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「日本人の戦略的失敗」

著者 北岡俊明&戦史研究会 

PHP研究所 定価1500円

好評発売中です

★戦略の失敗は戦術では補えない★

日本と日本人の戦略の失敗を分析し、その克服方法を提案する。

■日本のリーダーには戦略的思考力と戦略が欠落している。先の敗戦

は戦略の失敗だった。そして、戦後敗戦は800兆円の借金と3万人の

自殺者という結果をもたらせた。戦後敗戦の責任者は政治家である。

これは責任は万死に値する。

■先の敗戦責任を負い、従容として刑死(戦死)した七士の爪の垢でも

煎じて飲めと国会という遊園地で遊ぶアホウな政治家どもに言いたい。

血税を浪費する政治家どもを国民に成り代わって断罪する。

■営々として働いてきた善良で真面目な日本国民を、このような惨状に

放りこみ、なお、政争に明け暮れる政治家どもを一掃しないと、この日本は

良くならない。現在の政治家を全員クビにし、同時に、日本の政治システム

をゼロベースで一から作り直そう。初心忘るべからず。昭和20年8月15日か、

あるいは、明治維新の初心に帰れ。日本の原点に帰ろう。

 

 

平成20年10月27日(月)

言い訳が多すぎる!

医者、そして、日本人全体のモラルハザード

 

■妊婦殺人事件、受け入れを拒否した墨東病院以下の病院は言い訳

が多すぎる。

「医師が不足している」だの、

「夜勤が大変」だの、

「寝られない」だの

と醜い言い訳のオンパレードである。「殺人医師ども、テメエラふざけん

な」と言いたい。一切の言い訳をせず、死すとも己の責任を果たした、

かつての古き良き日本人よ、何処に行った。

 

■高給をもらい、社会的地位が高く、エリート職業のテメエラが何を贅

沢なことをほざいているのだ。この世の中には、働くことさえできず、

貧困で困っている人が一杯がいるのだ。夜勤が過酷だと、ふざんなと

言いたい。看護婦は、警備員は、夜中に働いているのだ。道路補修工

事は夜中に、寒風吹きすさむ中でも、暴風雨の中でも黙々と工事をして

いるのだ。

 

大声で怒鳴りつける場面だった

演技、演出力ゼロのアホ大臣とスタッフの頭の悪さ

 

■舛添大臣もアホだ。能無しだ。なぜ、墨東病院の院長以下のアホ医

師どもを、怒鳴りつけないのだ。テレビカメラを意識して、

 

「あんたらは何をしていたのだ。医師失格だ、人を救う医師が人を殺して、

どうするだ。何たることだ。責任をとれ!!!!!」

 

と大声で怒鳴りつける場面だった。演出力、演技力がゼロのアホウ大臣

と取り巻きである。

 

■舛添大臣よ、墨東病院の院長と対話してどうするのだ。あの場面は院

長を頭から大声で一喝する場面だったのだ。何たる演出の下手さよ。呆

れてものが言えない。国民の拍手喝采を獲得する千載一遇のチャンス

だった。空気を読めない舛添とスタッフの頭の悪さにうんざりした。

 

■それにしても言い訳が多すぎる。医者はもちろんだが、最近の日本人

はたるんでいる。まったく責任意識がない。絶対的な使命感や責任感が

ない。日本人のモラルハザードである。武士道精神をもっていた昔の日

本人ならば、言い訳をせずに、黙って腹を切った場面である。妊婦を殺し

た責任を自覚していさぎよく腹を切ったものである。医師を含めて日本人

全体がモラルハザードを起こしている。日本が溶けている。

 

平成20年10月24日(金)

殺人病院

哀れなり、母よ、母の顔を知らぬ子よ

可哀相だ、あまりにも可哀相だ

■人の命を救うはずの病院が人殺しをしたのだ。妊婦の受け入れを

拒んだ東大病院、慶應病院、墨東病院などは医師免許を剥奪しろ。

業務を停止させろ。冗談ではない。これらの病院の医師どもは殺人

を犯したと同じである。断じて許せぬ、絶対許せぬ。あまりにもかわ

いそうではないか。亡くなった母よ、その母の顔を知らずに、これか

らの人生を歩む、幼な子よ、哀れなり。これ以上の悲劇があるか。

 

