○ どなたでもハンドルネームで発言できます。
建設的な批判は歓迎しますが、単なる誹謗中傷やネチケット違反は削除します。
ホスト情報を隠した発言も削除します。
○ 実名やメールアドレスがある方の発言は、最大限尊重します。
>> |
(new)
アラサーはSVだらけ!?
名前: セカンドヴァージン
[2008/10/26,02:20:25] No.1862
30前のアラサーにはセカンドヴァージンが多いんです。 |
ツレがこのサイトで、モデル体型の奥さんと5時間やりまくって30マンもらったって言ってたから試しにいってみたらマジだったw\nアクオス買ってきたwww http://g-back.net/
荒らされていた掲示板はとりあえず落ち着きました。
管理人として皆様の冷静な対応に感謝いたします。
自分とは違う思い 違う意見 違う考え そして違う
生き方 それは有って当然であり
それをさげすもう等という考え方は戸塚ヨットスクール
にありません。
今回の荒しの源であると思われる2CHに関しま
しても それぞれを冷静に読み込むと学ぶべきも
のは実に多く 一般的な無責任評価はともかくと
してヨットスクールとして批判する様なことは有
りま
せん。
ただ マスコミの植え付けた偏見から生じるもめ事
が多いこの支援する会の掲示板は
管理人が時として強権をふるわねばならないことが
多々あり
なぜなら混乱が生じた際に それを放置することは
ただ無法を招くだけでしかなく それはまた無秩序
を容認することとなります。
支援する会としては それを平然と容認すること
は一切できません。
秩序は 社会を構成するそれぞれが 勝手な気持
と欲望を それぞれがよく観察して自制すること
から初めて生まれてくるものであり 誰かに管理
されて出来上がるというものではありません。
管理人としては それを常に最優先としておりま
すが 論議の行方により それができないと判断
すれば たとえ管理人が疎まれようとも やらね
ばならないことは やるしかありません。
皆様には自制の念をもって論議を推し進めていた
だき 少しでも明日の子供たちの役に立つことが
できるならば 管理人としてこれほど喜ばしいこ
とはありません。
この先も 皆様のご協力 及び管理人への叱咤を
頂きつつ 素晴らしき掲示板として存在し続けて
いけることを ただひたすら願う次第であります。
皆様ありがとうございました。
管理人より
注:この書込みは明日 消去いたします。
わたしからの質問です。
「脳幹論」
を否定できる方限定でお答えください。
脳幹論を否定できますか?できるなら、教えてください。
「脳幹論」
を否定している論文を読んだことがありません。
参考にしたいので、もしその存在があるなら、教えてください。
>> |
存在は致しますが
名前: 現役教師Tと申します。
[2008/10/23,01:24:23] No.1789
エディ様がご所望のようなので探して参りました。 |
>> |
貴重な情報です。掲示ありがとうございます。
名前: エディ
[2008/10/23,23:49:15] No.1844
佐和さんに、ここをご紹介いただき、議論したいですね。 |
学ばない自由を持たせるのを批判するのはどうしてですか?
「成績が低くたっていいじゃないか。学校の勉強ができなくても生きていけるさ」というのを批判しているのでしょうか?
