母集団と標本

 最初に述べたように,研究の対象全体のことを母集団(population)といい,母集団について推論を行うために観測した一部の集団のことを標本(sample)という。ただし,心理学においては,研究の対象は人間全体という抽象的な存在を想定して,人間に普遍的な法則を探ろうとすることが多い。このとき,研究対象全体は,抽象的に,1つの数学的分布で表現する。実際に母集団が現実に存在する者として特定されている場合を有限母集団(finite population),モデル上想定される母集団を無限母集団(infinite population)という。「○○大学の学生」「××市の住民」などは有限母集団,「人間」「女性」「子をもつ父親」などは無限母集団として扱われる。

 一般的に用いられている統計学では,標本を用いて,母集団の平均などについて推論を行うことが多い。

 心理学の研究でなんらかの測定を行う場合,測定されている被験者そのものより,被験者を一般化した人間全体に興味があることが多い。たとえば,大学生の友人数人をつかまえてきて錯視の実験を行うとする。その目的は,特定の友人数人に対してどのような錯視が起こるかではなく,人間一般に対してどのような錯視が起こるかに関心がある。このとき,実際に測定を行う対象のことを標本という。それに対して,標本の結果を一般化できるような対象,つまり標本と交換可能な被験者の集まりのことを母集団という。

(繁桝算男・大森拓哉・橋元貴充 著 『心理統計学 データ解析の基礎を学ぶ』より引用)

現象を統計的に解析する場合、実験なり観察なりによって得られたデータを標本とし、ある全体について推測を行う、というのは基本的な論理です。

たとえば、社会学分野では、ある属性を持った有限の人間の集合を母集団として調査する事も多いと思います。いわゆる社会調査ですね。心理学では、知覚心理学等の実験心理学的領域では、人間という動物一般を母集団とするでしょうし、社会心理学なんかだと、社会学と同様に、ある時点における日本に居住する成人、というような有限母集団の場合が多いでしょう。自然科学では、無限回の実験が母集団になるでしょうし、品質管理辺りだと、あるラインで製造される工業製品全体、という無限母集団が想定される事でしょう。

さて、血液型と性格の関係、という問題でこの事を考えてみると、母集団はどのような集合と想定するべきでしょうか。色々考えられるでしょうね。

これまでも何度か書いてきましたが、私の考えを述べます。

私は、「血液型性格判断」を、シンプルに、分布の問題だと捉えています。性格判断とは論理的に、ABO式血液型の情報から高い確率で性格を言い当てる(あるいは逆)事が出来る、という現象だと考えられます。

これはつまり、血液型の情報を知る事が出来、更に、観察から人間の「性格」を分類する事が出来ると仮定すると、分布さえ偏っていれば「現象し得る」、のだと言えます。簡単に言うと、□型に○○な性格の人が著しく多い、というのが事実としてあれば、「性格判断」は成り立つ、という意味です。本質的に、社会学的・社会心理学的問題だと捉えているという事ですね。

母集団としては、有限母集団。ある時点における限定された空間に存在する人間の集合、とでも言えるでしょうか。たとえば、2008年に日本に居住する人間、というように。

もちろん、細かく考えると、標本調査論的な問題が色々ありますが、統計的な対象としては、ある程度理想化した集合を母集団と想定し、様々な誤差を考えながら調査を進めるしかない訳ですね。人間は、時を止めて全てを完全に調べる事の出来る存在では無いのですから。

さて、人間という動物全体を母集団とする訳では無いので、当然、血液型性格判断というのは、ある時には成り立たないが別の時には成り立つ、というのは、論理的にはあり得ます。性格の構成比が偏りさえすれば良い。「性格判断」というのは、(生物学的論理を基盤としながらも)多分に心理・社会的現象であるのですから。

そして、以前は見られなかったステレオタイプが見出されたようだ、というような信頼出来る研究結果が出たら、それは、血液型と性格との連関には心理・社会的因子の影響が強い事の証拠である、とも考えられる訳です。社会心理学的研究が、生物学的な連関の強さを否定する傍証になる、という事ですね。

逆の方向から考えると、仮に、生物学的に、血液型が強く性格に影響を与えるのだとすれば、研究の時期によって連関の仕方に大きな違いが出る、というのはあってはならないのだ、とも言えるでしょう。

もちろん、性格概念そのものについても色々考えがある訳で、強い状況論を採ったり強い行動主義だったりする場合には、性格という概念を、行動観察や質問紙調査で把握する、という事自体に懐疑的であるかも知れません。性格という固定的なものなど無い、という風に。当然その場合、性格判断という概念は無意味になります。性格を判断・分類出来ないのだから、血液型と性格の連関に言及しようが無い。

まあ、私は今の所、こんな感じで考えています。

そういえば、一般に母集団は想定しない、とかおかしな事を言っていた人がいましたね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

矛盾だらけ

やっぱりこっちでやりましょう。あっちの掲示板は使いにくくてしょうが無いです。

ABO FANさんは、あまり連投しないように。いいですね。これは議論以前の問題だから。

出来ればここでは、統計と科学の話をお願いします。黒猫亭さんとABO FANさんのやり取りは、あちらで引き続き継続して頂けると助かります。

ABO FANさん用:Interdisciplinaryな掲示板:@niftyレンタル掲示板:@nifty

26.ABO FAN  2008/10/26 21:00 >>24

> まず、「帰無仮説が正しい」が「関係無い」の定義なら、

帰無仮説の定義は、要するに「差がない」ですから、確かに「関係ない」の定義と同じです。
ただし、統計的推計では、一般に「帰無仮説が正しい」とは言えません。

では何故、帰無仮説が棄却されれば「関係ある」と言えるのですか?

