自分の意見は穏やかに主張せよ!
「だって聖徳先輩だっていつも言ってるじゃないですか。『和をもって貴しとなす』って……付和雷同こそ、和の精神でしょ!」
すると聖徳先輩は「ちっちっ、それは違うな」と、クビを振ってこう言った。
「和をもって貴しとなす。確かに僕はいつもそう言うけど、その続きはこうだよ。『忤ふることなきを宗となす。人みな党あり、また達れるひと少なし。ここをもつてあるいは君・父に順はず、また隣里に違へり。しかれども上和らぎ下睦びて、事を論ふに諧ふときは、すなはち事理おのづからに通ふ、なにの事か成らざらん』」
わけがわからずきょとんとしていると、聖徳先輩は説明を続けた。
「みんなの意見がそれぞれ異なるのは当たり前さ。みんなそれぞれの利益に囚われているんだから。だからこそ、意見が違うからといって目くじらを立てて争ってはいけない。でもそれは反対意見を言うなという意味ではなくて、互いに穏やかな気持ちで話し合うことが大事なんだ。そうして初めて、道理の通った合意に達することができて、どんなことでも可能になるんだよ。今日みたいに違う意見が出ないような状態は異常だよ。健全な話し合いとは言えない。僕が言いたかったのは『人と違うことを言うな』ではなく、『意見の相違を認めた上で穏やかに話し合え』ということなんだよ。ちゃんと相手の立場を思いやったうえでの意見ならば、反対意見だって拒絶されないことが、今日の僕を見てわかっただろう?」
付和雷同することではなく、立場の違いを認め合った上で、話し合うこと。それがすなわち「和」だったのか……。僕は恥ずかしくなって思わずうつむいてしまった。
聖徳先輩は落ち込む僕の肩をポンと叩いて、いつもの優しい声で言った。
謙虚かつ大胆に
サラリーマンはしがらみが多いが、議論で重要なことは、派閥の論理を越えた公正さ。意見が違うからといって対立するのではなく、お互いの立場を理解するように歩みよりながら積極的に話し合うことで初めて合理的な結論に達せられる。
上になればなるほど、立場もあるため、発言には慎重になるもの。だからこそ若手が、みなが言いたくても言えないことを言っちゃえば、期待の若手と注目されること間違いなし! ただし「勉強不足かもしれませんが」と発言の前に付け加えて、謙虚な姿勢で発言することをお忘れなく。
聖徳太子(574-622)は飛鳥時代の政治家。厩戸の前で出生したという伝説を持ち、厩戸皇子と呼ばれていた。593年 女帝・推古天皇が即位すると摂政となり、四天王寺や法隆寺を建立するなど仏教興隆や文化的事業に力を注いだ。冠位十二階や「和をもって貴しとなす」で始まる憲法十七条を制定したことで知られている。607年には小野妹子を遣隋使として派遣。「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す」という手紙を書き、隋の煬帝を激怒させたという逸話をもつ。
旧1万円札の肖像としてもお馴染みだが、これらの業績を聖徳太子のものとする裏付ける確証はなく、研究者のなかには存在自体を疑問視する声もある。