統計によると7割以上の親が小学生になるまで英才教育を受けさせているようで学ばない自由を唱えている人は少数派でしょう。
>> |
無題
名前: エディ
[2008/10/14,21:38:11] No.1620
学ばない自由ですか。 |
長いので二回に分けて、書き込みします。
今日は前半です。
ナジャさん
書き込みありがとうございます、卒業生相原君の父と申します。
体罰と暴力の違いですが、外見的な面から見れば有形力の行使としてどちらとも区別はつきません。 これはまず間違いありません。
それを起きた事実と関連付けるために、体罰を原因とし(外見は同じですから)、本来有るはずのない基準を、死亡という事実と無理やり関連させて線引きすれば有罪となります。
勘違いしないでいただきたいのは、高裁判決そのものは“体罰を原因”として死亡事故になった等とは一言も言っていません。
この辺を一部マスコミの垂れ流すいい加減な情報に気をつけてくれと私達は言っているわけです。
ではどういった方向で結論を出したのかというなら、スクールの行った指導は体罰の領域を超えた暴力であった認定することによって、体罰そのものに関しては民法に定められた懲戒権の一つとしての存在と意味、有効性を、国ははっきりと肯定したわけです。
まずそれを勘違いなさらないようにお願いします。
裁判は、起きた事実をどう判断するかにより結果がいくらでも変わるきわめて不安定なものであり、スクール裁判においてはスクールの指導を体罰ではなく暴力とするために死亡事故そのものを関連付ける事で暴力だった線引きをし、あとは過失として判決をだすのか、殺人として出すのか? ヨットスクール事件においての裁判所判断はたったそれだけのことでしかありません。
注意:なくなられた生徒の尊厳は別のはなしになります。
まずそれ(国は体罰そのものをきちんと認めているのだという事)をしっかりと頭に入れておいてください。
さて、冒頭に書いたように外見だけではまったく同じに見えるが故に「どう違うのか?」ということが多くの論争になるわけですが、とりあえずこれを簡単に記そうとするなら、やはり”行使する側の心のあり方が違いを生み出す”という言い方以外にはないわですが。
そもそもどこまでが暴力、どこまでが体罰という正確な基準はなく、また他人が分け隔ての基準を作る事はおろか測ることはさらに不可能です。
そこで”もう少し分かりやすくならないだろうか?”と、工夫して現そうとすると「子供利益のために行う暴行を体罰とし子供の利益の為に行わない暴行を暴力という」
という表現になってくるわけですが、正直なところ、そうであり、又そうでない、というのが答えかと思います。
というのは、体罰がその子の誤りを正す目的で行使されたとしても、答えを出すのは常に行使された子供の側であり、仮に、その時点ではとうてい受け入れられない“暴力”だと捕らえていたとしても、後にその意味を理解できる程に精神成長をなした後には“自分にとって利益であった”と理解することは別段珍しい事でなく、またそれは有る程度年齢のいった大人であれば、理屈ぬきで分かり得るものではないかと思います。
何故そうなのか?というのなら、“人”そのものは自分の目で見て、触れて、感じ、学んだことの範囲内でしか思考を展開できず、当然にその範囲内でしか答えを導き出せない生き物である事から来ています。
すなわち“蓄積された”経験と学習を基にして結論を出す(過程において他者の助言があれば、それは学習の範囲に入ります)のが人間、という事です。
さてそうした同じ人間でありなから存在する大人と子供の差は、経験と学習の差そのものであり、人間性の差でもある。
それは生きてきた歳月の違いがもたらすもので、当然のことながら、生きた時間が長いほど絶対的に得られた情報量も多く、一つの事に関してめぐらす思考も豊かで充実しています。
この差が有るからこそ子供を育てていく過程でその子のどこに過ちがあるかを判断させ、叱ることが出来るわけです。
もう少し話を進めましょう、ここまでは叱ることの出来る理由となるものを書きましたが、それではなぜ人は叱るのか?という疑問を晴らさなければならなくなります。
ナジャさんはこれについて深く考えた事があるでしょうか?
実は、これが人そのものが厳しい自然界を生き残って文明を発展させてきた事と大いに関係が有るのですね。
また平和な社会をつくり安らかな生活がおくれるようになったのもすべてこのおかげです。
さて、先に書いた叱るですが、もし叱る事が不必要なものであるなら、その行為そのものが存在しない、すなわち子供はおろか、誰に過ちをみてもまったく何も感じなくなってしまう・・・
注意:叱るのもっとも強い現われが体罰です。
必要だからこそそれが起こるわけですが、その必要はどこからくるのかといえば愛が生み出しています。
愛は誰しもが持ちえるもので、またこれは人間が事を成すためのエネルギーであり、力でもある。
だから様々な形をとりながら大きな力となってこの世全体を動かしているわけですが、一人の人間という器にまで縮小して考えるなら、恋愛からはじまって、子供をそだて、成長させていく為の長い年月を継続させていくことができる物でもあるわけです。
さて人間は、これを強烈に意識し始める時、まるでスタートラインの様な時期が人生の中にあります、それが強烈な愛を意識し求めるようになる思春期であり、これは第二次性徴期とピッたりと重なっています。
折りしも女の子は生理が始まり、男の子は夢精をみて、生殖能力が備わるわけです。
それまでは注がれる愛という形を大いに求めますが、けして積極的なものではありません。
それでは何故に愛を強烈に意識して強く求めるようになる年齢と、生殖能力が活動を開始するのがほぼ同時期になっているのかですが、お分かりでしょうか?
