コラム「格闘技インサイド」=文・安田拡了
新日本、ストロング思想を忘れるな
6日は新日本プロレスの後楽園ホール大会だ。この大会は「旗揚げ記念日」として開催される。
35年前、1972年のこの日、新日本は東京・大田区体育館で旗揚げした。
設立したアントニオ猪木はプロレスの神様カール・ゴッチと無制限1本勝負。猪木は体調が万全ではなく、ゴッチに卍(まんじ)固めを切り返され、リバース・スープレックスを食ってフォール負けした。
主人公ともいうべき猪木が負けてしまったから会場は複雑だった。しかしそれが新日本のストロング思想を宣伝する格好の材料になった。
その時に強い者が勝つ。練習を怠けていたら主役でも負けてしまうことをみせつけた。
新日本は馬場の全日本と比べて外国人も見劣りしたが、みんな練習はすごかった。当時、道場を仕切っていたのは山本小鉄。小鉄は新人を太らせるためにたらふく食べさせた。吐く寸前まで何千キロカロリーも摂取させたが、なかなか太らなかった。それは食事でいくら大量にカロリーを摂取しても練習で消費してしまうためだった。
そのくらい過酷な練習が続いた。だから新人は入って3日もたつとほとんどの者が夜逃げした。残った者もいたが、それは筋肉痛で動けなかったからだというエピソードがあるくらいだ。
当時、先輩後輩の序列は明確だった。先輩が黒と言えば白であっても黒だった。ちゃんこを作っても先輩が先に食べるため、最後に食べる新人は鍋の底に残ったちゃんこの汁とご飯で食べるしかなかった。
この時代を過ごした選手には根性が備わった。多少のけがでは休むこともなかった。
世間に恥ずかしくないように礼儀もしつけられた。先輩に命じられたらのろのろしているとぶっ飛ばされ、走って用をした。途中、関係者に会ったら必ずあいさつした。
そんな時代を見てきた人はいまの時代の選手たちに戸惑いを覚えるだろう。
いまの練習はひざを壊さないようにスクワットも500回くらいまでといった科学的かつ合理的なトレーニング。徒弟制度もいつの間にかなくなって道場にピーンと張り詰めた空気がない。あいさつができない新人も多くなってきた。
35周年の旗揚げ記念日を機に昔に帰れとはいわない。だが昔の厳しさをすべて捨て去ってしまったら、どこにでもあるただのプロレス団体ではないかと思う。
(スポーツライター)
(2007年3月1日更新)
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