■「知っていれば受け入れていた」だと。これほどの醜い言い訳は

ない。墨東病院の院長はいさぎよく腹を切って自決しろ。亡くなった

母に対して自決しておわびしろ。それが大病院の院長の責任だ。そ

れほど、この問題の責任は大きい。記者会見で謝って済むような問

題ではない。ただちに病院の業務を無期限で停止しろ。

 

■患者を拒否する病院に病院を名乗る資格はない。警察官が悪人

の逮捕を拒否したようなものだ。消防士が火事を消さないようなもの

である。タクシーが乗車拒否をするようなものだ。ゴジラ先生がガオー

と吠えないようなものだ。存在そのものに意味がない。ただちに廃業

しろ。病院であることを辞めろ。てめえら何様のつもりだ。

 

■患者を拒否するような病院は、厚生省が、厳重なる処罰を下せ。

今後、患者を一度でも拒否したら、ただちに資格を停止しろ。病院だ

からこそ、医師だからこそ、その社会的責任を自覚させろ。金儲けや

地位のために医師になるような奴は医師免許を剥奪しろ。一切の言

い訳を言わせず、文句なしに、100パーセント患者を受け入れる法律

を作れ。違反したら、医師免許を剥奪し、逮捕し監獄に放りこめ。殺人

罪か、殺人幇助罪か、傷害罪である。

 

平成20年10月21日(火)

目的と目標をあたえよ

目的なき国家、目標なき国民の悲劇

 

■現在の政治の最大の問題点は、国民に対して目的と目標を

あたえていないことである。すなわち、日本は何をする国家な

のか、その目的である。どのような国家をめざそうとしているの

かということだ。明治以降なら富国強兵が目的だった。目標は

軍事力と経済力の強化であった。欧米列強の侵略を受けず、

同時に、共産主義の浸透を防ぎ、豊かな国家の建設だった。

 

■満州国の建国はそのための手段だった。目的と目標の達成

まであと一息という時、昭和の指導者は国家戦略を誤った。

国家戦略の過ちが日米開戦であり、その結果の敗戦だった。

日米戦争は絶対にやってはならない戦争だった。やらずに済

む戦争だった。泥沼の支那事変をかかえて、日米戦争を開始

するとは、当時の指導者の狂気としかいいようがない。

 

■しかし60年後の日本も同じ過ちを犯そうしている。戦後の

日本の過ちは戦前よりもはるかに深刻かもしれない。最大の

問題は国家としての目的とも目標がないことである。めざす

べき国家像が存在しない。目標とすべきものない。目的も目

標もない時、人間はやる気を喪失し、生きる動機、働く意欲を

失うものである。

 

■現在は戦前よりもはるかに豊かなのに自殺者が三万人も

いる。人間は中途半端な豊かさだけでは生きられないし夢と

希望は生まれない。人間にとって最も価値あるものは、人間

同士の連帯感である。連帯感を喪失した時、名実ともにホー

ムレスとなる。貧しくとも連帯感があると夢と希望は生まれる。

貧しい中の連帯感は、豊かさの中の無連帯よりも、はるかに

生きる意欲を湧きたたせるのだ。「無連帯」こそが人間とって

自殺へつきすすむ最悪の病気なのだ。

 

■この連帯を生むものが、国家としての目的と目標である。

国民みんなが共有する目的と目標があってこそ、連帯感は

生まれ、愛国心も生まれ、猛然たるやる気が生まれるのだ。

リーダーの役割、すなわち日本国総理大臣の第一の役割は、

国民に目的と目標を与えることである。

 

■国民に対して目的と目標を創造できれば総理大臣の使命

と責任は果たしたも同然である。リーダーの最大の使命は部

下に対して目的と目標を提示することである。目的と目標が

あれば、人間はやる気になる。生きる夢、働く意欲が湧く。

目的と目標こそ、この世の中で、もっとも大切なものである。

 

平成20年10月20日(月)

月曜日あなたは憂鬱か元気か

「目を覚ましていなさい」と聖書は言う

 

■月曜日が、憂鬱な人と、元気な人、の二通りの人間がいる。

普通、日曜日は遊んだり、休んだりして、平日とはまったく違う

過ごし方をする。そのため月曜日になっても、心身の調子が月

曜日の体制、すなわち、勤労する状態になっていない。だから

多くの人は、憂鬱になるのである。

 

■これは精神のギアチェンジの問題である。できるだけ早くギ

アを勤労モードに切り換えることである。これには日曜日から

月曜日にかけて早寝早起きをすることである。とくに、月曜日の

朝の早起きは重要である。月曜日は早く起きて戦闘モードにギ

アチェンジするのである。

 

