心に青雲

心に青雲とは青雲の志を抱くこと。弁証法、認識論を踏まえ、空手、科学、芸術、時事問題などを論じます。

産科医のウソを再び批判(上)

2008年10月27日 | 医療問題
《1》
 10月16日の夕方のTBSニュースで、自然分娩を目指す妊婦さんたちを取材したものを見ることができた。東京の助産婦のグループと、愛知県岡崎市の産科医院の取り組みを紹介していた。


 助産婦さんのグループでは、臨月の妊婦たちが10人くらい集団で東京郊外の高尾山に登る。明日にも産まれるか、という女性ばかり。普通は1時間半で登頂できる程度の山なのだが、その急斜面をヒーヒー言いながらも2時間半ほどかけて頂上までたどり着く。 
 そしてある妊婦さんはその二日後に自宅で自然出産した。安産であった。

 自宅分娩を推奨するこの助産婦さんは、きわめて優秀である。
 病院で分娩しないのだから、いざというときには救急搬送されるにしても、原則的に医者の世話にはならないで産む。医療設備がない自宅だけに、みんな不安になるだろうが、それは妊婦が努力して健康体にすればいいのだという考え方である。
 健康体なら病院で産む必要もないのである。
 だから臨月の身体で頑張って登山をやる。そうすれば血流が良くなって、母体の子宮頸部が柔軟性を持ち、赤ん坊が産道に降りてきやすくなるのだそうだ。だから病院で陣痛促進剤なんか打たなくても安産になるのだ。

 助産婦さんによれば、出産予定日になっても産まれないような場合は、この登山をやれば無事何ごともないかのように産まれるそうだ。しかも登山中に分娩が始まることはまったくない、と言い切る。

 また、病院出産は医師たちの都合で出産させられるが、自宅での出産は母親と赤ん坊の都合と努力とで産むことができます、と言っていた。ずばり本質をついている。偉い!
 病院では医者が、自分たちが深夜は嫌だ、休日は嫌だという勝手な都合で、薬を使って調整されるところが多い。こういう不自然な出産をさせられる子どもが、どんな目に見えない障害を負わされるかわかったものではないのだ。産科医の多くは、産ませさえすれば後は知らないという連中らしく、帝王切開とか陣痛促進剤を使って産まれた子どもが将来どうなるかを研究しようともしない。


 これが一つの例で、もう一つ紹介されていたのは一応産院である。個人医院の裏庭の江戸時代からある古民家に妊婦たちが合宿している。土間で飯の支度をする。そこで妊婦たちは、薪割りをし、壁や柱の雑巾がけをしている。この産院の医師は、昔ながらの暮らしをして健康でいれば自然分娩でつるんと産まれてしまうものだと語っている。だから、薪割りや雑巾がけなのだ。実際にある妊婦さんが実に楽にお産をしていた。
 産科医よ、考えてもみろ。江戸時代以前、女性はやんごとなき方々は食事も悪いし運動もしないからお産に苦労し、へたをすると死ぬことがあったのは事実であろう。しかし庶民の女性は、出産寸前まで家事で身体を動かしていたのだ。だから近所の経産女性が来て手伝うだけで「つるんと」産んでいたのである。

 通常、多くの産院では、臨月になったら動くなと言うらしい。この岡崎の産院に北海道から移ってきた妊婦さんは、北海道で言われたことと岡崎の合宿出産でいわれたことは180度違った、と語っていた。

 自然分娩、自宅出産の場合は、帝王切開はできない。助産婦さんの腕だけが頼りで、あとは母親と赤ん坊の努力しだいである。こんなすばらしい分娩はない。私は感動した。


 以前、このブログで産科医批判をしたところ、ある産科医が自分のブログで「心に青雲」を口汚く罵り、こちらが大注目を浴びてアクセスが膨大になった。「便所の落書き」である2チャンネルにまで悪口雑言がまき散らされた(らしい)ことがあった。
 「医療産業の犯罪(6)薬漬けにされる子どもたち」(07.3.9)や、「産科医批判、ふたたび」(07.3.16)で、私が産科医のありかたを批判したことに対して、自称医者からの反論は、現実に帝王切開が必要な妊婦がいて、医療措置によって赤ん坊の命も、母親の身体も助かっているじゃないか、というものであった。自宅・自然分娩が好ましくとも、昔はそれで多くの妊婦が死に、子どもが助けられなかったのだ、今また自宅分娩に戻せばまた出産は修羅場になるぞ、と脅してきた。

