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2005年12月10日号

『戦後和解』小菅信子著、中公新書

「日英」から「日中」展望

 不可能のようにも思える日中の戦後和解の可能性を、日英の和解を基に論じている。

 戦後の日英関係は、映画『戦場にかける橋』で知られる泰緬鉄道建設における英軍捕虜の虐待問題をめぐり、極度に悪化していた。三万の英国人が有色人種の管理の下、強制労働に従事させられ、六千三百十八人が死亡したのは、英国史上、特異な出来事だった。そのため、多くの生存者がメディアを通してその体験を語り、広く英国民が共有していた。

 一九七一年秋に昭和天皇が英国を公式訪問した時、大衆紙『サン』は、「地獄が天皇を待っている」とさえ書いた。高級紙『オブザーバー』でさえ、「あの事実さえなかったら、天皇を歓迎できたかもしれない」として捕虜問題を蒸し返した。

 日英の和解は、第二次大戦中にビルマで戦った、両国の旧軍人の間から始まった。ロンドンの日本大使館の仲介で対面した二人は、最初は黙っていたが、次には感情のままに体験を話し、我に返ると、直接責任のない相手に互いに詫びたという。話を聞いてもらえたことに感謝した二人は、そのことを戦友に伝え、輪が広がった。

 やがて、英国人らが「靖国神社で日本の戦没者のお参りがしたい」と言うまでになる。両国でビルマ作戦同志会が結成され、相互訪問を重ねるようになった。

 両国の旧軍人は、「戦没同僚に対する切実な申し訳なさ」が共通の感情であるとことを知ると、「国境が消えた」という。日本政府も、村山首相から公式に謝罪するようになった。その結果、一九九五年の橋本首相訪英に際し、『サン』紙は「橋本首相の謝罪を受け入れよう」と論じるまで変わった。

 もっとも、そこから展望する日中和解は、かなり悲観的だ。民間からの盛り上がりと政府のバックアップが望み薄だからだ。結局、中国がもっと豊かになり、民主化が進まないと難しいのでは、との結論になる。(T)

【中公新書、税込七七七円】

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