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2005/12/02

ぱらいそさ行く…ぞ

 やっと、『奇談(キダン)を見て来た。諸星大二郎の「生命の木」の映画化である。「生命の木」に限らず、諸星大二郎の《妖怪ハンター》シリーズは、我々と同世代ぐらいから上の、そして、70年代から少年マンガを読んで来た人達には、ほぼ説明の必要あるまい。「オラと一緒にぱらいそさ行くだ」という一言で、みんな心の底の澱の中に隠していた原体験、このマンガを始めて読んだときの衝撃が、身体に蘇る筈だ。

 本作『奇談』は、ストーリーの削除・挿入・組み替えなど映画的な編集はあるにせよ、ほぼ的確に原作の空気感を伝えている。そう、夢中で諸星大二郎のマンガを読み、ふと気付くと陽が傾いて、部屋の中にマンガの中の闇とどこかでつながった薄闇が忍び寄っている事に気付いた、あの瞬間の気分。静かに何かが傍に寄って来る気配。襲って来るから怖いのではなく、我々とは異質だから怖いという、根源的な怯え。
 その異質さこそが、諸星大二郎の醍醐味であり、凄みだ。そして、小松隆志監督は、その構図を見事にフイルムへと写し取っている。

そもそも でうすと敬(うやま)い奉(たてまつ)るは 天地の御主(おんあるじ) 人間万物(ばんぶつ)の御親(おんおや)にてましますなり

はじめに 天地万物を つくらせたまい また つちより五体をつくりてひととなし これ あだんじゅすへるのふたりなり
ぱらいそに二本の天の木あれば かならず食うことなかれと でうすかたく仰
(おお)せあるを じゅすへる あだんをたばかりて
あだんは まさんの木
(こ)の実(み)をとりて食い
じゅすへるいのちの木の実を食
(しょく)しける

これより たちまち天の快楽(けらく)をうしない
あだん その妻えわと下界に追いやられ 畜生
(ちくしょう)を食し 田畑を耕(たがや)してまいるべし
また じゅすへるのこども死ぬことなく 生みふえれば でうす これを憂
(うれ)いたまいて 地をひらきて いんへるのに落としたもう
その子孫 わずかに人からかくれ住み いのちの木の実の功力
(くりき)にや 死ぬことなしといえども でうすの呪(のろ)い受けたれば 順次に いんへるのにひきこまれ 子し孫そん 地の底に身をもがき
きりんと参る日まで 苦しみつきざるというなり

「世界開始の科の御伝え」

 自身の幼児期の記憶の欠落を埋めるため、渡戸村(わたらどむら)へと民俗学者の卵の佐伯里美が赴いたのは、日本が列島改造ブームに湧く1972年の事だった。16年前の1956年、家庭の都合からこの村の親類に預けられた7歳の里美は、ここで神隠しにあい、無事帰還した。だが、同時に神隠しにあった新吉は、ついに帰らなかった。
 このところ頻りに見る、地面にぽっかりと切り欠いたように口を開ける四角い穴と、手を振る少年の夢は、この記憶から欠落している神隠し事件に関わりがある。里美はそう確信していた。
 この渡戸村は、隠れキリシタンの里である。豊臣・徳川による弾圧を逃れ、山深く逃げ込んだのだ。住み始めてしばらくして、村人たちは更に山一つ隔てた奥に、自分たちとは別の隠れキリシタンの集落を発見する。これが、後に渡戸村でハナレと呼ばれる集落の事だ。
 村は、奥羽崩れと呼ばれたこの地方におけるキリシタン弾圧で多くの処刑者を出していた。だが、ハナレの者たちは、全員何のためらいも無く踏み絵を踏付け、全員無事だった。それが、ハナレに対する渡戸村本村の憎しみの原点であり、度重なる村八分の根源にあるものだった。生き延びた人々は仏教改宗を装い、隠れキリシタンとして静かに暮らし、やがて明治に禁教が解かれると、カトリックに復教した。しかし、ハナレは誰ひとりカソリックにならず、異端の教えを守っていた。
 過去、何人かの民俗学者が渡戸を訪れ、隠れキリシタンの文化を調査したが、その内の幾人かがハナレのことを書き残している。狭い範囲での近親婚の末か、全員が、七歳児程度の知能しか持たない集落として。
 そのハナレの、隠れキリシタンから見ても異端の謎の教えの中に出て来るのが、「世界開始の科の御伝え」である。
 この村で里美は、妖怪とは我々とは異なる闇の生態系であるという非常にユニークな説を主張して学会を追い払われた異端の考古学者、稗田礼二郎と出会う。稗田は精力的なフィールドワークをこなし、村の古老お妙婆さんから、この村の神隠しが、定期的に起こっている事を聞き出す。さらに、このお妙婆さんも、かつて兄とともに神隠しにあい、一人だけ生還した子供だったことが判って来た。
 そんな中、ハナレへと向かう道の途中で、ハナレの住人の一人、善次が殺されているのが発見される。

 阿部寛が稗田礼二郎ということで、どこかで仲間由紀恵が飛び出して来てどんがらがっしゃんの台謎解きで「まるっとお見通しだぜ!」となる気がしていたのは、映画が始まるまでの事。NHKの朝ドラで鍛えた里美役の藤澤恵麻の、昭和40年代メイクの清楚な印象と、研究に情熱を傾ける稗田を好演する阿部寛のに、ぐいぐい引き込まれて行った。
 ちなみに、配役で大笑いしそうになったのが、佐伯里美が相談に行った精神医学の研究者、芹沢。堀内正美なのである。「戻らないのは安全装置かも知れない。失ったままの方が良い記憶もある」とTLT-Jの松永要一郎(まつなが よういちろう)管理官(by『ウルトラマン・ネクサス』)に言われちゃ、笑うっきゃ無いッスよ。
 あと、嬉しかったのは、ちすんがかなり重要な役で出ている事。インパクター・ルシア(by『超星神グランセイザー』)ににっこりされちゃあ、主人公の佐伯里美もココロを落ち着けないワケがない。

 役者と共に、かなり頑張っていたのが、昭和40年代を再現すること。もちろん、時代の再現に血道を上げる予算はない訳で、小道具なんかに気を使うのがやっとなのだが、調度品や部屋に吊るしてある照明器具、昭和40年代の田舎なら、こんなものかなぁというイメージを上手く醸し出していた。
 残念なのは、昭和40年代の農村の田舎道は、あんなに舗装されていないぞという点。せっかく車を調達しても、古い家屋が並んでいても、アスファルトがちょっとね。

 当然ラストは、「ぱらいそさ行くだ」なわけで、途中のあらゆる事を楽しみつつ、安心して観ていられる、非常によい伝奇映画だ。

 いろんなホラーを買うのが流行っているけどさぁ……、こういう良質なモノを買えよな>ハリウッド

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コメント

 むー、面白そうですね。
 マンガの映画化って、生理に受け付けない事が多いんですが……まだやってたら、観てみます。

 あ、忘年会来られます?

投稿 如月@飲酒中 | 2005/12/04 23:38

如月 さま

 是非見てやって下さい。「原作と同じでない」という人は居るかも知れないが、「つまらない」ということはない映画ですよ。

 忘年会はね。行きたいんですが、この商売ですとまだ締切が見えないトコが微妙にありまして、ちと決断がつきません。(^_^;) ごめん。

投稿 神北恵太 | 2005/12/05 03:08

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