2008年10月24日(金)
続バカげた記事 1
日本自閉症協会 会報誌 いとしご 2001年 69号 7月8日付
きいて!!「僕のきもち 私のきもち」 本人の頁 より
翻訳は声帯模写芸−−翻訳者として生きる私−− ニキ・リンコ
承
大きくなっても私は、自分に障害があるとは知らなかった。自分が快適に暮らせないのは、世界が悪いんだと思っていた。
みんなが合理性を軽視して、しがらみや因習で判断するから。客観的なデータを無視して、センセーショナリズムや偏見に負けるから。
若い子にはありがちな理想主義だけど、自分が本当に暮らしにくくて苦しいだけに、ちょっと動機が切実だった。
だから私は、物書きになりたかった。文筆で俗説に反論して、自分の暮らしやすい世界を作りたかったし、私をゴミ扱いする世の中に反論したかった。
でも私には、「内容を」生みだすことができなかった。新しい内容を生みだす力がなかった。
集会やイベントの報告を書いても意味不明。子どものときに学校での一日を聞かれて答えても親には通じなかったのと同様に。
宿題の作文が少しも評価されなかったのと同様に。意見や提案だって、オリジナルじゃない。だいたい私には意見なんてない。
公正な統計を理性的に見て、合理的な判断をすればいいだけじゃないかとしか思っていないから、何の理念があるわけでもない。
私はただの文体マシーン、言い回し倉庫、受け売り人間。受け売り人間なら受け売り人間らしく、「器」として聞き書きでもできたらいいんだけれど、人に会って取材するなんて、なおさらできるはずがなかった。
転
二〇代のときは、市民運動系のミニコミに雑文や評論を書きながら自分でもミニコミを発行していた私だが、ミニコミ作りの醍醐味は、内容よりも印刷よりも、「発送作業」にある。
切手などの郵便グッズも、住所のリストも大好きだから。そして、「発送」のときには、別の団体の集会のチラシや、知り合いのバンドや劇団のチラシを、頼まれて「同封」するのが幸せだった。
自分で内容を生まずとも情報を広められるんだから。同時に、この時期はパソコン通信にも夢中になっていた。
そしてここでも、自分の意見や報告を書くことよりも、紙のメディアで出されたどこかの団体の催し物のお知らせやミニコミの記事を、作者の許可を得て、電子メディアに転載するのが好きだった。
やはり、自分で内容を生まなくとも、情報を広められるから。
私の文脈を読み取る力に問題がなければ、すでに以下の点でこの文章は矛盾を含んでいます。
<集会やイベントの報告を書いても意味不明。子どものときに学校での一日を聞かれて答えても親には通じなかったのと同様に。
<雑文や評論を書きながら
少なくとも報告よりも論評のほうが文章力を要すると私は思います。
>公正な統計を理性的に見て、合理的な判断をすればいいだけじゃないか
これができればむしろ報告のほうが楽ではないでしょうか、事実ベースを箇条書きすればいいんですから。
(続き)
評論は感想文と違って感情を盛り込むことは確かに少ないかもしれませんが、
>だいたい私には意見なんてない。
>私はただの文体マシーン、言い回し倉庫、受け売り人間。
評論というのは「論」という言葉を使っているようにそこに自論をある程度展開することを要求される、であるならばイベント報告文がかけない人間に、意見がない人間に、なぜそれ以上高度なことが出来るのか。
イベント通知なんて雛形があればできる、でも評論は物事を解析し、理解し、それを別の文章構成に自分の視点を織り込みながら仕立て上げないとできないのではいか、と私は思います。
さかいさんの正確かつ冷静な分析、的を得て素晴らしいです。
私がニキリンコに感じる胡散臭さは、いつもこれです。
「私は文体マシーン」って、これだけ立派な文章構成で自分の意見を主張してる人が?
つまり、小説家やジャーナリストではなく「翻訳家ニキリンコ」になるための屁理屈ですね。
そう、さらに文芸翻訳という作業は他人の書いていることの意図を正確に理解したうえでそれをある程度の異訳にしても作者の意図を曲げないように伝える、ということが必要であるのではないかと思うのですよ。
私自身が現在英語圏で暮らしていて、翻訳を頼まれることはありませんが、いざ自分が聞いたことを正確に相手に分かる日本語で伝える難しさというのを日々体験しているので、それこそ文芸翻訳という作業は相手の感情を読まないと出来ないのではないか、と考えています。
さかいさん、おっしゃるとおりです。
文芸翻訳の訳出は、ものすごく高度な言語化能力を必要とします。
自分で小説が書けるほどの文章力です。
村上春樹や、池澤夏樹など、小説家が翻訳をやる例が多数あるのを見てもわかるでしょう。
笛さんがなさっている、専門性が高く、正確さが要求される産業翻訳の分野とは、また別の能力です。
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