トイレ

ガイド:青木 香奈枝

トイレの驚くべき進化や、主婦のためのトイレ掃除のコツなど、幅広く教えてくれます!

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掲載日: 2006年 12月 27日

ウォシュレット開発ストーリー【後編】

前編では、ウォシュレットを生み出すまでの開発者秘話をご覧いただきました。後編では、ウォシュレット発売後に起きたアクシデントや日本中が「あっ」と驚いたあのウォシュレットCMの秘話をお送りします。

発売当時のウォシュレット
1980年、発売当時のウォシュレット

念願の「ウォシュレット」発売。でも・・・・・・

こうして試行錯誤が繰り返され、1980年、温水洗浄装置つき便座「ウォシュレット」が販売されました。でもこの後、大きな問題が発生したのです。

全国で販売が始まってから3ヵ月後、ウォシュレットの温度制御システムが故障し、温水が突然冷たい水に変わるというクレームがつき、会社の廊下には、返品されてきたウォシュレットの山ができていました。故障原因は、わからないままでした。

その年の暮れ。まだまだ返品の山は増え続け、ストレスから円形脱毛症になるスタッフもいるほどでした。開発者としての責任を深く感じながら不具合の原因を究明した結果、38度の湯温を維持するために、1日1500回のオン・オフ信号がICからヒーターに伝えられ、その都度、電熱線が収縮を繰り返したことで金属疲労を起こし、ヒーターの電熱線が真っ二つに切れていたことがわかりました。

電熱線を交換するため、メンバーは総出で、不具合のあった全国のお宅を回りました。ときには製品を買った人から、罵声を浴びせられることもあったそうです。

その後、開発スタッフは、新型ヒーターの開発に打ち込みました。アルミの電熱線をステンレスに換え、さらに断線を防ぐため太くしたところ、連続3000時間、38度のお湯を出し続けられるものができました。やっとのことで、改良商品が完成したのです。

商品は完成。 となると次は、いかに商品の宣伝をするかが問題です。すでに10年前、雑誌と新聞からは、掲載を拒否されていました・・・・・・。

プレゼンシーン
スタッフは必死で商品をアピールしました(写真はイメージです)

雑誌、新聞がだめなら、テレビCM

新しい商品のコピーは、当時、ウォークマンやウィスキーの商品コピーの生みの親、天才コピーライターと言われていた仲畑貴志氏に依頼することになりました。

昭和56年12月。開発スタッフは仲畑氏を訪問し、引き受けて欲しいと商品説明を始めました。しかし、仲畑氏は、「商品価値がピンときません」と一言。それまで一番長い時間、トイレで実験を続けてきたスタッフがその場で立ち上がり、青い絵の具を自分の手の平に塗りつけて、仲畑氏にこう言いました。「この絵の具を紙で拭いてください」と。仲畑氏が紙を使ってその絵の具を拭きますが、汚れは落ちません。スタッフは、「お尻だって同じです。水で洗えば、キレイになります。常識への戦いなんです」と必死にアピールしたそうです。

仲畑氏は、実は、工業高校で旋盤に向かい、技術者を目指した日々があったので、この技術者の熱い思いが、心に響いたのでしょう。「地に足がついた技術で作られた商品ですね。担当させてください」と、この仕事を引き受けることを決めたといいます。

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