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【萬物相】安重根義士記念館

 1946年3月26日、ソウル運動場で「故・安重根(アン・ジュングン)先生36回忌追悼会」が行われた。追悼会の準備委員長を務めたのは、安重根義士が1909年10月26日に満州・ハルビン駅で伊藤博文を狙撃するという偉業に賛同した抗日活動家の禹徳淳(ウ・ドクスン)氏だった。追悼会には金九(キム・グ)先生をはじめとする愛国志士や遺族、学生らが出席し、国学者の鄭寅普(チョン・インボ)先生が追悼文を読み上げた。しかし、安重根義士が国に殉じたことをたたえる気運は高まらなかった。

 安重根追悼事業は63年12月に「安重根義士崇慕会」が設立されたころから本格的になった。崇慕会はソウル市の南山に記念館を建設しようとしたが、資金不足により遅々として進まなかった。ある日、南山子供会館を訪れた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が安重根義士のおいで独立運動家でもある安椿生(アン・チュンセン)氏から事情を聞き、支援を指示した。そして、70年10月26日に国費1000万ウォン(現行レートで約66万円)と国民からの寄付金6000万ウォン(同約400万円)で記念館が開館した。

 安重根義士記念館は韓国の伝統的な家屋を模したコンクリート製の建物と銅像、石碑18基からなる。建物には肖像写真・胸像・書・勲章などが展示されている。安重根義士の書や語録を記した石碑は各界の人物が寄贈したものだ。59年に南山の崇義女子高校前に建てられた安重根義士の銅像は1967年に記念館横に移された。なお、この銅像は73年に別の場所に移転され、現在の銅像は74年に彫刻家のキム・ギョンスン氏が作ったものだ。

 しかし、安重根義士記念館は展示室が狭くて古いため、所蔵品の半分しか展示できない。一度に50人も入ればいっぱいだ。そこで「ハルビン義挙」100周年に当たる来年までに現在の記念館から少し離れた場所に現代的な新記念館を建設することになった。延べ面積は現在の6倍以上になり、今は一つしかない展示室も10室に増え、安重根義士の活動や思想にさまざまな角度から焦点を当てることができるようになる。

 新記念館の建設に必要な130億ウォン(約8億5000万円)は政府が支援することになった。それでも肖像写真を新たにし、遺品や記念品を整理する作業にはさらに30億ウォン(約2億円)必要だ。今年3月に「安重根義士記念館建設委員会」が募金を始めたが、これまでに集まった金額は6億2000万ウォン(約4000万円)に過ぎない。安重根義士を尊敬する日本人が100万ウォンから1000万ウォン(約6万5000円から65万円)を寄付するのに比べると、韓国人の参加は決して多いとはいえない。建物は建ったものの、内部の準備が整わず、開館できないなどという事態は避けなければならない。

李先敏(イ・ソンミン)論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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