人物
浪速高等学校 卒業、
京都産業大学経営学部2年
中退。京都産業大学では京都産業大学落語長屋という落語研究クラブに所属しており、
童亭 無学(どうてい むがく)を名乗る。一時期はここでの芸名を本名である
「スルガ・マナブ」と名乗ったこともある。
しばしば、鶴瓶を「つる
べぇ」「つる
べぃ」と誤読されるが、正しくは出典が「釣瓶」なので「つる
べ」である(同じく笑福亭一門である
笑福亭鶴光もしばしば「つる
こう」と誤読されるが正しくは「つる
こ」である)。鶴瓶本人は関西においては「鶴瓶はな、『つるべえ』やあらへん、『つるべ』や」と六代目松鶴のまねで説明することが多い。また、関東と関西では「つる」のアクセントが全く逆になる(一般に関東では「
つるべ」、関西では「つ
るべ」となる)ため、「つるべ」の関東読みに違和感を覚える関西人も少なくない。
名前から兄弟子の笑福亭鶴光、眼鏡をかけた外見から
桂文珍と間違えられることが多い。宝塚の某女優から「笑福亭仁鶴瓶」宛てへの手紙が送られたこともある。
笑っていいとも!では標準語で喋るようにタモリから言われたが、全く喋れずにピーコに「30年外国に行って帰ってきた人みた~い」と言われてしまった。その際にタモリが「ドラマに出るときに標準語(を喋る人)の役(のオファー)こないの?」と聞かれた際に「関西弁以外の役なんか一度もやったことない」と答えた。それが発端となってかは知らないが、浦沢直樹原作の
Happy!では似非アメリカ訛り、現在出演中のドラマ
華麗なる一族では、原作の関係から標準語で喋っている。
入門・弟子入り
在学中に笑福亭松鶴_(6代目)の楽屋に通いつめ入門を乞う。何度も断られるがようやく
1972年2月14日に入門を許され弟子入り(当時は11番、現在は7番弟子)。
父は芸人になることに反対していたが、『親父さんを連れてこい』との師匠の意向もあり、騙して師匠の家に連れてきた。気づいた父は怒っていたが大人の対応をしたものの、父の不穏な空気に気づいていた学本人は『今日から(住み込みで)お願いします・・・』と切り出したが、『弟子になったら、親子ではなくなってしまう、今日のところはゆっくり水入らずで過ごしてきなさい』と師匠から強く言われてしまったため、父子で帰宅せざるを得なくなってしまった。松鶴宅の門を出たとたん、近くにあったゴミ箱のふた(木製)を振りかざした父親に追い掛け回され、最後にはそれでひどく殴られてしまったという。
入門後
兄弟弟子の中では、鶴瓶は付き人として、師匠・松鶴と最も行動を共にしており非常に可愛がられた。「
突然ガバチョ!」に限らずテレビ番組での共演は多い。
しかし、松鶴からは決して落語の稽古を付けられることはなかった。この理由として、落語の型にはめると大成しないと松鶴が判断したためと言う説もあるが、定かではない。兄弟子である
笑福亭松枝のエッセイによると、鶴瓶は何度も稽古を付けて貰うよう直訴したが、松鶴の方が逃げ回っていたとのことである。
そんな松鶴によって、ある年、
高島屋大阪店ホール(現在はグランドホール)で行われた落語コンクールにエントリーされてしまった折は、過去のレコードを引っ張り出して「いらちの愛宕参り」を覚え、その江戸版である「堀之内」(
桂文治の伸治時代のもの)の断片を交えつつ、
古典落語なのにオートバイに乗った人物を登場させるなど適当にアレンジを加えて演じた。なかなかにウケたのだが、審査員だった松鶴に「時代錯誤も甚だしい。こいつのは落語やありまへん。落語(の稽古)をつけたこともありまへん」と酷評されてしまった(『ありがとう笑名人 第一集』より。この話には続きがあり、松鶴は楽屋裏では一転して「お前のが一番よかった」と鶴瓶を褒めている)。そのほかにも、高座にラジカセを持ち込み、笑いが欲しいシーンでスイッチを入れて笑い声を出し、客の笑いをあおるなど、当時としては斬新なアイデアを披露したりしたが、これも松鶴に楽屋でこっぴどく叱られてしまった(とはいえ、その松鶴も若手時代に高座でバレリーナに扮して(
