24歳にして全日本チームの主将を務めた山田選手。そもそも何でソフトボールをはじめたの? どうやら子供のころから、突出した運動神経の持ち主だったみたい…。
――少し生い立ちを振り返ります。神奈川県の厚木商業でソフトボールを始めるまでは野球少女でした。
「2人の兄が地元(神奈川県藤沢市)の野球チームに入ったんですけど、その試合を見に行った時に『あっ、私もやりたいな』と思って。小学校1年生の時に始めました。チーム内で女の子は私だけでしたけど、『あれっ』と不思議に思ったことはないですね。普段からずっと男の子と遊んだりしていたんで、『女の子が一人でイヤだな』と思うことはなかったです。むしろ野球をやってみたい、という気持ちの方が強くて。学年でA、Bの2チームに分けられたんですけど、その両方でレギュラーを獲りました。5年生の時から外野を守って、すでに左投げ左打ちでしたね」
――中学に進んでも迷わず野球部に。
「藤沢市の御所見中学だったんですけど、3年生で『2番・センター』のレギュラーを獲りました。体を動かすことが大好きですけど、特に走ることが得意で。野球って走塁はもちろん、守備でも走ることが役に立つ競技。そんな部分が私に向いていたのでは、と思いますね」
――憧れのプロ野球選手はいたんですか。
「小学生の時はいなかったんですけど、中学生になってからはやっぱりイチロー選手ですよね。走攻守のすべてがハイレベルで。こういう選手がいるんだ、と思いました。
――山田選手自身、「女イチロー」という異名をもっています。
「技術面もそうですけど、精神的な面でイチロー選手にはすごく勉強させてもらっているので、そう言われることはすごくうれしいですね。イチロー選手の本にはプレッシャーとどう付き合っていくのか、ということがよく書かれてあります。自分も全日本チームに入って、今回のオリンピックではキャプテンをまかされました。その中でプレッシャーというのがもちろんあって、どう付き合っていったらいいかがわからない時期もあったんですけど、そんな時にイチロー選手の本に『プレッシャーを味方につけることが大切』と書いてあったんです。あとは『プレッシャーを背負ってプレーできるのは限られた人だけ』とも。なるほど、逆にプレッシャーを楽しんでやっていったらいいんだ、と教えてもらいました。
――数多く読んだイチローの本の中で「これは!」というものは。
「自分が本当に思い悩んだ時や、どうしたらいいかわからない時に読むようにしているんですけど、その中でも『イチロー式集中力』というカバーが緑色の本。ことしの5月に読んだ時に、それまで自分の中でモヤモヤしていたものがすべて晴れてすっきりしたんです。北京にいる間も読みました。アテネ五輪では初戦で負けた影響というものもありますけど、萎縮してしまったことが勝てなかった原因だったと思うんです。そういう苦い経験があるから、今回はとにかく自信を持って臨んだ大会でしたし、特に緊張することなく伸び伸びと戦うことができました。一球一球真剣になってやってきたことを本番の舞台ですべて出せたと思っています」
――決勝のアメリカ戦でのホームランといい、まさに「恵里式集中力」という感じですね。
「そのようになったんですかね。でもホームランは、自分ではスタンドに入るとは思わなかったんですよ」
――話をちょっと戻します。高校進学を前に野球を断念したわけですね。
「(規則で女性だから公式戦には)出られないとわかったんですけど、仕方ないと割り切れた部分もありましたね。ならばソフトボールがあると教えてもらって、(厚木商業の)練習を見に行ったらかなりレベルが高かったので、やってみたい、と思ったんです」
――野球とソフトボールの違いに戸惑ったことは。
「ありましたよ。まずボールの大きさが全然違うし、ピッチャーとの距離も近いし、とにかくスイングが全然違うんです。野球のバットの軌道はけっこう下からになるんですけど、ソフトボールはピッチャーが下から投げてくるので上から叩きつつけるように打たないとダメなんです。タイミングの取り方も何も違う。慣れるまでがけっこう時間がかかりました。1年生から試合には出してもらっていたんですけど、最初の3か月ぐらいは全然打てなかったですね」
――いまではソフトボールの魅力をどう感じていますか。
「野球よりすべての面で距離が短いので、逆にすごくスピード感があるというのが一番の魅力ですね」
(インタビュー(3)に続く。超レアグッズのオークションも!)
関連リンク
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