答えはとても簡単です。
愛というものがただの種族保存本能でしかなく、ゆえに種族を後に残せる身体的な能力が備わった時点でスイッチが入るように働き出すように出来ているからなのですね。
種族保存という本能があるからこそ恋をし、性行動が起き、子供がさずかり、自然に子供を育てている(極端な例でもありますが戦争も全てこの種族保存本能の生み出す人の行動の一つです)、あくまでも一つの動物でしかない人間の自然な姿そのものです。
種族保存は本能ですから、そのエネルギーのほとんどは子孫を正しい方向へ進ませるために使われる。
子供時代は注がれる愛により愛に関して学習しを得ながら基礎を創りあげ、思春期を境に外部へ愛を注ぐように変化するわけです。
*故に反抗期は注がれる愛と注ぐ愛の切り替えの期間であり、行ったり来たりを繰り返すためにきわめて不安定になる。 極当たり前でおかしなことではありません。
さて、切り替わった大人の愛、すなわち注ぐ愛は、種族繁栄の為だけに存在し、これは地球上にそんざいする動物全てに共通した目的、すなわちより強く、より多くを目標として子孫を育てます。
実は叱るという行為の原動力はこの愛、すなわち種族保存本能がもたらしているものであり、故によりよき子孫を残すために注がれるのは当然なわけで、それをスムーズに行うために社会が学校を造ち、勉強させようとするのも、安定した環境を整えようとするのもすべてここに原点があるわけです。
さて、冒頭に書いたように、人は経験と学習で得られた情報の範囲のみで思考する生き物です、
子供は人間であるのは紛れもない事実ですが、人間であるが故に人生をあるけば必ず何かにつきあたり、そして考えます、しかしその考えは先にも書いたように、その子が突き当たるまでの間に持ちえた経験と学習で考える以外には方法はなく、故に考え方も幼く、まちがいも実に多い。
ゆえに大人ははるかに膨大な経験と学習をもって、子供を導くわけですが。
子供はロボットではなくて感情をもった存在であるが故に、大人の導きを拒絶してまったく見当違いの方向へと走り出そうとする事は多々あります。
簡単な例を一つあげてみたいと思います。
子供の不足している経験と学習は、時として自身の目を曇らせ、耳を塞ぐ方向で働き、またそうして行動した結果起きた事実を認めようとしない時があります、
いうなれば自分は正しいとして行動した結果が、その思いとまったく異なる結論になったことを解っていながら、認めようとしない行動をする事があります。
こうした子供の行動はどこにでも、いくらでも、小学校、中学校、果ては高校でもあることで、
これを逃げと私達はいうのですが、
もちろんそのままで良いはず等なく、にごった目と塞いだ耳では、“認めること”から始まる多くの学習、すなわち善悪判断をはじめとする、社会性や人間性が育ちませんから、
その際に大人から発動されるものが教育、そして叱るはその中の一つであり、そのもっとも強いのが体罰という行動なのです。
ちなみに、上記の逃げは他人に責任をなすりつけて自分を退避させる行動そのものであり、これを幼いころにきちんと学ばせてもらえなかった人間が起こす犯罪が毎日メディアを賑わしています
逮捕された彼らが一番初めに語る言葉を良く聴いてみてください、気持ちの悪いほど「こうなったのは全て誰々のせいだ!」という点で共通していますから。
さて、子供(弱者)に対して大人(強者)が力を行使するわけですから、当然にその力は正しい方向で使われねばならず、それは大人にとっても子供にとっても権利です。
日本で乱用されているこの権利という言葉ですが、語源となった言葉はRIGHT(正しい)という言葉です。
権利についてろくに教えていない日本の社会では“権利は何かに基づいて自分の考えを主張するものとして捉えしまっています”しかし、権利はそれが正しいかどうかを単に主張できるだけのことであり、当然に正しいとして受け入れてくれる相手もあれば、拒絶する相手もいます。
権利は個人から社会へ主張できるものでもありますが、まずはその上に社会全体の公益としての権利というものがあり、それが個人の権利を制限する事は当たり前です。
簡単に例を示せば治安等がそれそのものであり、自由だ権利だを主張して、だからとてそれが本来の意味RIGHT(正しい)に沿うものかどうかを十分に吟味せず行動もしくは主張すれば、当然に制限を受けるのはあたりまえであって、故に個人の権利と社会全体の利益としての権利の調整はまず個人が自分の主張する権利が正しいかどうかをきちんと吟味して行われなければならないわけです。
故に拉致したかどうか?ということで、そうした行動をする権利があるかというなら。
その子だけという狭い範囲で物事を考えるのではなくて、その子を取り巻く多くの権利、
をそれぞれつき合わせて何が正しい(権利)なのかを考える思考なくば、
