世の中には“悪文のうまい”職種というものがあるという。一に裁判官、二に学者、そして三番目に新聞記者がくる。「日本語のご意見番」と言われた随筆家の江国滋さんが「日本語八ツ当り」(新潮社)に書いている。
新聞記事で第一にやり玉に挙げられたのは、コメントの最後などによく出てくる「…としている」という表現の乱用だ。一般にはなじみが薄いが、きょうの本紙でもどこかに使われているだろう。
本を出版した約二十年前、エイズ(後天性免疫不全症候群)がまん延していたこともあって、江国さんは“「としている」症候群”と名付けた。
なぜ「述べた」「語った」ではいけないのか。なぜ「説明した」「強調した」など場合に応じて書き分けないのか。素朴な疑問を投げ掛けながら<実に不自然かつ感じの悪い語法>と容赦ない。
新聞記事の二大疾病らしい、もう一つは“「同」病”。新聞では頻繁に出てくる固有名詞や日付を「同」の一字で受けるが、これも<何度も出さないで首尾一貫させてこそ、プロ>と手厳しい。
確かに形式的で意味があいまいになりがちだが、簡略な表現方法で、しかも記者の主観を排除しやすい…と、泉下のご意見番に反論の一つも試みたくなるが、最後にとどめの一撃が待っていた。
<それが新聞の文章だと新聞社員は思い込んでいるのかもしれないが、それは「思い込み」ではない、「思い上がり」というものです>。語法の一つでも読者の印象は違ってくるから恐ろしい。
(編集委員・国定啓人)