三代目桂米朝によれば、三代目
桂米之助作の
新作落語「白鳥の死」の口演のため)、先代から怒られたらしく、似たようなものといえる。この話は、直後にベテランのお茶子さんから教えてもらったといい、それでかなり気が楽になったようだ)。
入門当時には、小学六年生の兄弟子・笑福亭手遊(おもちゃ)がおり、入門順が序列となる落語界のしきたりに従い、彼に対しては「兄さん(にいさん)」と呼んでいた(なお、その兄弟子は既に落語家を引退)。その頃は子供がお笑いの世界でデビューする例が他にも見られ、そのような背景もあってか手遊もあまり気を遣うことなく鶴瓶に「兄弟子」として振る舞うことがあったという。
一時期、
笠置シヅ子の隠し子、と振れ込んでいたことがある。
また、
ユリ・ゲラーをはじめとする超能力・エスパーブームの時期でもあり、『超能力がある』と言ってスプーン曲げをしていたこともある。しゃれのつもりで、スプーン曲げも力任せにやっていただけだが、
上岡龍太郎の機嫌をかってしまった。鶴瓶は正直に事情を話し、上岡も笑って誤解を解いたが、相席していた
新野新は相変わらず『この子のはほんまよ!』と力説していたと言う。鶴瓶と上岡はこれが縁で互いの楽屋を訪れるようになり、その鶴瓶の楽屋話が面白い、ということで『激突夜話』『パペポTV』へとつながっていった。
一時「東の
萩本欽一、西の笑福亭鶴瓶」と言われた程、プロデューサー感覚に溢れた自作自演ぶりを発揮した事もあり、お笑いタレントとしての評価は高い。
タレント活動
初のレギュラー番組は
東海ラジオの
深夜番組「
ミッドナイト東海」で、以降、
近畿・
中京地区でラジオ・テレビを中心に活躍。そのキャラクターゆえ、関西芸能界の先輩からも所属事務所を問わず可愛がられ、
松竹芸能所属であるにもかかわらず
桂三枝がメイン司会の
吉本興業系列の番組に出演するなど、当時としては異例の存在であった(当時吉本と松竹は過去の遺恨が理由で強い対立関係にあった)。
2001年に
コカコーラとのタイアップで、
日本テレビと吉本興業が組んで制作されたドラマ「
明日があるさ」にも、鶴瓶が松竹芸能からただ一人ゲスト出演するなど(第11話)、所属事務所の垣根という面においては別格の存在であることは現在においても変わりが無い。ちなみに現在も所属事務所や若手、ベテランに関係なく芸能人同士の交友が深い。その後東京へも進出を図る。
現在のヘアースタイルは短髪(前頭部の生え際がやや後退しM字型)だが、
1983年頃までは
アフロヘアー(本人の弁によれば、入門前から)だった。また、若手時代はアフロヘアーと並んでオーバーオール姿がトレードマークとなっていた。
1975年、東京12チャンネル(現・
テレビ東京)の番組生放送中に、
局部を露出(詳細は下記を参照)。この結果、同局から無期限の出入り禁止とされたため、東京進出は失敗に終わる(当時同番組のADであったスタッフが、現在のテレビ東京の社長となっている)。
1986年に
東京へ再進出。だが、出演番組が早々と打ち切られることも多く(※)、当時の週刊誌にも「再び東京進出失敗か」と叩かれた。しかし、
ビートたけしは「この男を大阪に帰らせてはいけない」と鶴瓶を東京に留まらせたという。後にテレビ番組「
鶴瓶・上岡パペポTV」が全国放送化されて以降は、トークの面白さが見直され、全国区の人気を得るようになった。ちなみに、パペポTVでは局部は出さなかったが、
臀部は出したことがある。また、モザイク入りではあるが、2人が下半身を露出した番組ポスターも局が作成している。このときのコピーは「見てるお前も同罪じゃ」。とかくテレビでは裸や露出にまつわる放送事故の多い人物でもある。
(※テレビ朝日「
