Medical

セーフティネットの“網の目”

10月4日の土曜日の夜、
東京都内で脳出血を起こした妊婦が7つの病院に受け入れを断られ、
都立墨東病院で出産後、脳出血の手術を受けたものの3日後に死亡したという“事件”が起きた。
きのう舛添厚生労働大臣が墨東病院を視察、
責任の所在をめぐって舛添厚労大臣と石原都知事の非難合戦が巻き起こっている。
責任の押っつけ合いなどは論外にしても、
例によってマスコミによる「犯人捜し」が始まっているのが気になる。
「医療崩壊がついに東京にまで及んだ」という論調もあるようだが、そういう問題なのか。
もちろん患者の死という結果は不幸であり、気の毒としか言いようがない。
しかし、そもそも「当然に助かるべきケース」だったのかどうか、冷静に検証する必要があると思う。
以下にぼくの考えを書く。
専門家ではないので細かい間違いがあるかも知れないが、大筋では間違っていないと思う。

まず、“事件”の経緯を客観的に把握するため、タイムテーブルに起こしてみる。
複数の新聞報道を組み合わせると、当夜の経緯は以下の通りである。

18:45 江東区内に住む出産まぢかの主婦が頭痛と吐き気などを訴え、区内のかかりつけ医に運ばれた
19:00 かかりつけ医は緊急手術ができる病院を探し始める
    (「空きベッドがない」などの理由で、7病院に受け入れを断られた)
19:45 最初に連絡を受けた墨東病院が急きょ受け入れを決める。 
    (この時点で墨東病院は自宅にいる産婦人科医、脳外科医を呼び出したはずである)
20:18 女性が墨東病院に到着
21:30 帝王切開で出産
22:00 脳出血の手術開始

女性が最初にかかりつけ医を訪れてから、帝王切開が始まるまでの時間はおよそ2時間45分である。
かかりつけ医が受け入れ病院を探し始めてから墨東病院に運び込まれるまでは1時間半かかっていない。
この女性の場合、出産に脳出血が重なるという難しいケースで、
受け入れるためには、産婦人科医のみならず、脳外科医がいることが前提になる。
脳出血の存在については、
かかりつけ医と連絡を受けた各病院との間で情報が混乱していたようで、
もし産婦人科医のみの対応で患者を受け入れる病院があったとすれば却って悲惨な結果になったと思うが、
その問題はここでは置く。
ぼくたちが冷静に考えなければならないのは、
当直医を除いて医師が病院にいない土曜日の夕方という時間帯において
患者搬入までに要した1時間半弱という時間は「容認できないほど長すぎるのか」ということだ。
言い換えれば、
「脳出血を起こした妊婦」が「いつでもどこでも1時間以内には病院に運ばれる」ことを、
私たちの社会は「当然の権利」として求めているのかを議論すべきだと思うのである。
これは社会の安全保障の問題であり、
具体的に云えば「セーフティネットの網の目の大きさをどの程度にするか」ということだ。

セーフティネットは最低保障であるから、誰もが等しく保障されなければならない。
都市の住民は保障されるべきだが地方在住者はその限りにあらず、という話にはならない。
例えば、ぼくは来週末、医療シンポジウムに出席のため北海道の羅臼町に行くことになっているが、
この町には産科医も脳外科医もいない。
「脳出血を起こした妊婦」はたぶん釧路市まで運ばなければならず、車を飛ばしても2時間半かかる。
これは多少極端な例かも知れないが、
産科医と脳外科医が揃った病院に1時間ちょっとで運ばれた今回のケースは、
全国的に見るなら、むしろ「幸運なケース」というべきではないかと思うのである。
「幸運なケース」ではあっても、不幸にして患者の命が助からないことはある。
そうであれば、このケースには捜すべき「犯人」はいない。