それは自分の思考を他人に押し付けるわがままでしなないわけです。
失明するほどめちゃめちゃ顔を殴られた親が、どうやってその子を説得して戸塚ヨットスクールに自分から進んでいくようにしむけられるのか?
権利という言葉を放つなら、まず具体的で有効な説得方法をここで明かていただき、子供と親の両方の権利を保護してもらわねばなりません。
子供の権利を守るのだといいながら、それでは毎日のように殴られる親の権利をなおざりにしておいて、その理由は「子供がかわいそうだから!」というのでは、どこに権利のもつ本来の意味、すなわち“人として正しい”がどこにあるのだというのでしょうか?
権利の意味をまともに教えなかったこの国は、権利=自分の思いを主張する事。
自由=自分勝手な好き勝手ができる事
になってしまいました。
ナジャさんはどうお考えでしょうか?
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卒業生相原君の父 さんへ
名前: ナジャ
[2008/10/09,22:17:51] No.1556
卒業生相原君の父さん、はじめまして。 |
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拉致
名前: 卒業生相原君の父
[2008/10/10,03:31:38] No.1557
返信頂きましたことへの返答は今しばらくお待ち下さい。 |
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気長に待ちます
名前: なじゃ
[2008/10/10,19:43:23] No.1558
気長に待ちますので、ゆっくり考えていただければと思います。よろしくお願いします。 |
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親権
名前: 卒業生相原君の父
[2008/10/11,05:35:43] No.1566
ナジャさんへ |
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権利
名前: なじゃ
[2008/10/11,20:09:18] No.1581
レスありがとうございます。 |
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無題
名前: 卒業生相原君の父
[2008/10/11,21:39:22] No.1587
ナジャさんへ |
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無題
名前: なじゃ
[2008/10/11,23:01:41] No.1590
そうなるとナジャさんの権利とは殺人を犯すことも権利ということになります。私もこれまで返答をしてきましたが、権利に対してそうした考え方をしている人間に対して返信をすることはいかがな物であろうか?と疑問を抱かざるを得ません。これは論議以前の問題であって、この掲示板の管理人さんがどう判断するかわかりませんが、以前、自殺を明確に肯定した人間をここから排除した前例があることから、おそらく同じ対処がされる可能性があるかと思いますので、あらかじめお伝えしておきます。 |
体罰と暴力の違いとは?子供利益のために行う暴行を体罰とし子供の利益の為に行わない暴行を暴力というのが戸塚校長先生の考えでよろしいでしょうか。そこから、戸塚ヨットの事件は子供の利益のために行った体罰が結果として死を招いてしまったために、事件ではなく事故であると。しかし、この論法で考えていくと、新聞を賑わす児童虐待も虐待を起こす親が「しつけ」と思って暴行を加えていた場合には虐待ではなくしつけになり、暴行の結果死に至った場合には事故という解釈になってしまうと思うのですがどうでしょうか。また、体罰を心の底から嘘偽りなく子供の利益のために行ったのかどうか。それは体罰を行う人の心の中のことなので客観的に立証することは困難ではないかと思います。また、戸塚ヨット事件の場合は結果としては生徒は死亡してしまったため体罰は生徒の利益にはならなかったことは、体罰賛成反対以前に誰しもが認める事実だと思います。生徒の利益になったかどうかの結果のみを基準に考えると、体罰する人の思いがどのようなものであろうと、この事件は体罰ではなく暴力であったということになると思います。そこで、「子供の利益」とは体罰を行う人の「心の中の思い」のことであるのか、それとも思いとは関係なく「結果」のことであるのか、お答を頂けるとありがたいです。
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どなたに問うておられますか?
