしかないと。
そのうち、楽観的な人からは悲観的な人の存在が見えなくなって、悲観的な人からは楽観的な人の存在が見えなくなっちゃうんだって。
宇宙人のバシャール(中の人はダリル・アンカ)が、そう言っているらしい。
自己啓発本とはまた違う本の話を、夫がわたしに語ってくれただけで、自分で読んだわけじゃないからニュアンスが全然違ってるかもしれない。
だけど、近いうちにわたしと夫は違う宇宙へ行って、お互いが見えなくなる。
これは確実なんだと思う。
2月22日追記:ダリル・アンカは「中の人」ではなく「外の人」だった……と、思う。
でも、中とか外とか言ったら着ぐるみみたいで、世界のどこかにいる誰かの、夢を壊すかもしれないから。
あんまり人前で言わないようにしよう。