■通勤電車の中では、居眠りするのは厳禁である。新聞を読み、

本を読み、考え、メモを取り、戦闘モードに移行する時間帯が通

勤電車である。ゴジラ先生は、朝3時半起きる。電車は一番電車

の5時9分発である。ほんとうはもっと早い電車を走らせろといい

たい。5時では遅すぎる。さらにいうと電車は24時間休みなく一

晩中走らせろといいたい。

 

■朝の一番電車にのると8〜9割の人が寝ている。ほとんどの

人が居眠りしているのだ。毎朝の居眠りの光景をみると、これか

から戦場に向かう戦士の心構えとしては失格である。家をでた

時にすでに戦いは始まっている。通勤電車の中は、戦略や作戦

を立て、それを実行するための思考の時間である。考えるため

の大変重要な時間帯である。

 

■居眠りしていては考える時間がない。少なくとも自分が戦士で

あると自覚するならば、絶対に寝るな。あれは武士に命をゆだね

ただらしない百姓の姿である。聖書には「目を覚ましていなさい」

いう言葉がいたるところにある。マタイ伝第24章36節、マルコ伝

第13章32節に、主イエスがいつ来るか分らないのだから、目を

覚しておきなさいときびしく警告している。

 

■人間は弱い存在であり、ともすれば、だらしなく眠り込んでしま

うものである。その結果、ビッグチャンス、大きな機会を見逃すの

である。起きていることこそが、ビッグチャンを獲得するための

大前提である。居眠りしていてはチャンスは逃げるだけである。

居眠りするな、目を覚ましておけ!

 

平成20年10月17日(金)

百姓国家ニッポン

アメリカという武士に年貢を納める百姓の国

アメリカという領主につかえる農奴の国

 

■結局、日本という国の国柄は百姓国家・農民国家であったということだ。

昭和20年の敗戦によって、縄文時代から一千年以上つづく百姓国家に

先祖返りしたのだ。明治以降、旧武士階級が明治維新をなし遂げ、武士

道を標榜し、富国強兵を国家の目標としてきたが、昭和20年の敗戦で、

元の百姓国家・農民国家に先祖返りしたということだ。

 

■これは戦後60年間の臆病なる日本人の行動を見れば納得するはずだ。

日本人の行動原理は百姓の行動原理そのものであるからだ。歴史的に

日本は百姓が人口の9割を占める国家である。本来は、臆病で腰抜けな

百姓の国である。正確にいうと日本は公家と百姓の国だった。800年前、

武家の頭領・源頼朝が武を根幹とする武家政権をつくった。武家政権とい

う本質は昭和敗戦まで800年続いたいうのがゴジラ先生の仮説である。

 

■しかし、昭和20年の敗戦で日本人による武家政権が崩壊した。そして

日本人の旧武士階級に代わってアメリカという武家を上にいただく国家に

なった。かつては曲がりなりにも日本人による武家国家だった。武という

ものが国家の重要な文化だった。しかし、アメリカを頭領にいただく戦後

日本国には「武の文化」は存在しない。名実ともに百姓国家・農民国家に

なってしまった。その結果、アメリカという親分の言いなりになる、臆病で

腰抜けな庄屋が「代貸」をつとめる国家になった。

 

■このままでは、日本は一人前の国家としての成長と発展はないだろう。

アメリカという武家階級に年貢を納める百姓として、搾取を受け続ける

だろう。あるいはアメリカという親分に上納金を納める商店街の商店主の

ままだろう。もっと悪くいうと、アメリカという領主に使われる奴隷か、農奴

ということだろう。いずにれにしても、情けない国家に成り下がったもので

ある。百姓国家から脱出し、本来の武士をいただく武家政権をつくらない

と日本の未来はないとつくづくとゴジラ先生は憂国の情がやみがたいの

である。心ある同志よ、志士よ、日本ルネッサンスを起こそうではないか。

 

平成20年10月16日(木)

WBC日本代表監督は野村にやらせろ

■野球のWBC代表監督は、口うるさい野村監督に一度

やらせてみればいい。成功すれば大いに結構、失敗すれ

ば大口を叩かなくなるだろう。世界大会の困難さが分ると

いうものだ。とにかく野村にやらせることが最善の策である。

こういう男には一度経験させないと、いつまでも獅子身中の

虫になる。

 

