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五輪後の中国:/4 当局取り締まり緩和

 ◇戻り始めた農民工

 北京市南西部の住宅街にある20階建てアパート。「存車処(車置き場)」と書かれた出入り口から地下へ下りると、入りくんだ通路の所々に、戸板でできたドアが裸電球に照らされている。約40のドアの七つに「2008年6月23日封印」とのシールが張られ、開閉できなくなっていた。

 「ここはエレベーター室の真下。家賃は月200元(約3000円)。河南省出身の25歳の農民工(農村出身の出稼ぎ労働者)の夫婦が3歳の女の子と1歳の男の子の4人で暮らしていた」と、親しかった住民は話す。夫は近所の銭湯でマッサージ師をし、収入は月1500元前後だったという。

 ドアの高さは70センチほどで、かがまないと出入りできない。1・5畳ほどの空間にベッドと小さなちゃぶ台があったが、公安職員が訪れ「地震などの時に危険だ」と退去を命じ、夫婦は郊外の住宅に転居したという。

 中国政府は五輪開幕前、家賃が安く、農民工が多く暮らす一般住宅の地下室などを使用禁止とし、北京から農民工を一斉に締め出した。イメージ改善や、治安・テロ対策などが目的で、海賊版DVDの販売、売春が疑われる娯楽産業、ヤミタクシーなども有無を言わせず取り締まった。

 しかし、五輪閉幕とともに取り締まりが緩和され、店を閉じていた娯楽産業や偽ブランドショップも再び看板を掲げ始めた。古里の農業では生活が立ち行かず、都市の機能に組み込まれた農民工も、少しずつ北京に戻り始めている。【北京・大塚卓也】=つづく

毎日新聞 2008年10月25日 東京朝刊

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