歌謡びんびんハウス」については8年間放送されており、すべてが早々に打ち切られたわけではない。また、当時の歌謡びんびんハウスのスタッフによって「鶴瓶噺」や「朝まで生つるべ」、「朝まで歌つるべ」が企画・制作されている)
長く芸能界で活躍し、
笑福亭笑瓶、
笑福亭晃瓶を始めとした、多くの弟子も抱える大御所であるにもかかわらず、テレビなどでは積極的に若手の芸人達と共演し続けている。深夜番組も精力的にこなし、仕事を選ばないその低姿勢な芸風は、芸能界において貴重な存在である。
また時折テレビドラマにも出演し、普段のキャラクターとは違った独特の渋味と重厚感のある演技も見せる。
人情味のある雰囲気と容赦ない笑いの追及を両者あわせもち、トークの話術と天然っぷりという両面性をもつ稀有な芸人で、そのせいか保守的な大御所からも急進的な若手からも認められ慕われている。政治家から素人にいたるまで幅広く交流がある。人の懐に入る術に長けているのである。
ある年、明石家さんまから届いた年賀状に銀はがしがかけられており、剥がしてみたところ、「鶴瓶兄さんから1,000円もらえる」と書かれていた。その後、あらゆる人物(先輩・後輩、共演・非共演問わず)から「1,000円ちょうだい」と殺到されて困ったという。
あのねのねの当初のメンバーであった事や、ラジオのパーソナリティを長くやっていたことから、
フォークソングに対する造詣も深く、「鶴瓶噺」や「朝まで生つるべ」「朝まで歌つるべ」(テレビ朝日)などで、フォークソングを絡めている。
家族は、玲子夫人、長女(章子)、長男(太郎)、ペットでは犬(アップル)がいる。
鶴瓶上岡パペポTVでは
上岡龍太郎から家族をイジられることが多かった。 長女の「しょうこ」さんのことを某宗教法人の教祖(当時)扱いして「しょうこー」と言ったり、長男の「たろう」さんのことに至ってはペットの犬扱いで「(口笛を吹いたら)寄ってくる」的に表現したため、鶴瓶本人は「ボクのことはナンボ言うてもエエけど、家族とかそういうことに傷をつけないで下さい」と、控えめに反論したが、そこには芸人特有のウケていることへの複雑な感情が込められていた。ペットの「アップル」ちゃんには同時に生まれた兄弟がいて、長男と長女が「
アップル」「
イップル」「
チップル」と名付けたが、その頭文字をつなげると「
ア・イ・チ」になることから、「愛知県と何か関係があるの?」と
上岡龍太郎に突っ込まれた。なお、この「アップル」ちゃんの親は「コタロー」といい、鶴瓶が近所にいた2匹の野良犬を飼い始め、名前を近くの薬局の「小太郎の漢方薬」の看板にちなんで「コタロー」「カンポウ」と名づけた。この話をパペポTVでしたところ、小太郎漢方から薬局経由で菓子折りが届いた。本人は
鯖アレルギー(正確には鯖の
寄生虫である
アニサキスアレルギー)。
芸人同士での愛称は
「鶴瓶師匠」、
「鶴瓶兄さん」(
明石家さんまや
島田紳助など鶴瓶よりも後輩の落語家またはタレントが使用する。)、
「べー師匠」もしくは
「べーさん」(
ココリコなどが使用する。)、鶴瓶(
角淳一などの悪友)などなど多岐にわたる。また親交が深い
さだまさしは、わざと
「つるべえ」と呼ぶこともある。
所ジョージは以前、「
しょうふくていつるびんさん」と、親しみを込め、冗談混じりで呼んでいた事がある。さんまの
携帯電話の
電話帳には鶴瓶は
「悪べぇ」と登録されている。たまに、レギュラー番組などで批判と称し使っている。(※
ナインティナインも使用しているが、彼らは「
するがまなぶ」や「
まなぶくん」とも言っていたりする)
ナイナイ岡村曰く、上記の「
悪べぇ」の由来は「
めちゃ²イケてるッ!」と鶴瓶が出演していた番組の収録スタジオが隣同士であり、そこへ鶴瓶が訪れ、めちゃイケ出演者用の
カレーライスを食べてしまい、金で解決しようとしたところから当時の岡村は「この人はものすごく悪い人や」と思ったことからであり、「
