決して過去のことではない。被害者はなお不条理な苦悩、苦難と闘っている。被害の全容さえ、まだ未解明なのだ。
カネミ油症事件が明らかになって、今月で40年を迎えた。忘れてはならない「食品公害の原点」である。
油症の認定患者で、被害者救済運動や患者掘り起こしの先頭に立ってきた矢野トヨコさん(86)=福岡県小郡市=が、その40年目に合わせるかのように息を引き取った。何ら落ち度のない被害者の多くが、依然として救済されないままである。さぞ無念であったろう。
1968年10月に発覚した事件は社会を震撼(しんかん)させた。カネミ倉庫(北九州市)の米ぬか油を使った料理を食べた人たちに、皮膚障害や肝機能障害など思いもよらない病気が広がったのだ。福岡、長崎両県を中心に西日本一帯で消費され、症状を訴えた人は約1万4000人に上る。
「事実」が2つある。1つは、米ぬか油の製造過程で有毒のポリ塩化ビフェニール(PCB)が混入したことだ。もう1つは、同じカネミ倉庫製のダーク油にもPCBが混入し、その油を含む配合飼料により、約40万羽のニワトリが死んだことである。ダーク油事件は油症発覚より8カ月前に発生していた。
ダーク油は米ぬか油を製造する際の副産物だった。だが、ダーク油事件で工場を検査した当時の農水省は食用油の安全性を疑わず、食品の安全を担当する厚生省(当時)に知らせなかった。
国が連携して適切な処置をしておけば被害は最小限で防げたはずだ-。
被害者の主張は裁判で、いったんは認められた。84年、福岡高裁は国の責任を認定したのだ。しかし、2年後、同じ福岡高裁が「農水省側に職務上の通報義務はなかった」と逆転判断を示す。
大きな節目だった。患者側が国への訴えを取り下げるなど一連の訴訟は89年までに終結した。PCBを製造した鐘淵化学工業(現カネカ)は原告に和解金を払ったが、カネミ倉庫は経営難を理由に支払いを凍結したままである。
油症被害では和解前の認定患者約1900人、和解後の新認定患者約50人に加え、1万人を超す未認定患者がいる。
油症の主因はPCB自体ではなく、PCBが熱で変化した猛毒のダイオキシン類であることが分かり、4年前に認定基準が緩和されたが、認定の拡大にはつながっていない。医療費は認定患者に限りカネミ倉庫が一部負担するだけだ。いまだ治療方法も確立しておらず、被害者がなめてきた経済的、肉体的、精神的な苦痛を思うと、医療費の公的支援すらないことに目をつぶるわけにはいかない。
今年に入り、新認定患者が5月、抜本救済を求めて提訴に踏み出した。6月からは、厚生労働省による初の実態調査が始まった。被害者をこれ以上、置き去りにしてはいけない。国は総合的な救済の枠組みづくりを急ぐべきだ。
=2008/10/27付 西日本新聞朝刊=