2008年10月23日(木)
バカげた記事 7
週刊女性自身 2000年 10月号 シリーズ人間 No.39
「原因はわからないけど、みんなと同じじゃなかった」−−−33歳まで高機能自閉症という自らの障害を知らずに生きてきたニキ・リンコさん(35)。
結婚して10年になる夫との生活で初めて知った、愛される意味……。
「私って″悪い子″だったの?」 (本当に悪い奴だ:Chip)
インタビューの場所は、彼女が指定した。関西空港−−。
・・・・中略・・・・
取材を終え、街なかの交差点で記者と別れた直後も−−−。
秋の募金活動で交差点に立つ若者の、「募金をお願いしまーす!」の大声に、リンコさんは全身を硬直させ、両手で耳をふさいだのだ。
・・・・略
文/田村 章
取材/品川裕香
撮影/高野 博
字数の関係で一部を除きおおよそこの記事の全文を載せた。
後日この全文のデータも何処かで取り出せるようにしておこうと思う。
この記事を書いた「品川裕香」というのは、元々は芙蓉社の編集者で、
浅見淳子(ニキリンコ)に乗せられたのか、この頃フリーの記者になった。その記事がこれである。
ニキリンコは大阪教育大の竹田契一とネットで知り合ったと言ったが、実はこの品川裕香が紹介したと思われる。
浅見淳子(ニキリンコ)はこれだけではなく、品川裕香に翻訳の仕事も与え花風社から1冊だけ出版したが、
その後の二人の関係は分からない。
品川裕香はその後アエラの編集補助等で食い繋いでいた様だが、今はさっぱり名前を目にする事は無い。
彼女は、この自分が手がけた「やらせ記事」の十字架を一生背負って生きるんだろうな。
もし、私が何らかの「裁判」等に巻き込まれたとき、
今は熊本にいる「岡野高明」先生と共に、この「品川裕香」も大変興味深い証言を引き出せると期待している。
参考までに、この取材についてのニキリンコの日記。:
日記 2000年9月24日昼〜夜。
女性自身の取材で、夫と電気街へ。先方はどういうわけか夫にも話を聞きたいというし(そんなもの聞いてどうするんだろう?)、夫と私のツーショット写真を撮りたいというので(そんなもの撮ってどうするんだろう?)、私たち夫婦のつながりを象徴するのに最適の場所として、こっちから電気街を指定したのだった。しかし、夫が他人に私のことをしゃべってるのをハタで聞くというのは、どうも妙な経験である。写真撮影にかこつけて、電気屋でジョルダノやらペルソナやらを触ってきたぞ。それからまた電気街近くの和風喫茶でみつまめを食べながら話の続き。取材班は次に竹田先生に会う約束があるとかで、夕方別れることになり、夫と難波で飲んで(といっても私は烏龍茶だが)帰る。
帰ってみたら、なぜかネットに入れない。どこにもつながらないので、先方ではなく、こちらの問題としか思えない。夫が遅くまでがんばって解決してくれた。
9月25日朝〜夜。
引き続き、女性自身の取材。私は空港が大好きなので、近くの空港の展望台へ飛行機を見に行く。シンガポール航空の飛行機がきれいで、ちょっと気に入った。夕方は対岸に戻り、観覧車を眺めながら話の続き。さらに、小料理屋でアナゴをつつきながらまたまた話の続き。10時間にもわたって話し通し。あしたはもう休みということにしてしまった。
募金の声でパニ食っても、飲み屋の騒音は全然平気。便利な障害者だ。
2000年。私の子は健常児とみなされた幼稚園児。
園では、障害のある子を受け入れていて、自閉症のお子さんがいました。
自閉症が「情緒障害」などと呼ばれていた時代です。日本のレベルが低いのか、専門医でもその程度でした。
2008年。今この記事を読んで、まともな精神科医なら出鱈目だとわかるでしょう。一般人でも、変だと思う。
Chipさん、貴重な記録、ありがとうございました。
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