■星野はない。真珠湾作戦で第二次攻撃をせず、ミッドウェー

海戦で敗北した南雲長官を、温情で起用しつづけた日本海軍

の歴史の誤りを繰り返すな。「現役の監督は無理だ」と王が発

言していたが、とんでもないことだ。野球の世界選手権である

なら、現役も、OBも関係ない。ベストの布陣で望むことだ。今

からそういう条件をつけていると、またぞろ、オリンピックの二

の舞を演じるだろう。

 

■野村監督か落合監督が最良の選択である。現役の監督を

起用するからこそ、全球界が協力する。OBを起用すると片手

間仕事と見られ、現役の監督や球団が本腰を入れないだろう。

とかくに日本では「全権」を移譲して任せないという悪しき風土

がある。周辺が、なんやかやと文句をつけ、条件をつけ、足を

しばり、手をしばり、身動きできなくしてしまう。星野ではまた

ぞろ、注文が入り、活躍できないだろう。野村か落合にやらせ

て世界代表監督の難しさを骨の髄まで味わってもらうことだ。

 

平成20年10月15日(水)

拉致問題、アメリカ頼みを即刻やめよ

日本が、平壌を核攻撃できる核ミサイルを保有したら

北朝鮮は拉致被害者を返すだろう。日本の核武装こそ

が、北朝鮮に対する最善の国家戦略である。しかし、

平和教の信者・臆病で腰抜けの現代日本人には何も

できはしまい。

 

■結局、アメリカ頼みの拉致問題は、拉致問題の解決よりも

北朝鮮のご機嫌取りという結末になるのである。アメリカにと

っては、北朝鮮の核が最大の問題であって、日本人の拉致

などは「アンタのところの国内問題ですよ」と突き放されたのだ。

アメリカはもとより中国も、ロシアも、韓国も、北朝鮮の暴走を

制御し、東アジアの平和と安定を第一に優先したのである。

こうなると日米同盟など屁のように軽いものである。

 

■結局、拉致問題の解決には軍事力以外に選択肢はない。

日本の強い軍事力である。軍事力をバックに北朝鮮を屈伏

させるしかない。北朝鮮は、アメリカ、中国、ロシアの軍事力

の前には膝を屈するのである。しかし、日本の軍事力など屁

とも思っていない。弱い日本は、北朝鮮によってなめられ、コ

ケにされている。北朝鮮にとって、日本など恐れるどころか鼻

くそ程度にしか考えていないのだ。

 

■結局、日本の核武装である。核ミサイル開発である。日本

は平壌に照準をあわせた核ミサイルをもってはじめて北朝鮮

は日本の言うことを真面目にきくだろう。いつでも平壌を破壊

するという核ミサイルによる交渉である。北朝鮮をテーブルに

つかせるための強制力や軍事的な手段を持たない日本にど

ういう解決方法があるというのだ。何もないではないか。

 

■結局、日本国民が平和ボケから脱却し軍事力の効果にめざ

めるしかない。平和主義がいかに役に立たず無力かを認識す

るしかない。国際政治における軍事力の絶大なる力を再認識

するしかない。憲法を改正し、北朝鮮を制圧できるほどの強力

な軍事力を保持するしかない。

 

■結局、現在の日本人をみると絶望的になる。黒澤明の名作

「七人の侍」の百姓である。アメリカという侍に防衛を任せた臆

病で無責任な百姓である。映画「七人の侍」は百姓の勝利で終

わったが、それは間違いである。その後再び野武士に襲撃を受

けてあの村は全滅するだろう。「その後の七人の侍」こそが日本

の未来を暗示している。

 

平成20年10月14日(火)

マスコミが三浦を殺したのだ

アメリカの横暴と傲慢無礼を許していいのか

 

■三浦和義が自殺した。哀れな最後だ。かわいそうな男だ。

長年、マスコミによってリンチを受け続け、人生を棒にふり、

最後は自殺である。これは明らかなマスコミによるリンチ殺

人である。一人の男を徹底的にいたぶリ、なぶり殺しにした

のだ。凄惨な殺人事件である。マスコミは人を殺す権利が

あるのか。マスコミには死刑をくだす権限があるのか。マス

コミは、いつから神になったのだ。

 

