遊園地のアトラクションにあるような自転車風の乗り物が、車道をずんずんと進んでいく。それは不思議な感覚だった。
その乗り物の名前は「ベロタクシー」。ドライバーがペダルをこいで乗客を運ぶ自転車タクシーだ。
「まるで芸能人が通ったみたいでした」
ベロタクシーが誕生したのは1997年、ドイツ・ベルリンでのこと。ガソリンを使用しない環境にやさしい乗り物に、広告を掲載した新しいビジネスモデルとして生まれたのだ。
環境意識が高まるにつれ、その理念も認知されていき、各国にベロタクシーは広がっていった。特徴的な外見から観光地などではマスコットのような役割も果たし、バスや鉄道を補完する交通機関となった。
ベロタクシーは京都市で日本で初めて登場、2002年4月のことだ。
「まるで芸能人が通ったみたいでしたね」
当時のことを、NPO法人環境共生都市推進協会(ベロタクシージャパン)の細尾ともこ事務局長はそう回想する。「通行人の方々がみんな振り返って、写真を撮っていました」
だが、ベロタクシーはすんなりと日本に導入できたわけではなかった。公道を走るためには、道路交通法を改正する必要があったからだ。
道路交通法では、地域によって3輪の自転車に乗客を乗せることを禁止しており、京都もそれに該当していたのだ。法改正を要望したものの、当初は「ベロタクシーがどのような乗り物なのか分からない」「渋滞の原因になるのではないか」といった懸念があったことから反対意見も多く、実現まで2年かかった。
しかし、京都市で導入されるとそれがモデルケースとなり、東京、奈良市、那覇市、札幌市などまたたたく間にベロタクシーの輪は広がっていった。現在、日本では計100台ほどのベロタクシーが走っている。街作りの一環として、導入を検討している自治体が多いという。
ベロタクシーは街中を走るだけでなく、エコプロダクツ展やアースデイといった環境イベントで試乗会も行った。また、2008年2月の東京マラソンではゴール地点で中継車両として使われ、2008年3月の赤坂サカス開業時には東京ミッドタウンとのシャトル便として活躍した。「ベロタクシーに乗れば、赤坂サカスから東京ミッドタウンには15分ほどで着くのですが、1〜2時間ぐらいの行列ができていました」(細尾さん)
銀座でベロタクシーに乗ってみた
細尾さんに話を伺った後、実際にベロタクシーに乗せてもらうことにした。東京の銀座で運行しているということで、JR有楽町駅に向かう。東口を出ると、有楽町イトシア前に2台のベロタクシーが止まっていた。
「自転車のタクシーはいかがですか」
右手にハンドブックを持ちながら、お客を呼び込むドライバーたち。聞くと、いつもこの場所を拠点に営業活動を行っているらしい。乗車運賃は初乗り(500メートルまで)大人300円(小人200円)、超過料金が100メートルごとに大人50円(小人30円)。
乗せてもらったのは、運転歴5年という川田慎行さんのベロタクシー。目的地は特になし、銀座を案内してもらうことにした。
人力で動くため、時速10キロメートルほどしかスピードは出ない。観光用途以外で使うお客さんは少ないかと思ったが、「銀座三越や歌舞伎座に行かれるお客さまが多いですね。歩くには遠いけど、タクシーに乗る距離でもないという場合に利用されるようです」(川田さん)
ベロタクシーはクルマのような窓はないため、街の音や吹き抜ける風を直接感じることができる。その代わり寒さが“大敵”で、座席には毛布が置いてある。運行期間も4月から11月ころまでだ。また、雨の日には運行休止となることもある。
ベロタクシーが進み出すと、道路の凸凹が直接座席に伝わってくる。人力ということで体重が重い人は運びにくいだろうと思いきや、「相撲取りの方を2人乗せたこともあります」(川田さん)。戦後、日本では輪タク(りんたく)という自転車タクシーがあった。輪タクは馬車の馬の代わりを普通の自転車が務めるというだけの構造だったが、ベロタクシーは車体に電動アシスト機能を持たせたことでドライバーの負担を軽減しているのだ。
道路を曲がる時には、クルマがランプを点滅させるように、進行方向に手を突き出して、周りに注意を喚起する。ドライバーによっては、どう手を突き出すかがカッコイイかにこだわって研究している人もいるそうだ。
ドライバーになるには普通免許か自動二輪免許を持っていなければならず、加えてベロタクシー独特の動かし方や、手信号を覚えなければならない。変則ギアは何と21段階あるという。
9月に開店したばかりのファッションショップH&Mの近くを通ると、まだ長い行列ができていた。駅からH&Mに行かれる若い女性はよく乗せますね、と川田さんはつぶやく。
ベロタクシーのドライバーは20歳過ぎの男性が中心で、半分近くを学生が占めるという。「若い女性が多い銀座は、ドライバーに大人気じゃないんですか?」と無粋な質問を投げかけると、「いえ、東京タワーの辺りの方が人気ですね。乗車運賃が稼げるので」と返された。
東京の場合、乗車運賃の80%がドライバーの収入となる。ベロタクシーでは通常のタクシーとは違い、乗車する人それぞれに運賃が発生する。そのためドライバーにとっては、銀座で女性1人を乗せるよりは、東京タワー近辺で家族連れを乗せた方が稼ぎは良くなるのだ。
お客さんに気に入られると乗車運賃だけでなく、チップをもらえることもあるという。「お茶やジュースはよくいただきます。一度、ビールを6缶もらったことがあったのですが、さすがにそれは持ち帰って飲みましたね」(川田さん)。
とはいえお金のためというよりは、お客さんとのコミュニケーションを楽しみにしているドライバーがほとんどだそうだ。「銀座で働いていた元警察官の方が、思い出の場所を回りながら色々教えてくれたこともあった」(川田さん)。以前、大阪でもドライバーをしていた川田さんは、コミュニケーションの一環として、とりあえず値切り交渉から入ってくる人も多かったと振り返る。
「時折、乗せた方の感謝の手紙が本部に届くことがあるのですが、その時はテンションが上がります」(川田さん)。そうした思い出があるからか、大学を卒業して企業に就職するとなっても、ドライバーの籍を残しておいて、休日などに復帰できるようにしている人は多いという。
ベロタクシーに乗っていると、信号待ちなどで止まっている時によく写真を撮る人がいて、観光シンボルになっていることを感じる。珍しさからか、声をかけてくる人も多い。ドライバーも、自分が写っている写真や動画がブログやYouTubeにアップされていないかと探している人が多いとか。
しばしの銀座遊覧を楽しみ、有楽町イトシア前に戻る。ベロタクシーから降りると、時間の流れが変わったように感じた。ベロタクシーでは、ゆっくりとした時間が流れていたのだ。ビジネスパーソンたちが忙しげに行きかう東京。その中で、ベロタクシーはほっと落ち着けるような空間を提供してくれた。日々の生活に追われて疲れている人が乗れば、いつもと違う街の風景を見て気分転換できるかもしれない。