「愛国駅入場券の謎」

【更新日:2007年5月2日】




縁起きっぷの売上によって昭和54年に建てなおされた旧愛国駅駅舎

広尾線愛国駅は明治末に開拓のために結成された愛国青年団の名前が地名となり、昭和4年の11月に広尾線開業とともに開業した駅であった。
この駅が縁起きっぷの元祖であり、「愛国から幸福ゆき」の売れた乗車券は軽く1500万枚はくだらないという。しかも昭和48年にはたったの7枚しか売れなかったこの切符は、昭和49年にはなんと300万枚も売れたという。「愛の国から幸福へ」の言葉とともに日本でもっとも売れたこの縁起きっぷは、愛国駅だけでなく、幸福駅でも発売されていた。鉄道が廃止になった幸福駅は、今でも十勝の一大観光地になっており、駅前のお店ではきっぷをかたどった硬券乗車券風な模擬きっぷを廃止当時と同じお値段で発売している。
この券はブーム真っ最中のころの乗車券
               



左の簡易委託券はブームになる前の幸福からの簡易委託券であるが、ほとんど枚数が出ていないことからもそうとう貴重なものと思われる。「きっぷ騒動と幸福きっぷ」『国鉄乗車券類大辞典』近藤喜代太郎・池田和政著2004年によれば昭和48年は88枚しか売れていない。昭和49年と読めなくはないが愛国の「国」が旧字体であり、この本に掲載されている簡易委託券は新字体であることからも売れていないときの券がそのまま残ったと考えるがいかかであろうか。

また、右の簡易委託券は幸福から中札内の券であるが、ブーム真っ最中にも関わらず、このような券が存在していたとは驚きであった。しかも、幸福の福が旧字体であり、これもまた売れずに残っていたのだろうか。(幸福ー中札内80円の期間未調査)


非常に多くの枚数の乗車券が売れたこの愛国駅はブームの真っ最中の昭和49年12月15日をもって無人駅となっている。であるので、愛国駅は30円入場券までしか存在しない(110円券で復活しているが)。このきっぷがブームになる前はなんてことのない駅だったと思われる。下記の3枚の愛国駅の30円を見ると券の様式の変化が目に見えて分かるが特に下記左上の昭和46年の初期券をみると券番は0019となっており、私の手元にある同じ日付の大正、中札内、大樹、更別、忠類と比較しても少なく、同じ昭和49年に無人化になった上更別駅よりも売れていない。






開業当初の様式の希少な五銭券(当時は無日付で発売)であり、券番も009と開業初日か2日目あたりに発売された券と思われる。




しかも、この駅の10円券は昭和40年間近にもかかわらず、旧字体券であった。この時期の他の広尾線の駅は旧字券でない。



さらに20円券の時代になっても明らかにあまり売れておらず、20円券を見かけることは意外に少ない。



昭和49年の無人化あとも委託という形で乗車券が発売されたものと考えられるが愛国から幸福ゆきの乗車券が硬券で作られているのに愛国から大正ゆきは下記の軟券で発売されたのはなぜなのだろう?大正駅では「たいそう幸福になる」という大正から幸福ゆきの乗車券がけっこう売れたそうである。



広尾線は縁起が良い駅名が多く、かって高校のとき広尾駅で下記の新生から大樹ゆきという乗車券を買い求めた覚えがあった。駅の出札口のところに大きく宣伝文が書かれていたような記憶が今よみがえった・・・



また、幸福駅前の土産物店では下記の入場券が売られていたが模擬きっぷと推察される。この時期の券(右側)をみるに様式は一緒だが、字体・フォントが若干異なり、小児断線部分がやけに大きい。



現在、この幸福駅周辺は様変わりしている。帯広広尾自動車道が建設され、2006年3月には幸福ICまで延伸し、この駅跡のすぐそばを高速が走る。駅に至る道も拡張され、かっての駅周辺を知る人にとっては、思い出にひたる余韻などないかもしれない・・・

2003年8月10日追加
2006年1月2日改訂
2006年12月1日再改訂
2007年5月2日再々改訂

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