つまり、この定義は検証しようがないので、実質的に無意味ということになります。
私は初めからそのつもりだったのですが…。

はいはい。自分で定義したのに、実質的に無意味、とは面白い。要するに、自分の定義が実質的に無意味だと認めたという事です。これは重要なので、周りに教えてあげましょう、皆さん。実質的に無意味な定義をkikulogでも主張していたそうです。

> 「関係ある」の定義は「帰無仮説が正しくない」になります。それは、ABO FANさんが自分で言った事。

ここも同様です。

「帰無仮説の棄却」=「関係がある事の証明」という主張は撤回するのですか?

では、以前の質問にお答えします。

>>12

> なら、今ここに書いて下さい。そんなに手間じゃ無いでしょう。
> ・「血液型と性格に関係がある」の定義は何ですか?

以上のように、一般に「関係がある」という定義は統計ではできません。

定義が出来ない事を主張しているそうです。しかも、kikulogで何回も定義を書いています(私のコメント#24を参照の事)。すごいですね。周りに教えてあげましょう。

> ・「差がある」とは、何における話ですか?

心理学のデータです。

標本で差が出ればいいそうです。すごいですね。皆さん、周りに教えてあげましょう。

> ・「母集団」は何ですか?

この場合は、自然科学的な話ですから、母集団の定義は実質的には無意味です。
ですので、申し訳ありませんがお答えできかねます。

母集団を想定していないのに統計的推測をしているそうです。これはすごいですね。皆さん、ここは押さえておきましょう。しかも、血液型と性格との関連が自然科学の話だそうですよ。さらに、自然科学では母集団を想定していないそうです。これはすごいですね。

> ・帰無仮説は、何についての仮説ですか?

すみません、漠然と「何について」と言われても、抽象的で意味が分かりません。

ですので、これまた申し訳ありませんがお答えできかねます。

すごいですね。ABO FANさんは、帰無仮説が母集団(母数)についての仮説である事を知らないそうです。しかも、抽象的で意味が解らないと。

つまりABO FANさんは、血液型と性格の連関の問題と、それに関する統計的推測の問題について、

  • 母集団を想定しない。
  • 帰無仮説が何についてのものか知らない。
  • 自然科学では母集団を想定しない。
  • 血液型と性格の話が自然科学の話だと言っている。
  • 標本のデータの差が何かを意味すると言っているが、何を意味するのか説明出来ない。
  • 「帰無仮説が棄却」=「関係がある」と言ったり、それが実質的に意味が無い、と言っている。それは、考えの変遷では無く、両方を同時に主張している。

このような考えを持っているそうです。これは重要なので、周りに教えてあげましょう。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

エントリーを上げざるを得ない(ダブルオーネタバレ注意)

ダブルオーのネタバレ(ってほどでも無いんですが、一応)若干エントリー。

※コメント欄ではそこそこ超ネタバレ。

*

*

*

*

*

*

ミスター・ブシドーには痺れざるを得ません。

彼とコーラサワーさんは、ダブルオーの良心だね(意味不明)。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

差と関係

ABO FAN Home Page/Mystery

 つまり、サンプルに少しでも肯定論者(実際は70%程度)がいるとするなら、本当に血液型と性格に関係があるかどうかには関係なく、必ず差が出ることになります。そして、ランダムサンプリングしたかどうかや、サンプルが多いか少ないかに全く関係なく、すべてのデータに再現性があることになります。

……?

本当に血液型と性格に関係があるかどうかには関係なく、必ず差が出ることになります。

おやあ。

「関係がある」=「差がある」じゃなかったんですか?

これで、差とか関係とか、何も考えずに使っているのが明らかになりましたね。本当にありがとうございました。

で、ABO FANさんの考える「関係がある」って何? 前も質問しましたけど、まだ答えてもらってないのでもう一度。「差がある」=「関係がある」は撤回するんですか? するなら、早く「関係がある」を定義しましょう。命題形式でね。

| | コメント (23) | トラックバック (0)

素晴らしい教材

超GJなサイトを見つけました⇒放課後の数学

これは素晴らしいですね。丁寧に書かれていて、図もふんだんに使ってある。自習にもってこい。復習のために参考にするのもいいですね。

作成するのは大変だっただろうなあ、と思います。感謝して使わせてもらわねばなりませんね。

こういうコンテンツは、WEBに向いているようにも思います。確率分布をグラフィカルに確認出来るとかは、とても解りやすいですしね。お手軽なのもいい。

学校とか企業とか、こういうコンテンツを充実させようと頑張ってる所は結構ありますから、それを使わない手は無いです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

«出来るかも?