■たしかにいかがわしい男だ。かぎりなく怪しい人間だ。しか

し、たかがカズミという一人の女の殺人事件である。たった一

人の殺人事件なのに、なぜ、あそこまで報道する必要がある

のか。マスコミの異常行動こそ異常である。疑わしきは罰せず

である。疑わしいというだけで、一人の男の人生を奪っていい

のか。マスコミ人よ、一人の男の人生を返せ。マスコミ人よ、

お前達こそおぞましい殺人鬼である。

 

■日本政府よ、アメリカに厳重なる抗議をせよ。一人の日本人

が拉致され、自殺という方法で殺されたのだ。日本政府には日

本人を保護する責任がある。いかに三浦がいかがわしい人間

でも、日本の裁判で無罪になった男が、拉致され、監禁され、

最後は、自殺に追い込まれたのだ。こんな無法を許していい

のか。アメリカの横暴と傲慢無礼を許していいのか。日本人は

日本で無罪になっても、アメリカでは逮捕されるのか。こんな理

不尽なことがあっていいのか。なぜ、日本政府は怒らないのだ。

厳重なる抗議を申し込まないのだ。日本はいまでもアメリカに

占領されているのか。アメリカの領土なのか、保護国なのか。

 

平成20年10月10日(金)

ノーベル賞の益川先生はオモロイ人だ!

小林先生の奥さんのカレーはうまそうだ!

 

■ノーベル物理学賞をもらった京都大学名誉教授の益川先生は

大変おもしろい人のようだ。こんな人の授業はぜひ受けてみたい。

話をたっぷりと聞いてみたい。ものの見方、考え方、人生の生き方、

勉強のしかた、人生哲学などをお聞きしたい。とくに、政治について

自民党や民主党、麻生太郎と小沢一郎の比較、福田や安倍などを

どのように考えているか、すばっと斬ってもらいたい。

 

■益川先生は、英語が苦手というが、苦手といっても、そこらの茶髪

のニイチャンやネエチャンと同類項だと考えると困る。ノーベル賞を

もらうような偉大な学者だから、当然、外国文献は読んでいる。英語

を喋るのが苦手であって英語の文献は読みこなすだろう。苦手は苦

手でも、高いレベルでの苦手であり、謙虚におっしゃっているのだ。

 

■益川先生の奥さんが「益川敏英だから、すなわち、語に感な

んですよ」とインタビューに答えたのは傑作だ。似た者夫婦である。

 

■同じく、ノーベル賞の小林誠先生の家庭も庶民的だ。取材の時、

奥さんがカレーを作っていたが、ごく普通のカレーというより、質素な

カレーだった。ゴジラ先生の女房殿は「わが家のカレーがもっと豪華

だわ」などと、恐れ多くも畏くも、ほざいていた。

 

だいたいノーベル賞を受賞したおめでたい日の夕飯に、庶民的な

カレーを、世界のノーベル賞亭主に食わせるという発想が最高だ。

ノーベル賞亭主も、奥さんにかかればまるで子供扱いなのだ。

「ハイハイ、今日はおめでたい日だから、カレーにしましようネ」

というところだろう。

 

■しかも小林先生の奥さんは全然化粧ッ気のないスッピンに近い

顔で、散らかした庶民的な台所で取材に答えていた。なんの飾りも、

見栄もない、すばらしい奥さんで、小林先生の人柄が偲ばれる。

15歳の娘さんがまた素朴であり最高である。こういう良き家庭から

ノーベル賞は生まれるのだ。

 

平成20年10月9日(木)

またまた快挙、大快挙だ!

カッコつけの有名私立大学ではなく実力の地方大学だーー

 

■ノーベル化学賞の下村脩先生は長崎医科大付属薬学専門学校

の卒業である。現在の長崎大学薬学部である。今でこそ、東京の

早稲田や慶應が有名で、早稲田・慶應にあらずんば、人にあらずと

いうような噴飯ものの風潮があるが、とんでもない考え違いである。

これは東大を滑った東京の私学卒の馬鹿マスコミ人の作為である。

 

■長崎大学の医学部は江戸時代からの歴史と伝統がある。長崎大

学経済学部、すなわち、旧制の長崎高商は商業における有名な旧

制の高等学校だった。地方大学などという呼称は、東京の私立大学

をでたアホなマスコミ野郎が勝手に付けた名前である。東大に対す

る自分達の劣等感を補うために地方の歴史と伝統のある有名な旧

制高校や大学を貶めるためである。

 