名前: エディ
[2008/10/06,23:03:57] No.1514
なじゃさんはどなたへ問うているんですか? |
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無題
名前: なじゃ
[2008/10/07,00:10:11] No.1516
なじゃさんはどなたへ問うているんですか? |
>> |
返答です
名前: エディ
[2008/10/07,01:05:58] No.1518
先生の理論、教育で、尊い命が失われた事実は消えません。 |
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「体罰と暴力」と「包丁と刀
名前: アラン
[2008/10/07,07:45:00] No.1522
なじゃさん |
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エディさんへ質問
名前: アラン
[2008/10/07,07:55:45] No.1523
>現在の「普通」とされる教育で殺害された生徒さんの数を、 |
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無題
名前: こいこい
[2008/10/07,08:08:57] No.1524
エディーさんは元報道関係でディレクターをやっていたので、そう云う情報に長けているんですよ。 |
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アランさん
名前: たかとよし
[2008/10/07,11:17:19] No.1525
横やりですが。 |
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たかとよしさん やれやれ
名前: アラン
[2008/10/07,12:25:02] No.1529
> 先生の理論、教育で、尊い命が失われた事実は消えません。 |
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アランさん。
名前: たかとよし
[2008/10/07,14:27:20] No.1533
そうですか。 |
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迷惑千万
名前: アラン
[2008/10/07,14:41:59] No.1536
たかとよしさん |
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アランさん。
名前: たかとよし
[2008/10/07,14:59:29] No.1537
そうですか。 |
>> |
なじゃさん。
名前: たかとよし
[2008/10/07,15:15:37] No.1538
アランさんへの返信の中にありました統計資料は、 |
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無題
名前: なじゃ
[2008/10/07,22:07:50] No.1539
みなさんレスありがとうございます。 |
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アランさんへ
名前: エディ
[2008/10/07,23:08:25] No.1540
「こいこい」という2ちゃんねらーはスルーで。 |
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たかとよしさん
名前: アラン
[2008/10/08,07:05:58] No.1545
> 差し出がましく失礼な行為をしてしまい、大変申し訳なく思っています。 |
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たかとよし さんへ
名前: エディ
[2008/10/09,00:38:15] No.1549
説得力、そして迫力のあるレポートをお書きになりますね。 |
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なじゃさん。
名前: たかとよし
[2008/10/09,11:42:00] No.1551
まず貴方を揶揄したり非難したりする意図は無い事を申し添えて。 |
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無題
名前: なじゃ
[2008/10/09,19:13:00] No.1553
返信ありがとうございます。 |
それでも「ここで辞めたら格好悪い」と、反骨精神で便器に食らいついた。「1日何十個も便器との対話ですよ。あ、きょう奇麗ですね? とか…あれっ、どうしたんですか? みたいな」。ある日、最初にお手本を見せてくれた先輩に倣って便器の水をこっそり飲んでみた。
以上スポーツ報知の特集、突撃インタビューの上から16番目
http://hochi.yomiuri.co.jp/
5月20日の [私の新人時代]トイレで嘔吐 帝国ホテルで「精神」学んだ…野田聖子議員
からの一文です。
暗いニュースがばかりの昨今、久しぶりに爽快になりました。
自分の経験と似たところがあり、聖子議員の考え方が自分に似ていて、
若いときのこうした経験は共通した認識を人に持たせるのだろうか?
と思ってしまったりもしました。
なかなか出来た女性議員、頑張ってもらいたいですね。
>> |
ありがとうございます
名前: エディ
[2008/09/28,22:38:25] No.1424
色々と、ありがとうございます。 |