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イエスが示された二つの大切な掟。 「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」 『隣人を自分のように愛しなさい。』 ミシュナーと呼ばれた第一の掟は、ユダヤ教徒に知らぬ者などいないもの。でも第二の掟は、ちょっと特殊でした。 それが証拠に、この言葉は旧約聖書の中でも、とりわけ注目を引くところに掲げられているわけではありません。 ですからイエスが、ミシュナーと同価値を持つものとして第二の掟を語られた時、人々は大いに驚き、だからこそ、その言葉が心に深く刻みこまれたのでしょう。 神を愛せよ、というミシュナーの言葉が縦糸だとすれば、「隣人を自分自身のように愛せよ」という言葉は横糸。 旧約聖書の律法は、この二つの言葉によって、織り上げられているのです。 ただ、神を愛する、と口で言っているだけでは、私たちは、ふわふわ空中を漂っている風船のようなもの。 しっかり大地に足をつけて、その上で、天を仰がなければなりません。 ふわふわ浮いているだけで良いのなら、天使のように神の元にとどまっていれば良かったでしょう。 私たちが、この世界に生まれてきた大切な目的は、隣人とつながりあうため。私たちは、お互いを道連れとして、この世界へ旅してきているのです。 誰かと一緒に旅をすれば、互いのイヤなところが目についてくるもの。 顔を見合わせては、この人のここは嫌い、合わない、受け入れられない、と、値踏みばかりしてはいないでしょうか。 ある意味で、自分を愛し、隣人を愛するということは、神を愛するよりも難しいものです。 それぞれのエゴを乗り越えて、隣人を自分のように愛することができたとき、私たちは、本当の意味で自分自身を愛せるようになるのでしょう。 今枝さんのお別れの式、式場のホールに納まらず、和室にまであふれ出した、たくさんの人々に圧倒されるような思いでした。 今枝さんは、神を愛すると同時に、隣人をもまた、熱心に愛された方だったのだと、改めて気づかされました。 今枝さんは決して、自分と神との関係だけで満足する人ではありませんでした。…みんなに、子ども達に、神さまを知って欲しい。 猛然と突き進む今枝さんの原動力になっていたのは、熱い隣人愛でした。 隣人愛を原動力に、神に向かって突き進んで行かれた今枝さん。イエスが示された二つの大切な掟を、その全身で証しして、神に与えられた人生を、怒濤のように走り抜いて行かれました。 そのたすきは、今、わたしたちの手元に託されています。 信仰というものは、まさに、こうやって手から手に受け継がれてきたのだと実感させられています。 私たちもまた、隣人愛を原動力として、神に向かって歩んでいきましょう。 今枝さんは、きっと、神に与えられた人生を走りきった、という清々しい充実感で満たされて、心から満足されていることと思います。 私たちもまた、主の元に召されるときには、今枝さんに負けないほどに、清々しさと充実感を味わいたいものだと、切に願います。 【2008年8月31日 三浦亮平】 ※今枝洋子さんの証しは、こちらです。 |
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サイト内の聖書引用は日本聖書協会発行 「新共同訳聖書」より 聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988 |
「隣人愛を原動力として」 | マルコ福音書12章28〜34節 |
私たちの大切な家族。今枝洋子さんが天に召されました。78歳の人生でした。 |