協議会は商工関係者や有識者、街づくり活動に取り組む市民団体の代表など40人で先月発足しました。2回目となる、きょうの協議会でははじめに岡荘一郎会長が「多くの人が集まり、まちづくりへの関心の高さと思いの深さを感じる」と挨拶。副会長に倉敷商工会議所副会頭の永田妙子さんら3人を選任しました。他都市の例を見ても基本計画の策定には多くの協議が必要になります。また今後、委員の人数もさらに増えることも予想されます。そのため、最大18人で組織する幹事会を置くことを決め、くらしきTMO副会長の大久保憲作さんを幹事長に選びました。幹事会では今後、基本計画の策定を効率的に行うため、協議会への提案事項などを調整します。倉敷市では今年度中に国の認定を受けたい考えで、年内に協議会で基本計画の骨子をまとめる予定です。次回の協議会は11月26日に開催されます。
このサミットは、倉敷青年会議所が初めて開いたもので、倉敷市内14の高校から35人の生徒が参加しました。サミットでは、環境を良くする取り組みについて高校生から出されたアイデアをまとめ、環境に配慮した今後の行動指針を作成ることを決めました。参加者たちは四つのグループに分かれ、自分たちが住む街の理想像について各高校から持ち寄ったアンケート結果や自分の考えと、それを実現する為のアイデアを用紙に書き出していきました。生徒たちからは「空き地を農地化し、緑の多い町にする」や「自分でルールを決め、環境に配慮した行動を取る」など、ユニークな意見がたくさん上がってきました。続いて、各個人から出された意見を集約し、今後直ぐに実行可能なアイデアの絞り込みが行われました。会の最後には今後の行動指針を記した宣言文が採択されました。この宣言文は、来月中旬、伊東香織倉敷市長に提出する予定です。
サイエンスカフェは倉敷科学センターや国立天文台の研究員たちでつくる実行委員会が、月に1回、県内各地で開催しています。今回は独立行政法人 海洋研究開発機構で深海の微生物を研究している佐藤孝子さんを招き、光のない深海の世界の話を聞きました。佐藤さんは人が乗ることができる潜水調査船としては世界一深く潜ることが可能な「しんかい6500」に乗船し、深さ7000mほどのところに住む不思議な生物を何度も見ています。光のない暗闇と凄まじい水圧の中でどうして生物が生息できるのか、その多くはまだ謎に包まれています。佐藤さんは「深海は人類がまだ見ぬ不思議が残されている地球最後のフロンティア」と話し、今後も研究を進めたいと意気込みを語りました。参加した人たちは佐藤さんの話に熱心に聞き入り、神秘に包まれた深い海の底に思いを馳せていました。
岡田幼稚園では十数年前から地元岡田地区ゲートボール支部のメンバーにルール教えてもらいゲートボールに親しんでいます。今日は年長の5歳児20人と保護者が参加して、親子でゲートボールを楽しみました。親子で一打ずつ交代しながら、基本となるゲートを通すことから、コート真ん中のゴールポールにあてて、上がりとなるところまでを体験しました。子どもたちは6月に一度教えてもらったとあって、スティックを上手に操って一回でゲートを通す子も多くいました。今日は風が強く、少し肌寒い天気でしたが、親子で楽しい時間を過ごしました。
この祭りは海の神様に一年間の豊漁を祈願する祭りで、この地区の伝統行事です。祭りの特徴はなんと言っても大きな千歳楽が、小ぶりの神輿に激しくぶつかっていくところで、別名「けんかまつり」とも言われています。力と力のぶつかり合いはまさに男の祭りです。祭りは氏子地域を北・中・川・奥・南の五つに分け、地区ごとに揃いのハッピを着た男衆が、声を枯らしながら勇ましい姿を見せました。この祭りは激しくぶつかればぶつかるほど海の神様が喜ぶといわれています。午後7時ごろには祭り会場はクライマックスを迎えました。沿道には大勢の観客が集まり、勇壮な祭りの様子を手に汗を握りながら見守りました。祭り会場では海の男たちの勇壮な掛け声と太鼓の音色が遅くまで響きわたっていました。
およそ390年前に創建された高蔵寺では、2005年に平成の大改修として新しい客殿「施薬殿」を建立しました。この客殿の完成をきっかけに毎年、10月27日に秋のお祭り「施薬祭」が営まれています。3回目を数える今年の「施薬祭」は、午後2時から本尊の薬師如来を祀る本堂で護摩供養が行われ、願いごとを書いた護摩木を燃え盛る炎に投げ入れ無病息災、家内安全などを祈願しました。さらに、天野高雄住職を導師に8人の僧侶を施薬殿に迎え、大般若経転読法要が営まれ、三蔵法師がインドから持ち帰ったとされる大般若波羅蜜多経600巻の経本一巻一巻を広げて大声で唱え、流し読みしました。大般若経転読法要に参加したおよそ50人の檀家たちも、手を合わせ、アコーデオンのように広げて流し読みされる際にまきおこる般若の風とともに、お薬師さまの功徳を受けていました。