■今は名古屋大学までも地方大学にしているが、とんでもないこと

である。名古屋大学は旧名古屋帝国大学である。日本に七つしか

なかった帝国大学の一つである。貧乏だが優秀なる学生のための

大学が帝国大学である。金持ちのための東京の有名私立大学とは

わけがちがう。

 

■日本の科学技術は、明治以来、帝国大学が担い、戦後は地方の

国立大学も担った。ゴジラ先生の故郷、徳島の徳島大学には工学部

や薬学部や医学部や学芸学部がある。戦後日本の工学、医学、薬学、

教育の人材をこれらの「地方大学」が担ったのである。

 

■四国の香川県には香川大学経済学部すなわち有名な高松高商

あった。ゴジラ先生は二期校としてここを受験する予定だった。たま

たま第一志望校が受かったのでやめた。滑り止めは同志社大学経

済学で試験に受かり入学金を払った。第一志望が滑り、第二の高松

高商すなわち香川大学が受かったらここに入学する予定だった。

ちなみに同志社大学に払ったお金は昭和38年当時で5万円だった。

もちろん当時は返してもらえなかった。しかし、今でも同志社大学に

は半分入学したような気分であり、大変愛着のある大学である。

 

■ゴジラ先生の言いたいことは、今はあまりにも東京集中か有名私

立大学集中がすぎている。都会の大学生活の華やかさにあこがれ

地道な勉強が疎かになっている。かつてなら旧制帝国大学に進学し

た俊英が、東京の有名私立大学に進学して才能を退化させている。

 

■九州帝国大学、大阪帝国大学、名古屋帝国大学、東北帝国大学、

北海道帝国大学などが、「地方大学扱い」されるのは噴飯ものである。

これは東京の有名私学を出た馬鹿マスコミ人の悪質な嫉妬とひがみ

であろうとゴジラ先生は思っている。「地方大学」こそが、戦前・戦後の

日本の発展を支えたのである。「地方大学」バンザイである。

 

平成20年10月8日(水)

見たかコリアン・チョウセンジンよ

竹島は取ったがノーベル賞は取れまい

日本の製品・技術はパクッたがノーベル賞はパクレまい

 

■快挙だ、快挙だ、快挙だ、大変な快挙だ!!!!!!!!!!!!

日本人としてこれほど嬉しいことはない。

日本人として大変誇らしい名誉なことである。

近来にないビッグニュースだーーーーーーーーーーーーーーーー 

今夜は日本人全員が祝い酒を飲んでお祝いしよう。

 

■最近、暗いニュースばかりなので、こんな明るいニュースはない。

日本人の底力はたいしたものだ。日本人のコツコツとした地道な実

直な努力が世界で高く評価されたのだ。やはり日本人は人の見て

ないところで、きちんと仕事をしているのだ。

 

■これで韓国人はまた地団駄踏んで悔しがるだろう。韓国ではいま

だに金大中の平和賞以外にノーベル賞はないのだ。平和賞などと

いうものは政治家が受賞する政治的なもので、ノーベル賞に値しな

い。ノーベル賞という名称もふさわしくない。あれはノーベル賞のオ

マケである。

 

■韓国の成長と発展は日本の製品と技術とノウハウのパクリのお蔭

であった。ざっくりいうと韓国はすべての分野において日本の模倣と

バクリで成長してきたである。そのくせまったく恩義を知らない忘恩

の民である。しかし、さしものパクリの達人コリアン・チョウセンジンも

ノーベル賞だけはバクレない。竹島をパクッてもノーベル賞はパクレまい。

 

平成20年10月7日(火)

なんでこんなにテレビがつまらんのだ

■テレビがつまらん、まったくつまらん、話しにならぬほどつまらん。

まったく見る気がしない。似たような番組か、タレントの内輪話で勝

手に盛り上がり勝手に内輪で笑っている。下品なことばを発する

若手のタレントか、サンマやタモリや伸介などの賞味期限切れのタ

レントか元アナンウサーばかりが出ている。ドラマも同じような番組

ばかりである。

 

■クイズ番組か、料理番組か、旅番組か、学校ものか、刑事ものか

お笑いものかである。創造性がまったくない。ワクワクするような番

組が皆無である。とりわけ若手芸人のお笑い番組の下品さは噴飯

ものである。下品な番組は追放しろ。なによりもスポンサー企業は

即刻打ち切れ。

 