ナインティナインのオールナイトニッポン」の人気コーナー「
悪い人の夢」はこの出来事がきっかけで作られたコーナーである。
笑っていいとも!木曜日に1987年から出演し、木曜いいともの顔的存在となっている(曜日異動なし)。「辞めたい」と言ったこともあるが、
タモリに慰留され現在に至っている。辞めたいとした理由は、「おもろい若手が沢山出てきて、自分のような古株はいらんと思うようになったから」であり、タモリに原因があるわけではない。むしろ、タモリの笑いに対する意識の高さを人一倍知っており、彼を「テレビの師匠」と仰ぎ、尊敬している。「いいともを辞めたい」と言ったとき、タモリに「こういう場に出続けてるってことは、あんたにとって大事なんだよ」と言われ、当初は意味が分からず「(年末恒例の)特大号にだけは出演しない」という交換条件付きでしぶしぶ残留したが、近年になって、定期的にタモリのような芸人と会うことや、若手などと生放送の場で絡むことの意義を感じ、「その意味がようやく分かった」と自身のラジオ番組内で語っている。これに関してタモリに対し、「あんた、何で(あの時に)そんなこと(=鶴瓶にとってそれが大事だということ)分かったの?」と感謝の意ともとれる疑問を投げかけている。また、その答えは、長年の生バラエティの司会で培われた、タモリにしかできない予見であったとしている。
外来語や横文字の言葉に弱く、
ブルース・ウィリスを「ブゥルース・ウィルス」、
ロシアを「ロシヤ」、
チャンピオンを「チャンピョン」と書いたこともある。カタカナの言葉を喋らせると噛んでしまうことも多い。また、「派出所」を「はつしゅしょ」または「はしゅしゅしょ」、「違和感」を「ゆわかん」としか言うことができないなど、滑舌の面でやや噛んでしまうこともある。
パペポTVの直接の後番組で、番組をリードする立場になった
最後の晩餐時代は鶴瓶を困らそうとする
キダ・タローとしょっちゅう言い争いをし、(これは内弟子時代に、キダ・タローから嫌われていた=朝日放送のビルの上から植木鉢を落とされた、から由来する)(*植木鉢・・・かつて
鶴瓶上岡パペポTVでは、「植木鉢ちゃう、牛乳瓶や」と鶴瓶が言っていたことがある) また
中島らもの番組内での行動や言動に非常に危険なものが多かったため、いつもらもを注意したり引っ張ったりし、(他に浜村淳、松竹芸能の若手枠)アクの強い先輩タレントをなんとかコントロールしていた。
現在の鶴瓶の立場から複数のタレントをコントロールする番組を持たされることが増えているものの、生来の人の良さから、先輩やアクの強いタレントを相手にしたときは鶴瓶の意思を越えて引っ掻き回されてしまうことが多い。ただし、型どおりを嫌う性格から鶴瓶自身もそれを許容している。実際は、少人数によるフリートークのときが最も彼が安定し、面白さが引き出されるスタイルである。
落語への回帰
2002年9月、江戸落語の
春風亭小朝との二人会で「子は鎹」を演じた事を機に、
落語への回帰を強めている。2003年には小朝、林家こぶ平(現:
9代目林家正蔵)らと落語の「
六人の会」を結成。また同年
5月に「
上方落語協会」理事に就任している(現在は同協会の広報委員長を務める)。
良くも悪くも上方落語の噺家のクセが抜け切れず、それが鶴瓶の魅力ともなっている。喋りの無類の面白さや、独特の飄々とした存在感で、広く親しまれている。自身の身の回りで起こった日常の話題を面白おかしく話すスタイルは「鶴瓶噺」(つるべばなし)と呼ばれ、独自のジャンルを構築し(年1回5日間、
青山円形劇場にて「鶴瓶噺」を開催している)、
2000年には
上方お笑い大賞を受賞した。もともと、三題噺などは得意としている。
現時点での「落語家・鶴瓶」に対する評価は概ね好意的であるが、前述の通り師・6代目松鶴から落語の噺の稽古をつけてもらえなかったこともあり、古典についてはせいぜい並で、創作の「長屋の傘」「青木先生」(
