コラム「格闘技インサイド」=文・安田拡了
「プロレスの神様」カール・ゴッチ氏が逝く
『プロレスの神様』カール・ゴッチが7月28日、米フロリダ州タンパの病院で亡くなった。死因は動脈りゅう破裂によるものだったらしい。82歳。
日本プロレス時代、力道山に選手たちのコーチを頼まれたことがあったほど、昔から一級品のテクニックを誇った。アントニオ猪木が新日本プロレスを旗揚げする時、またUWFの旗揚げには必ずプロレスの神様としてゴッチが協力すると宣伝されたものだった。
昨年8月、わたしはカール・ゴッチの取材にタンパの自宅を訪れた。自宅は2DKのアパート。部屋を訪れると大きな机が居間にあり、そばには好んでいた葉巻を入れる小さな冷蔵庫が置いてあるだけ。飾り気のない、清そ極まりない部屋だった。
以前は湖に面した一軒家に住んでいた。藤波辰爾、長州力、藤原喜明、前田日明、高田延彦、佐山聡、船木誠勝、鈴木みのるら多くの選手が、そこでゴッチの厳しい指導を受けてプロレス哲学も学んでいった。
しかし奥さんが亡くなった時に家と多くの家財を売り払い、プロレスに関する物もすっかり知人に譲ってしまった。
「当時の記憶はわたしの頭の中とアルバムだけに残っている」とゴッチは葉巻に火を付けた。
ゴッチは便りもよこさない弟子たちに対して怒ってもいた。都合よく利用されるのを極端に嫌ったからだ。
「あいつはいいうやつだ」とゴッチが気に入っている選手は「いつも変わらず便りをよこす弟子」だった。
ある時、プロレスを教えた弟子がテレビクルーを連れてゴッチのところにやって来た。取材となるとゴッチにギャラが出る。良かれと思っていたのだが、初めて会ったばかりのテレビクルーの高慢な取材がゴッチを怒らせた。
「もう、帰ってくれ」。日本のゴッチファンが、どこで住所を知ったかゴッチを訪ねてくることもあった。
昨年のある日、ファンが訪ねてきた。いろんな質問にゴッチはこころよく答えた。しかし最後にファンは「ゴッチさんの本を書きたい」と言ったらしい。ゴッチは言下に断ったという。
わたしが「どうして断ったのか」と聞くと「本を書いてもうけたいというのが会いに来た本当の理由だったんだ。第一、わたしに初めて会ったのに何が書けるというんだい。最近、そういう日本人が多いね」。
不純な行動は嫌いだった。それだけ利用されてきたということか。
四季のある日本に住みたかったが、奥さんが温かい所がいいというのでフロリダに住んだ。
「四季は心が豊かになる。いまでも日本に住みたいが、もう足腰が駄目で長時間は飛行機に乗れない」と残念そうだった。合掌。(スポーツライター)
(2007年8月2日更新)
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