もうひとつ指摘しておかなければならないのは、「当直医」についてである。
朝日新聞は今朝の朝刊で「墨東病院の産婦人科の当直医が一人だったこと」を非難しているが、
「当直医」とはそもそも入院患者の容態の急変に備えるために病院に詰めているのであって、
外からの救急患者を受け入れるためにいるのではない。
当直医は「万一の場合」に対応することだけを求められているので、
基本的に「労働時間はゼロ」、つまり「働かない」のが労働基準法上の原則なのである。
しかし、それでは必要とされる医療水準を維持できないから、
現場の医師の犠牲のうえに、
30時間を超える連続勤務などの脱法状態を見て見ぬふりをして救急を受け入れているのが現実である。
朝日新聞は
「24時間体制で産科を担当する『複数の医師』が勤務していることが望ましい」という
墨東病院などの「総合周産期母子医療センター」に対する都の指定基準を引用しているが、
それを厳密に求めるなら、
労働基準法違反の「当直医による対応」ではなく、
三交代制などによって緊急事態を専門に対応する医師を配置するべきだろう。
そんなことはできっこないので(都内であってもそれほどの数の医師の確保は困難である)、
都も「望ましい」などという曖昧な表現に留めていると考えられる。

こう考えてくると、今回のケースは「医療崩壊」でもなんでもないのではないか。
私たちの社会のセーフティネットの網の目はそこまで細かくは設定されていない、ということなのである。
もちろん、これは「命の問題」だから網の目をもっと細かくすべきだという議論は成立する。
しかし、全国津々浦々にそうしたネットを張るためには、現在の何倍もの数の医師が必要だろう。
それに伴う社会的なコストは膨大なものになる。
そして、そうしたコストは、保険料や税金のかたちで私たち自身が負担するしかない。
例え現在より遙かに負担が大きくなったとしてもそれだけのセーフティネットを張るべきか否か、
必要なのは国民的コンセンサスの形成であり、そこを曖昧にしたままで「犯人捜し」をしても意味はない。
いや、強いて「犯人」を捜すとしたら、それは私たち自身だったということにならないだろうか。

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96歳の誕生日

仁木シミさんの誕生日の様子を撮影するため夕張に来ている。
仁木さんは村上智彦医師が定期的な訪問診療で通っている患者さんで、
胆のうに石ができるという持病があり、自宅で寝たきりの生活を送っている。
ぼくたちは1年半前から折りに触れて仁木さんへの訪問診療を撮り続けてきた。
その仁木さんがきょうで96歳になった。

幸い、仁木さんは、ここのところ体調がいい。
村上先生はポケットマネーで買ったケーキを携えて、いつものように診察に訪れた。
仁木シミさんの誕生日
やはり定期的に訪問して仁木さんの口腔内のケアをしている歯科衛生士の山口美帆さんが一足先に来て、
口の掃除を行い、入れ歯の準備もすませていた。
ケーキは、さすがに96本のロウソクを立てるわけにもいかないので、太いのが9本と細いのが6本。
みんなで「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」を歌って(仁木さん自身も歌った)、
仁木さんは頑張ってロウソクを1本だけだが吹き消した。


胆のうに持病のある仁木さんは油が強いものを食べると症状を悪化させる。
しかし、もう目も見えなくなっていて、食べること以外に大きな楽しみはない。
去年の誕生日には「入院覚悟で」大好物のコロッケを食べてもらったが、大丈夫だった。
村上さんは「クリームを食べさせるのはちょっと心配だなあ」といいながらも、「きょうは、いいです」。
仁木さんは、ケーキの上に乗った果物を中心にだが、ぼくたちが驚くほどよく食べた。
村上さんや山口さんには次の訪問先があるので一緒に食べられないのが、ちょっと淋しそうだったが。

仁木さんのような高齢者に対しては、
「病気を治す」ことよりも、
「QOL(Quality Of Life=生活の質)を上げることを大切にしたい」と村上さんはいつもいう。
病気を治すため、あるいは悪化させないためにチューブに繋がれて生きるよりも、
体に障る可能性はあるけれども食べたいものを食べて暮らす方が高齢者にとって幸せだと思うからだ。
自分が年老いたとき、ぼくもきっとそう思うに違いない(ぼくの場合は酒瓶を抱いて死にたい…)。

今度は、仁木さんの100歳の誕生日に撮影にくることを約束させられた。
幸い、ぼくはまだ定年にはなっていない計算だが、
そのときになお「現役」を張っていられるかどうかの方が問題になりそうである。
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