 まったく、ものごとを過程で考えられない人、部分でしか捉えられない人には困ったものだった。
 ボンクラ産科医ども、ざまみろ、こうやって楽に自然分娩を成功させているじゃないか。何が「出産は危険」だ。

 TBSのニュース番組で紹介されていた助産婦さんと医師の言っていることは、簡単なことだ。人間は哺乳類でもあるのだから、女性が出産するのが当たり前のことである。母子ともに分娩の苦痛に耐えるのも必要な過程なのだ。
 それが近年、むずかしくなって病院で出産しないといられなくなったのは、母体が健康ではなくなっているからだ。例えば運動不足、栄養が悪い、ミニスカートや薄くて短いパンティを履くために冷やされているからである。だから生理不順や不妊症が起きる。

 その条件を無視して産科医どもは、とにかく女性の出産そのものが医療設備の整った病院でなければ危険きわまりないものだと、ウソをつき、不妊症と言う(先天的な?)病気があると女性を騙しているのである。
 だから本来、女性は臨月を迎えても家事という運動を日々やりながら、つまり適度の運動をしながら自宅で出産を迎えたのだ。昔は病院なんかなかったんだよ。出産は全部助産婦か、祖母、近所の出産経験者がやりきったんだよ、知っているかね医者諸君? 

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2 コメント

周産期死亡率 (山岸夏樹)
2008-10-27 12:54:00
>昔は病院なんかなかったんだよ。出産は全部助>産婦か、祖母、近所の出産経験者がやりきった>んだよ、

あなたは、その時代と現在の周産期死亡率を比べてみたことはあるんですか?
http://winet.nwec.jp/toukei/save/xls/L100230.xls
現代医療のおかげで周産期死亡率が減少していることについてはどうお考えですか?
こんにちは。 (産科医)
2008-10-27 14:42:42
私自身は医師であるのであなたの意見の根幹部分には賛同しかねます。
あなたの記事にあるようなお産の方法があることは存じておりますし、全てを否定しようとは思いません。ただ、やはり医療従事者ではない方の誤解を助長するような記事ですのでいくつかコメントを書かせていただきます。
基本的に、私たちは根拠に基づいて医療を行っています。今回の記事の前半部分の出産方法は一部の施設で行っていますが、そちらは経験に基づいておられます。
経験から根拠へとシフトしたことによって著しく低下したものは周産期死亡率です。
今は世界一の成績を誇っていますが、産科医不足でいずれ悪化するのではないかと考えます。なぜなら、あなたも書いていらっしゃるようにイザというときに搬送する施設がないからです。分娩というものは医療がなにも介入しなくても8から9割ほどは母子共に生きています。
ですから、こういう方々を助産所で生んでいただいても別段問題はありません。
しかし残りの1割前後の方々は急を要する処置の必要な方々です。そして、多くの一般の方々が勘違いなさっているのは、この緊急事態に陥る人はそれまでの経過が順調であった方のなかにもある一定の割合で起こりうるということです。私たちはサイエンスをしているので患者さんに冷たい印象を持たれるかもしれませんが、しかし、だからこそ再現性がある処置が可能なのです。
「人間は哺乳類であるので生まれて当然」というのは私たちから見るとややロマンティシズムにあふれているように思えます。医者がそのような前提で仕事をすれば事故が増えると思います。
動物であっても分娩中に死にますし、人間でも同様です。
昔は医者などいなくても出産をしていたのでしょうが、それはそうせざるを得なかった事情があるとも言えるでしょう。
南郷先生や三浦先生もあなたと同じように考えるとは思えませんが、もし、そのようにお考えになるのでしたら人を説得できるように説明していただけると助かります。
弁証法を知らない人を知らないからといって切り捨ててしまうのは簡単ですが、二者の相違を乗り越えて更なる高みに導くのが弁証法だと思います。短いコメント欄で稚拙な文章ですので分かりづらいと思いますが、この場をお借りいたしました。
コメント失礼いたしました。

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