南原清隆はこれを「私落語(わたくしらくご)」と命名)についても「鶴瓶噺を落語化した程度」などといわれるなど、批判的な意見も一部にはある(逆説として、口に新しいと書く噺家としての力量を認めていたから、古典にこだわる必要がない、と判断されたから、との説もある)。
しかし多忙なタレント活動の合間を縫って「鶴瓶噺」「笑福亭鶴瓶落語会」などの独演会を展開する他、六人の会が主催する「東西落語研鑚会」にも参加。大阪・帝塚山の6代目松鶴旧宅で行われる演芸イベント「帝塚山・無学の会」を主宰するなど、精力的に落語に取り組んでいる。古典落語にも「東西落語研鑚会」で「鴻池の犬」「らくだ」などに挑戦している。特に2004年の東西落語研鑚会で口演し、好評を得た「らくだ」は松鶴の十八番(おはこ)であり、松鶴門下では直々に稽古を付けられていた6代目笑福亭松喬しか、舞台での披露を許されていなかった題目である。
鶴瓶の最近の落語への取り組みは、弟子(ほとんどが落語をしない頃の鶴瓶に弟子入りを志願していたことで、落語家に弟子入りした感覚がない)に対する影響が少なくない。例えば筆頭弟子の
笑福亭笑瓶は新作作りや古典の改作に取り組み、笑福亭純瓶は怪談噺に力を入れ、
笑福亭銀瓶は
韓国語落語を打ち立てた。2007年3月には、銀瓶以降の6人の弟子が「シックスセンス☆六瓶の会」と題した落語会を大阪で開いている。
テレビドラマタイガー&ドラゴンでは元上方落語の天才だったヤクザの組長という役を演じ、少しだけ落語を演じている。鶴瓶はこのドラマを最初単発ドラマだからと言われ引き受けたものの、連続ドラマになりこのような役柄になってしまったことに驚いていたことを告白した。
帝塚山・無学
「帝塚山・無学」は笑福亭松鶴の旧自邸を鶴瓶が改築した純和風ホール。月1回「無学の会」を開催し、一般にも公開している。今までのゲストに
タモリ、
明石家さんま、
木梨憲武、
イッセー尾形、
桂米朝、桂春団治_(3代目)ら豪華な顔ぶれを迎えている。
演目
; 古典落語 : 子別れ
鴻池の犬 らくだ 愛宕山 立ち切れ線香
厩火事 堪忍袋 宮戸川 二人癖
粗忽長屋 所帯念仏 へっつい幽霊 化物使い 打飼盗人 いらちの愛宕参り; 新作落語 : 長屋の傘 青木先生 ALWAYSお母ちゃんの笑顔 青春グラフィティ松岡
関連人物
;
糸井重里: NHK「YOU_(テレビ番組)」以来の付き合い。また、
ほぼ日刊イトイ新聞を通じて
劇場スジナシをサポート。他にも「ほぼ日」内に特集記事あり。;
河島英五: 鶴瓶と公私にわたって親交が深かった。;
坂崎幸之助: 2002年以降の「
朝まで生つるべ」にゲストとして出演(鶴瓶はかねてからゲストに呼びたかった)。その後「朝まで歌つるべ」のレギュラーとなる。: 2004年は
THE ALFEEのカウントダウンライブが大阪であるため、「朝まで生つるべ」も大阪のホールから放送された。この年から
朝日放送でも放送されるようになった。;
さだまさし(まっさん): 公私ともに大変に親しく、コンサートの飛び入りゲストとして鶴瓶が登場したこともあるほか、お互いに自らのラジオ番組のゲストとして呼んだこともある。また、この2人の親交が縁でNHK
鶴瓶の家族に乾杯という名番組が生まれたことも見逃せない。; スルガタロウ: 鶴瓶の息子でバンド「sleepydog」のボーカルを務める。;
波田陽区: 鶴瓶がメガネを外したときの顔に似ていると指摘されており、鶴瓶自身も番組などで面白がってネタにすることが多い。;
ゆず: ファンであり、自身のラジオ番組にもゲストとして呼んだことがある。;
やしきたかじん: 鶴瓶が若かった頃特に親交が深く、よく一緒に女性を追いかけたり遊んだりしていたといわれる。その親交の深さはたかじんのコンサートツアーのパンフレットの鶴瓶からのメッセージにもある。