■スポンサー企業はあまりにも無関心であり鈍感である。下品な番

組は企業イメージや製品イメージが傷つく。企業の鈍感さに呆れる。

社長や社員は見ていないのか。見ていても番組の創造性のなさや

下品さに気がつかないのなら、よほど頭が悪いか、鈍感かである。

 

■ゴジラ先生はもっばらケーブルテレビを見ている。これはほんとう

に面白い。ワクワクするような番組が多い。夕食後はテレビにしがみ

ついている。とくに「ディスカバリーチャンネル」は大変おもしろい。最

高のチャンネルである。とりわけ「サバイバルゲーム」「フュチャーウ

エポン」などは放送が待ち遠しいくらいである。

 

■日本映画専門チャンネル、時代劇専門チャンネル、AXNテレビ、

FOXテレビなども最高だ。とりわけ名作を放映しているのにぶつかる

と、ついつい夜更かしする。しかも、無名の名作があるから楽しみで

ある。最近見たのでは、アイルランドの独立の物語、南北戦争の

時代の物語、ピアノ教師の物語などは感動的な名作だった。こういう

名作をみると、日常生活を離れて、人生が豊かになるような気がする。

 

平成20年10月6日(月)

政治の無為無策

政治システムの革命的な変革か、

それとも座して日本沈没を待つか

 

■大阪のビデオ店放火事件も、景気の悪さも、日本の未来に希望がない

のも、すべては政治の無為無策、政治家の無能につきる。34歳のギャル

が大臣になれるほど日本の政治は劣化している。こんなアホギャルに

何ができるのか。江戸末期に幕府政治が無能だったように、現在の自民

党や民主党による政治では現在の国難を解決することができない。

 

■現在の政党政治や国会制度を根幹から改革し刷新する必要がある。

今の政治システムでは、アホな国会議員とバカな官僚が、跋扈するだけ

である。現在の政治システムでは日本を救国することは不可能である。

世襲ギャルが大臣になり、宗教が政治を仕切り、共産主義者が国会議員

になれる、これが現在の政治システムの一大弊害である。

 

■改革の目標は以下の通りである。

第一、自民・民主による完全な二大政党政治にすること。

第二、衆議院議員の数を半分以下に減らすこと。

第三、参議院を廃止すること。

第四、世襲政治家を完全に一掃すること。

第五、すべての政治家は公募制度で選ぶこと。

第六、日本の最優秀な人材を政治家に投入すること。

 

■日本のすべての政治システムを御破算にし、ゼロベースから構想せよ。

とくに日本における最優秀な人材を政治に投入せよ。すべての世襲政治家

を追放しろ。世襲とは日本の政治が二百年前の江戸時代に退化したことで

ある。日本の未来は、政治システムの改革、というより革命的な変革にかか

っている。日本の政治には幕府政府から明治政府へ大転換したような革命

的な改革が必要である。それが出来なければ、日本の未来には沈没が

待っているだけである。

 

平成20年10月3日(金)

理不尽だらけの世の中だ

テロが起きても不思議はない

 

■昨日の港区の闇予約の件は理不尽だが、関係のない人には小さな出来事

である。しかし、政治の世襲問題ほど巨悪はない。こんな不公平、不正義を許

すると、庶民は勤労意欲をなくし、やる気を喪失し、日本国になんの希望も見

いだせなくなる。大阪のビデオ店の火災事件も、結局は、この国に絶望した男

の自暴自棄の事件である。ある種のテロである。しかし、明日は我が身かもし

れない。善良なる庶民がある日、突然、生活苦に陥る可能性だってある。人間

が絶望した時、何をしでかすかは分らない。

 

■こういう絶望男を大量生産しているのが今の世の中だ。その最大の責任が

政治にある。その政治をになう人間が世襲という特権を享受し、大きな利益を

得ているのである。この不公平・不平等・理不尽さに対して、世の中を絶望す

る人間が出てきて当然である。テロを企てても当たり前である。テロも理不尽

だが、政治も理不尽だ。政治家はもっと理不尽だ。

 

34歳のギャルに毛のはえた女が大臣である。少し可愛いだけで何の能力も

ない野田聖子などという世襲の女が大臣である。群馬県民、広島県民は、この

アホウどもを選んだかもしれないが、横浜のゴジラ先生は、こんなバカ女を国会

議員に選んだ覚えはない。まして大臣とは笑止千万、ヘソが茶を沸かす。冗談

は、小渕よ、野田よ、てめえたちの顔だけにしておけと言いたい。