重病で「回復の見込みがない」と診断されたら、患者や家族は延命治療を中止するかどうかの重大な決断を迫られます。延命治療中止は積極的に死に至らしめる「安楽死」とは異なり、患者が尊厳を保ちながら自然な死を迎える「尊厳死」。現在は法的な規定がなく、医療現場では国や学会、病院ごとなどの指針に沿い、個別に対応しているのが実情のようです。
今月初め、親友で50歳の米国人男性が倒れ、県内のある病院の集中治療室(ICU)に運ばれました。急性すい炎から多臓器不全を起こし、すでに危篤でした。人工透析装置、人工呼吸器などが取り付けられると、いったんは安定しましたが、最先端医療を駆使しても意識は戻らず、病状は日増しに悪化しました。
やがて医師は米国から訪れた母親に延命を中止するかどうかの相談を持ちかけました。母親は息子の姿に耐えかね、医師に「任せる」と伝えました。一方、事実婚の日本人妻は手を握り返したりする彼の反応から助からないという「前提」がどうしても信じられません。病床を訪れては「奇跡」を信じていました。
やがて肝機能が低下し、病院側から透析装置を外す決断が下されました。妻は「家族のエゴかもしれないけれど」とあきらめきれない心中を私に訴えましたが、血縁者に「任せる」と言われた医師の判断には従わざるを得ませんでした。装置を外すと、彼は数時間で息を引き取りました。
厚生労働省が昨年5月にまとめた「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」では、延命治療を中止するかどうかは医療・ケアチームが「終末期」と判断した上で、患者の意思決定に従うのを原則としています。意思が明確でない時(1)家族が意思を推定(2)推定できない場合、チームが家族と十分に話し合って最善の治療方針をとる(3)家族がいない・家族が判断をチームに委ねる場合、最善の治療方針をとる--などと示し、患者の苦痛軽減、合意文書の作成などを明記しています。
ただし「終末期」の定義はいまだに確立せず、延命中止の条件も不明確で、現場の判断だけに委ねられているのが現状です。それでは医療現場が判断を間違えた場合はどうするのかという不安はぬぐいされません。私の祖母は余命2週間と誤診された後、転院して十数年は生きました。また延命治療中止を家族が拒否し、1年以上生きた知人の母親のケースもあります。
患者や家族が多大な心痛と葛藤(かっとう)を抱える終末期医療。行政や医学界、医療現場だけに任せず、家庭や職場などで慎重に議論を重ねることが必要です。
毎日新聞 2008年10月27日 地方版